6 / 11
6 逃避
しおりを挟む
.
『いいかい? 夜の事情が終わった時が絶好の機会だ』
助言だとハクレイ様は言った。
番を抱いて満たされたあとの竜は、最も気が緩みやすいと。
(でも、さっきから会話なんてないし……ナガレ様も、寝たかも)
二人が必要最低限の会話しかないのはいつものことだ。
―――リオは、ナガレ様と初対面で結婚したのだ。彼について何も知らないリオは、使用人たちにナガレ様がどういった人柄なのか聞くしかなかった。
「ナガレ様は、無駄を嫌う」
「ナガレ様は、世間話を嫌う」
「―――ほとんど喜怒哀楽を見せない方です」
得られた情報は少なく、参考にもならない。
仕方なくナガレ様の人となりを知る前に、村人の助言通りリオは口を閉じた。無駄口を利く前に竜人様と同じように……無表情でいなければと思っていた。
(………)
こうしてナガレ様の腕の中にいれば、感じられる体温と吐息。
あとは庭に住む虫が鳴く程度の、静かな時間があった。
(ナガレ様と、離縁をしたい気持ちに嘘はない)
けど、そのためにナガレ様の好意を利用するのは気が引けてしまう。
それと――弟のナガレ様ではなく人間のリオに味方してくれると言うハクレイ様だ。彼の本心がどこにあるのかなどリオは知らない。
善意に見えても、裏には悪意があるかもしれない。
(神にも等しい竜人様を疑うなんて、いけないことなのに……)
どうすればいいのか、どうすれば……ナガレ様のためになるのか。
不安は隠せない。
そっと……無意識に、リオがナガレの腕に触れたとき、
「‥‥どうした?」
寝たと思っていた竜人様が起きていたことに気付いた。
声は穏やかで温かく―――、珍しくまだ眠っていないリオを心配しているかのようだった。
「リオ、眠れないのか?」
「む、虫の声を、聴いていました。珍しく近くで鳴いているので…」
「五月蠅いか? それならば」
「い、いいえ!とても美しい音色です、聞いていると心が落ち着きます」
――そうだった。すっかり忘れかけていたことだが、竜人様はリオの体に傷がつくことを嫌う。
一度庭で転んでしまったとき、わざわざ三人の医者が呼ばれたほどだ。
――――同時に、こうして自然とナガレ様と会話していることに気付いた。
兄竜の言った絶好の機会が訪れた。
「ここは好き、なのですが……。部屋の場所を変えてください」
「なに?」
ハクレイ様は大丈夫と言ってくれたけど、そもそもこの部屋の造りは完璧だ。庭付きで日当たりもいい、装飾も備え付けの家具も立派で――文句のつけようがない。
駄目だと言われる、そう覚悟していたのだが……。
「なにか不満でもあるのか?」
「不満なんて…!ただちょっと風景に飽きて…、それで」
やっぱり無理があるだろうと、リオは焦った。
竜人様はしばらく考えるように視線を伏せ、やがて淡々と告げた。
「分かった。南棟ならば日照もよく庭も広い」
「え、」
「なにを驚く?」
「こんな急なのに……いいんですか? ご迷惑では」
「何を迷惑がる?お前の要求の一つや二つ、軽いものだ」
さらりと言って、竜人様は首を傾げる。
「他にも欲しいものがあれば遠慮せず言え。宝石か? 絹か?人手が要るならば」
「い、いえっ! そんなのは必要ありませんっ!」
「……そうか。では、小国はどうだ?人間の国はそういうものを喜ぶのだろう?」
「!? い、いりませんよ!」
リオが慌てて首を振ると竜人様は不思議そうに瞬きをした。
「どうした、まだ拗ねているのか?」
アレやコレだと……すっかり貢ぐ気になった竜人様に、リオはげんなりしていた。
無口だと思っていたナガレ様が、懸命にリオの返事を欲している。
何故かは分からないが。昔に飼っていた犬みたいだった。
「……リオ」
「拗ねても怒ってもいませんよ。ただオレには財宝も、土地なんて必要ありません」
「許せ、竜人の性分だ」
本当か?と疑うリオだが、竜人の性質など知らない。
『番の望む宝を贈る』
これは一つの求愛行動だ。だが人間のリオが知る由もない。
「番」という理由だけで、国や金銀・絹といったものを与えられるなど冗談ではない。
いつか、「返せ」と言われたら?
