1 / 61
1.孤独なオメガ
①
しおりを挟む
連なる山の頂に張り付いた氷雪が緩み、春の息吹がそろそろ麓にも降りてこようという矢先、王都から離れた小さな田舎町ヴァルノには、朝から季節外れの雪が舞い落ちていた。鉛色の空からふわふわと落ちてくる雪をガラスの窓ごしに目で追いながら、リオンは垢じみて擦り切れた毛布の中で華奢な身体を丸めた。
「うぅ……寒い……」
数日前からまるで真冬に戻ったような天気だった。壁の隙間からひゅうひゅうと風が入ってくるせいで、部屋は外と同じような寒さだ。こうして毛布にくるまっていても、寒さで手足の感覚が無くなっていく。
リオンはうつろな目を部屋の中に向けた。粗末な木のベッドと壊れかけたテーブルと椅子と小さな戸棚。それだけがぽつんと置かれた部屋の中は薄暗く、暖炉の火が消えてどのくらいだろう。
粗末で古びた住まい同様、リオン自身の身体も薄汚れていた。本来は輝くばかりに光を放つ金色の髪はすっかりくすみ、美しかった母譲りの白くきめやかな肌も埃と垢にまみれ見る影もない。まともな食事をしたのはどれぐらい前かわからない身体はがりがりに痩せていて、十八の誕生日は迎えたというのに、十四、五の年の子供にさえ体格では負けるかもしれない。
でもそれはただ単に栄養が足りていないだけだからではなく、リオンの特別な身体の事情からだった。
『――リオン、オメガというのは決して悪いものではないのよ。確かに普通の男の人よりあなたは華奢だし小さい。でもね、命をはぐくむという素晴らしい役割を持った身体なの』
三か月前に亡くなった母のアナは、幼いころからこんなふうに言い聞かせてくれたけれど、リオンにはどうしてもそう思うことが出来なかった。
この世界には男女の性の区別の第一次性のほかに、第二次性として三つの性別が存在する。
頭脳と身体能力に優れ、それゆえに社会的にも上位層のアルファ。そして中位層であり大多数のベータ。そして、男女関係なくアルファの子どもをはらむことが出来るオメガ。
こう聞くとオメガは重要な役割を担っているように思えるが、建前と現実は違う。三か月に一度発情して体からフェロモンを放ち淫らにアルファやベータの男を性行為に誘うオメガは、淫らで野蛮な存在とされ、実際には差別の対象だ。すべてにおいてアルファやベータに劣る最下層。それがこの世界の常識。オメガという存在だ。
この村においてもその常識は変わらなかった。リオンが物心つく前から村の人からのリオン親子への扱いは酷いものだった。
母はもともと他の土地から流れてこの村に辿り着いたらしい。
いきなり村に棲みついた素性も知れぬ腹の大きな女、そして生まれたのはオメガの子供。
母は薬草の知識を持ち、畑で育てた薬草から薬をつくる生業をしていたが、それでも生活は苦しかった。村人たちが、何かと理由をつけて薬に対する適正な代金を払ってくれないのだ。
理由は明白だ。リオンがオメガだったから。
周囲に味方はおらず、母と二人きりで肩を寄せ合うように慎ましく生きてきた。それでもリオンは十分に幸せだった。村の子供に汚らしいオメガとどれだけ罵られてもいじめられても、耐えることが出来た。優しく美しい母がいてくれて、惜しみのない愛を与えてくれたからだ。
でもそんな母はもういない。冬の初めに流行り病にかかり、三か月前に亡くなってしまった。
一人残されたリオンは途方にくれた。それでも母から受け継いだ薬草畑と知識を使って村の人々相手に薬を売って小銭を稼いでいたが、二か月前の発情期に起こった事件以降、リオンの境遇は一層厳しいものになってしまった。
――みっともなく発情して、男を誘うなんて汚らわしい。
――いやらしい男娼と同じじゃないか。
村人には心無い言葉を掛けられ、薬の代金さえもろくに払ってもらえなくなった。誰にも頼ることが出来ず、リオンは一人きりベッドの中で空腹に耐えることしか出来なくなったのだ。
『リオン、愛してるわ。あなたはとても素晴らしい子。きっと神様が助けてくださる』
寒々しいベッドの中で、母の言葉と温もりを思い出し、リオンは琥珀色の瞳からぽろりと涙をこぼした。
(神様なんていないよ、母さん……)
皆がリオンの存在を無視し、いないものとして扱い、人から掛けられるのは侮蔑の言葉だけ。もう何のために生きているのかわからない。いっそのこと母親のいるところに逝ければ楽なのにとも思う。だけど、あれほど母親に慈しんでもらった身体を傷つけ、自ら命を絶つなどできはしない。
いきなり家の扉がドンドンと叩かれたのはそのときだった。
「うぅ……寒い……」
数日前からまるで真冬に戻ったような天気だった。壁の隙間からひゅうひゅうと風が入ってくるせいで、部屋は外と同じような寒さだ。こうして毛布にくるまっていても、寒さで手足の感覚が無くなっていく。
リオンはうつろな目を部屋の中に向けた。粗末な木のベッドと壊れかけたテーブルと椅子と小さな戸棚。それだけがぽつんと置かれた部屋の中は薄暗く、暖炉の火が消えてどのくらいだろう。
粗末で古びた住まい同様、リオン自身の身体も薄汚れていた。本来は輝くばかりに光を放つ金色の髪はすっかりくすみ、美しかった母譲りの白くきめやかな肌も埃と垢にまみれ見る影もない。まともな食事をしたのはどれぐらい前かわからない身体はがりがりに痩せていて、十八の誕生日は迎えたというのに、十四、五の年の子供にさえ体格では負けるかもしれない。
でもそれはただ単に栄養が足りていないだけだからではなく、リオンの特別な身体の事情からだった。
『――リオン、オメガというのは決して悪いものではないのよ。確かに普通の男の人よりあなたは華奢だし小さい。でもね、命をはぐくむという素晴らしい役割を持った身体なの』
三か月前に亡くなった母のアナは、幼いころからこんなふうに言い聞かせてくれたけれど、リオンにはどうしてもそう思うことが出来なかった。
この世界には男女の性の区別の第一次性のほかに、第二次性として三つの性別が存在する。
頭脳と身体能力に優れ、それゆえに社会的にも上位層のアルファ。そして中位層であり大多数のベータ。そして、男女関係なくアルファの子どもをはらむことが出来るオメガ。
こう聞くとオメガは重要な役割を担っているように思えるが、建前と現実は違う。三か月に一度発情して体からフェロモンを放ち淫らにアルファやベータの男を性行為に誘うオメガは、淫らで野蛮な存在とされ、実際には差別の対象だ。すべてにおいてアルファやベータに劣る最下層。それがこの世界の常識。オメガという存在だ。
この村においてもその常識は変わらなかった。リオンが物心つく前から村の人からのリオン親子への扱いは酷いものだった。
母はもともと他の土地から流れてこの村に辿り着いたらしい。
いきなり村に棲みついた素性も知れぬ腹の大きな女、そして生まれたのはオメガの子供。
母は薬草の知識を持ち、畑で育てた薬草から薬をつくる生業をしていたが、それでも生活は苦しかった。村人たちが、何かと理由をつけて薬に対する適正な代金を払ってくれないのだ。
理由は明白だ。リオンがオメガだったから。
周囲に味方はおらず、母と二人きりで肩を寄せ合うように慎ましく生きてきた。それでもリオンは十分に幸せだった。村の子供に汚らしいオメガとどれだけ罵られてもいじめられても、耐えることが出来た。優しく美しい母がいてくれて、惜しみのない愛を与えてくれたからだ。
でもそんな母はもういない。冬の初めに流行り病にかかり、三か月前に亡くなってしまった。
一人残されたリオンは途方にくれた。それでも母から受け継いだ薬草畑と知識を使って村の人々相手に薬を売って小銭を稼いでいたが、二か月前の発情期に起こった事件以降、リオンの境遇は一層厳しいものになってしまった。
――みっともなく発情して、男を誘うなんて汚らわしい。
――いやらしい男娼と同じじゃないか。
村人には心無い言葉を掛けられ、薬の代金さえもろくに払ってもらえなくなった。誰にも頼ることが出来ず、リオンは一人きりベッドの中で空腹に耐えることしか出来なくなったのだ。
『リオン、愛してるわ。あなたはとても素晴らしい子。きっと神様が助けてくださる』
寒々しいベッドの中で、母の言葉と温もりを思い出し、リオンは琥珀色の瞳からぽろりと涙をこぼした。
(神様なんていないよ、母さん……)
皆がリオンの存在を無視し、いないものとして扱い、人から掛けられるのは侮蔑の言葉だけ。もう何のために生きているのかわからない。いっそのこと母親のいるところに逝ければ楽なのにとも思う。だけど、あれほど母親に慈しんでもらった身体を傷つけ、自ら命を絶つなどできはしない。
いきなり家の扉がドンドンと叩かれたのはそのときだった。
65
あなたにおすすめの小説
恋は終わると愛になる ~富豪オレ様アルファは素直無欲なオメガに惹かれ、恋をし、愛を知る~
大波小波
BL
神森 哲哉(かみもり てつや)は、整った顔立ちと筋肉質の体格に恵まれたアルファ青年だ。
富豪の家に生まれたが、事故で両親をいっぺんに亡くしてしまう。
遺産目当てに群がってきた親類たちに嫌気がさした哲哉は、人間不信に陥った。
ある日、哲哉は人身売買の闇サイトから、18歳のオメガ少年・白石 玲衣(しらいし れい)を買う。
玲衣は、小柄な体に細い手足。幼さの残る可憐な面立ちに、白い肌を持つ美しい少年だ。
だが彼は、ギャンブルで作った借金返済のため、実の父に売りに出された不幸な子でもあった。
描画のモデルにし、気が向けばベッドを共にする。
そんな新しい玩具のつもりで玲衣を買った、哲哉。
しかし彼は美的センスに優れており、これまでの少年たちとは違う魅力を発揮する。
この小さな少年に対して、哲哉は好意を抱き始めた。
玲衣もまた、自分を大切に扱ってくれる哲哉に、心を開いていく。
僕はあなたに捨てられる日が来ることを知っていながらそれでもあなたに恋してた
いちみやりょう
BL
▲ オメガバース の設定をお借りしている & おそらく勝手に付け足したかもしれない設定もあるかも 設定書くの難しすぎたのでオメガバース知ってる方は1話目は流し読み推奨です▲
捨てられたΩの末路は悲惨だ。
Ωはαに捨てられないように必死に生きなきゃいけない。
僕が結婚する相手には好きな人がいる。僕のことが気に食わない彼を、それでも僕は愛してる。
いつか捨てられるその日が来るまでは、そばに居てもいいですか。
こじらせΩのふつうの婚活
深山恐竜
BL
宮間裕貴はΩとして生まれたが、Ωとしての生き方を受け入れられずにいた。
彼はヒートがないのをいいことに、ふつうのβと同じように大学へ行き、就職もした。
しかし、ある日ヒートがやってきてしまい、ふつうの生活がままならなくなってしまう。
裕貴は平穏な生活を取り戻すために婚活を始めるのだが、こじらせてる彼はなかなかうまくいかなくて…。
発情期アルファ貴族にオメガの導きをどうぞ
小池 月
BL
もし発情期がアルファにくるのなら⁉オメガはアルファの発情を抑えるための存在だったら――?
――貧困国であった砂漠の国アドレアはアルファが誕生するようになり、アルファの功績で豊かな国になった。アドレアに生まれるアルファには獣の発情期があり、番のオメガがいないと発狂する――
☆発情期が来るアルファ貴族×アルファ貴族によってオメガにされた貧困青年☆
二十歳のウルイ・ハンクはアドレアの地方オアシス都市に住む貧困の民。何とか生活をつなぐ日々に、ウルイは疲れ切っていた。
そんなある日、貴族アルファである二十二歳のライ・ドラールがオアシスの視察に来る。
ウルイはライがアルファであると知らずに親しくなる。金持ちそうなのに気さくなライとの時間は、ウルイの心を優しく癒した。徐々に二人の距離が近くなる中、発情促進剤を使われたライは、ウルイを強制的に番のオメガにしてしまう。そして、ライの発情期を共に過ごす。
発情期が明けると、ウルイは自分がオメガになったことを知る。到底受け入れられない現実に混乱するウルイだが、ライの発情期を抑えられるのは自分しかいないため、義務感でライの傍にいることを決めるがーー。
誰もが憧れる貴族アルファの番オメガ。それに選ばれれば、本当に幸せになれるのか??
少し変わったオメガバースファンタジーBLです(*^^*) 第13回BL大賞エントリー作品
ぜひぜひ応援お願いします✨
10月は1日1回8時更新、11月から日に2回更新していきます!!
回帰したシリルの見る夢は
riiko
BL
公爵令息シリルは幼い頃より王太子の婚約者として、彼と番になる未来を夢見てきた。
しかし王太子は婚約者の自分には冷たい。どうやら彼には恋人がいるのだと知った日、物語は動き出した。
嫉妬に狂い断罪されたシリルは、何故だかきっかけの日に回帰した。そして回帰前には見えなかったことが少しずつ見えてきて、本当に望む夢が何かを徐々に思い出す。
執着をやめた途端、執着される側になったオメガが、次こそ間違えないようにと、可愛くも真面目に奮闘する物語!
執着アルファ×回帰オメガ
本編では明かされなかった、回帰前の出来事は外伝に掲載しております。
性描写が入るシーンは
※マークをタイトルにつけます。
物語お楽しみいただけたら幸いです。
***
2022.12.26「第10回BL小説大賞」で奨励賞をいただきました!
応援してくれた皆様のお陰です。
ご投票いただけた方、お読みくださった方、本当にありがとうございました!!
☆☆☆
2024.3.13 書籍発売&レンタル開始いたしました!!!!
応援してくださった読者さまのお陰でございます。本当にありがとうございます。書籍化にあたり連載時よりも読みやすく書き直しました。お楽しみいただけたら幸いです。
無能扱いの聖職者は聖女代理に選ばれました
芳一
BL
無能扱いを受けていた聖職者が、聖女代理として瘴気に塗れた地に赴き諦めたものを色々と取り戻していく話。(あらすじ修正あり)***4話に描写のミスがあったので修正させて頂きました(10月11日)
春風のように君を包もう ~氷のアルファと健気なオメガ 二人の間に春風が吹いた~
大波小波
BL
竜造寺 貴士(りゅうぞうじ たかし)は、名家の嫡男であるアルファ男性だ。
優秀な彼は、竜造寺グループのブライダルジュエリーを扱う企業を任されている。
申し分のないルックスと、品の良い立ち居振る舞いは彼を紳士に見せている。
しかし、冷静を過ぎた観察眼と、感情を表に出さない冷めた心に、社交界では『氷の貴公子』と呼ばれていた。
そんな貴士は、ある日父に見合いの席に座らされる。
相手は、九曜貴金属の子息・九曜 悠希(くよう ゆうき)だ。
しかしこの悠希、聞けば兄の代わりにここに来たと言う。
元々の見合い相手である兄は、貴士を恐れて恋人と駆け落ちしたのだ。
プライドを傷つけられた貴士だったが、その弟・悠希はこの縁談に乗り気だ。
傾きかけた御家を救うために、貴士との見合いを決意したためだった。
無邪気で無鉄砲な悠希を試す気もあり、貴士は彼を屋敷へ連れ帰る……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる