ハイスぺ男子は私のおもちゃ ~聖人君子な彼の秘めた執着愛~

幸村真桜

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変わりゆく気持ちの行方

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 だが、いつまでもこうしてはいられない。着替えを済ませて外に出ると、壁に寄りかかって璃湖を待っていた福永が彼女の手を掴んで歩き出した。しっかりと指まで絡ませてくる福永に、璃湖は慌てた。

 こんなところを誰かに見られたら、いらぬ誤解を受けてしまう。なんとか手を離そうと試みるが、福永がそれを許してくれない。

「福永さん、手を離してください」

「嫌だ」

 きっぱりと拒否され、璃湖は戸惑った。一体、なぜなのか。今日ほど人の頭の中を覗きたいと思った日はない。

 せめてどうか、もう誰にも出会いませんように。璃湖はそう願った。だがそれは、残念ながら叶うことはなかった。

「あれ、福永じゃん」

 会社を出たところで、これから帰宅するらしい集団と出くわして絶望的な気分になる。しかもその内のひとりは福永と知り合いらしい。

 せめて顔は見られないようにと、璃湖は顔を伏せて福永の影に隠れた。

「ああ、鈴木すずきか。今から飲み会?」

「そうそう。ちょうどプロジェクトが一段落したから、その打ち上げ。福永は⋯⋯今からデートか?」

「そんなところ。それじゃあ、楽しんで。行こうか、細井さん」

 福永がそう言った途端、ざわめきが起こったのが璃湖にも分かった。なぜわざわざ名前を呼ぶのか。福永のような有名人と噂になったりしたら、もうこの会社ではやっていけない。

 異動先で好奇の目にさらわれる自分を想像して、璃湖はクラリと目眩を覚えた。そこで璃湖はハッとした。もしかして、彼の目的はそれなのではないか。

 璃湖を宝村に居辛くさせて、辞めさせようとしているのではないか。彼がEDだったことを知るのは自分だけだ。それが完治した今、その秘密を知っている人間が邪魔になったとしてもなんら不思議ではない。

 そう思ったら、この福永の不可解な行動もすべて説明がつく。例え少し噂になったとしても、その相手がいなくなればすぐにそれも収束するだろう。

 福永がそんなことをする人間だとは思っていなかったが、そうとしか思えずに璃湖は泣きそうになってしまう。そんなことを考えていた璃湖は、福永が駅に向かっていることに気がついてハッとする。

 そこでホテルに泊まっていることに気づいて、璃湖は足を踏ん張った。

「⋯⋯なに? ちゃんと話をするまで、帰す気はないよ」

「ち、違うんです。私、昨日から会社の近くのホテルに泊まっていて」

 イラついた様子の福永にそう言うと、彼は驚いたように目を見開いた。

「どうして? なにかあった? もしかして、昨日電話に出なかったのもそのせい?」

 それは璃湖の勝手な都合なのだが、上手い言い訳が思いつかずに口ごもる。それをどう思ったのか、福永は困ったように眉尻を下げた。

「分かった。とりあえず、そこに行こう。どこのホテル?」

 彼と話をするのが怖くて、璃湖は言い淀む。そんな彼女の様子に福永は小さくため息をつくと、耳元に唇を寄せた。

「言わないと、ここでキスするよ」

「え!?」

「それも思いっきり濃厚なヤツ。ほら、早く言って。三、二⋯⋯」

 カウントダウンを始める彼に、璃湖は慌ててホテルの名前を口にした。満足気に笑った福永が、再び璃湖の手を引き歩き出す。

 一体、どんな話をされるのか。璃湖は怯えながら福永の後を歩き出した。




*   *   *



 ホテルの部屋に入ると、福永はベッドに腰掛けて璃湖のことをじっと見つめた。それから隣を叩いて璃湖にも座るように促す。素直にそれに従うと、福永が璃湖の顔を覗き込んだ。

「色々聞きたいことはあるけど⋯⋯まず、どうしてホテルにいるの?」

「そ、それは⋯⋯」

 彼に話すべきか悩んだが、ここまできては逃げようもない。仕方なく昨日の隣人との出来事を話すと、福永の表情が一変した。

「あの男……。なんで⋯⋯どうして俺に連絡しなかった!?」

 ぐっと肩を掴まれ、璃湖の目からポロリと涙がこぼれる。璃湖だってそうできるならしたかった。だけどできなかったのだ。

「だって⋯⋯福永さんはもうただの同僚だから⋯⋯。こんなことで、迷惑かけられない」

 泣きながらそう言うと、ハッと息をのんだ福永が小さく息を吐いた。それからくしゃりと髪を手で乱す。

「ああ⋯⋯そうか。俺の気持ち、なにも伝わってなかったんだよな。それはそうか。くそっ、こんなことなら変な見栄を張らずにさっさと伝えておけば良かった。そうすればひとりにさせずに済んだのに」

 大きく息を息を吐いた福永が、璃湖の方に向き直った。そして涙に濡れた頬にそっと触れる。

「好きだよ、細井さん。君のことが大好きだ」

 福永からの突然の告白に、璃湖は驚いて目を見開いた。だって、そんな都合がいいことがある訳がない。石のように固まる璃湖に、福永は苦笑いをした。

「俺は好きな子にしかキスしないし、安易に手も出さない。ずっと細井さんのことが好きだったんだ。だからあの日、ずっと勃たなかった股間が細井さんに反応してこれは運命だと思った。俺なりに必死に気持ちを伝えてはいたんだよ。胃袋、玉袋ってよく言うじゃない? だから苦手な料理も頑張ったし、たくさん気持ち良くできるようにエッチのことも勉強した。でもやっぱり言葉にしないとダメだね」

 それは女性が男性の袋を掴むという話ではなかったか。逆でも成立する話ではあると思うが、福永のそんな少しズレたところも愛おしく感じてしまう。

 料理が苦手だったことも知らなかった。とても美味しかったが、ひとりで練習してくれたのだろうか。その気持がとても嬉しくて、胸がポカポカと温かくなってくる。

 福永が本当に璃湖のことを好きなんじゃないかと思ったことが何度もあったが、あれは勘違いではなかったのだ。

 今日の不可解な行動も、ただ璃湖のことを離したくなかっただけなのだ。きっと彼は、璃湖と噂になることなどなんとも思わないのであろう。

 福永がそんな人間ではないと分かっているのに、変に疑ってしまったことに申し訳なさを覚える。

「細井さんも俺のこと好きになってくれて、すごく嬉しかったんだ。まさかそこから逃げられまくるとは思ってなかったけど」

「へ? す、好きって⋯⋯」

 まだ自分の気持は伝えていないのに、どういうことなのか。戸惑う璃湖に、福永はニヤリと笑った。

「野球見に行った日にさ、ホテルに泊まったでしょ? そのときに俺のことが好きって、何回も言ってた。なんか無意識っぽかったから挿れるの必死に耐えたんだけど、やっぱり覚えてなかったか」

 思いがけない言葉に、璃湖はかあっと赤くなった。確かにあの夜は乱れきってしまって途中から記憶がない。まさかそんなことを口にしていたとはまったく思わなかった。

「あのときほど野球をやっていてよかったと思ったことはないよ。こんなことなら、もっと早く見せておけば良かった」

「そ、それはどういう⋯⋯」

「俺がバッティングしてるの見たのがダメ押しになったでしょ? すごい古い言い方だけど、目がハートになってた。ホテル着いてからもね、メロメロって感じで⋯⋯」

 そう言われて恥ずかしくてたまらなくなる。すべてバレていたのか。福永も感情が表情に出やすいと思っていたが、璃湖も大概である。案外、似た者同士なのかもしれない。

「だから出張から戻ったら正式なお付き合いを申し込もうと思ってたのに。どうして逃げてたの?」

「それは⋯⋯もう契約は終わりだと思ったから。面と向かってそれを言われるのが嫌で⋯⋯」

「なるほど、そうか⋯⋯。俺もすぐに伝えれば良かったんだよね⋯⋯それはごめん。本当、余計な見栄なんて張るもんじゃないな。だけど、まさか異動を願い出るとは思ってなかった」

 はあっとため息をついた福永の言葉に璃湖は大きく目を見開いた。

「ちょ、ちょっと待ってください。どうして福永さんがそれを知ってるんですか?」

 璃湖が異動届を出したのは今日の午前中だ。知っているのは営業部の上司と人事部の人間だけなはず。それをなぜ福永が知っているのだ。

「ああ。人事部の部長の宝村海斗さん、実は俺のいとこなんだ」

「……い、とこ?」
 
 それは福永と宝村の両親のどちらかが兄弟ということである。ということは福永は……。

「俺の母親、宝村の創業者一族なんだよね。今、副社長をしてるんだけど」

 事もなげにそう言う福永に驚きで目を見開いた。言われて見れば福永と副社長であるかおる氏は面立ちがそっくりだ。名字が違うが、便宜上会社では旧姓で通しているらしい。

 さらに父親は大手製薬メーカーの社長で、いずれ福永はそちらの会社を継ぐことになるという。本物のセレブである。ただでさえ釣り合いがとれていないのに、ごく一般的な家庭で育った璃湖とは住む世界が違いすぎる。


「海斗さんとは昔から仲が良くてね。本当ダメなんだけど、俺のことを心配して異動届のことを教えてくれたんだ。俺がずっと細井さんに片思いしていたことを、海斗さんは知っていたから」

「ずっとって、いつから⋯⋯」

「細井さんが入社してきたときから。一目惚れってヤツだったと思う」

 そんなに前から、璃湖のことを思っていてくれたのか。てっきり契約関係が始まってからだと思っていた彼女は、目を見開いた。今日はずっと驚いてばかりである。

「そうだよね、びっくりするよね。EDのことがあったから、諦めてたし。自分が苦しくなるだけだから、意識して関わらないようにしてた。でも、気がつくと目で追ってて……ずっと君に片思いしてたんだよ」

 ふうっと息を吐いた福永が璃湖の顔を見つめる。その目があまりにも優しくて、璃湖はなんだか泣きそうになってしまう。

「細井璃湖さん、君のことが好きです。俺と結婚してくれますか?」

 はい、と頷きそうになって動きを止める。今、結婚と聞こえた気がしたが気のせいだろうか。

「想像してみて。毎日何度だってイかせてあげるし、目一杯甘やかしてあげる。平日は難しい日もあるけど、土日は俺が食事も作るよ。美味しいものもたくさん食べさせてあげる。璃湖の願いなら大抵のことは叶えられるし、一生大事にすると誓う。自分で言うのもなんだけど、こんな優良物件はそうそういないよ」

 気のせいではなかった。福永と結婚⋯⋯それは璃湖が彼との契約関係の間に何回も妄想したことだ。

 こんなに璃湖のすべてを愛してくれる人はきっと二度と現れない。それに好きな人が自分のことをずっと思っていてくれていたのだ。こんな奇跡を、手放すなんてできはしない。

 お互いのスペックが釣り合わないとか、育ちが違うなど気になることはある。だが、そんなものは些細なことに思えた。

 ふと、膝の上にある彼の手が小さく震えていることに気がついた。彼の気持ちが痛いほど伝わってきて、思わずそれに自分の手を重ねた。

「私で良ければ⋯⋯よろしくお願いします」

 璃湖がそう答えると、福永が安堵したように大きく息を息を吐いた。それから、満面の笑みを璃湖に向ける。会社では見たことのない、心からの笑顔だ。この顔を、一番近くで見ていたいと思う。

 お互いのスペックが釣り合わないとか、育ちが違うことなど気になることはたくさんある。だが、そんなものは些細に思えた。

 福永のことが好きだ。彼のためならなんだってできる。そして彼も同じ気持ちでいてくれている。それで十分ではないか。

「ありがとう。一生大事にするからね」

「私も⋯⋯福永さんのことを、絶対に幸せにします」

 そう答えると福永が目を丸くした。なにか変なことを言っただろうか。だって、彼を幸せにできるのは自分だけだ。そんな自信が、璃湖にはあった。

「⋯⋯君にはきっと、一生敵わないな。愛してるよ、璃湖」

「私も⋯⋯愛しています」

 少し照れながら答えると、福永の顔が近づいてきた。その意図を察して目を瞑ると、唇に柔らかなものが触れた。

 昨日までの絶望感が嘘のように全身が幸福な気持ちに包まれる。きっと彼とならなんでも乗り越えられる。

 そう思いながら、璃湖は彼の首に手を回したのだった。




〈お知らせ〉

 3章部分、一気に公開しました。加筆した影響で文字数がバラついてしまって読みづらくなっていたら申し訳ありません。

 次章が最終章になります。今週いけると思ったのですが、無理そうです。来週中に完結予定です。

 ここまで読んでいただいてありがとうございます。

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