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閑話 元侯爵令息の話
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帝国にふたつしかない侯爵家の長男として生を受けた俺は、生まれてこの方、思い通りにならないことなどなかった。ルックスもいい方だし、頭もそこそこいい。だから小さいころから、歳の合う令嬢のいる家からの縁談は後を絶たなかった。
俺は特別だった。
一時、父親がいないときがあった。王宮官僚ではない父親がなぜそんなに家を空けなければならなかったのか、それはもう少し大きくなってから知る。父親は軍人で、半年近くも戦争に赴いていたのだ。その地で大きな戦績を上げたという。俺が8歳の時だった。
帰ってきた父親は開口一番、「婿入り先が決まったぞ!」と嬉しそうに俺を抱き上げた。長男の俺が婿入りなんて冗談じゃなかった。侯爵家はどうするんだと聞けば、母親の胎の中には二人目がいるという。俺は生まれてもいない弟に将来を奪われたのだ。
侯爵令息が婿入りとなれば、それも嫡男だった令息ともなれば場所は限られる。相手は帝国一の筆頭公爵家だった。なんて幸運だろう。父親が戦争で大きく役立ったからだと聞いた時には初めて父親に心から感謝した。
やっぱり俺は特別だった。
筆頭公爵家、クルート公爵家での顔合わせの場にいた女の子は俺と同い年で、しかし、歳不相応なほどに落ち着き払っていた。ただ落ち着いているだけならまだしも、そのガラス玉のような美しい瞳に、俺は映っていなかったのだ。
何様のつもりだ。俺は正直にそう言った。彼女はこう答えた。「クルート公爵家が長女、アーシェン・クルートですわ。…あなたは?」
「ふん、グリア・ロゼットラスだ」
それからというもの、アーシェンは何においても俺より優れていた。隣に立たざるをえない俺は常に劣等感にさいなまれた。親たちに仲のいいところをアピールしようと机を並べて勉強しようものなら、横から「こんなこともわからないのか」と言外に言われながら解き方と考え方を教えられるのだ。ストレスの塊に過ぎなかった。
毎週一回はしていたお茶会という地獄は月に一回になり、二か月に一回になり、三か月に一回になり、ついには招待状も開けないようになった。もちろん、アーシェンからの手紙さえも。それでも公爵家からの抗議もなく、俺は特別だから許されているのだと思った。
友達といるのが心地よく、婚約者という立場を利用してクルート公爵家つけで友達と買い物に行けば優越感を味わえてクセになった。勉強も必要最低限以外はやめた。友達もしていなかったからだ。それよりも早くから女を知っていた方がいいと友達は言う。
何人かの友達とともに学生を謳歌した。男なら恋人のひとりくらい持つのが甲斐性があるというものだと聞けば市井に降りて女を捕まえ、夢を見させて心のままに殴った。公爵家に囲われる愛人をほのめかすだけでも彼女らは喜んだ。その幸せの絶頂から絶望まで落とした時の女の表情は、えもいわれぬほど俺を興奮させた、
ある日酒を飲んでいるときに俺はここぞと自慢した。「見ろよ、これ。一生に一度、お目にかかれるかどうかわからないやつだぞ!」
ルビーを中心にカーン鉱石がふんだんに使われた、ネックレスを掲げる。
「それを使えば皇女様だって落とせるんじゃね?」
「すっげ! 初めて見た! どこから仕入れたんだ?」
「はっ、俺の婚約者様からちょこっと拝借したに決まってんじゃねぇか。あれだけたくさんの宝石を持ってんだ。ひとつくらい減ったって気が付かねぇよ」
けらけらと皆で笑う。ふざけて皇女様への手紙まで書いた。渡すつもりも、渡せるはずもない凝った文で。
「それよりグリア、お前公爵家の養女になったアリエルとかいう女に入れあげてるらしいじゃん?」
「ああ。もとは平民だ。すぐに落ちるだろう。元平民にしてはきれいな顔してたからな、絶望に染まるのを早く見たいぜ」
その手紙が、身を亡ぼすとは思わなかった。破棄したと思っていた手紙がまさか皇女のもとに届いていたとは。そんなことをする人間は限られている。俺の友達に違いなかった。
「被告、グリア・ロゼットラス。第二騎士団管轄の元、強制労働に処す。期間無期限、ただし管理官が判断したときのみ釈放が許される。以上」
友達がやったはずなのに名前すら出てこなかった。彼らも貴族だ。親が庇ったに違いない。並びたてられていった罪状は、すべてが処刑を示しているかと思ったのに、強制労働。しかも第二騎士団管轄。これほど幸運なことはない。
やっぱり、俺は特別だ。
「死ななかっただけ儲けものではないか!!」
わざとらしく、大きな声で笑って俺は裁判所を去った。
その後一時間もしないうちに俺はシャベルを握っていた。監視官という第二騎士団の女は「ここを止めというまで掘れ」という。目的も時間も聞かされずただひたすらに掘った。
へとへとでもう指一本動かせないほどになってやっと労働から解放された。
「ここがお前の牢だ。同室のやつと仲良くするんだな」
俺の前に重労働で鍛えられた身体をした男たちが立つ。こちらは疲れてまともに立つこともできないというのに、見下ろされるのが腹立たしくて仕方ない。
「仲良く、だってよ」
「ああ聞いたぜ兄貴。てことは…」
彼らは俺の身体に手をかけ、土で汚れたスラックスを下ろす。食事もとっていない身体には力が入らなかった。舌なめずりをする男たちはもはや猛獣のように見えて、身体が震える。
力なく頭をもたげたままのそれに男のひとりが手をかけた瞬間、手についた硬い何かでその男を殴った。ほぼ、反射だった。男のこめかみからは鮮血がとろりと流れる。
「…やったな?」
様子を見ていたのか監視官はすぐに駆け付けて来、下半身を露出したままの俺を抱えて真っ暗な独房の中に入れた。ガチャリと重々しい鍵がかかると、どこかのスピーカーから音声が流れてきた。
「お前はこれから三日間、そこにいる必要がある。そこは特別な懲罰が必要な罪人が入る場所だ。お前は無抵抗の女性を殴っては性交をしていたらしいな? 自分がやったこと、やられてみるのが、反省への一番の近道という。せいぜい死なないようにはしてやる。上からの命令だからな…」
音声が途切れれば、奥から荒い息遣いが聞こえてくる。何がそこにいるのか、暗闇に目が慣れても見えない。手を掴まれ、身動きが取れなくても圧倒的な力の前で抵抗などできなかった。
ああ、これが蹂躙というやつか…。
ひりひりする腰をさすりながら、息も絶え絶えに俺はそう思った。
俺は特別だった。
一時、父親がいないときがあった。王宮官僚ではない父親がなぜそんなに家を空けなければならなかったのか、それはもう少し大きくなってから知る。父親は軍人で、半年近くも戦争に赴いていたのだ。その地で大きな戦績を上げたという。俺が8歳の時だった。
帰ってきた父親は開口一番、「婿入り先が決まったぞ!」と嬉しそうに俺を抱き上げた。長男の俺が婿入りなんて冗談じゃなかった。侯爵家はどうするんだと聞けば、母親の胎の中には二人目がいるという。俺は生まれてもいない弟に将来を奪われたのだ。
侯爵令息が婿入りとなれば、それも嫡男だった令息ともなれば場所は限られる。相手は帝国一の筆頭公爵家だった。なんて幸運だろう。父親が戦争で大きく役立ったからだと聞いた時には初めて父親に心から感謝した。
やっぱり俺は特別だった。
筆頭公爵家、クルート公爵家での顔合わせの場にいた女の子は俺と同い年で、しかし、歳不相応なほどに落ち着き払っていた。ただ落ち着いているだけならまだしも、そのガラス玉のような美しい瞳に、俺は映っていなかったのだ。
何様のつもりだ。俺は正直にそう言った。彼女はこう答えた。「クルート公爵家が長女、アーシェン・クルートですわ。…あなたは?」
「ふん、グリア・ロゼットラスだ」
それからというもの、アーシェンは何においても俺より優れていた。隣に立たざるをえない俺は常に劣等感にさいなまれた。親たちに仲のいいところをアピールしようと机を並べて勉強しようものなら、横から「こんなこともわからないのか」と言外に言われながら解き方と考え方を教えられるのだ。ストレスの塊に過ぎなかった。
毎週一回はしていたお茶会という地獄は月に一回になり、二か月に一回になり、三か月に一回になり、ついには招待状も開けないようになった。もちろん、アーシェンからの手紙さえも。それでも公爵家からの抗議もなく、俺は特別だから許されているのだと思った。
友達といるのが心地よく、婚約者という立場を利用してクルート公爵家つけで友達と買い物に行けば優越感を味わえてクセになった。勉強も必要最低限以外はやめた。友達もしていなかったからだ。それよりも早くから女を知っていた方がいいと友達は言う。
何人かの友達とともに学生を謳歌した。男なら恋人のひとりくらい持つのが甲斐性があるというものだと聞けば市井に降りて女を捕まえ、夢を見させて心のままに殴った。公爵家に囲われる愛人をほのめかすだけでも彼女らは喜んだ。その幸せの絶頂から絶望まで落とした時の女の表情は、えもいわれぬほど俺を興奮させた、
ある日酒を飲んでいるときに俺はここぞと自慢した。「見ろよ、これ。一生に一度、お目にかかれるかどうかわからないやつだぞ!」
ルビーを中心にカーン鉱石がふんだんに使われた、ネックレスを掲げる。
「それを使えば皇女様だって落とせるんじゃね?」
「すっげ! 初めて見た! どこから仕入れたんだ?」
「はっ、俺の婚約者様からちょこっと拝借したに決まってんじゃねぇか。あれだけたくさんの宝石を持ってんだ。ひとつくらい減ったって気が付かねぇよ」
けらけらと皆で笑う。ふざけて皇女様への手紙まで書いた。渡すつもりも、渡せるはずもない凝った文で。
「それよりグリア、お前公爵家の養女になったアリエルとかいう女に入れあげてるらしいじゃん?」
「ああ。もとは平民だ。すぐに落ちるだろう。元平民にしてはきれいな顔してたからな、絶望に染まるのを早く見たいぜ」
その手紙が、身を亡ぼすとは思わなかった。破棄したと思っていた手紙がまさか皇女のもとに届いていたとは。そんなことをする人間は限られている。俺の友達に違いなかった。
「被告、グリア・ロゼットラス。第二騎士団管轄の元、強制労働に処す。期間無期限、ただし管理官が判断したときのみ釈放が許される。以上」
友達がやったはずなのに名前すら出てこなかった。彼らも貴族だ。親が庇ったに違いない。並びたてられていった罪状は、すべてが処刑を示しているかと思ったのに、強制労働。しかも第二騎士団管轄。これほど幸運なことはない。
やっぱり、俺は特別だ。
「死ななかっただけ儲けものではないか!!」
わざとらしく、大きな声で笑って俺は裁判所を去った。
その後一時間もしないうちに俺はシャベルを握っていた。監視官という第二騎士団の女は「ここを止めというまで掘れ」という。目的も時間も聞かされずただひたすらに掘った。
へとへとでもう指一本動かせないほどになってやっと労働から解放された。
「ここがお前の牢だ。同室のやつと仲良くするんだな」
俺の前に重労働で鍛えられた身体をした男たちが立つ。こちらは疲れてまともに立つこともできないというのに、見下ろされるのが腹立たしくて仕方ない。
「仲良く、だってよ」
「ああ聞いたぜ兄貴。てことは…」
彼らは俺の身体に手をかけ、土で汚れたスラックスを下ろす。食事もとっていない身体には力が入らなかった。舌なめずりをする男たちはもはや猛獣のように見えて、身体が震える。
力なく頭をもたげたままのそれに男のひとりが手をかけた瞬間、手についた硬い何かでその男を殴った。ほぼ、反射だった。男のこめかみからは鮮血がとろりと流れる。
「…やったな?」
様子を見ていたのか監視官はすぐに駆け付けて来、下半身を露出したままの俺を抱えて真っ暗な独房の中に入れた。ガチャリと重々しい鍵がかかると、どこかのスピーカーから音声が流れてきた。
「お前はこれから三日間、そこにいる必要がある。そこは特別な懲罰が必要な罪人が入る場所だ。お前は無抵抗の女性を殴っては性交をしていたらしいな? 自分がやったこと、やられてみるのが、反省への一番の近道という。せいぜい死なないようにはしてやる。上からの命令だからな…」
音声が途切れれば、奥から荒い息遣いが聞こえてくる。何がそこにいるのか、暗闇に目が慣れても見えない。手を掴まれ、身動きが取れなくても圧倒的な力の前で抵抗などできなかった。
ああ、これが蹂躙というやつか…。
ひりひりする腰をさすりながら、息も絶え絶えに俺はそう思った。
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