28 / 58
第二章 覗き女
小平の過去
しおりを挟む七輪に載ったホタテの貝殻の中で、出汁に浸かって煮えているシラウオやゴボウを眺めながら、弥吉は項垂れていた。
「申し訳ありません」
「まあ、仕方が無い。
相手が一枚上手だったってことだ」
ほら、食え、と小平は上役らしく、弥吉を慰めている。
男を取り逃がしたあと、何か食おうという小平に連れられ、那津たちはいつもより少し上等な店に来ていた。
いつものように荒っぽく、店の前に看板代わりの蛸が投げてあったりしない店だ。
いつまでも落ち込んでいる弥吉を見ていた小平が話を変えるように、那津を振り向き言ってきた。
「那津。
お前、また捕り物の手伝いをすることがあったら、忠信様とかいう消えた与力のフリをすりゃいいんじゃないか?」
「……なんでだ」
「与力の格好して、ウロウロしてて見咎められたら、死んだ忠信様の霊のフリをすればいいってことだよ」
「いや、本当に死んでるのか、忠信様」
と言う那津の言葉に被せるように、小平は、
「お前、得意だろ、霊の真似」
と言ってきた。
いや、得意なのは、真似じゃなくて、除霊なんだが……。
美味しいものを食べて少し元気を取り戻したらしい弥吉は、小平や口を挟んでくる周りの客の話に笑ったあとで、厠に立った。
ホタテ鍋の煮詰まったいい香りが店内に漂っている。
小平はお猪口を持ったまま、近くの柱に後ろ頭を寄せて言った。
「……俺は昔、幽霊花魁を見たことがある」
階段下に、ぼうっと立ってやがった――。
そんなことを小平は言う。
幽霊を見たという、ただ、それだけの話なのに、何故か小平の口調は重かった。
「今でも夢に見るんだ……」
そう呟き、小平は目を閉じた。
そんな小平の意外に整った横顔を見ながら、那津は呼びかける。
「小平」
「なんだ」
「ひとつ言っていいか」
酔っている小平が薄く目を開けたとき、那津は言った。
「お前に霊は見えない」
「……なんでそんなことがわかる」
「お前と居て、お前が霊に反応したのを見たことがないからだ。
町中でも、吉原でもだ。
もしかしたら、生きた人間だと思って通り過ぎているのかもしれないが、吉原の霊はかなり毒々しい格好で現れるから、誰でもぎょっとするはずだし。
この間もお前の後ろに……」
やめろ、聞きたくない、と両耳をふさいだ小平は柱から身を起こした。
「今夜から一人で歩けなくなるじゃねえかっ」
騒ぐ小平に容赦無く那津は言う。
「今もお前と一緒にジイさんが鍋をつついてるんだが、見えてないだろう」
厠から戻ってきた弥吉が畳に上がってくる。
「どうしたんですかい? 旦那」
「今、弥吉がジイさんを踏んだ……」
小平に霊が見えていないことを証明するために、いちいち解説する那津に、やめろ、馬鹿っ、と小平が叫ぶ。
弥吉が戻ってきたせいで、話は辻斬りに戻り、江戸のうまい店の話に流れ、小平は調子よく呑んでいた。
いつものように食べて呑み、……暴れる。
「もう~、酒癖悪いんだからっ」
ねえ、と座ったまま倒れかかってくる小平の肩を押さえながら、弥吉がこちらを見た。
少し笑って、那津は湯桶からちろりを取り上げた。
弥吉のお猪口に注いでやる。
ぬるい酒が注がれるのを見ながら、弥吉は堪えていたものが溢れ出したように、涙ぐむ。
「那津さん、小平さん、ありがとうございます……。
旦那、旦那に拾ってもらって、家族も持てて。
ほんとありがたいと思ってるのに、肝心なときに役に立てなくてすみませんでした」
弥吉は、うとうとしている小平に、そう言って謝っていたが、そういうのが照れ臭いのだろう小平は、ずっと寝たフリをしていた。
帰り道。
弥吉を先に帰らせ、那津は酔った小平を送っていった。
静かな江戸の町。
提灯よりも明るく頭上に輝く月を那津は見上げた。
「吉原の辻斬りは腕だけを斬る。
なんで腕を斬るんだろうな」
そう呟くと、見た目ほど酔っていなかったらしい小平が確かな口調で言ってきた。
「なにか下手人にしかわからねえ理由があるんだろうよ」
暗い夜道を那津は、ふっと振り返ってみた。
そこに、なにか禍を呼ぶものが立っていそうな気がして。
――それは、悪鬼の如き形相の幽霊花魁、明野か。
それとも、刀を手にした、辻斬りか。
だが、静かな道には現れたのは提灯を手に楽しげに歩く酔っ払いだけだった。
0
あなたにおすすめの小説
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜
上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■
おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。
母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。
今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。
そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。
母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。
とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください!
※フィクションです。
※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。
皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです!
今後も精進してまいります!
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる