【完結】「お前を愛する者などいない」と笑われた夜、私は“本物の王子”に拾われた

波依 沙枝

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第三十七話

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レオハルトが戻って来てから、少しずつ――王都の空気が私から離れていった。

最初は、些細な違いだった。

手紙の返事が遅くなる。

以前なら、朝に出した便は夕刻には戻った。
“承知いたしました”“お任せください”――その一行が、私の掌の上で整うのが常だった。

それが、夜になっても届かない。
翌朝になってようやく届く。

しかも、届いた文面が変わる。

余計な装飾が消える。
余計な謝罪も消える。
代わりに残るのは、要点だけ。

『検討いたします』
『現状、難しいと存じます』
『判断は保留といたします』

保留。
その言葉が増えた。

保留とは、私に結論を預けないという意味だ。

次に変わったのは、手紙の“書き手”だった。

いつも同じ癖の文字で届いていたものが、別の筆跡になる。
宛名は同じでも、文面の匂いが違う。

丁寧なのに、近くない。
礼儀はあるのに、従属がない。

――代が変わったのではない。
立ち位置が変わったのだ。

そして、もっと嫌な変化が来る。

状況の把握が遅れる。

昨日までなら、噂が芽吹く前に根を潰せた。
扇が揺れる前に、口を塞げた。
紙面に乗る前に、印刷所へ手を回せた。

それが出来ない。

“知った時にはもう広がっている”。

知った時にはもう、誰もが知っている。
知った時にはもう、“こちらの反応”を待っていない。

私の手が届いていた場所に、いつの間にか別の手が伸びている。

冷たい。
静かで、手際が良い。

――レオハルト。

名前を口に出さなくても、影の形で分かる。

私が握っていた糸の端が、一本ずつ切れていく。

切れていくのに、音はしない。
だから余計に恐ろしい。

人は反旗を翻したいわけではない。
ただ、“勝つ方”に寄るだけだ。

それが王都だ。
それが王宮だ。

私はそれを知っていたはずなのに。

――気づくのが遅れた。

遅れたのではない。
遅れさせられたのだ。

そう思った瞬間、胸の奥が冷えた。

味方よりも、敵の方が敵の動きに敏い。
その真理が、今夜は骨に染みる。

私は机上の未開封の手紙をひとつ、指先で撫でた。

封蝋は綺麗だ。
けれど、その綺麗さが――もう私の忠臣の綺麗さではない。

“よそよそしい綺麗さ”だ。

そして私は、ようやく理解する。

王都が私から離れたのではない。
私が、王都から“降ろされ始めた”のだ。

そして、それが目に見えて変わったのが――リヒトの失態からだった。

いま私の机には、出さなければならない密書が山ほどある。
どれも急ぎで、どれも重い。

だが――返事は戻るだろうか。

封蝋が割れる音を、私はもう聞けるだろうか。

……いや、聞けない。

こんなに惨めに、自分が涙を流す日が来るとは思わなかった。

私は知っていた。
リヒトが荒い気質で、慎重さに欠けること。
言葉より先に手が動くこと。
激情で場を壊すこと。

――だが、あの子には私がいた。
この私が。

だから守り抜ける。
少し足りなくても、私が整えればいい。
むしろ、少し足りない方が扱いやすいとさえ思っていた。

それが、間違いだった。

私はリヒトを“守って”いたのではない。
“飼って”いただけだ。

もっと厳しく躾けるべきだった。
あれに芯を持たせ、意思を持たせ、恥を恥として理解させるべきだった。
私の言いなりにならないくらいの賢さを、与えるべきだった。

……怖かったのだ。

賢くなれば、私の手を離れる。
芯が生まれれば、私を疑う。
意思を持てば、私の望む方向へ動かなくなる。

だから私は、欲張った。

王妃としての取り分だけでは足りず、
本来あの子が受け取るはずの――王子としての取り分まで、奪った。

考える力を。
耐える力を。
疑う力を。
自分で踏みとどまる力を。

そして残ったのは、私が鎖を引けば吠えるだけの獣だ。

――その獣が今夜、王都の目の前で暴れた。

涙を拭う。
乱れた息を整える。

泣いている場合ではない。
泣けば、負けになる。

けれど、もう遅い。

敵は――私より先に動いている。

モンテリオールを手に入れた時、慢心が生まれた。
それが敗因だ。

――いや、違う。
慢心など“結果”に過ぎない。

私が誤ったのは、あのガキを“残した”こと。
もっと早く摘むべきだった。
私の手だと露見しても構わない。
強引でも、乱暴でも、確実な方法で――終わらせるべきだった。

死人に口はない。
そして、口がなければ――噂も、正義も、証言も、生まれない。
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