26 / 31
16 学生時代の挫折から心を閉ざしてしまった『菫』。バレンタインデーが近づくなか、彼女はある同級生のことを思い出す。
Bitter viola【後編】
しおりを挟む
同窓会当日。
不参加の菫は、入院中の母の病室にいた。
「ごめんね、私のせい。…菫の人生をぶち壊したの、お母さんたちのせいよね。…本当に、ごめんね……」
顔を見せるたびに、母親はうわ言のように同じ言葉を繰り返す。
「そんなことないわ」
弱りきった母に、本音など言えるはずがなかった。 そして母の本音が痛いほど、分かっている。
――私を責めないで。
言葉にならない悲痛な心の声が聞こえてくる。
だから、菫は同じ言葉を口にする。
「……お母さんのせいじゃない」
◇ ◇ ◇
見舞いを終えて病院を出た瞬間、菫は思わず大きく息を吐いた。
「…同窓会は?」
間髪入れずに、目の前に現れた譲にそう尋ねる。
「君に会う目的は、もう果たしてる。だから、行く必要がないよ」
「病院まで押しかけて………何がしたいの?」
祖母が話したのだろう。
職場も、彼に伝えたのは祖母だった。
「話がしたい」
即答だった。
菫はまた、深いため息をつく。
◇ ◇ ◇
「……で、話したいことって?」
二人は、以前と同じ喫茶店にいた。
閉店間際の店内には、他の客はいない。
――それとも、譲が店主に頼んで人払いさせたのか。
コーヒーを置いたあと、店主は都合よく厨房の奥に引っ込んだ。
「その前に……これを、受け取ってほしい」
譲が差し出したのは、紐の取っ手がつけられたお洒落な紙袋だった。
深い紫色の紙に、金色の小さな花をあしらったエンブレム。
「俺、その名前の洋菓子店で働いているんだ」
金色の文字で記されていた、店名。
――Viola
ビオラ。
スミレ科スミレ属の小さな花。
秋から春にかけて咲き、寒さに強い花。
――譲は意図して、この名前を付けたのだろうか。
それは、自意識過剰だろうか。
それでも、そう考えてしまうのは仕方がなかった。
「……そう。夢を叶えたのね。おめでとう」
紙袋を受け取り、菫は淡々と告げた。
雑誌で、譲がパティシエになったと知ったとき。
自分のことのように、嬉しかった。
まさか大会の後、自分の店を構えていたとは思わなかった。
垢抜けて、格好いい大人の男性になった彼。
誇らしさと、取り残された寂しさ。
成功した彼を羨む気持ちと拭えない劣等感。
――雑誌を捨てても、気分は晴れなかった。
「ありがとう」
菫の言葉が本心ではないことを、譲は知らない。
それでも彼は、とても嬉しそうに微笑んだ。
「中、開けてみてよ」
促され、菫は紙袋から小さな箱を取り出す。
包装のない、剥き出しの箱。
――初めて、チョコレートをもらったあの日とまったく同じだった。
当時の譲は、プレゼントするというより実物を見せたかった気持ちが強かったらしく、包装のことまで考えていなかったらしい。
今は一流のパティシエなのに、あえて同じ形を選んだのだろう。
可笑しくなって、自然と笑みがこぼれた。
何年ぶりだろう。
心から、こんなに笑ったのは――。
「…君が『パティシエになれる』って、背中を押してくれたから」
譲の言葉に、菫はゆっくりと顔を上げる。
そこに、かつて俯いていた少年の面影はない。
自信に満ちた、真っ直ぐな眼差しだった。
「自分に自信を持たないと駄目だって言ってくれた。
だから俺、自分にも、他人にも恥じないようにって
何より、見渡川さんと再会したとき…胸を張って『夢を叶えた』って言いたかった」
涙が込み上げてきて、菫は下唇を噛み締める。
彼は逆境に耐え、努力してここまで来た。
一方で、自分は恵まれた環境を失っただけで、すべて失くした気になっていた。
一度の挫折ですべて終わったと、勝手に諦めた。
「……それが、俺が今まで頑張った証というか…集大成、かな」
照れたように言う譲に、菫は小さく息を漏らす。
「ふっ」
硬かった表情が、少しずつ和らいでいく。
「――チョコレートトリュフ、ね」
予想通りの中身。
四種類の美しく整ったトリュフ。
あの日と同じように、ココアパウダーのトリュフを口に運ぶ。
「……本当に、美味しい」
