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第3話:モンスターイーター
しおりを挟む意識が戻ったとき、アーサーは見知らぬ場所にいた。
彼を取り巻く空間は、現実とも夢ともつかない異空間だった。足元には青い光を放つ水晶の床が広がり、頭上には天井ではなく、無数の星々が煌めく宇宙が拡がっていた。
「ここは...?」
『我が魂の内部』
聞き慣れた声がアーサーの意識に直接響く。モンスターイーターだ。しかし、今回は声だけではなかった。彼の前に人型の影が形成されていく。漆黒の鎧に身を包み、顔の代わりに紫の炎を持つ騎士の姿だった。
「お前が...モンスターイーターの意志?」
『然り』黒い騎士は頷いた。『我が真の姿ではないが、汝には理解しやすい形を取った』
アーサーは周囲を見回した。「オーガのガルザスが言っていた試練とは、これか?」
『一部はそうだ。だが、主に我との契約を確かめるための場でもある』
黒い騎士は手を伸ばすと、虚空から一振りの剣を取り出した。モンスターイーターの実体だ。
『我が剣の真の力を知りたいか?』
「ああ」アーサーは頷いた。「教えてくれ」
黒い騎士は剣を水平に掲げ、その上に紫の炎が舞い上がった。炎は形を変え、様々な魔物の姿を映し出す。
『我が名は「魔喰皇剣(モンスターイーター)」。古より存在し、多くの主を持った』
幻影の中に、様々な時代の戦士たちが映し出される。彼らはモンスターイーターを手に、魔物と戦っていた。
『我が力は単純明快。斬りし魔物の力を吸収し、主に与える。されど...』
黒い騎士の声が沈んだ。
『力には代償が伴う。我が剣の使い手の多くは、力に溺れ、最後には自らも魔物と化した』
幻影の中で、剣の使い手たちが次々と暴走し、魔物のような姿へと変貌していく様子が映し出された。アーサーは息を呑んだ。
「私も...そうなるのか?」
『それは汝次第』黒い騎士は淡々と答えた。『力は道具に過ぎぬ。それをどう使うかが肝要』
アーサーは自分の両手を見つめた。すでに彼の体は魔境に来た当初とは大きく変わっている。筋肉は引き締まり、皮膚は僅かに硬化し、感覚は鋭敏になっていた。
「すでに私は変わりつつあるようだが」
『変化は始まったばかり』黒い騎士は剣を振るい、幻影を消した。『我が剣の力には三段階ある。「吸収」「変容」そして「支配」だ』
騎士は一歩前に進み出た。
『「吸収」は汝がすでに経験した通り、魔物の力を得る段階。「変容」は魔物の特性を自在に操る段階。そして「支配」は...』
騎士は一瞬躊躇った。
『「支配」とは魔物の王となる段階。その先に何が待つかは、汝自身が見出すべきことだ』
アーサーは黙って聞いていた。モンスターイーターの力が想像以上に深遠なものであること、そして危険を伴うことが理解できた。しかし、彼には選択肢がなかった。生き残るため、そして復讐を果たすためには、この力が必要だった。
「理解した」彼は静かに言った。「リスクは承知の上だ。この力を使わせてもらう」
黒い騎士は満足げに頷いた。
『では契約を交わそう。我が力を汝に与え、汝は我に魔物の力を捧げる。互いに高め合い、共に極みを目指す道だ』
アーサーは頷き、手を差し出した。黒い騎士もまた手を伸ばす。二つの手が触れた瞬間、激しい紫の光がアーサーの体を包み込んだ。
焼けるような痛みと共に、彼の意識は再び闇に落ちていった。
---
「...目を覚ませ、人間よ」
重々しい声に呼び起こされ、アーサーは目を開いた。オーガのガルザスが彼を見下ろしていた。彼はまだ青い結晶の洞窟にいる。
「何が...あった?」アーサーは体を起こしながら尋ねた。
「魔剣との真の契約を交わしたのだ」ガルザスは答えた。「お主の中に眠る力が、少しだけ解放された」
アーサーは自分の体を見た。外見上の変化はないようだが、体の内側から湧き上がる力を感じる。血液が熱く脈動し、全身が軽やかに感じられた。
「この感覚は...」
「魔力の流れだ」ガルザスは杖を支えに立ち上がった。「我らが持つ生命の力。人間も持つが、使い方を知らぬだけ」
オーガは洞窟の奥へと歩き始め、アーサーに従うよう手で示した。彼は言われるままに従った。
奥へ進むと、洞窟は広大な円形の空間へと開けた。天井は高く、中央には巨大な水晶の祭壇がある。祭壇の周りには数体のオーガたちが、瞑想するように座っていた。
「ここは我らの聖域。遥か古の時代から、知恵を持つ魔物たちが集い、学びを深めてきた場所だ」
アーサーは驚愕した。これまで魔物は単なる野獣のようなものだと教えられてきたが、目の前に広がるのは明らかに高度な文化を持つ社会だった。
