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追憶の章 泥の底に咲く花(4)
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兄さんを閉じ込めたことで、私の心は不思議なほど軽くなっていた。 もう、迷いはない。 廊下を歩く足取りは、死刑台に向かう囚人のそれではなく、花嫁のように軽やかだった。
お腹の底で、「あの子」がクスクスと笑っているのがわかる。 あたし(世璃)だ。 まだ名前も肉体も持たない、黒い泥のような意識の塊。 それが私の内臓に絡みつき、早く出せ、早く喰わせろと急かしている。
『もうすぐよ。……もうすぐ、全部あげるわ』
私はお腹を優しく撫でながら、儀式の間である広間の襖を開けた。
ムッとするような熱気。 線香の煙と、腐った酒の臭い。そして、獣臭い人間の汗の臭い。 広間の中央には、異様な祭壇が組まれていた。 海で拾った流木や、動物の骨、そして古びた掛け軸。 その前で、パパとママが待っていた。
「遅いぞ、那美!」 パパが怒鳴った。その目は充血し、瞳孔が開いている。
「今日の星回りは最高なんだ。潮も満ちている。 今すぐに『泥の王』をお招きするんだ!」
「早く座りなさい、那美」
ママが甲高い声で急かす。 彼女の手には、儀式用の鞭が握られている。 私のトランス状態を深めるために、痛みを与えるための道具だ。
「……はい、パパ。ママ」
私は従順な人形のように頷き、祭壇の前の座布団に座った。 冷たい畳の感触。 これが、私の人生の最期の場所だ。
ドンドコ、ドンドコ、ドンドコ。
パパが太鼓を叩き始めた。 腹に響く重低音。 ママがお経のような呪文を唱えながら、私の周りを回り始める。
「――来たれ、深きもの。泥より出でて、富をもたらすもの」
「我らが娘の肉を食らい、血を啜りて、其の御力を示せ」
ピシッ! 背中に鋭い痛みが走った。 ママの鞭だ。 白い着物が裂け、肌に赤いミミズ腫れが刻まれる。
「うっ……!」
「もっとだ! もっと痛みを捧げろ! 苦痛こそが供物だ!」
ピシッ! ピシッ! 痛い。熱い。 でも、不思議と辛くはなかった。 痛みを感じるたびに、私の中の「あの子」が喜んでいるのがわかるから。 ――もっと。もっとよ。 ――その痛みが、あたしを目覚めさせる燃料になる。
意識が遠のいていく。 視界が赤く明滅し、現実と異界の境界が曖昧になる。 床下から、ズズズ……という地響きが聞こえてくる。 この土地の底に眠る、穢れたものたちの集合体をまとった、灼熱の真っ赤な『泥の王』が、私の呼び声に応えて這い上がってくる。
「来た……来たぞ! 気配がする!」
パパが狂喜して叫んだ。
「那美! 受け入れろ! 抵抗するな! 身体の主導権を明け渡せ!」
なんとおろかなの。『泥の王』がなにか、本質を理解していない。
王様は分厚いマントでその身を覆っているのに。
ママが私の顔を鷲掴みにし、無理やり口を開かせようとする。
「さあ、言いなさい! 『我が身を捧げます』と! 『どうぞ好きに使ってください』と!」
両親の顔が、歪んで見えた。 欲に塗れ、娘を贄にして恥じない、醜い餓鬼の顔。 ああ、そうか。 本当に祓うべき「悪霊」は、外から来るんじゃない。 最初から、この家の中にいたんだ。
私は、割れた唇でニッコリと笑った。
「……ええ、受け入れるわ」
私の声色が、変わった。 喉の奥から、私ではない「誰か」の声が混ざる。
「でも、あなたたちのためじゃない」
「な、なんだ? 那美、何を言って……」
パパが太鼓の手を止める。 ママが後ずさりする。
私は、お腹の底にいる「最強の味方」に呼びかけた。 ねえ、準備はいい? 鎖は全部外してあげる。 私の身体も、魂も、全部あげるから。
――お願い。
「私が、化け物をみんな『やっつけてあげる』から」
その言葉が、トリガーだった。 私の中で、何かが爆発した。
バリバリバリッ!!
背中の皮膚が内側から裂ける音がした。 痛みはない。あるのは、圧倒的な解放感だけ。 黒い泥のような奔流が、私の毛穴という毛穴から噴き出した。
「な、なんだこれは!? 違う、手順が違うぞ! 制御できていない!」
「いやぁぁぁ! 那美が、那美が融けていくぅぅ!」
両親の悲鳴が遠く聞こえる。 私の意識は、黒い泥の中に溶けて、薄まっていく。 視界の端で、兄さんの部屋の方角を見た。
兄さん。 耳を塞いでいてね。 すぐに終わるから。 ……大好きだったよ。
私の自我はそこで途切れ、あとは「あたし」が引き継いだ。 さあ、お食事の時間だ。
お腹の底で、「あの子」がクスクスと笑っているのがわかる。 あたし(世璃)だ。 まだ名前も肉体も持たない、黒い泥のような意識の塊。 それが私の内臓に絡みつき、早く出せ、早く喰わせろと急かしている。
『もうすぐよ。……もうすぐ、全部あげるわ』
私はお腹を優しく撫でながら、儀式の間である広間の襖を開けた。
ムッとするような熱気。 線香の煙と、腐った酒の臭い。そして、獣臭い人間の汗の臭い。 広間の中央には、異様な祭壇が組まれていた。 海で拾った流木や、動物の骨、そして古びた掛け軸。 その前で、パパとママが待っていた。
「遅いぞ、那美!」 パパが怒鳴った。その目は充血し、瞳孔が開いている。
「今日の星回りは最高なんだ。潮も満ちている。 今すぐに『泥の王』をお招きするんだ!」
「早く座りなさい、那美」
ママが甲高い声で急かす。 彼女の手には、儀式用の鞭が握られている。 私のトランス状態を深めるために、痛みを与えるための道具だ。
「……はい、パパ。ママ」
私は従順な人形のように頷き、祭壇の前の座布団に座った。 冷たい畳の感触。 これが、私の人生の最期の場所だ。
ドンドコ、ドンドコ、ドンドコ。
パパが太鼓を叩き始めた。 腹に響く重低音。 ママがお経のような呪文を唱えながら、私の周りを回り始める。
「――来たれ、深きもの。泥より出でて、富をもたらすもの」
「我らが娘の肉を食らい、血を啜りて、其の御力を示せ」
ピシッ! 背中に鋭い痛みが走った。 ママの鞭だ。 白い着物が裂け、肌に赤いミミズ腫れが刻まれる。
「うっ……!」
「もっとだ! もっと痛みを捧げろ! 苦痛こそが供物だ!」
ピシッ! ピシッ! 痛い。熱い。 でも、不思議と辛くはなかった。 痛みを感じるたびに、私の中の「あの子」が喜んでいるのがわかるから。 ――もっと。もっとよ。 ――その痛みが、あたしを目覚めさせる燃料になる。
意識が遠のいていく。 視界が赤く明滅し、現実と異界の境界が曖昧になる。 床下から、ズズズ……という地響きが聞こえてくる。 この土地の底に眠る、穢れたものたちの集合体をまとった、灼熱の真っ赤な『泥の王』が、私の呼び声に応えて這い上がってくる。
「来た……来たぞ! 気配がする!」
パパが狂喜して叫んだ。
「那美! 受け入れろ! 抵抗するな! 身体の主導権を明け渡せ!」
なんとおろかなの。『泥の王』がなにか、本質を理解していない。
王様は分厚いマントでその身を覆っているのに。
ママが私の顔を鷲掴みにし、無理やり口を開かせようとする。
「さあ、言いなさい! 『我が身を捧げます』と! 『どうぞ好きに使ってください』と!」
両親の顔が、歪んで見えた。 欲に塗れ、娘を贄にして恥じない、醜い餓鬼の顔。 ああ、そうか。 本当に祓うべき「悪霊」は、外から来るんじゃない。 最初から、この家の中にいたんだ。
私は、割れた唇でニッコリと笑った。
「……ええ、受け入れるわ」
私の声色が、変わった。 喉の奥から、私ではない「誰か」の声が混ざる。
「でも、あなたたちのためじゃない」
「な、なんだ? 那美、何を言って……」
パパが太鼓の手を止める。 ママが後ずさりする。
私は、お腹の底にいる「最強の味方」に呼びかけた。 ねえ、準備はいい? 鎖は全部外してあげる。 私の身体も、魂も、全部あげるから。
――お願い。
「私が、化け物をみんな『やっつけてあげる』から」
その言葉が、トリガーだった。 私の中で、何かが爆発した。
バリバリバリッ!!
背中の皮膚が内側から裂ける音がした。 痛みはない。あるのは、圧倒的な解放感だけ。 黒い泥のような奔流が、私の毛穴という毛穴から噴き出した。
「な、なんだこれは!? 違う、手順が違うぞ! 制御できていない!」
「いやぁぁぁ! 那美が、那美が融けていくぅぅ!」
両親の悲鳴が遠く聞こえる。 私の意識は、黒い泥の中に溶けて、薄まっていく。 視界の端で、兄さんの部屋の方角を見た。
兄さん。 耳を塞いでいてね。 すぐに終わるから。 ……大好きだったよ。
私の自我はそこで途切れ、あとは「あたし」が引き継いだ。 さあ、お食事の時間だ。
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