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第四十一話
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王宮告示
王家は、第二王子リヒトとモンテリオール侯爵令嬢セレスティア嬢との婚約について、ここに解消を正式に宣する。
本件に至る経緯において、第二王子リヒト殿下の言動は礼節を欠き、婚約者に対する無礼に留まらず、モンテリオール家の名誉を損なう結果となった。
よって本件に関する責は王家側に存し、モンテリオール侯爵令嬢セレスティア嬢ならびにモンテリオール侯爵家に一切の非はないことを、国王名をもって明確にする。
併せて王家は、償いとして王領西方港に関する貿易監督権を整理し、これをモンテリオール侯爵家へ移管する。
以上を告示する。
━━━━━━━━
翌朝。
王宮の門前に、新しい告示板が立った。
貼り出された紙には国璽が押され、墨はまだ濃い匂いを残している。
人が集まる。
最初は「何だろう」という好奇心だった。
だが一行目を読んだ瞬間、その場の空気が変わった。
――婚約の解消。
――責は王家側。
――モンテリオール侯爵令嬢に非なし。
「……王家が、こう書いたの?」
誰かが小さく呟き、次の瞬間には周囲の喉が同じように鳴った。
驚きではない。確信だ。
先日の夜会での出来事が、正式に裁かれたのだ、と。
その日のうちに、告示は王宮だけで終わらなかった。
神殿前にも同じ文が掲げられ、昼の祈りの時刻には神官長が読み上げた。
神殿は、貴族だけの場所ではない。
民がいる。巡礼がいる。奉仕の者がいる。
「非は侯爵令嬢にない」
その一文が声に乗った瞬間、ざわめきは祈りのように広がっていった。
そして、最後に紙面が追いかける。
新聞は“王宮告示による”と前置きした上で、余白を惜しまず大見出しを打った。
婚約解消よりも、世間が息を呑んだのは別の行だ。
――西方港の貿易監督権、モンテリオールへ。
港は富の喉元だ。
噂でも慈善でもなく、権益という形で“償い”が示された。
誰もが理解した。
これは単なる婚約破棄ではない。
王家が、王妃の実家の力を削り、モンテリオールへ渡したのだと。
その日、王都の貴婦人たちは扇の陰で同じ結論に辿り着く。
「……終わったわね」
終わったのは、婚約だけではない。
終わったのは、長らく続いた王妃の時代だ。
━━━━━━━━
告示から数日が過ぎた頃。
王宮の離宮が、騒がしくなった。
最初は、夜だけだった。
窓の奥で笑い声が弾け、酒瓶が転がる音がして、楽器の真似事みたいな乱れた旋律が漏れた。
だが、それはすぐに夜だけではなくなる。
昼でも。
朝でも。
寝ても覚めても、離宮の中は“宴”の残骸の匂いがした。
第二王子リヒトが、娼婦を呼んだ。
王都の「遊び盛り」の貴族子息たちを呼んだ。
彼らは名誉も家の顔も忘れたように集まり、酒を飲み、賭け事をし、勝てば笑い、負ければ机を叩いた。
「俺が国王だ!」
笑い声の中で、リヒト殿下がそう叫ぶ声がした。
冗談のようで、冗談ではない声だ。
誰も止めない。止められない。止める理由もない。
「俺の王妃は誰だ?」
そう言って、娼婦の肩を乱暴に抱き寄せる。
娼婦は楽しそうに笑う。
「お前だけだ、お前だけ」
口先の甘さは、酒の匂いに溶けて薄くなる。
残るのは、荒い呼吸と、擦れた笑い声と、床に落ちた金貨の音だった。
離宮に仕える者たちは、やがて学んだ。
そこへ近づくのは危険だと。
侍女たちはひそひそと囁き合い、下働きの女たちも理解する。
用があっても、一人では行かない。
夜は絶対に近づかない。
離宮の近くは、いつの間にか“空白”になった。
人の通り道から外れ、声が消え、灯りが遠ざかる。
王宮の中にあるのに、王宮の外のような場所。
——治安が悪いという言葉が、初めて現実になる。
廊下の隅で擦り切れた外套が見つかった。
泣き腫らした目で戻ってきた侍女がいた。
何があったかを問う者は少ない。
問わなくても、皆が同じ答えに辿り着いてしまうからだ。
そして、噂は噂では終わらない。
離宮の扉が開くたび、酒と笑い声が漏れ、
閉まるたび、誰かの尊厳が消えていく。
王宮の一角が、確かに荒れていった。
——第二王子の名と一緒に。
王家は、第二王子リヒトとモンテリオール侯爵令嬢セレスティア嬢との婚約について、ここに解消を正式に宣する。
本件に至る経緯において、第二王子リヒト殿下の言動は礼節を欠き、婚約者に対する無礼に留まらず、モンテリオール家の名誉を損なう結果となった。
よって本件に関する責は王家側に存し、モンテリオール侯爵令嬢セレスティア嬢ならびにモンテリオール侯爵家に一切の非はないことを、国王名をもって明確にする。
併せて王家は、償いとして王領西方港に関する貿易監督権を整理し、これをモンテリオール侯爵家へ移管する。
以上を告示する。
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翌朝。
王宮の門前に、新しい告示板が立った。
貼り出された紙には国璽が押され、墨はまだ濃い匂いを残している。
人が集まる。
最初は「何だろう」という好奇心だった。
だが一行目を読んだ瞬間、その場の空気が変わった。
――婚約の解消。
――責は王家側。
――モンテリオール侯爵令嬢に非なし。
「……王家が、こう書いたの?」
誰かが小さく呟き、次の瞬間には周囲の喉が同じように鳴った。
驚きではない。確信だ。
先日の夜会での出来事が、正式に裁かれたのだ、と。
その日のうちに、告示は王宮だけで終わらなかった。
神殿前にも同じ文が掲げられ、昼の祈りの時刻には神官長が読み上げた。
神殿は、貴族だけの場所ではない。
民がいる。巡礼がいる。奉仕の者がいる。
「非は侯爵令嬢にない」
その一文が声に乗った瞬間、ざわめきは祈りのように広がっていった。
そして、最後に紙面が追いかける。
新聞は“王宮告示による”と前置きした上で、余白を惜しまず大見出しを打った。
婚約解消よりも、世間が息を呑んだのは別の行だ。
――西方港の貿易監督権、モンテリオールへ。
港は富の喉元だ。
噂でも慈善でもなく、権益という形で“償い”が示された。
誰もが理解した。
これは単なる婚約破棄ではない。
王家が、王妃の実家の力を削り、モンテリオールへ渡したのだと。
その日、王都の貴婦人たちは扇の陰で同じ結論に辿り着く。
「……終わったわね」
終わったのは、婚約だけではない。
終わったのは、長らく続いた王妃の時代だ。
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告示から数日が過ぎた頃。
王宮の離宮が、騒がしくなった。
最初は、夜だけだった。
窓の奥で笑い声が弾け、酒瓶が転がる音がして、楽器の真似事みたいな乱れた旋律が漏れた。
だが、それはすぐに夜だけではなくなる。
昼でも。
朝でも。
寝ても覚めても、離宮の中は“宴”の残骸の匂いがした。
第二王子リヒトが、娼婦を呼んだ。
王都の「遊び盛り」の貴族子息たちを呼んだ。
彼らは名誉も家の顔も忘れたように集まり、酒を飲み、賭け事をし、勝てば笑い、負ければ机を叩いた。
「俺が国王だ!」
笑い声の中で、リヒト殿下がそう叫ぶ声がした。
冗談のようで、冗談ではない声だ。
誰も止めない。止められない。止める理由もない。
「俺の王妃は誰だ?」
そう言って、娼婦の肩を乱暴に抱き寄せる。
娼婦は楽しそうに笑う。
「お前だけだ、お前だけ」
口先の甘さは、酒の匂いに溶けて薄くなる。
残るのは、荒い呼吸と、擦れた笑い声と、床に落ちた金貨の音だった。
離宮に仕える者たちは、やがて学んだ。
そこへ近づくのは危険だと。
侍女たちはひそひそと囁き合い、下働きの女たちも理解する。
用があっても、一人では行かない。
夜は絶対に近づかない。
離宮の近くは、いつの間にか“空白”になった。
人の通り道から外れ、声が消え、灯りが遠ざかる。
王宮の中にあるのに、王宮の外のような場所。
——治安が悪いという言葉が、初めて現実になる。
廊下の隅で擦り切れた外套が見つかった。
泣き腫らした目で戻ってきた侍女がいた。
何があったかを問う者は少ない。
問わなくても、皆が同じ答えに辿り着いてしまうからだ。
そして、噂は噂では終わらない。
離宮の扉が開くたび、酒と笑い声が漏れ、
閉まるたび、誰かの尊厳が消えていく。
王宮の一角が、確かに荒れていった。
——第二王子の名と一緒に。
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