「では魔物も...文明を持っているのか」
「そうだ」ガルザスは頷いた。「我らは"魔知種(マチシュ)"と呼ばれる。獣のような下級魔物とは異なる、知恵と社会を持つ種族だ」
彼はアーサーを祭壇の前に導いた。
「お主が持つ剣、モンスターイーターは我らの大敵。古来より魔物を狩り、その力を奪う邪なる武器だ」
アーサーは身構えた。敵意を持って語られたからだ。しかし、ガルザスは攻撃する素振りは見せなかった。
「だが不思議なことに、お主はその剣に選ばれながらも、我らの聖域に辿り着いた。これは偶然ではない」
「どういう意味だ?」
「我らには予言がある。"魔を喰らう者が、魔の王となり、世界の秩序を覆す"」ガルザスは厳かに言った。「お主がその予言の主かは分からぬ。しかし、試す価値はある」
オーガが祭壇に何かを置いた。それは赤黒い宝石のようなものだった。
「これは"獣の心臓(ビーストハート)"。下級魔物の魂が結晶化したものだ。これを使い、お主の資質を試そう」
アーサーは宝石を手に取った。それは温かく、内側から鼓動のようなものを感じる。
「何をすれば?」
「剣で砕け。そして、その力を受け入れよ」
アーサーはモンスターイーターを抜き、宝石に向けて構えた。一瞬の躊躇の後、彼は剣を振り下ろした。
宝石が粉々に砕け、赤い光がアーサーを包み込む。彼の体が宙に浮かび、背中から何かが生えようとする感覚に襲われた。激痛と共に、彼の背から二つの黒い翼が現れた。
「うわああっ!」
アーサーは叫び声を上げた。予想外の変化に戸惑いながらも、不思議なことにその痛みはすぐに消えていった。背中から生えた翼は、まるで常にそこにあったかのように、自然な形で彼の体の一部となっていた。
「これは...?」
「獣の心臓が持つ"飛翔"の能力だ」ガルザスは説明した。「普通なら人間には扱えぬが、モンスターイーターの力を得たお主なら可能だ」
アーサーは恐る恐る翼を動かしてみた。思ったとおりに反応する。まるで生まれながらに持っていた肢体のように自在だった。
「信じられない...」
「モンスターイーターの"変容"の段階に入りつつあるようだな」ガルザスは顎鬚を撫でながら言った。「吸収した能力を、形として具現化できるようになった」
アーサーは飛んでみたい衝動に駆られたが、洞窟の中では危険だろう。彼は意識を集中させ、翼を引っ込めようとした。すると翼は黒い霧のように溶け、彼の背中へと吸収されていった。
「これが...魔剣の真の力」
『然り、主よ』
モンスターイーターの声が心の中で響いた。
『汝がこれまで得た力も、より強く、より自在になろう』
アーサーは深く息を吸い込んだ。これまで得たスキルである「暗視」「敏捷強化」「甲殻防御」「夜行視覚」「毒耐性」「跳躍強化」「糸操作」—これらすべてがより強化され、自在に使えるようになるということだ。
「ガルザス」アーサーは真剣な眼差しでオーガを見た。「あなたがこの力を見せてくれた理由は何だ?単なる好奇心とは思えない」
オーガは大きく頷いた。「鋭いな、人間よ」
彼は祭壇の上に手をかざすと、青い光が広がり、空間に映像が浮かび上がった。それは魔境の外にある世界—王国の姿だった。
「お主の故郷では、いま"聖域崩壊(ホーリーデストラクション)"と呼ばれる儀式の準備が進んでいる」
映像には、王国の大聖堂で何かの儀式に勤しむ僧侶たちの姿が映っていた。アーサーは息を呑んだ。その大聖堂は彼がよく知る場所—王都の中心にある最も神聖な施設だった。
「あれは...?」
「人間どもは魔境を根絶しようと企んでいる」ガルザスの声は重く響いた。「聖なる武器を用いて、この地を浄化すると言う」
映像は変わり、王宮の様子が映し出された。そこにはアーサーの兄、第一王子ルシウスの姿があった。彼は聖職者らしき人物と会話し、何かの計画を練っているようだ。
「あの裏切り者...!」
アーサーの内に怒りが湧き起こった。兄は彼を追放するだけでは飽き足らず、魔境全体を破壊しようというのか。
「儀式が完了すれば、魔境は浄化され、我ら魔物は皆滅びる」ガルザスは静かに言った。「知性を持つ魔物も、持たざる者も、全て消え去る」
アーサーは拳を握りしめた。魔境に来て間もないとはいえ、この地にも命があり、文化があることを彼は理解し始めていた。王国の計画は、単なる浄化ではなく、大量虐殺に等しい。
「それを阻止するために、私に力を与えたというのか」
「そうだ」ガルザスは真剣な面持ちで頷いた。「魔境と魔物を守るため、我らはお主の力を必要としている」
アーサーは黙考した。本来なら人間の側に立ち、魔物を討つべき立場だ。しかし、彼を裏切った王国に忠誠を尽くす理由もない。それに、魔境で過ごした僅かな日々で、彼は魔物たちにも多様性があり、すべてが邪悪な存在ではないことを学んでいた。
「王国と魔境...どちらが正しいのか、もはや分からない」彼は呟いた。
「正邪は視点の問題」ガルザスは深遠な眼差しでアーサーを見た。「大切なのは、お主自身が何を守りたいかだ」
アーサーは剣を見つめた。モンスターイーターは静かに紫の光を放っている。
『選択は汝のもの』剣が心の中で囁いた。『我はただ力を与えるのみ』
深いため息の後、アーサーは決断した。
「ガルザス、私はあなたたちに力を貸そう」
彼は剣を掲げ、力強く言った。
「王国の仕業を阻止する。だが、それは単なる復讐のためではない。無実の命が奪われることを防ぐためだ」
オーガは満足げに微笑んだ。「賢明な判断だ、人間よ」
彼は杖を床に突き、洞窟全体が振動した。
「では、最後の試練を与えよう。"力"だけでなく、"知恵"も示せるか見届けたい」
洞窟の床が開き、下からひとつの台座が上昇してきた。その上には一冊の古ぼけた本が置かれている。
「これは"魔境の書"。古の魔知種が記した知識の集大成だ」ガルザスは本を手に取り、アーサーに差し出した。「読み解けば、お主の力はさらに高まるだろう」
アーサーは本を受け取った。表紙には彼には読めない文字が刻まれている。
「私には読めない」
「心配するな」ガルザスは微笑んだ。「モンスターイーターが助けとなろう」
アーサーが本を開くと、不思議なことに文字が変形し、彼に理解できる言葉へと変わっていった。それは魔物の歴史や能力、魔境の秘密についての知識が記された百科事典のようなものだった。
「これは...素晴らしい」
アーサーは夢中になって読み始めた。彼が目を通す度に、新たな知識が頭の中に流れ込んでくる。魔物の種類や特性、魔力の操り方、そして魔境の地理に至るまで、膨大な情報がページから飛び出してくるようだった。
特に興味深かったのは、モンスターイーターに関する記述だった。剣には過去に何人もの使い手がおり、その全ての歴史が記録されていた。強大な力を得て魔物の王となった者もいれば、力に溺れ、自ら魔物と化し破滅した者もいる。
「これほどの知識があれば...」
アーサーは思わず呟いた。この本の内容を完全に理解できれば、彼の戦闘力は更に飛躍的に高まるだろう。魔物の弱点を知り、効率的に力を得ることができる。
彼が読み進めるにつれ、モンスターイーターが微かに震えた。
『主よ、この知識は両刃の剣。賢く用いよ』
「分かっている」アーサーは心の中で応えた。「私は力のために力を求めない。目的があっての力だ」
ガルザスはアーサーの様子を静かに見守っていた。やがて彼は本を閉じ、深く息を吸い込んだ。
「理解した」アーサーは本をガルザスに返した。「私に何をすればいいのか教えてほしい」
オーガは本を受け取り、満足げに頷いた。
「まず、力を高めねばならぬ。お主の現在の実力では、王国の兵に勝てても、儀式を止めることはできない」
ガルザスは杖で地面を指し示した。そこに魔境の地図が浮かび上がる。
「我らの聖域の北方には"深淵の森"がある。そこには多くの強力な魔物が棲む。お主はそこで修行し、力を高めるのだ」
彼は地図上の一点を指した。
「特に、森の中心にいる"深淵の黒狼(アビス・ウルフ)"を倒せれば、お主の力は飛躍的に高まるだろう」
アーサーは地図を記憶に刻み込んだ。
「分かった。行こう」
彼が出発の準備をしていると、ガルザスは彼を呼び止めた。
「待て、人間よ。これを持っていけ」
オーガは小さな水晶のかけらを差し出した。
「これは"魔知結晶(マチケッショウ)"。危機の際には壊せ。我らを呼ぶ印となろう」
アーサーは感謝の意を込めて頷き、水晶を受け取った。彼はモンスターイーターを鞘に納め、洞窟の出口へと向かった。
「行ってくる。約束する、必ずあの儀式は阻止する」
ガルザスは杖を掲げ、敬意を示した。
「力を示せ、人間よ。そして戻ってくるのだ...魔物の友として」
アーサーは出口に立ち、背中から黒い翼を展開させた。彼は魔境の空へと飛び立ち、深淵の森へと向かった。
王国の第三王子は、今や魔境の使者として舞い上がる。彼の姿は徐々に魔物の王の風格を帯び始めていた。
モンスターイーターとの絆が深まるにつれ、彼の運命も大きく変わろうとしている。復讐を超えた、新たな使命と共に。
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