【完結】「お前を愛する者などいない」と笑われた夜、私は“本物の王子”に拾われた

波依 沙枝

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第三十一話

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扉の前は、やけに静かだった。

楽団の音は大広間から薄く漏れているのに、ここだけ空気が張り詰めている。
従者の足音すら、絨毯に吸われて消える。

リヒトは――整えた。
口角、視線、呼吸。
“第二王子”としての顔を。

その横で、セレスティアは気怠げに首を振った。

揺れた赤髪からふわりと、ダマスクローズの甘さとアンバーの温い余韻が香る。
甘いのに温くて、どこか逃げ道がない香りだった。

そして――彼女が、すっと手を差し出した。

迷いがない。
「エスコートを」と告げるようでいて、命令にはならない。
当然のように、そこに在る手。

リヒトの胸が一瞬、詰まった。

反射で形を作る。
遅れないように――と焦った時点で、もう遅い。

ほんの一拍。
ほんの一瞬。

その“慌て”が、外から見ればすべてだった。

セレスティアは微笑まない。焦らない。
ただ手を預けるのではなく、先に歩く準備だけを整えている。

リヒトの手が、彼女の指先を取った。

取った――はずなのに。
合わせさせられている感覚だけが残る。

「……参りましょう、殿下」

小さな声。
静かで、確実に主導権を握った声。

(……誰が、誰をエスコートしている)

次の瞬間、扉が開いた。

光が溢れ、視線が刺さる。

――そして刺さった視線は、リヒトではなくセレスティアへ吸い寄せられていく。

彼女が一歩進むたび、幾つもの目がその後を追った。
リヒトは隣で、完璧なはずの“王子”として歩いているのに――

なぜか、最初から引き立て役に見える。

その事実を、誰より早く言葉にしたのは――最前列の淑女だった。

「……第二王子殿下が、引き立て役に見えるわね」

扇の影から、ぼそりと落ちた声。
たったそれだけで、周囲の空気が“同意”の形に整う。

返事は、同じく扇の陰から返ってきた。

「でも、本来“紳士”とは、淑女の引き立て役であるべきでしょう」

一拍。

「……ええ。だから、正しいのよ」

くすり、と笑いが混じった。
笑っているのは、セレスティアではない。
彼女を囲む空気そのものだった。

リヒトのこめかみが、かすかに脈打つ。

反射的に、隣のセレスティアを睨んだ。

――その目に、彼女は怯えない。
むしろ、ほんの少しだけ顎を上げる。

そして、唇だけを動かした。

「……私に八つ当たりなさらないで」

小声。
けれど、音より鋭く刺さる言い方だった。

リヒトの呼吸が、一つ乱れる。

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