甘灯の思いつき短編集

甘灯

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16 学生時代の挫折から心を閉ざしてしまった『菫』。バレンタインデーが近づくなか、彼女はある同級生のことを思い出す。

Bitter viola【後編】

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 同窓会当日。
 不参加のすみれは、入院中の母の病室にいた。

「ごめんね、私のせい。…菫の人生をぶち壊したの、お母さんたちのせいよね。…本当に、ごめんね……」

 顔を見せるたびに、母親はうわ言のように同じ言葉を繰り返す。

「そんなことないわ」

 弱りきった母に、本音など言えるはずがなかった。 そして母の本音が痛いほど、分かっている。

 ――私を責めないで。

 言葉にならない悲痛な心の声・・・が聞こえてくる。

 だから、菫は同じ言葉を口にする。

「……お母さんのせいじゃない」



   ◇ ◇ ◇



 見舞いを終えて病院を出た瞬間、菫は思わず大きく息を吐いた。

「…同窓会は?」

 間髪入れずに、目の前に現れたゆずるにそう尋ねる。

「君に会う目的は、もう果たしてる。だから、行く必要がないよ」

病院ここまで押しかけて………何がしたいの?」

 祖母が話したのだろう。
 職場も、彼に伝えたのは祖母だった。

「話がしたい」

 即答だった。
 菫はまた、深いため息をつく。



     ◇ ◇ ◇ 



「……で、話したいことって?」

 二人は、以前と同じ喫茶店にいた。
 閉店間際の店内には、他の客はいない。

 ――それとも、譲が店主に頼んで人払いさせたのか。

 コーヒーを置いたあと、店主は都合よく厨房の奥に引っ込んだ。

「その前に……これを、受け取ってほしい」

 譲が差し出したのは、紐の取っ手がつけられたお洒落な紙袋だった。
 深い紫色の紙に、金色の小さな花をあしらったエンブレム。

「俺、その名前の洋菓子店で働いているんだ」

 金色の文字で記されていた、店名。

 ――Viola

 ビオラ。
 スミレ科スミレ属の小さな花。
 秋から春にかけて咲き、寒さに強い花。

 ――譲は意図して、この名前を付けたのだろうか。

 それは、自意識過剰だろうか。
 それでも、そう考えてしまうのは仕方がなかった。

「……そう。夢を叶えたのね。おめでとう」

 紙袋を受け取り、菫は淡々と告げた。

 雑誌で、譲がパティシエになったと知ったとき。
 自分のことのように、嬉しかった。

 まさか大会の後、自分の店を構えていたとは思わなかった。
 垢抜けて、格好いい大人の男性になった彼。

 誇らしさと、取り残された寂しさ。
 成功した彼を羨む気持ちと拭えない劣等感。

 ――雑誌を捨てても、気分は晴れなかった。

「ありがとう」

 菫の言葉が本心ではないことを、譲は知らない。
 それでも彼は、とても嬉しそうに微笑んだ。

「中、開けてみてよ」

 促され、菫は紙袋から小さな箱を取り出す。
 包装のない、剥き出しの箱。

 ――初めて、チョコレートをもらったあの日とまったく同じだった。

 当時の譲は、プレゼントするというより実物を見せたかった気持ちが強かったらしく、包装のことまで考えていなかったらしい。

 今は一流のパティシエなのに、あえて同じ形を選んだのだろう。
 可笑しくなって、自然と笑みがこぼれた。

 何年ぶりだろう。
 心から、こんなに笑ったのは――。

「…君が『パティシエになれる』って、背中を押してくれたから」

 譲の言葉に、菫はゆっくりと顔を上げる。

 そこに、かつて俯いていた少年の面影はない。
 自信に満ちた、真っ直ぐな眼差しだった。

「自分に自信を持たないと駄目だって言ってくれた。
 だから俺、自分にも、他人にも恥じないようにって
 何より、見渡川さんと再会したとき…胸を張って『夢を叶えた』って言いたかった」

 涙が込み上げてきて、菫は下唇を噛み締める。

 彼は逆境に耐え、努力してここまで来た。

 一方で、自分は恵まれた環境を失っただけで、すべて失くした気になっていた。
 一度の挫折ですべて終わったと、勝手に諦めた。

「……それが、俺が今まで頑張った証というか…集大成、かな」

 照れたように言う譲に、菫は小さく息を漏らす。

「ふっ」

 硬かった表情が、少しずつ和らいでいく。

「――チョコレートトリュフ、ね」

 予想通りの中身。
 四種類の美しく整ったトリュフ。

 あの日と同じように、ココアパウダーのトリュフを口に運ぶ。

「……本当に、美味しい」

 同じ言葉。
 違うのは、涙が滲んだことだけ。

「良かった」

 譲もまた、同じ言葉に返した。
 今度は、誇りと自信に満ちた表情で。

 ――昔のあの日々のように、二人は、再び笑い合った。


 

           ・  
           ・           
           ・




「あ、もう一個。……こっちが、バレンタインデーの本命のチョコ」

 そう言って、テーブルに新たな箱が置かれた。
 今度はきちんと包装され、紫のリボンが結ばれている。

 菫は慎重にリボンを解き、蓋を開けた。

「……これ、なんていうお菓子なの?」

 問いかけると、譲は「待ってました!」と言わんばかりに胸を張る。

「栗を糖衣とういした、マロングラッセ」

「…初耳」

「だと思った!」

 当時から変わらず、菫はお菓子に詳しくない。

「栗のままのお菓子があるのね。…でも、どうしてバレンタインなのに、チョコレートじゃないの?」

 本命チョコいう言葉を、見事に素通りするのはいかにも菫らしかった。

 昔から妙に落ち着いていて、同学年の誰よりも大人びて見えた彼女。
 その一方で、興味のあることはとことん掘り下げる、子供らしい探究心もあって――
 少し抜けているところが、可愛らしかった。

 ――やっぱり、何も変わってない。

 そう思えた瞬間、あの時「薄情」と言ってしまったことを、譲は強く後悔した。

 ――薄情な人間が、誰かの人生を動かす『魔法の言葉』を与えられるはずがない。

 『パティシエになれるよ』 その一言に、どれだけ励まされ、そして救われてきたか分からない。

 ――自分にとって、彼女は。

「チョコレートか、どうかは、あまり重要じゃないよ」 

 譲は、静かに言った。

「大事なのは、自分の気持ちを相手に伝えること。 
 でも…面と向かって言えない想いもある。
 だから、お菓子に意味を込めて、バレンタインデーに贈るんだ」

「……意味?」

「そう、意味」

 譲は、そっと微笑みを浮かべた。




 ――その夜。
 菫は、「マロングラッセ」の意味を調べていた。

「……え……これって…」

 パソコン画面を見ながら、固まる。
その瞬間を見計ったように、スマートフォンが鳴った。

「………もしもし」

『見渡川さんのことだから、もう調べてると思って』

 すべてお見通しだったらしい。

「…ま、まだ調べてないわ…」

 菫は、咄嗟に嘘をついた。

『…そっか。なら、ちょうどいいや』

 通話越しに、微かな笑みが滲む。

『今度、一緒にディナーに行かない? 
その時に、マロングラッセの意味、教えるよ』

「……えっ」

 思わず上ずった声を出すと、譲は小さく笑った。

 

  * * *

 【マロングラッセ】 

 ――その意味は、「永遠の愛を誓う」

 
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