8 / 63
なんだかんだで、目が覚めたら……
相手の顔は自分を映す鏡なんですよ~
しおりを挟む今日は遅くなっちゃったな、と思いながら、日子はマンションのエレベーターに乗り込んだ。
こちらに向かってやってくる人影がエントランスホールに見えたので、扉は開けておいた。
だが、近くまで来たその人物に、日子は思わず、ボタンから指を離してしまう。
あっ、しまった、と気づいて、もう一度押そうとしたとき、長い指が閉まりかけた扉を止めていた。
ひっ、すみませんっ、と日子は固まる。
誠孝に上から睨まれた。
「何故、いきなり閉める」
「ちっ、違いますよ~。
沙知見さんの姿が見えたので、ちょっとビクッとしちゃって、指が離れちゃっただけですよ~」
特にいい言い訳も思いつかずに、真実をそのまま言ってしまう。
「何故、ビクッとする」
何故って……。
何故でしょうね、と思いながら、日子は、
「さ、さあ?
あ、昨日はありがとうございましたっ。
ごちそうさまでしたっ。
今度はぜひ、うちに……」
と言いかけ、止まる。
うちに?
あの、とっ散らかったうちに?
沙知見さんを?
いや、すでに一度来てもらってはいるのだが。
それは酔っていたから平気だったので。
今、正気の状態で来てくださいという勇気はない。
「い、一ヶ月後くらいに、ぜひ、うちにいらしてください」
日子は、そう言いかえた。
「……うちでいいぞ」
要領の悪い自分のことだ。
沙知見さんちみたいにするには、掃除に一ヶ月はかかると踏んだのが伝わったようだ。
そもそも、いつも帰ったら、ぱったり倒れて寝てるしな~。
……でも、沙知見さんも同じ条件だよね~と日子は密かに誠孝を尊敬する。
昨日、こいつは俺の部屋が綺麗すぎて緊張すると言っていた。
酔えなかったのは、それでだろう。
だが、今、俺の部屋でもないのに、何故、こいつは緊張しているんだろうか。
誠孝は日子を見下ろしながら、そんなことを考えていた。
今も日子は話しながら、なんとなく逃げ腰だ。
こんな緊張してるやつとエレベーターに乗ってると、なんだか落ち着かないんだが……。
誠孝はエレベーターの中を見回してみた。
黒と大理石風の色柄で、重厚感あるデザインのエレベーターは常にきちんと清掃されている。
もしや、この空間が綺麗すぎているからいけないとか?
だからって、エレベーターの中を散らかすわけにもいかないし。
誠孝はエレベーターに鞄の中身をぶちまけるところを想像してみた。
……片付けが大変そうだな。
途中から乗ってくる人がいたら迷惑だろうし。
次に、昨日からラグに置いたままにしているリモコンをとってきて、エレベーター内に斜めに置いてみる妄想をしてみた。
現実的でないな……。
一回エレベーターを降りて、走って部屋まで上がり、また下りてきて飛び乗らないといけないし。
何故俺は、鞄の中にリモコンを入れておかなかったんだ、と妙な反省をしたとき、ん? と気づいた。
つるつるした大理石風素材の壁の下の方に、うっすら子どもの靴痕らしきものが残っている。
汚れてるじゃないかっ、このエレベーター!
これで日子がビクビクしなくなって、ゲームに誘ってくれたときみたいに、微笑みかけてくれるかもしれないと思った誠孝は嬉しくなり、
「これを見ろ」
とその汚れを指さしてみた。
身を乗り出し、壁を見た日子は深く頷き、
「ゲソ痕ですね」
と言う。
……お前は普段、なにを見てるんだ。
「あ、いえ。
汚れてますね」
と二時間サスペンス好きらしい日子は、慌てて言いかえる。
どうだ、落ち着いたか? と誠孝は思っていたのだが。
日子は、……はは、とちょっと困ったように笑って言ってきた。
「綺麗好きな人は、外でも汚れてるところみると落ち着かないんですね~」
……神経質なくらい綺麗好きなやつだと思われてしまったようだ。
いや、俺は単に自分の居住空間が散らかっていると効率が悪くなるので、いつもきちんとしているだけで。
別に潔癖症とかではないんだが、と思っていたが、なにも言えずに誠孝はエレベーターを降りた。
じゃあ、と向かい合わせになっている部屋の前で日子が言う。
今まで味わったことがないような微妙な気持ちで誠孝が鍵を開けていると、
「あ」
と日子が後ろで声を上げた。
「沙知見さん、スダチお好きなんですよね?
またいただけるみたいなんで、今度、お持ちしますね」
そう微笑み、日子は部屋に消えていった。
仕事で対峙するときとは全然違うその顔を部屋に入っても誠孝は何度も思い返していた。
……仕事中は、そっちが斬りかかってくるなら、こちらも容赦はせぬ!
みたいな顔してるからな、と誠孝は、日子が聞いていたら、
「だから、相手の顔は自分を映す鏡なんですよ~。
沙知見さん、いつもどんな顔で我々を見下してるか、自覚あります~っ!?」
と叫んできそうなことを思っていた。
48
あなたにおすすめの小説
ワケあり上司とヒミツの共有
咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。
でも、社内で有名な津田部長。
ハンサム&クールな出で立ちが、
女子社員のハートを鷲掴みにしている。
接点なんて、何もない。
社内の廊下で、2、3度すれ違った位。
だから、
私が津田部長のヒミツを知ったのは、
偶然。
社内の誰も気が付いていないヒミツを
私は知ってしまった。
「どどど、どうしよう……!!」
私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?
隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される
永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】
「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。
しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――?
肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!
シンデレラは王子様と離婚することになりました。
及川 桜
恋愛
シンデレラは王子様と結婚して幸せになり・・・
なりませんでした!!
【現代版 シンデレラストーリー】
貧乏OLは、ひょんなことから会社の社長と出会い結婚することになりました。
はたから見れば、王子様に見初められたシンデレラストーリー。
しかしながら、その実態は?
離婚前提の結婚生活。
果たして、シンデレラは無事に王子様と離婚できるのでしょうか。
社内恋愛の絶対条件!"溺愛は退勤時間が過ぎてから"
桜井 響華
恋愛
派遣受付嬢をしている胡桃沢 和奏は、副社長専属秘書である相良 大貴に一目惚れをして勢い余って告白してしまうが、冷たくあしらわれる。諦めモードで日々過ごしていたが、チャンス到来───!?
甘過ぎるオフィスで塩過ぎる彼と・・・
希花 紀歩
恋愛
24時間二人きりで甘~い💕お仕事!?
『膝の上に座って。』『悪いけど仕事の為だから。』
小さな翻訳会社でアシスタント兼翻訳チェッカーとして働く風永 唯仁子(かざなが ゆにこ)(26)は頼まれると断れない性格。
ある日社長から、急ぎの翻訳案件の為に翻訳者と同じ家に缶詰になり作業を進めるように命令される。気が進まないものの、この案件を無事仕上げることが出来れば憧れていた翻訳コーディネーターになれると言われ、頑張ろうと心を決める。
しかし翻訳者・若泉 透葵(わかいずみ とき)(28)は美青年で優秀な翻訳者であるが何を考えているのかわからない。
彼のベッドが置かれた部屋で二人きりで甘い恋愛シミュレーションゲームの翻訳を進めるが、透葵は翻訳の参考にする為と言って、唯仁子にあれやこれやのスキンシップをしてきて・・・!?
過去の恋愛のトラウマから仕事関係の人と恋愛関係になりたくない唯仁子と、恋愛はくだらないものだと思っている透葵だったが・・・。
*導入部分は説明部分が多く退屈かもしれませんが、この物語に必要な部分なので、こらえて読み進めて頂けると有り難いです。
<表紙イラスト>
男女:わかめサロンパス様
背景:アート宇都宮様
私の赤い糸はもう見えない
沙夜
恋愛
私には、人の「好き」という感情が“糸”として見える。
けれど、その力は祝福ではなかった。気まぐれに生まれたり消えたりする糸は、人の心の不確かさを見せつける呪いにも似ていた。
人を信じることを諦めた大学生活。そんな私の前に現れた、数えきれないほどの糸を纏う人気者の彼。彼と私を繋いだ一本の糸は、確かに「本物」に見えたのに……私はその糸を、自ら手放してしまう。
もう一度巡り会った時、私にはもう、赤い糸は見えなかった。
“確証”がない世界で、私は初めて、自分の心で恋をする。
幸せのありか
神室さち
恋愛
兄の解雇に伴って、本社に呼び戻された氷川哉(ひかわさい)は兄の仕事の後始末とも言える関係企業の整理合理化を進めていた。
決定を下した日、彼のもとに行野樹理(ゆきのじゅり)と名乗る高校生の少女がやってくる。父親の会社との取引を継続してくれるようにと。
哉は、人生というゲームの余興に、一年以内に哉の提示する再建計画をやり遂げれば、以降も取引を続行することを決める。
担保として、樹理を差し出すのならと。止める両親を振りきり、樹理は彼のもとへ行くことを決意した。
とかなんとか書きつつ、幸せのありかを探すお話。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
自サイトに掲載していた作品を、閉鎖により移行。
視点がちょいちょい変わるので、タイトルに記載。
キリのいいところで切るので各話の文字数は一定ではありません。
ものすごく短いページもあります。サクサク更新する予定。
本日何話目、とかの注意は特に入りません。しおりで対応していただけるとありがたいです。
別小説「やさしいキスの見つけ方」のスピンオフとして生まれた作品ですが、メインは単独でも読めます。
直接的な表現はないので全年齢で公開します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる