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16 学生時代の挫折から心を閉ざしてしまった『菫』。バレンタインデーが近づくなか、彼女はある同級生のことを思い出す。
Bitter viola【中編】
しおりを挟む「菫、この前ぶり! ハガキ、ちゃんと届いたよ」
電話の向こうから聞こえてきたのは、中学三年の同級生だった――比奈の声だった。
「…そう、良かったわ」
「ね、どうして同窓会、不参加なの?」
「仕事が忙しいの」
「あー……再会したとき、あまり話せなかったけどさ。 菫のことだから、難関大学を現役で受かって、今は一流企業に就職してるんだろうなって思ったけど。
だったら忙しいのは分かるんだけどさ…。あ、でも、教えてくれた住所って――」
「……同窓会の通知文、不参加に丸をつけたはずよ」
それで察してほしい。
そう言外に告げているつもりだった。
「…そうだけど。でも、同じ高等部に進学すると思ってたのに違ってたし、しかもそのまま引っ越して、連絡取れなくなったでしょ。 お別れの挨拶も何もできなかったんだから、せめて同窓会だけでも来れない?」
「………」
「……今さら『なにがあった?』なんて聞くつもりはないよ。 同窓会が無理なら、後日でもいいし。仲の良かった子たちで集まろう、って話も出てるの」
一瞬、沈黙が流れる。
「――あ、そうだ! 違うクラスだったけど、浅沼君のこと知ってる? 菫、彼と仲がよかったよね。この前、雑誌で知ったんだけど…彼さ――」
「忙しいの。もう切るわね」
「ちょっ、待っ――」
比奈が言い終わる前に、菫は通話を切った。
スマートフォンを布団の上に放り投げ、仰向けに寝そべる。
視界いっぱいに、天井の丸型蛍光灯が映った。
――比奈の言葉が、脳裏で繰り返される。
『菫のことだから、難関大学を現役で受かって、今は一流企業に就職して……』
「……全然…違うわ」
菫は思わず、悔しさで潤んだ目を両手で覆った。
菫の人生の歯車が狂ったのは、中学三年生の時だった。
当時、菫は中高一貫校に通っていた。
国を代表する著名人を数多く輩出してきた、都内でも名の知れた難関校だ。
その校名が経歴にあるだけで箔が付く――『将来安泰』と称される学校だった。
見渡川 菫は中学三年間、一度も学年主席を逃したことがないほど優秀な生徒だった。
同級生から一目置かれ、教師には大きな期待を寄せられていた。
母親は、成績が良かった日は決まって菫の好物を並べてくれた。
父親だけは仕事にかまけ、どれほど良い結果を残しても関心を示さなかったが、それでも周囲から注がられる期待は、菫の自己肯定感を満たすには十分だった。
友人と遊ぶ時間より、勉強に時間を費やすことは苦ではなかった。
勉強を教えれば感謝される。
人に頼られることが、素直に嬉しかった。
これからもずっと、誰もが認める『優等生』であり続ける。
そのまま高等部へ進学し、難関大学に進み、誰もが羨むような仕事に就く。
一握りの人間しか掴めない、明るい未来が――菫には用意されている…はずだった。
だが、受験を控えたある日。
個人事業を営んでいた父が、多額の負債を抱えていたことが発覚した。
廃業は免れず、手続きによって清算はされたものの、父がその事実を母に一切相談しなかったことで、夫婦の信頼関係は決定的に壊れた。
――両親は、あまりにも呆気なく離婚した。
母に引き取られた菫は、高校進学のタイミングで、祖母が暮らす地方に引っ越すことを余儀なくされた。
輝かしい経歴は、ここですべて白紙になったも同然だった。
『難関校の優等生』ではなくなった瞬間、菫は自分の価値を見失った。
――まだ十五歳。
将来の可能性が完全に潰えたわけではない。
それでも当時の菫にとって、それは“唯一無二の誇り”を奪われるに等しい出来事だった。
無気力になり、成績はみるみるうちに落ちていった。
最終的には無難な大学に進学し、地元の役所に職員として就職することはできた。
けれど本当は、比奈が言ったような『一流企業に勤める自分がいた』――はずなのだ。
そう思うたびに、胸が締めつけられる
――苦しくて、どうしようもなかった。
数ヶ月前。
外出先で偶然再会した比奈から、中学の同窓会が開かれるを聞かされた。
かつての『優等生』は、もうどこにもいない。
落ちぶれてしまった今の自分を、同級生たちに晒したくなかった。
そして、何よりも――
「浅沼君…本当にすごいわ。…今の私と違って…何もかも」
乾いた笑いが、喉からこぼれ落ちる。
「……逆転した人生よね」
◇ ◇ ◇
その日、定刻どおり仕事を終えた菫は、身支度を整えると、挨拶もそこそこに部署を後にした。
スマートフォンの通知をオンにした途端、見知らぬ番号から着信が入る。
――どうせ迷惑電話だろう。
すぐ切れると、そう思ったが、呼び出し音は執拗に鳴り続けた。
鬱陶しくなり、画面に指を伸ばした瞬間。
段ボールを運んでいた男性職員と、肩がぶつかった。
「すんません!」
軽く謝って去っていく背中を、菫は眉間に皴を寄せながら見送る。
『……もしもし……もしもし』
スマートフォンから、男性の声が聞こえた。
どうやら、ぶつかった拍子に通話が繋がってしまったらしい。
無視して切ろうとした、そのとき。
『……見渡川さん?』
指が、ぴたりと止まった。
(……なんで…私の番号を…)
誰が教えたのか――
答えは、すぐに察しがついた。
菫は深く俯いたまま、無言で通話を切った。
◇ ◇ ◇
「……なんで…」
通話を切られたスマートフォンの画面を、浅沼 譲は呆然と見つめていた。
「店長! まだここにいたんですか!? 今、かき入れ時で忙しいっていうのに!!」
「かき入れ時って……若いのに、よくそんな古い言葉を知ってるね」
そう言いながら、譲はスマートフォンをロッカーの中に押し込んだ。
「…今、行くよ」
一度だけロッカーに視線を戻し、諦めるように踵を返す。
譲はそのまま休憩室を後にした。
◇ ◇ ◇
「ええ! バレンタインに、そんな由来があったなんて」
従業員の大げさな反応に、譲は思わず苦笑した。
「故人を偲ぶというか……功績を称える形で、二月十四日に祭りが行われるようになったんだよ。
まぁ、風紀が乱れるって理由で異性との交流を抑えられていた若者たちにとっては、堂々と交流できる、数少ないイベントだったみたいだけどね」
「じゃあ、お菓子会社の陰謀じゃなかったんすね」
「それはホワイトデーのほう。確か、1970年代頃だったかな。全国飴菓子業協同組合が作った日だよ」
「へぇ! 店長、詳しいっすね!」
「まぁ…俺も、ある人から教えてもらった知識だけどね。
――初めて知ったときは、俺も君みたいに驚いたな…」
当時を思い出し、譲はふっと目を細めた。
「そうなんすか。それって……元カノとか?」
表情から察したのか、従業員が遠慮なく核心を突いてくる。
「いや…同級生だよ」
「初恋の相手とか?」
なおも食い下がる声に、譲は少し歯切れが悪く答えた。
「…まあ、ね」
◇ ◇ ◇
“好きな人へ気持ちを伝えるために、あなたの想いがこもったチョコレートを贈ろう!”
照明を落とした暗い店内。
壁に貼られたバレンタインデーの広告ポスターの前で、譲は立ち尽くしていた。
「………どうして、出ないんだ」
スマートフォンの暗い画面を見つめていると、不意に画面が明るくなる。
「!」
着信音より先に表示された名前を見て、一瞬落胆し、それでも通話ボタンを押した。
「もしもし…。…ああ、やっぱり行かないって言われた?
…そっか。じゃあ、俺が直接会いに行くしかないよね。
…え、いいの? 住所を教えたら、彼女に怒られるよ?
