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第七話
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夢に、お父様が出てくるようになった。
優しく微笑んで、
「リシュア」と呼ぶ。
夢の中のお父様は、いつも少し躊躇いがちで、困ったような顔をしている。
私が一度も見たことのない、お父様。
困ったように――けれど、幸せそうに笑うお父様。
初めてその夢を見たとき、私は思った。
これは、なんだろう、と。
それから何度か同じ夢を見るうちに、気づいてしまった。
これは、お母様が見ている景色なのかもしれない、と。
そう思うと、嬉しかった。
お母様も、お父様も――幸せなのだと。
二人だけの世界で、ちゃんと笑えているのだと。
それなら、よかった。
本当に、よかったはずなのに。
どうしてだろう。
胸が、痛くなった。
頭の奥が冷えていって、
目頭だけが熱くなる。
涙が、勝手に溢れてくる。
止めようとしても、止まらなかった。
私の意思とは関係なく、身体が先に、泣いていた。
そして、胸に浮かんだのは――
「私は、いらないんだ」
そんな言葉だった。
━━━━━━━━
「……来てくれたのね」
その言葉が、唇から零れた瞬間。
私は知ってしまった。
どれほど、待っていたのか。
どれほど、レオの存在を――渇望していたのかを。
胸の奥が、ほどけていく。
ずっと凍っていた場所に、
小さな火が灯るみたいに。
――違うわ。
私は、不幸じゃない。
私は、寂しくなんてない。
ばあやがいるもの。
ばあやは、私を愛してくれている。
誰よりも。
きっと――お父様よりも。
私のことを、一番に考えてくれている。
それは、とても幸せなことだ。
毎日、美味しい食事があって、
温かいベッドがあって、
不足なく、一日を過ごせる。
それは――恵まれている証だ。
そう。
私は、幸せなのだ。
……幸せな、はずなのだ。
けれど。
どうして。
レオが来てくれただけで、
こんなにも――嬉しいのだろう。
レオは、私が言うまでもなく当たり前のように隣へ来た。
立ち上がった私の手を取り、迷いなく引く。
そのまま一緒に、地面へ腰を下ろした。
触れた手が、温かい。
私はそれだけで、胸の奥がほどけていくのを感じた。
「元気だった?」
優しい響きに、私は満面の笑顔で答える。
「ええ、元気だったわ」
その言葉が落ちた瞬間、空気が緩んだ。
「そう。よかった」
ふわり、とレオが笑うのが分かった。
私はすぐに、問い返してしまう。
待っていた時間の分だけ、言葉が溢れる。
「レオは元気だった? 大変なことはなかった?」
「僕も元気だったよ」
レオは静かに答えた。
「色んなことがあったけど……いまは、ティアに会えて。明るい気持ちの方が大きい」
その声は、優しいのに。
どこか、気を張ったままの響きが残っていた。
私は、どう返せばいいのか分からず、指先を握る。
けれど――探すまでもなく、分かってしまう。
レオも貴族。
私も貴族。
言葉にしないことの方が、ずっと多い。
“色んなこと”があるのだと。
貴族は、自由ではない。
特に――子どもは。
生まれた瞬間から役目が決まっている。
選ぶことはできない。
ただ、従うだけ。
私は、自分の手をそっと握った。
見えなくなったあの日、私の役目も、もう決まってしまったのだと知っているから。
……だからこそ。
レオの声の奥にあるものに触れてしまいそうで、怖かった。
私は、あわてた気持ちになった。
触れてはいけないものに触れてしまったような気がして、
それを、今すぐ別の色で塗り替えたくて。
私はそっとレオの手を取った。
温かい手。
そこに、ちゃんとレオがいると確かめるように。
向き合う。
見えないまま、レオの顔があるはずの場所を見つめて。
つとめて明るく言う。
「レオが好きなものって、何?」
少しだけ沈黙があった。
風が、二人の間を通り抜ける。
レオはすぐには答えなかった。
考えているのか、答えを選んでいるのか。
やがて、小さく息を吐く気配がした。
「……本、かな」
その答えに、私は思わず笑顔になる。
「まあ」
嬉しくなる。
同じだったから。
「私もよ」
声が、少しだけ弾む。
「読書が、好きだったわ」
“だった”。
その一言が、静かに落ちた。
もう、読めないから。
レオは、その落ちた言葉を拾い上げるみたいに、優しく続けた。
「ティアが、楽しいって思った本は?」
私は微笑んだ。
「『黄金の王子と赤髪の娘』って本が楽しかったわ」
一瞬だけ、レオの気配が止まった気がした。
けれど、レオはすぐに声を整えて言う。
「その本、僕も読んだことがあるよ」
「楽しいよね」
「そう、楽しいの!」
私は勢いよく頷いた。
そして、言ってしまってから、はっとする。
「……でも、実は最後までは読めてないの」
言い訳みたいに、続けてしまう。
「……途中で、読めなくなってしまったから」
言葉が、暗い方へ転んでいったのがわかった。
嫌だ。
どうしよう。
明るい話をしたいのに。
レオとは、楽しく過ごしたいのに。
沈黙を作りかけた私の前で、レオがすぐに言った。
「どこまで読んだの?」
「僕が、その続きを話そうか?」
優しい声。
それだけで、胸がほどけそうになる。
「僕は少しだけ記憶力がいいから」
「『黄金の王子と赤髪の娘』も、よく覚えてるよ」
きっと私は、頬を赤くして、目をまんまると開いていたと思う。
「ほんとう!?」
声が弾む。
「レオ、本当に? 嬉しい……!」
「ありがとう」
胸の前で手を合わせて、私は大きな笑顔になった。
――ばあやには、言えなかった。
この目になった私が「本を読みたい」と口にしたら、きっと悲しませてしまうと思ったから。
優しく微笑んで、
「リシュア」と呼ぶ。
夢の中のお父様は、いつも少し躊躇いがちで、困ったような顔をしている。
私が一度も見たことのない、お父様。
困ったように――けれど、幸せそうに笑うお父様。
初めてその夢を見たとき、私は思った。
これは、なんだろう、と。
それから何度か同じ夢を見るうちに、気づいてしまった。
これは、お母様が見ている景色なのかもしれない、と。
そう思うと、嬉しかった。
お母様も、お父様も――幸せなのだと。
二人だけの世界で、ちゃんと笑えているのだと。
それなら、よかった。
本当に、よかったはずなのに。
どうしてだろう。
胸が、痛くなった。
頭の奥が冷えていって、
目頭だけが熱くなる。
涙が、勝手に溢れてくる。
止めようとしても、止まらなかった。
私の意思とは関係なく、身体が先に、泣いていた。
そして、胸に浮かんだのは――
「私は、いらないんだ」
そんな言葉だった。
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「……来てくれたのね」
その言葉が、唇から零れた瞬間。
私は知ってしまった。
どれほど、待っていたのか。
どれほど、レオの存在を――渇望していたのかを。
胸の奥が、ほどけていく。
ずっと凍っていた場所に、
小さな火が灯るみたいに。
――違うわ。
私は、不幸じゃない。
私は、寂しくなんてない。
ばあやがいるもの。
ばあやは、私を愛してくれている。
誰よりも。
きっと――お父様よりも。
私のことを、一番に考えてくれている。
それは、とても幸せなことだ。
毎日、美味しい食事があって、
温かいベッドがあって、
不足なく、一日を過ごせる。
それは――恵まれている証だ。
そう。
私は、幸せなのだ。
……幸せな、はずなのだ。
けれど。
どうして。
レオが来てくれただけで、
こんなにも――嬉しいのだろう。
レオは、私が言うまでもなく当たり前のように隣へ来た。
立ち上がった私の手を取り、迷いなく引く。
そのまま一緒に、地面へ腰を下ろした。
触れた手が、温かい。
私はそれだけで、胸の奥がほどけていくのを感じた。
「元気だった?」
優しい響きに、私は満面の笑顔で答える。
「ええ、元気だったわ」
その言葉が落ちた瞬間、空気が緩んだ。
「そう。よかった」
ふわり、とレオが笑うのが分かった。
私はすぐに、問い返してしまう。
待っていた時間の分だけ、言葉が溢れる。
「レオは元気だった? 大変なことはなかった?」
「僕も元気だったよ」
レオは静かに答えた。
「色んなことがあったけど……いまは、ティアに会えて。明るい気持ちの方が大きい」
その声は、優しいのに。
どこか、気を張ったままの響きが残っていた。
私は、どう返せばいいのか分からず、指先を握る。
けれど――探すまでもなく、分かってしまう。
レオも貴族。
私も貴族。
言葉にしないことの方が、ずっと多い。
“色んなこと”があるのだと。
貴族は、自由ではない。
特に――子どもは。
生まれた瞬間から役目が決まっている。
選ぶことはできない。
ただ、従うだけ。
私は、自分の手をそっと握った。
見えなくなったあの日、私の役目も、もう決まってしまったのだと知っているから。
……だからこそ。
レオの声の奥にあるものに触れてしまいそうで、怖かった。
私は、あわてた気持ちになった。
触れてはいけないものに触れてしまったような気がして、
それを、今すぐ別の色で塗り替えたくて。
私はそっとレオの手を取った。
温かい手。
そこに、ちゃんとレオがいると確かめるように。
向き合う。
見えないまま、レオの顔があるはずの場所を見つめて。
つとめて明るく言う。
「レオが好きなものって、何?」
少しだけ沈黙があった。
風が、二人の間を通り抜ける。
レオはすぐには答えなかった。
考えているのか、答えを選んでいるのか。
やがて、小さく息を吐く気配がした。
「……本、かな」
その答えに、私は思わず笑顔になる。
「まあ」
嬉しくなる。
同じだったから。
「私もよ」
声が、少しだけ弾む。
「読書が、好きだったわ」
“だった”。
その一言が、静かに落ちた。
もう、読めないから。
レオは、その落ちた言葉を拾い上げるみたいに、優しく続けた。
「ティアが、楽しいって思った本は?」
私は微笑んだ。
「『黄金の王子と赤髪の娘』って本が楽しかったわ」
一瞬だけ、レオの気配が止まった気がした。
けれど、レオはすぐに声を整えて言う。
「その本、僕も読んだことがあるよ」
「楽しいよね」
「そう、楽しいの!」
私は勢いよく頷いた。
そして、言ってしまってから、はっとする。
「……でも、実は最後までは読めてないの」
言い訳みたいに、続けてしまう。
「……途中で、読めなくなってしまったから」
言葉が、暗い方へ転んでいったのがわかった。
嫌だ。
どうしよう。
明るい話をしたいのに。
レオとは、楽しく過ごしたいのに。
沈黙を作りかけた私の前で、レオがすぐに言った。
「どこまで読んだの?」
「僕が、その続きを話そうか?」
優しい声。
それだけで、胸がほどけそうになる。
「僕は少しだけ記憶力がいいから」
「『黄金の王子と赤髪の娘』も、よく覚えてるよ」
きっと私は、頬を赤くして、目をまんまると開いていたと思う。
「ほんとう!?」
声が弾む。
「レオ、本当に? 嬉しい……!」
「ありがとう」
胸の前で手を合わせて、私は大きな笑顔になった。
――ばあやには、言えなかった。
この目になった私が「本を読みたい」と口にしたら、きっと悲しませてしまうと思ったから。
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