この噛み痕は、無効。

ことわ子

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どうしても欲しい

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 俺は短く息を吐くと、そろそろトキが戻ってくる頃かと辺りを見回した。背が高いからすぐに見つかるはずだと視線を動かしていると、案の定、見慣れた栗色の髪がこちらに向かって来ているのが見えた。
 が、途中で動きが止まった。人混みの中にいるので何があったかは分からない。
 連絡を入れてみようかと、ポケットからスマホを取り出そうとすると、ようやくトキの頭が動き出した。どうやら大したことはなかったらしい。

「おーい、トキ──」

 人混みから抜け出し、土手の上に立ったトキは三人の女の子に囲まれていた。腕を掴まれて何やら話している。
 と、三人のうち一番背の低い女の子がトキを手招きした。トキが耳を傾けるように腰を曲げると、突然首元に手を回しキスをしようとした。トキは驚く様子もなく、やんわりと手で静止し、一言何かを口にしてこっちに向かって来た。
 俺は慌てて何も見ていないとアピールするために視線を逸らし、動揺を抑えるようと深く息をした。

「ごめんなさい、傘一本しか売ってなくて」
「……そうか」

 開口一番、トキの口からさっきの出来事は語られなかった。トキにとっては大したことではないのかもしれない。

「あ、降って来ちゃいましたね……」

 タイミングが良いのか悪いのか、小雨が降り始めた。
 トキは傘を広げ、俺に手渡した。

「え……?」
「一つしか無かったので……」
「いや、おかしいだろ」

 俺はトキの隣までビニール袋を移動すると、二人の真ん中で傘を差した。

「こうすれば二人とも濡れないし……」
「そうですね、気が付きませんでした」

 二人座って、一つの傘から空を見上げる。
 始まりの花火が力強い音を響かせる。闇に溶けた次の瞬間には夜空に散らばり線を描いて落ちてくる。
 手を伸ばせば届きそうな迫力に俺は思わず声を漏らしてしまった。

「トキ、見たか?」
「初めて見ました……」

 トキは色素の薄い瞳いっぱいに煌めきを映してそう言った。

「え? まさか花火も初めて?」
「いえ、花火自体は海外に住んでいた時も見たことがあります。ただ日本の花火は初めてで……こんなに綺麗な色なんですね」

 海外に行ったことのない俺は、勿論海外の花火も見たことはない。それでも、今日の花火は今までトキが見たどの花火より綺麗なんじゃないかとトキの横顔を眺めながら思った。

「先輩と見られて良かったです」

 不意にトキが俺の方を向いた。
 そして二人して無言になる。
 次々と花火は上がっていくのに、トキから目を逸らせない。
 急にトキとの距離の近さを感じて落ち着かなくなる。いつものように翔と比較して落ち着こうと思うのに、それがうまく出来ない。
 翔に対してこんな気持ちになったことが無いからだ。

 …………自分が自分でコントロールできない感情が消えないとトキは言った。
 どうしても欲しい、と。

 もし、その感情が自分にあるとしたら?

 今までの自分の感情がどんどん整理されていく。トキが筧と一緒にいるのがなんとなく気に入らなかった。トキに友達とさえ見られていなかったことに落胆した。女の子に囲まれているトキを見ているのが辛かった。その事に触れないトキに心がささくれだった。

 …………俺って鈍感なのか?

 こんなにも自分で自分のことが分かっていないと思ってなかった。それとも、トキが絡むとポンコツになってしまうのだろうか。
 俺は再びトキを見た。
 トキは脇目も振らずに俺を見ている。
 こんな、試すようなやり方は卑怯だと思った。それでも知りたいと思ってしまった。
 俺はゆっくりと目を閉じた。

「先輩……?」

 トキに不思議そうに声をかけられ、我に返る。続いて羞恥心が身体の底から湧き上がってくる。
 完全に俺の思い過ごしだったことが確定して、もう埋まりたい。
 なんとか誤魔化そうと口を開く。

「いや、目にゴミが──んっ」

 優しく触れる唇と共に花火の地鳴りが轟く。胸の中を掻き回されているみたいでおかしくなりそうだと思った。
 唇は直ぐに離れてしまった。
 高揚した気分でトキを見ると、優しく笑ってまた顔を寄せてきた。
 あの夜の熱はトキのものだったと確認できるほど、長い間触れるだけのキスをする。

「トキ、誰かに見られたら……」
「傘が隠してくれるから大丈夫」

 果たして透明なビニール傘がどこまで隠してくれるんだろうか。
 もしかしたら、みんな花火に夢中で誰も俺たちのことなんて気にしていないかもしれない。
 そんなことを考えながらも、トキの瞳に映る花火は妖しく色を変えて俺を引き込んでいく。

「千秋くん」

 トキが俺の名前を呼ぶ。
 俺が名前を呼び返そうと口を開く前にまた熱を感じた。
 酔う、ってこういう感覚なのかもしれないな、と思った。
 右も左も前も後ろも分からない。ただ、トキを知ることだけに集中する。
 トキが徐々に俺の方に身体を傾けてきた。片手は既にトキに包み込まれるように握られていて逃げ場がない。
 既に息は上がっていて、慣れていない俺は酸素が足りなくなっていた。

「トキ──、」

 名前を呼んだ直後、二人の間でバシャッと何かが弾けた。そして感じる冷たさ。

「あ、」

 俺がトキに取ってあげたヨーヨー釣りの水風船が地面の小石にぶつかって破れていた。

「せっかく千秋くんが取ってくれたのに……」

 凹んでいるトキに愛おしさが込み上げてくる。自分の気持ちが分かった途端こんなに好きだと思うなんて、我ながら現金な思考回路だと思った。

「また取ってやるから」

 トキは嬉しそうに笑い、オレもつられて笑った。
 少しだけ気恥ずかしくなってしまった俺は、水風船が落ち着かせてくれた空気のまま、トキと手だけを繋いで花火を楽しんだ。
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