【完結】トラウマ眼鏡系男子は幼馴染み王子に恋をする

獏乃みゆ

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7.めがねと約束

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『げぇっ お前の顔気持ち悪ーい』
『こっち来んなよ 俺らまでナヨナヨ菌うつっちゃうだろ!』
 
 小学校5年生の時に、同級生みんなにそう言われてた。一緒に暮らす祖父母や、時々会える両親からは常に『可愛い』『世界一いいこ』と、砂糖菓子のように甘く育てられていた俺は、学校に行くたびに毎日毎時間のように言われる、胸の深いところに突き刺さっていく言葉を、上手く処理できなかった。
 その上、その中心になっていた男の子は、それまでずっと俺の目を褒めてくれていたから尚更だ。その頃の俺には、突然の変化に訳がわからなくなっていた。
 言い返すこともできず、ただ顔を青くして震えている俺に、どんどんと同級生の行動はエスカレートしていった。
 ある日廊下で、肩を強く押された。普通だったらなんてことない力なのかもしれない。でも本当にナヨナヨしていた俺は、そのまま後ろに倒れた。廊下は塩ビが貼られたコンクリートで固いはず。でも、体に痛みはなくて、代わりに包み込まれるような温かいものが支えてくれた。
 
『お前ら、……何やってんだよ』
 
 支えてくれたのは悠斗だった。その時には、もう俺より少し上に頭があって、スポーツも万能で倒れ込んだ俺を軽々支えてくれた。
 俺は小学校で起こったことを、家で話したりできなかった。だからおばあちゃんたちも俺がこんなことになってたことは知らない。悠斗はなんとなくおかしいなと思って、休憩時間にいつも様子を見に来てくれていたらしい。
 
 悠斗が先生にこの一件を報告してくれて、俺はその日早退した。悠斗は同級生のみんなにも何か話してくれたらしい。その日を境に、体が震えるような、胸が突き刺されるような、そんな思いをすることはなくなった。
 俺は悠斗に救われたのだ。
 
 
 
 
 
「優李くん、テーブル3番さん、ドリアセット2つ~」
「はーい! しのぶさん、これ5番テーブル、クラブサンドとナポリタンです」
 
 夜7時過ぎ。十数席の喫茶店の中はほぼ満席状態だ。俺がいる厨房と店内は繋がっていて、ここからもお客さんの顔が見える。
 家から徒歩10分のこの『喫茶 木漏日こもれび』には、去年から厨房でお世話になっている。小さな頃から俺もよくおばあちゃんに連れられてお茶しに来ていたから、店主のしのぶさんには可愛がってもらっていた。
 小遣いは十分に親からもらっているし、生活費も振り込まれる。バイトする必要はないのだが、しのぶさんが年齢的にも立ち仕事がつらくなってきたというのを耳にして、お店の手伝いを始めた。それが、今では厨房を任されるまでに至ったのだ。
 ジャッとフライパンの上の食材を宙に舞わせる。食材を落とさず素早く炒めるのがこの1年ほどで上手くなったと思う。フライパンを扱うおかげでちょっと筋肉もついた気がする。
 最初はお客さんに料理を出すなんて不安だったけど、今では俺が作った料理を、みんなが笑顔で食べてくれることが楽しみで仕方ない。

「はぁ~今日もピークすごかったわね。
 ありがとね、優李くん。もうフードのラストオーダー終わったから、上がっていいよ。」
「ええーーゆうりくん、もう上がっちゃうの⁉︎
 ゆうりくん見ながら食べるのが楽しみなのに!」
佐伯さえきさん何言ってるの!優李くんは高校生なんだよ?帰ってお勉強も青春もあるんだから、邪魔しないの!」
「俺の唯一の楽しみが……ゆうりくん次はいつ来るの?」
「次は金曜だよ。
 ハンバーグプレートメインで作るから、佐伯兄ちゃん、いいひき肉入れてね。」
「任せろ!ゆうりくんのためなら、神戸牛でも米沢牛でも用意してやるよ!」
「佐伯さん、予算は相談させてね」
 
 佐伯兄ちゃんの冗談に、しのぶさんがすかさずツッコむ。常連の佐伯兄ちゃんはひゃひゃひゃと笑った。
 彼は近所のお肉屋さんの跡継ぎで、喫茶店の仕入れでもお世話になっている。佐伯兄ちゃんも俺が小さな頃から可愛がってくれている近所のお兄さんで、俺がシフトに入っている時はいつも食事をしに来てくれる。
 
 カラン、カランと入り口の鈴が鳴る。店内にいるお客さんの視線が一斉に釘付けになるのがわかる。
 
「ハル!」
「ゆうくん、お疲れ。終わった?」
「悠斗くん、今日もお迎えご苦労様。今上がるところよ~
 ちょっと座ってコーヒーでも飲んで行ったら?
 優李くんは帰り支度しておいで」
「しのぶさんありがとう!
 ハルちょっと待っててね」
 
 パタパタと裏へ引っ込んで帰り支度をする。
 厨房の制服から、来た時に着ていた学校の制服に着替えてロッカーの扉を閉めようとする…
 
「あ、めがね拭かなきゃ」
 
 ロッカーの扉に取り付けられている小さな鏡に映る顔を見て気づく。めがねにいくつか小さな粒がついているのだ。調理をするとどうしても油が撥ねてしまう。汚れに気がつくと視界が薄らぼんやりしているような気がするから不思議だ。
 めがねを外すと、逆に視界がはっきりとする。気づかないうちに随分とレンズが汚れてしまっていたらしい。

 このめがねは視力を補うものじゃない。ただの伊達めがねだ。
 かばんからウェットティッシュタイプのめがねクリーナーを取り出して、レンズを拭く。キュ、キュ、と丁寧に磨いていく。
 視力は昔からいい方で、両目とも1.5、1.5ある。
 でもこのめがねは手放せない。
 このめがねが、俺を隠してくれる。
 
『ゆうくん、もう大丈夫だよ』

 小学校のあの一件の後、部屋で寝込んでしまった俺を悠斗が訪ねてきてくれた。

『これをしてればもう大丈夫。誰も何も言わないよ』
 
 そうして、子ども用のめがねを悠斗がプレゼントしてくれたのだ。中学校に上がってからは自分で買っためがねをつけているけど、それからめがねは俺にとって欠かせないアイテムになった。
 この壁が守ってくれるおかげで、俺は人前に出ることができる。
 
『……僕の前では外していいけど。他の人の前では外しちゃダメだからね』
 
 俺がまた酷い目に遭うのを心配してくれたんだろう。悠斗はそう言って、俺に人前でめがねを外さないように約束させた。
 そんな約束なくたって、めがねを外すことなんてないけど。

 それは、悠斗の前でだってそうだ。
 素の状態であの顔を真正面から見ることなんてできない。
 救われたあの日から、確実に俺の中で悠斗への気持ちが変わってしまった。そんな気持ちを彼に知られる訳にはいかない。

 ふと、上着のポケットにしまった小さな手提げ袋に手が触れる。
 結局、あれからも悠斗への手紙は毎日留まることを知らず、俺はせっせと手紙を悠斗に運んでいる。
 喋ったことのない女子に強く断ることなんて、俺にはハードルが高い。けど、本当はもう一つ断れない理由があるのだ。
 
 どの子も、目をキラキラさせて、特別な封筒や便箋を選んで、きっと一生懸命に悠斗に可愛いと思ってもらえるように、と努力して準備しているのがわかる。
 それは俺には絶対にできないことだから。
 自分の想いを悠斗に伝えられない代わりに、彼女たちの想いを届けている。
 
 パタン、とロッカーの扉を閉め、鍵をかける。
 
 俺の気持ちは絶対に、隠し通す。
 俺はずっと、悠斗の家族で、親友で居続ける。





 等間隔に並ぶ街灯の下を、悠斗と2人で並んで歩く。月が高くて、空気が澄んでいるような気がする。
 いつもの近所の道が、悠斗と歩くだけで少し明るく見えるから不思議だ。

「ゆうくん大人気だね」

 俺の人生で聞いたことないフレーズを言われる。
 大人気はお前だ、悠斗。
 
「佐伯の兄ちゃんだろ?しのぶさんも、二人とも小さいころから可愛がってくれてるから…」
「違うよ、他のお客さんも。
 ゆうくんがシフトの日だけは満席になってるじゃない」
「あー…それは俺が入る日だけ、フードメニューが充実するからだよ。それに……」

 と言いかけてめる。
『俺がシフトの日には、ハルが迎えに来るから』『ハルを見に来てるんだよ』
 とは、言いたくない。別にハルは注目されたい訳じゃないから。

「おばあちゃん仕込みの腕が人気になってるなら嬉しいな~」

 そうだったら嬉しい、と思っていたことを代わりに口に出す。悠斗はしばし考えた風な顔のあとに、にっこりと笑って、「そうだね」と言ってくれた。

「ゆうくん」
「ん?」
「金曜日は僕もハンバーグプレート食べに行くからね」
「しのぶさん達に聞いたの?」
「うん。金曜日はゆうくんが、おいしいお肉でハンバーグ作るって」
「じゃあ、とびきり美味しいの作るからな!」

 金曜はきっと、女性客が押し寄せて忙しくなるだろうな。
 そんな覚悟を決めながら、悠斗と家まで帰る。
 一緒に帰って、一緒に夕飯を食べて、少しだけゲームで遊んだ。大きなモンスターを協力して狩るゲームは、悠斗が剣と斧を持ったキャラを巧みに使いこなして、ボスに斬り込んで行く。お前…、ゲームの中までかっこいいのかよ……。俺は遠距離で弓を撃ちながら、悠斗のキャラを援護した。

「ハル、今日も迎えに来てくれて、ありがと。
 おやすみ」
「ふふ、僕も。今日もご飯美味しかった~。ありがとうね。
 おやすみ」

 隣の玄関が閉まる音がする。
 小学生までは互いの家に寝泊まりして過ごしていたが、中学生になってからは決して泊まりはしなくなった。まぁ、隣同士だし、わざわざ泊まる必要もないんだけど。

 眠るとき、いつも悠斗のことを考えてしまう。
 パジャマ越しの冷たいシーツの感触が、何の物音もしない、夜の青い光に包まれた部屋が、『お前は一人きりだ』ということを突き付けてくる。
 まるで音の消えた海の上に、板切れ一枚浮かべて漂っているような。静かに波の上で不安定に揺られ続けているような。そんな言いようのない寂しさが、一人布団にくるまっていると押し寄せてくる。
 
 そんなときに思い出してしまうのだ。
 冷たいシーツを一緒に温め、布団の中で手を握りあって悠斗と眠った夜を。
 眠りにつくまで小声でおしゃべりした、あの夜。

 もう、あんなことはできないけど。
 今日もそんな夜を思い出しながら眠りについた。
 
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