【完結】「お前を愛する者などいない」と笑われた夜、私は“本物の王子”に拾われた

波依 沙枝

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第三十話

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モンテリオール侯爵邸を出た瞬間から、胸の奥が熱いままだった。

(……ふざけるな)

謝罪に来たはずだった。
それなのに、あの女は人前で倒れ、侯爵は“判決”みたいな声で俺を追い出した。

馬車の窓に映る自分の顔は、優雅な王子の形をしていない。
歪んでいて、荒々しい。

王宮へ戻ると、すぐに呼び出しが来た。

「玉座の間へ」

――間違いなく、報告は上がっている。

玉座の間は、声がよく響く。
だからここでは、言い訳ほど醜いものはない。

「リヒト」

己の名が、天井にぶつかって落ちてくる。

「謝罪に行ったのではなかったのか」
「――何をしに行った」

俺は口角を整える。声を落ち着かせる。
“私”の形を作る。

「謝罪に参りました。ですが――」

「言い訳はするな」

国王が遮る。

「モンテリオール侯爵邸で騒ぎを起こしたと聞いた」
「侍女と騎士の前で、令嬢の腕を掴んだ」
「そして侯爵は、お前を“追い出した”と」

追い出した。
その単語が刺さる。

国王は続けた。

「お前が頭を下げるというのは、ただのリヒトが頭を下げるということではない」
「王家が頭を下げていることになる」

俺の喉が動く。

「……陛下。あの令嬢が――」

「見苦しい」

国王の声は低い。

「モンテリオールは貴族派にも王族派にも顔が利く」
「敵に回すわけにはいかない。わかっているだろう」

――わかっていた。上手くやっていた。
あの女は俺の言いなりだったじゃないか。
それが急に……。

国王の横に、第一王子がいた。
レオハルト。

澄ました顔をしているように見える。
後ろ盾のない捨てられた王子だったはずのお前が、俺を見下すのか?

国王が視線を上げた。

「三日後、夜会がある」
「お前は婚約者として、モンテリオール侯爵令嬢をエスコートするんだ」
「少しの落ち度もなく」
「――この意味がわかるか?」

命令だった。

俺は口を開きかけ――閉じる。
頷くしかない。

「……承りました」

玉座の間を出た瞬間、胸の奥がさらに煮えた。

回廊を曲がったところで、待ち構えていたみたいに王妃が現れた。

息が乱れている。
あの王妃の息が。

「リヒト!」

声が荒い。余裕がない。

王妃は距離を詰め、逃げ道を塞ぐ。

「三日後。三日後は上手くやるでしょうね?」
「ここで失敗すれば――社交界はあなたから顔を背けるわよ」

俺は唇を噛んだ。

「母上。私は――」

「言い訳はいらない」

王妃が被せる。

「婚約者を立てなさい」
「侮辱するんじゃない。無礼な触れ方をするんじゃない。苛立つんじゃない」

命令が骨に染みる。

そして最後に、低く。

「レオハルトの帰還の直後に、あなたが笑いものになれば」
「誰が一番喜ぶのよ!!」

――答えは見えている。

俺は頭を下げた。形式だけは。

「……承知しました、母上」

王妃は一歩引く。

「しっかり準備をして迎えに行きなさい」
「モンテリオールの娘を、第二王子側に立たせるのよ」

俺は回廊の先、王宮の門を見る。

(三日後……)













━━━━━━━━

リヒト殿下の馬車が、モンテリオール侯爵邸の門前に止まった。

迎えに来た――そういう形だけは整っている。
私は階段を下り、外套の襟を指先で整えた。

殿下は馬車の扉を開けると、出会った頃のような優しい王子の顔で微笑んだ。

「今夜は……一緒に」

私はその言葉を最後まで聞かない。
さっと馬車に乗り込み座る。エスコートすらさせない。

馬車が動き出し、窓の外の庭が遠ざかる。

沈黙が落ちた。

その沈黙を、私はわざと破らない。
殿下が耐えられなくなるまで待つ。

先に口を開いたのは、やはり殿下だった。

「……セレスティア。先日のことは――」

「初めてですわね」

私は殿下の言葉を、柔らかく切った。
声音は丁寧で、表情も崩さない。

「殿下が、夜会の時に家まで迎えに来てくださるなんて」

殿下の瞳が揺れる。
それを見て、私はさらに続けた。

「私はデビュタントの時からずっと一人でした」
「モンテリオールの馬車に乗って一人で夜会に向かい、また一人で邸に帰ってくる」

ほんの少しだけ首を傾ける。

「……それが、殿下の婚約者の扱われ方なのだと思っていました」

殿下の喉が動く。

「それは、ち、がう」

「違うんですか?」

私は視線を窓へ逃がす。
逃がしているように見せるだけだ。

「社交界の視線が、怖くなったのかと思っていました」
「紙面に不名誉な話題で名前が載るのは、嫌ですものね」

殿下の指が、膝の上でわずかに強く握られる。

「……言い方があるだろう」

「ありますわ。たくさん」

私は微笑む。

「でも、殿下は“言い方”を選ばない方でしょう?」

一瞬、空気が冷たくなる。
馬車の揺れだけが、やけに大きい。

殿下が低く言う。

「セレスティア。今夜は大人しく――」

「大人しく、ですか」

私は小さく笑った。
笑ってしまったことが失礼にならない程度に。

殿下の眉が動く。

「……セレスティア」

名を呼ぶ声が、わずかに低くなった。
それだけで、取り繕っていた“王子の優しさ”が薄くなる。

私はその変化を見逃さない。

「殿下は、私が大人しかった頃のほうが、お好きでしたか?」
「呼びもしないのに待って、見もしないのに信じて、笑われても耐える――そういう私」

殿下の喉が鳴った。

「……話を逸らすな」
「今夜は、国王陛下の――」

「命令、ですわね」

私は静かに頷いた。
理解しているから言える口調。

「陛下のご命令で、殿下は私を“婚約者として”扱わなければならない」
「……だから迎えに来てくださった」

殿下の唇が僅かに歪む。図星だ。

私は続けた。

「殿下」
「私、ずっと不思議だったんですの」

わざと、言葉を柔らかくする。
柔らかいほど、刃になる。

「殿下は私を嫌っていらっしゃるのに」
「どうして婚約は続いているのだろう、と」

殿下の目が細くなる。

「それは――」

「モンテリオール、でしょう?」

私は笑わない。
ただ、事実のように言う。

「私が欲しいのではなく、家が欲しい」
「だから私は殿下にとって“体裁”で」
「体裁だから、殿下は私に優しくする時も、私を見ていない」

殿下の拳が、膝の上で強く握られた。

「……セレスティア」
「言い過ぎだ」

「言い過ぎ、ですか?」

私は初めて殿下を見る。逃げない目で。

「殿下が仰ったことを、私は言葉にしているだけです」
「『お前みたいな女を愛する者などいない』」
「『いい家紋に生まれたことに感謝しろ』」

殿下の顔から血の気が引く。
それでも、王子としての顔を保とうとしている。

私はさらに一歩だけ踏み込む。

「殿下は、私に謝罪をしに来たのに」
「“二人きり”を求めて」
「皆の前では言えない形で、私を動かそうとしました」

殿下の目が鋭くなる。

「……お前」

“お前”が出た。
その瞬間、殿下の中の取り繕った姿が剥がれ落ちる。

私はその一点だけを拾って、丁寧に返す。

「いまの、聞きましたわ」
「殿下の中で私は、もう『セレスティア』でも『侯爵令嬢』でも『婚約者』でもなくて」
「――『お前』なんですね」

馬車の中の空気が、ひやりと固まる。
外の車輪の音が、やけに大きい。

殿下は言い返そうとして、止めた。
止めたのに、目が怒りを隠せていない。

私は畳みかけない。
畳みかけないほうが、殿下は勝手に熱くなっていく。

「殿下」
「今夜、私は大人しくしていればいいのですか?」

殿下が吐き捨てるように言う。

「そうだ」
「余計なことをするな」
「俺の――」

途中で言葉が止まった。
“俺の”の続きが何になるか、殿下自身も分かったのだろう。

私はその沈黙の隙間に、最後の針を落とす。

「殿下の“顔”を守るために?」

殿下の目が、かっと熱を帯びた。

「……黙れ」

声が低い。怖いほど低い。
けれど私は、怯えない。

「黙りますわ」

私は微笑んだ。丁寧な笑みで。

「――殿下が望むなら」

それが、火に油だった。

殿下の息が一つ乱れる。
そして絞るように言う。

「……今夜は、余計な真似をするな」
「二度と、あんなことをするなっ」

「“あんなこと”とは?」

私は首を傾けた。

「私が倒れたこと?」
「それとも、殿下が皆の前で私を掴んだこと?」

殿下の喉が動く。

「……お前は」
「小賢しくなったな」

私は頷く。否定しない。

「はい」
「殿下のおかげです」

馬車が減速する。会場が近い。

私は窓の外へ視線を向けたまま、最後の一言を落とす。

「初めてですわね」
「殿下が“私の扱い”に失敗すると困る夜会は」

殿下の呼吸が浅くなる。怒りが限界に近い。

――そのまま、扉が開く。

夜会の灯りが、馬車の中に差し込んだ。

私はエスコートをさせる隙もなく、さっと立ち上がる。
外套の裾を整える。
そして殿下を見ずに言う。

「参りましょう、殿下」

殿下は一拍遅れて降りる。
優雅な王子の顔を貼り付けるために。

けれど、その目の奥は――もう、燃えていた。
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