同じ言葉。
違うのは、涙が滲んだことだけ。
「良かった」
譲もまた、同じ言葉に返した。
今度は、誇りと自信に満ちた表情で。
――昔のあの日々のように、二人は、再び笑い合った。
・
・
・
「あ、もう一個。……こっちが、バレンタインデーの本命のチョコ」
そう言って、テーブルに新たな箱が置かれた。
今度はきちんと包装され、紫のリボンが結ばれている。
菫は慎重にリボンを解き、蓋を開けた。
「……これ、なんていうお菓子なの?」
問いかけると、譲は「待ってました!」と言わんばかりに胸を張る。
「栗を糖衣した、マロングラッセ」
「…初耳」
「だと思った!」
当時から変わらず、菫はお菓子に詳しくない。
「栗のままのお菓子があるのね。…でも、どうしてバレンタインなのに、チョコレートじゃないの?」
本命チョコいう言葉を、見事に素通りするのはいかにも菫らしかった。
昔から妙に落ち着いていて、同学年の誰よりも大人びて見えた彼女。
その一方で、興味のあることはとことん掘り下げる、子供らしい探究心もあって――
少し抜けているところが、可愛らしかった。
――やっぱり、何も変わってない。
そう思えた瞬間、あの時「薄情」と言ってしまったことを、譲は強く後悔した。
――薄情な人間が、誰かの人生を動かす『魔法の言葉』を与えられるはずがない。
『パティシエになれるよ』 その一言に、どれだけ励まされ、そして救われてきたか分からない。
――自分にとって、彼女は。
「チョコレートか、どうかは、あまり重要じゃないよ」
譲は、静かに言った。
「大事なのは、自分の気持ちを相手に伝えること。
でも…面と向かって言えない想いもある。
だから、お菓子に意味を込めて、バレンタインデーに贈るんだ」
「……意味?」
「そう、意味」
譲は、そっと微笑みを浮かべた。
――その夜。
菫は、「マロングラッセ」の意味を調べていた。
「……え……これって…」
パソコン画面を見ながら、固まる。
その瞬間を見計ったように、スマートフォンが鳴った。
「………もしもし」
『見渡川さんのことだから、もう調べてると思って』
すべてお見通しだったらしい。
「…ま、まだ調べてないわ…」
菫は、咄嗟に嘘をついた。
『…そっか。なら、ちょうどいいや』
通話越しに、微かな笑みが滲む。
『今度、一緒にディナーに行かない?
その時に、マロングラッセの意味、教えるよ』
「……えっ」
思わず上ずった声を出すと、譲は小さく笑った。
* * *
【マロングラッセ】
――その意味は、「永遠の愛を誓う」
不参加の菫は、入院中の母の病室にいた。
「ごめんね、私のせい。…菫の人生をぶち壊したの、お母さんたちのせいよね。…本当に、ごめんね……」
顔を見せるたびに、母親はうわ言のように同じ言葉を繰り返す。
「そんなことないわ」
弱りきった母に、本音など言えるはずがなかった。 そして母の本音が痛いほど、分かっている。
――私を責めないで。
言葉にならない悲痛な心の声が聞こえてくる。
だから、菫は同じ言葉を口にする。
「……お母さんのせいじゃない」
◇ ◇ ◇
見舞いを終えて病院を出た瞬間、菫は思わず大きく息を吐いた。
「…同窓会は?」
間髪入れずに、目の前に現れた譲にそう尋ねる。
「君に会う目的は、もう果たしてる。だから、行く必要がないよ」
「病院まで押しかけて………何がしたいの?」
祖母が話したのだろう。
職場も、彼に伝えたのは祖母だった。
「話がしたい」
即答だった。
菫はまた、深いため息をつく。
◇ ◇ ◇
「……で、話したいことって?」
二人は、以前と同じ喫茶店にいた。
閉店間際の店内には、他の客はいない。
――それとも、譲が店主に頼んで人払いさせたのか。
コーヒーを置いたあと、店主は都合よく厨房の奥に引っ込んだ。
「その前に……これを、受け取ってほしい」
譲が差し出したのは、紐の取っ手がつけられたお洒落な紙袋だった。
深い紫色の紙に、金色の小さな花をあしらったエンブレム。
「俺、その名前の洋菓子店で働いているんだ」
金色の文字で記されていた、店名。
――Viola
ビオラ。
スミレ科スミレ属の小さな花。
秋から春にかけて咲き、寒さに強い花。
――譲は意図して、この名前を付けたのだろうか。
それは、自意識過剰だろうか。
それでも、そう考えてしまうのは仕方がなかった。
「……そう。夢を叶えたのね。おめでとう」
紙袋を受け取り、菫は淡々と告げた。
雑誌で、譲がパティシエになったと知ったとき。
自分のことのように、嬉しかった。
まさか大会の後、自分の店を構えていたとは思わなかった。
垢抜けて、格好いい大人の男性になった彼。
誇らしさと、取り残された寂しさ。
成功した彼を羨む気持ちと拭えない劣等感。
――雑誌を捨てても、気分は晴れなかった。
「ありがとう」
菫の言葉が本心ではないことを、譲は知らない。
それでも彼は、とても嬉しそうに微笑んだ。
「中、開けてみてよ」
促され、菫は紙袋から小さな箱を取り出す。
包装のない、剥き出しの箱。
――初めて、チョコレートをもらったあの日とまったく同じだった。
当時の譲は、プレゼントするというより実物を見せたかった気持ちが強かったらしく、包装のことまで考えていなかったらしい。
今は一流のパティシエなのに、あえて同じ形を選んだのだろう。
可笑しくなって、自然と笑みがこぼれた。
何年ぶりだろう。
心から、こんなに笑ったのは――。
「…君が『パティシエになれる』って、背中を押してくれたから」
譲の言葉に、菫はゆっくりと顔を上げる。
そこに、かつて俯いていた少年の面影はない。
自信に満ちた、真っ直ぐな眼差しだった。
「自分に自信を持たないと駄目だって言ってくれた。
だから俺、自分にも、他人にも恥じないようにって
何より、見渡川さんと再会したとき…胸を張って『夢を叶えた』って言いたかった」
涙が込み上げてきて、菫は下唇を噛み締める。
彼は逆境に耐え、努力してここまで来た。
一方で、自分は恵まれた環境を失っただけで、すべて失くした気になっていた。
一度の挫折ですべて終わったと、勝手に諦めた。
「……それが、俺が今まで頑張った証というか…集大成、かな」
照れたように言う譲に、菫は小さく息を漏らす。
「ふっ」
硬かった表情が、少しずつ和らいでいく。
「――チョコレートトリュフ、ね」
予想通りの中身。
四種類の美しく整ったトリュフ。
あの日と同じように、ココアパウダーのトリュフを口に運ぶ。
「……本当に、美味しい」
同じ言葉。
違うのは、涙が滲んだことだけ。
「良かった」
譲もまた、同じ言葉に返した。
今度は、誇りと自信に満ちた表情で。
――昔のあの日々のように、二人は、再び笑い合った。
・
・
・
「あ、もう一個。……こっちが、バレンタインデーの本命のチョコ」
そう言って、テーブルに新たな箱が置かれた。
今度はきちんと包装され、紫のリボンが結ばれている。
菫は慎重にリボンを解き、蓋を開けた。
「……これ、なんていうお菓子なの?」
問いかけると、譲は「待ってました!」と言わんばかりに胸を張る。
「栗を糖衣した、マロングラッセ」
「…初耳」
「だと思った!」
当時から変わらず、菫はお菓子に詳しくない。
「栗のままのお菓子があるのね。…でも、どうしてバレンタインなのに、チョコレートじゃないの?」
本命チョコいう言葉を、見事に素通りするのはいかにも菫らしかった。
昔から妙に落ち着いていて、同学年の誰よりも大人びて見えた彼女。
その一方で、興味のあることはとことん掘り下げる、子供らしい探究心もあって――
少し抜けているところが、可愛らしかった。
――やっぱり、何も変わってない。
そう思えた瞬間、あの時「薄情」と言ってしまったことを、譲は強く後悔した。
――薄情な人間が、誰かの人生を動かす『魔法の言葉』を与えられるはずがない。
『パティシエになれるよ』 その一言に、どれだけ励まされ、そして救われてきたか分からない。
――自分にとって、彼女は。
「チョコレートか、どうかは、あまり重要じゃないよ」
譲は、静かに言った。
「大事なのは、自分の気持ちを相手に伝えること。
でも…面と向かって言えない想いもある。
だから、お菓子に意味を込めて、バレンタインデーに贈るんだ」
「……意味?」
「そう、意味」
譲は、そっと微笑みを浮かべた。
――その夜。
菫は、「マロングラッセ」の意味を調べていた。
「……え……これって…」
パソコン画面を見ながら、固まる。
その瞬間を見計ったように、スマートフォンが鳴った。
「………もしもし」
『見渡川さんのことだから、もう調べてると思って』
すべてお見通しだったらしい。
「…ま、まだ調べてないわ…」
菫は、咄嗟に嘘をついた。
『…そっか。なら、ちょうどいいや』
通話越しに、微かな笑みが滲む。
『今度、一緒にディナーに行かない?
その時に、マロングラッセの意味、教えるよ』
「……えっ」
思わず上ずった声を出すと、譲は小さく笑った。
* * *
【マロングラッセ】
――その意味は、「永遠の愛を誓う」
0
あなたにおすすめの小説
15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~
深冬 芽以
恋愛
交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。
2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。
愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。
「その時計、気に入ってるのね」
「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
愛はリンゴと同じ
turarin
恋愛
学園時代の同級生と結婚し、子供にも恵まれ幸せいっぱいの公爵夫人ナタリー。ところが、ある日夫が平民の少女をつれてきて、別邸に囲うと言う。
夫のナタリーへの愛は減らない。妾の少女メイリンへの愛が、一つ増えるだけだと言う。夫の愛は、まるでリンゴのように幾つもあって、皆に与えられるものなのだそうだ。
ナタリーのことは妻として大切にしてくれる夫。貴族の妻としては当然受け入れるべき。だが、辛くて仕方がない。ナタリーのリンゴは一つだけ。
幾つもあるなど考えられない。
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
理想の『女の子』を演じ尽くしましたが、不倫した子は育てられないのでさようなら
赤羽夕夜
恋愛
親友と不倫した挙句に、黙って不倫相手の子供を生ませて育てさせようとした夫、サイレーンにほとほとあきれ果てたリリエル。
問い詰めるも、開き直り復縁を迫り、同情を誘おうとした夫には千年の恋も冷めてしまった。ショックを通りこして吹っ切れたリリエルはサイレーンと親友のユエルを追い出した。
もう男には懲り懲りだと夫に黙っていたホテル事業に没頭し、好きな物を我慢しない生活を送ろうと決めた。しかし、その矢先に距離を取っていた学生時代の友人たちが急にアピールし始めて……?
【完結】身代わりとなります
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
レイチェルは素行不良の令嬢として悪名を轟かせている。しかし、それはレイチェルが無知ゆえにいつも失態をしていたためで本人には悪意はなかった。
レイチェルは家族に顧みられず誰からも貴族のルールを教えてもらわずに育ったのだ。
そんなレイチェルに婚約者ができた。
侯爵令息のダニエルだ。
彼は誠実でレイチェルの置かれている状況を知り、マナー講師を招いたり、ドレスを作ってくれたりした。
はじめは貴族然としている婚約者に反発していたレイチェルだったがいつのまにか彼の優しさに惹かれるようになった。
彼のレイチェルへの想いが同情であっても。
彼がレイチェルではない人を愛していても。
そんな時、彼の想い人である隣国の伯爵令嬢フィオラの国で革命が起き、彼女は隣国の貴族として処刑されることが決まった。
そして、さまざまな思惑が交錯する中、レイチェルは一つの決断を下し・・・
*過去と未来が行ったり来たりしながら進行する書き方にチャレンジしてみました。
読みにくいかもしれませんがご了承ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる