【完結】「お前を愛する者などいない」と笑われた夜、私は“本物の王子”に拾われた

波依 沙枝

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第二十七話

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苛立ちを隠しきれないまま、リヒトは王宮の回廊を歩いていた。

(謝罪だと? 俺が?)

喉の奥が苦い。
あんな女に、頭を――。

そのとき。

「リヒト!」

呼ぶ声が、普段より高い。いや、高いだけではない。荒い。
足が止まった。

回廊の向こうから、王妃が現れた。
完璧に整えられているはずの歩調が、今日は速い。衣擦れが微かに乱れ、胸元が小さく上下している。

……息を乱している。

息ひとつ乱すことを嫌う王妃が。
身だしなみより先に“捕まえること”を選んだ――その事実が、背筋に冷たいものを走らせた。

「……王妃殿下」

取り繕った呼び方が、逆に滑稽に聞こえた。

王妃は立ち止まりもしない。距離を詰め、逃げ道を塞ぐように正面に立つ。

「あなた、今からモンテリオールへ行くのね」

問いではない。確認でもない。
命令の前置きだ。

リヒトは口角を上げようとして、上がらないことに気づいた。

「陛下のご命令ですから」

言葉だけは丁寧に整える。けれど胸の奥は、まだ煮えていた。

王妃の目が細くなる。いつもの余裕がない。表情に隙がある。
それは弱さではなく、焦りだった。

「――いい?」

王妃はさらに一歩近づく。香がいつもより強く感じる。息が浅いからだ。

「あなたは、きちんと謝罪しなさい」

リヒトの眉がわずかに動く。

「謝罪、とは……」

「言葉の意味を選ぶ余裕があるのなら、今ここで学びなさい」

王妃の声が鋭くなる。

「あなたが昨夜したのは、叱責ではない。公の侮辱よ」
「社交界は、あなたを笑い者にしたいのではない。裁きたいの」
「裁いたあと、どうなるかわかる?」
「想像もしたくないことが起きるのよ」

そして、名前が落ちる。

「……レオハルト」

その一語で、回廊の空気がさらに冷える。

「第二王子に汚点がつけば、誰が一番喜ぶと思っているの?」

言葉がひとつ落ちるたび、王妃の苛立ちが剥き出しになっていく。

「……母上、あの女が――」

「女、ではない」

王妃が被せる。国王と同じ訂正だ。

「モンテリオール侯爵令嬢。あなたの婚約者」
「王家の都合で繋いだ鎖で――お前の盾」

“鎖”という言葉が、ぴたりと嵌まった。
昨夜、俺が引きちぎろうとしたものの名だ。

王妃は息をひとつ吸う。乱れた呼吸を整えるためではない。言い切るためだ。

「あなたが謝罪を失敗すれば。もし、万が一でも婚約が破談になれば――」
「モンテリオールという盾は、どこへ行くの?」

最後の一語が、微かに震える。怒りではない。恐れでもない。
序列が崩れることへの、嫌悪だ。

王妃は、爪先まで整った指でリヒトの胸元を軽く押さえた。触れるだけなのに、押されていると錯覚する圧がある。

「あなたはその荒い感情を捨てて行きなさい」

命令が、骨に染みる。

「頭を下げるのよ。礼を尽くすのよ」
「あなたが恥を飲むのではない。あなたの地位を守るの」

リヒトは唇を噛んだ。
“俺”が叫びたがっている。けれど、王妃の目がそれを許さない。

「……承知しました、母上」

言葉は整った。整いすぎて、逆に冷たい。

王妃は、ようやく一歩引く。
その瞬間、また小さく息が乱れた。

「いいわね、リヒト」

確認ではない。釘だ。

リヒトは頷き、回廊の先を見る。
王宮の門が見える。外へ出れば、また空気が変わる。

(……俺は、謝りに行く)

その事実が、腹の底をさらに煮えさせた。
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