『別にいい』って? はは…うん、ありがとう」
通話を切ると同時に、譲はスマートフォンの検索画面を開いた。
◇ ◇ ◇
「おばあちゃん。仕事が早く終わったから、私がお母さんの荷物を病院へ持っていくわ…うん、だから一旦家に――」
役場の門前で祖母に電話をかけていた菫 は、こちらに向かってくる男を一目見た瞬間、言葉を失った。
「見渡川さん」
呼ばれて、息が詰まる。
雑誌の中でしか見ていなかった浅沼 譲が、そこに立っていた。
「…おばあちゃん、後でかけ直すわ」
通話を切り、菫は硬い表情のまま譲と向き合う。
「人違いです」
咄嗟に噓が口を突いた。
そのまま脇を通り過ぎようとした瞬間、譲の手が反射的に彼女の腕を掴む。
「人違いじゃないでしょ。…どうして、避けるの?」
声は荒くない。
だが必死に苛立ちを抑えているのが、はっきりと伝わってきた。
最初の電話の直後、菫はすぐ彼の番号を着信拒否した。
そんな対応をされて、怒らない方が無理だろう。
「…痛いから、離してくれる?」
「あっ、ごめん!」
眉間に皴を寄せて告げると、譲は慌てて手を放した。
ちょうど帰り支度を終えた職員たちとすれ違う。
――その中に井上の姿がある。
こちらを見て、心底驚いた顔をしていた。
盛大に誤解された気がして、菫は堪らずため息をつく。
「…場所を変えましょう」
◇ ◇ ◇
元古民家を改装した木造づくりの喫茶店は、レトロ調の調度品で統一されていた。
店内の奥の、目立たない角のテーブル席。
暗い蜂蜜色の照明の下、二人は向かい合って座る。
注文を済ませ、菫は運ばれてきた水に口をつけた。
「どうして同窓会に来ないの?」
いきなり本題を切り出され、胸が詰まる。
「仕事…」
「本当に仕事?」
即座に返され、菫は言葉を失う。両手で包み込んだガラスのコップに視線を落とした。
指先がかすかに震え、水面に小さな波紋がいくつも広がっている。
動揺を決して悟られまいと、そっと手を膝の上に下ろした。
「…はっきり言うわ。仕事で行けないわけじゃない。ただ、行きたくないの。
皆が皆、当時を懐かしがって集まるわけじゃない。
いい思い出がないから行きたくない、そう思う人がいても当然でしょう?」
刺々しいほどに冷たい言葉に、譲は面食らったように黙り込む。
「……そうだけど」
なんとか言葉を絞り出す。
「浅沼君は、行くのよね?」
逆に問い返すと、譲は静かに頷いた。
「――それは、何よりだわ」
菫は、水を一口飲んだ。
当時、譲はスクールカースト上位の生徒から嫌がらせを受けていた。
それを見て、クラス全体が彼を避けるようになっていた。
学年全体での同窓会なら、当時いじめていた連中が来る可能性も高い。
それでも、譲は出席すると言う。
菫の通っていた学校は、エスカレーター式に中等部から高等部に進学できる一貫校だった。
多くの生徒が、そのまま高校生活も共に過ごす。
――自分がいなくなった後、譲は良い友人に恵まれ、楽しい高校生活を送れたのだろう。
だから、嫌な記憶があるはずの同窓会にも行ける。
「…別に、同窓会なんてどうでもいいんだ」
譲が、ぽつりと呟いた。
「俺にとって、中三の学校生活は地獄だった。
でも…見渡川さんと過ごした時間は、俺の救いで…支えだった。
忘れたくない。絶対に否定したくない、中三の大切な思い出なんだ」
真っ直ぐな言葉に、菫は耐えきれず再び視線を落とす。
「同窓会に行けば、また会えると思ったんだ。
……まさか、何も言わずに突然いなくなるなんて夢にも思わなかった。
高等部でもすぐ会えるって信じてたから…連絡先を交換していなかったこと、すごく後悔したよ。
…どうして、何も教えてくれなかったの?」
菫は黙ったまま、俯き続けた。
「……答えて」
少し強まった声に、ようやく顔を上げる。
「もう、二度と会うつもりがない相手だから。言う必要ないと思った、それだけよ」
「……っ」
冷たく突き放す言葉に、譲ははっきりと動揺した。
「…薄情だよ」
それは、“失望”をそのまま口にした言葉だった。
――それでいい。
彼が自分を見限ってくれたら、その方が楽だ。
――なのに……胸がとても痛んだ。
「…そうね」
目を伏せる、菫。
譲はテーブルの上で拳を強く握りしめた。
――否定してほしかった。
怒りを覚えずにいられない。
「何も知らされなくって……俺がどんな気持ちだったか、分かる?」
「いいえ」
「悲しかった。裏切られたって思った」
「そう」
菫は反論しない。
自分の言葉が、ひどく空虚に感じられた。
「なら、今分かったでしょう?
――私は薄情者なの。何も言われても…何も響かないわ」
「なんで…そんなことばかり言うんだ…」
譲の声が、かすかに震える。
菫は、気づかないふりを貫いた。
「元から、こうよ。貴方が気づかなかっただけ」
「違う」
「違わないわ!」
思わず声を荒げ、店内の視線が一斉に集まる。
「…もういい? 今、母が入院していて……私、忙しいの」
声を落として告げ、菫は財布から紙幣を取り出してテーブルに押し出した。
コートを羽織る余裕もなく、立ち上がり、そのまま店を飛び出す。
「……違う。絶対、違う」
一人残された譲は、誰に届くこともない言葉を、静かに溢した。
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