…… 貰ってばかりではいけない。喜んでばかりではいけないのだ。
「リオ」
「はい」
竜人様が大きな猫か犬のように、すり、と擦り寄ってくる。
頭のツノでリオを傷つけないよう、優しく。
そしてリオは、そっと手を伸ばしてその頭を撫でる。
「ナガレ様は、とても綺麗ですね」
「……」
撫でるたび、竜人様の喉が低く鳴った。
「口付けをしてもいいか?」
「はい……んっ、」
嫌だと思ったことは一度もない。
拒む理由は、いつも思いつかなかった。
* * *
竜人様のもとに嫁いで、三年と半年。
最初は、何が何だか分からなかった。
怯えもしたし、
不安も数えきれないほどあった。
それでも――間違いなく、幸せだった。
……嘘でもいい。
「番」以外の言葉を、
たった一度でも、言ってくれていたなら―――。
「夜に戻る」
「……はい。お気をつけて」
ナガレ様は、重い扉に鍵をかけて行ってしまう。
それもリオにとっては日常だったが……今日で終わる。
事前に用意していた「離縁状」は、短かった。
恨みも責めもない。
――感謝と謝罪。
それと、別れ。
静かに庭に出ると、兄竜であるハクレイ様が待っていた。
「……予想はしていたけど、本当に手ぶらとは」
「でも黙って持っていくのは罪になります」
「だからって無一文でどうする気だい? そんなことじゃ、すぐに愚弟に捕まるよ?」
ハクレイ様は小さく肩をすくめて、どこから取り出したのか布袋をひとつ差し出した。
「最低限だ。紙幣と着替え、それからこれ」
「?」
掌に乗せられたのは―――淡く光る、
「これは綺麗な……鱗、ですか?」
「私のだよ。身につけていれば池に君は映らない。君が纏ってる竜気……気配なんてのも、地上に降りればすぐ掻き消されるよ」
「……ありがとうございます」
リオは、ハクレイ様に深く頭を下げた。
「返します。必ず」
「はは……律儀だね。君が元気に生きてくれれば、それでいいさ」
「ハクレイ様、オレは」
「我が弟を、愛してくれてありがとう」
兄竜様はそう言って庭の奥を指した。
そこには、静かに身を伏せた一頭の飛竜がいた。
(ナガレ、様……)
リオは、 城を振り返らなかった。
竜の背に乗れば、
風が頬を打つ。
空界の光が、少しずつ遠ざかっていく。
(… ナガレ様)
心の中でだけ、名を呼ぶ。
ありがとう。
そして――ごめんなさい。
その言葉は、 決して声にはならなかった。
『いいかい? 夜の事情が終わった時が絶好の機会だ』
助言だとハクレイ様は言った。
番を抱いて満たされたあとの竜は、最も気が緩みやすいと。
(でも、さっきから会話なんてないし……ナガレ様も、寝たかも)
二人が必要最低限の会話しかないのはいつものことだ。
―――リオは、ナガレ様と初対面で結婚したのだ。彼について何も知らないリオは、使用人たちにナガレ様がどういった人柄なのか聞くしかなかった。
「ナガレ様は、無駄を嫌う」
「ナガレ様は、世間話を嫌う」
「―――ほとんど喜怒哀楽を見せない方です」
得られた情報は少なく、参考にもならない。
仕方なくナガレ様の人となりを知る前に、村人の助言通りリオは口を閉じた。無駄口を利く前に竜人様と同じように……無表情でいなければと思っていた。
(………)
こうしてナガレ様の腕の中にいれば、感じられる体温と吐息。
あとは庭に住む虫が鳴く程度の、静かな時間があった。
(ナガレ様と、離縁をしたい気持ちに嘘はない)
けど、そのためにナガレ様の好意を利用するのは気が引けてしまう。
それと――弟のナガレ様ではなく人間のリオに味方してくれると言うハクレイ様だ。彼の本心がどこにあるのかなどリオは知らない。
善意に見えても、裏には悪意があるかもしれない。
(神にも等しい竜人様を疑うなんて、いけないことなのに……)
どうすればいいのか、どうすれば……ナガレ様のためになるのか。
不安は隠せない。
そっと……無意識に、リオがナガレの腕に触れたとき、
「‥‥どうした?」
寝たと思っていた竜人様が起きていたことに気付いた。
声は穏やかで温かく―――、珍しくまだ眠っていないリオを心配しているかのようだった。
「リオ、眠れないのか?」
「む、虫の声を、聴いていました。珍しく近くで鳴いているので…」
「五月蠅いか? それならば」
「い、いいえ!とても美しい音色です、聞いていると心が落ち着きます」
――そうだった。すっかり忘れかけていたことだが、竜人様はリオの体に傷がつくことを嫌う。
一度庭で転んでしまったとき、わざわざ三人の医者が呼ばれたほどだ。
――――同時に、こうして自然とナガレ様と会話していることに気付いた。
兄竜の言った絶好の機会が訪れた。
「ここは好き、なのですが……。部屋の場所を変えてください」
「なに?」
ハクレイ様は大丈夫と言ってくれたけど、そもそもこの部屋の造りは完璧だ。庭付きで日当たりもいい、装飾も備え付けの家具も立派で――文句のつけようがない。
駄目だと言われる、そう覚悟していたのだが……。
「なにか不満でもあるのか?」
「不満なんて…!ただちょっと風景に飽きて…、それで」
やっぱり無理があるだろうと、リオは焦った。
竜人様はしばらく考えるように視線を伏せ、やがて淡々と告げた。
「分かった。南棟ならば日照もよく庭も広い」
「え、」
「なにを驚く?」
「こんな急なのに……いいんですか? ご迷惑では」
「何を迷惑がる?お前の要求の一つや二つ、軽いものだ」
さらりと言って、竜人様は首を傾げる。
「他にも欲しいものがあれば遠慮せず言え。宝石か? 絹か?人手が要るならば」
「い、いえっ! そんなのは必要ありませんっ!」
「……そうか。では、小国はどうだ?人間の国はそういうものを喜ぶのだろう?」
「!? い、いりませんよ!」
リオが慌てて首を振ると竜人様は不思議そうに瞬きをした。
「どうした、まだ拗ねているのか?」
アレやコレだと……すっかり貢ぐ気になった竜人様に、リオはげんなりしていた。
無口だと思っていたナガレ様が、懸命にリオの返事を欲している。
何故かは分からないが。昔に飼っていた犬みたいだった。
「……リオ」
「拗ねても怒ってもいませんよ。ただオレには財宝も、土地なんて必要ありません」
「許せ、竜人の性分だ」
本当か?と疑うリオだが、竜人の性質など知らない。
『番の望む宝を贈る』
これは一つの求愛行動だ。だが人間のリオが知る由もない。
「番」という理由だけで、国や金銀・絹といったものを与えられるなど冗談ではない。
いつか、「返せ」と言われたら?
…… 貰ってばかりではいけない。喜んでばかりではいけないのだ。
「リオ」
「はい」
竜人様が大きな猫か犬のように、すり、と擦り寄ってくる。
頭のツノでリオを傷つけないよう、優しく。
そしてリオは、そっと手を伸ばしてその頭を撫でる。
「ナガレ様は、とても綺麗ですね」
「……」
撫でるたび、竜人様の喉が低く鳴った。
「口付けをしてもいいか?」
「はい……んっ、」
嫌だと思ったことは一度もない。
拒む理由は、いつも思いつかなかった。
* * *
竜人様のもとに嫁いで、三年と半年。
最初は、何が何だか分からなかった。
怯えもしたし、
不安も数えきれないほどあった。
それでも――間違いなく、幸せだった。
……嘘でもいい。
「番」以外の言葉を、
たった一度でも、言ってくれていたなら―――。
「夜に戻る」
「……はい。お気をつけて」
ナガレ様は、重い扉に鍵をかけて行ってしまう。
それもリオにとっては日常だったが……今日で終わる。
事前に用意していた「離縁状」は、短かった。
恨みも責めもない。
――感謝と謝罪。
それと、別れ。
静かに庭に出ると、兄竜であるハクレイ様が待っていた。
「……予想はしていたけど、本当に手ぶらとは」
「でも黙って持っていくのは罪になります」
「だからって無一文でどうする気だい? そんなことじゃ、すぐに愚弟に捕まるよ?」
ハクレイ様は小さく肩をすくめて、どこから取り出したのか布袋をひとつ差し出した。
「最低限だ。紙幣と着替え、それからこれ」
「?」
掌に乗せられたのは―――淡く光る、
「これは綺麗な……鱗、ですか?」
「私のだよ。身につけていれば池に君は映らない。君が纏ってる竜気……気配なんてのも、地上に降りればすぐ掻き消されるよ」
「……ありがとうございます」
リオは、ハクレイ様に深く頭を下げた。
「返します。必ず」
「はは……律儀だね。君が元気に生きてくれれば、それでいいさ」
「ハクレイ様、オレは」
「我が弟を、愛してくれてありがとう」
兄竜様はそう言って庭の奥を指した。
そこには、静かに身を伏せた一頭の飛竜がいた。
(ナガレ、様……)
リオは、 城を振り返らなかった。
竜の背に乗れば、
風が頬を打つ。
空界の光が、少しずつ遠ざかっていく。
(… ナガレ様)
心の中でだけ、名を呼ぶ。
ありがとう。
そして――ごめんなさい。
その言葉は、 決して声にはならなかった。
41
あなたにおすすめの小説
愛などもう求めない
一寸光陰
BL
とある国の皇子、ヴェリテは長い長い夢を見た。夢ではヴェリテは偽物の皇子だと罪にかけられてしまう。情を交わした婚約者は真の皇子であるファクティスの側につき、兄は睨みつけてくる。そして、とうとう父親である皇帝は処刑を命じた。
「僕のことを1度でも愛してくれたことはありましたか?」
「お前のことを一度も息子だと思ったことはない。」
目が覚め、現実に戻ったヴェリテは安心するが、本当にただの夢だったのだろうか?もし予知夢だとしたら、今すぐここから逃げなくては。
本当に自分を愛してくれる人と生きたい。
ヴェリテの切実な願いが周りを変えていく。
ハッピーエンド大好きなので、絶対に主人公は幸せに終わらせたいです。
最後まで読んでいただけると嬉しいです。
王太子殿下は悪役令息のいいなり
一寸光陰
BL
「王太子殿下は公爵令息に誑かされている」
そんな噂が立ち出したのはいつからだろう。
しかし、当の王太子は噂など気にせず公爵令息を溺愛していて…!?
スパダリ王太子とまったり令息が周囲の勘違いを自然と解いていきながら、甘々な日々を送る話です。
ハッピーエンドが大好きな私が気ままに書きます。最後まで応援していただけると嬉しいです。
書き終わっているので完結保証です。
自己肯定感低めの不幸な義弟が完璧な義兄と大揉めに揉める話
あと
BL
「こんな僕をお兄ちゃんは嫌ってるだろうな」
トップ俳優な完璧超人の義理の兄×不幸な自己肯定感低めのネガティブ義理の弟です。
お金ない受けが追い詰められて変なアルバイトしようとしたら、攻めと再会して……?みたいな話です。
攻めがヤンデレ気味で、受けがマジで卑屈なので苦手な人はブラウザバックで。
兄弟は親が離婚してるため、苗字が違います。
攻め:水瀬真広
受け:神崎彼方
⚠️作者は芸能界にもお葬式ににもエアプなので、気にしないでください。
途中でモブおじが出てきます。
義理とはいえ兄弟なので、地雷の人はブラウザバックで。
初投稿です。
初投稿がちょっと人を選ぶ作品なので不安です。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
内容も時々サイレント修正するかもです。
定期的にタグ整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
前世が教師だった少年は辺境で愛される
結衣可
BL
雪深い帝国北端の地で、傷つき行き倒れていた少年ミカを拾ったのは、寡黙な辺境伯ダリウスだった。妻を亡くし、幼い息子リアムと静かに暮らしていた彼は、ミカの知識と優しさに驚きつつも、次第にその穏やかな笑顔に心を癒されていく。
ミカは実は異世界からの転生者。前世の記憶を抱え、この世界でどう生きるべきか迷っていたが、リアムの教育係として過ごすうちに、“誰かに必要とされる”温もりを思い出していく。
雪の館で共に過ごす日々は、やがてお互いにとってかけがえのない時間となり、新しい日々へと続いていく――。
【完結】マジで婚約破棄される5秒前〜婚約破棄まであと5秒しかありませんが、じゃあ悪役令息は一体どうしろと?〜
明太子
BL
公爵令息ジェーン・アンテノールは初恋の人である婚約者のウィリアム王太子から冷遇されている。
その理由は彼が侯爵令息のリア・グラマシーと恋仲であるため。
ジェーンは婚約者の心が離れていることを寂しく思いながらも卒業パーティーに出席する。
しかし、その場で彼はひょんなことから自身がリアを主人公とした物語(BLゲーム)の悪役だと気付く。
そしてこの後すぐにウィリアムから婚約破棄されることも。
婚約破棄まであと5秒しかありませんが、じゃあ一体どうしろと?
シナリオから外れたジェーンの行動は登場人物たちに思わぬ影響を与えていくことに。
※小説家になろうにも掲載しております。
巻き戻りした悪役令息は最愛の人から離れて生きていく
藍沢真啓/庚あき
BL
11月にアンダルシュノベルズ様から出版されます!
婚約者ユリウスから断罪をされたアリステルは、ボロボロになった状態で廃教会で命を終えた……はずだった。
目覚めた時はユリウスと婚約したばかりの頃で、それならばとアリステルは自らユリウスと距離を置くことに決める。だが、なぜかユリウスはアリステルに構うようになり……
巻き戻りから人生をやり直す悪役令息の物語。
【感想のお返事について】
感想をくださりありがとうございます。
執筆を最優先させていただきますので、お返事についてはご容赦願います。
大切に読ませていただいてます。執筆の活力になっていますので、今後も感想いただければ幸いです。
他サイトでも公開中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる