「無能」と捨てられた少女は、神の愛し子だった――。 凍てつく北の地で始まる、聖獣たちと冷徹公爵による「世界一過保護な」逆転生活。

秦江湖

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氷原の狩人と、公爵の激昂

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「秘密の温室」での甘いひとときから数日。ノースガル公国は、春を待ちわびるかのような穏やかな陽光に包まれていた。
 アデリーンは、温室で見つけた新種の魔法植物――冷気に触れると銀色に輝く花――の育成に熱中していた。彼女の『調律』の力は、植物の成長リズムを整えることにも長けており、本来なら数年かけて咲くはずの花が、彼女の手の中ではわずか数日で蕾を膨らませていた。

「クゥン……」

 足元で丸まっていたスノウが、不意に耳を尖らせて顔を上げた。
 同時に、アデリーンの胸元にある『氷魂石』の首飾りが、チリチリと焼けるような熱を帯びる。

「……えっ? 何かしら、今の……」

 アデリーンの脳内に、細く、鋭い悲鳴のような残響が響いた。
 それは言葉ではなかった。もっと原始的な、精霊や聖獣が絶望に陥った時に放つ、魂の叫びだ。

「……スノウ、あなたにも聞こえたの? 誰かが、助けを求めているわ」

 アデリーンは立ち上がった。ゼノスは現在、国境付近の魔導障壁の点検のため、騎士団を率いて出払っている。
 だが、この悲鳴を無視することはできなかった。アデリーンはマーサに「少し庭の奥を見てくる」とだけ告げると、兄が持たせてくれたあの防寒外套を羽織り、スノウを連れて城の裏門へと急いだ。

 城から数マイル離れた、氷晶の森の入り口。
 そこでアデリーンが目にしたのは、あまりにも凄惨な光景だった。

「ひひっ、こいつは上等だ。ルミナリスの貴族が喜びそうな銀狐の幼体じゃねぇか」
「毛皮にする前に、魔石をえぐり取っちまえ。その方が高く売れる」

 下卑た笑い声を上げるのは、見慣れぬ毛皮を纏った男たち。彼らはノースガルの住民ではない。国境の隙間を縫って侵入した「密猟者」たちだった。
 彼らが囲んでいる檻の中には、片足を罠で深く傷つけ、血を流している銀色の狐の精霊がいた。精霊は怯え、細い声を上げながら、必死に氷の牙で檻を噛もうとしている。

「やめて……! そんなひどいこと、やめてください!」

 アデリーンは我を忘れて駆け寄った。
 密猟者たちが驚いて振り返る。彼らの視線が、アデリーンの身に纏った高価な外套と、透き通るような美貌に注がれ、下卑たものへと変わった。

「おっと……こりゃまた、とんでもねぇ掘り出し物だ。こんな雪原に、お嬢様が一人で何のご用だ?」
「その銀の扇子、高そうだな。……おい、こいつも『商品』として連れて行こうぜ。王国の奴隷商に売れば、一生遊んで暮らせるぞ」

 男たちがじわじわと距離を詰めてくる。スノウが牙を剥いて唸るが、相手は多人数だ。
 アデリーンは震える手で銀の扇子を広げた。

「近づかないで! 私は、この国の……ゼノス様の婚約者です!」

「公爵の婚約者だと? ぎゃはは! なら余計に都合がいい。身代金もたっぷり取れるってわけだ!」

 一人の男がアデリーンの腕を掴もうと、汚れた手を伸ばした。
 ――その瞬間だった。

 ゴォォォォォンッ!!

 空気が凍りつくような、凄まじい衝撃音が森に響き渡った。
 アデリーンを襲おうとした男の手が届く直前、彼と彼女の間に、天から巨大な氷の槍が降り注いだのだ。
 地面を砕き、周囲を白銀の衝撃波が包む。

「……私の獲物に、誰が触れて良いと言った?」

 地獄の底から響くような、低く、冷徹な声。
 森の木々をなぎ倒しながら、漆黒の軍馬に跨ったゼノスが現れた。
 彼のアイスブルーの瞳は、今や完全な「死の色」に染まっている。彼の周囲では、あまりの魔力の密度の高さに、雪が結晶のまま静止していた。

「ゼノス様……!」

「アデリーン、下がっていろ。……これからお前に見せるものは、あまり教育に良くない」

 ゼノスは馬から降りると、一歩踏み出すたびに足元の地面を粉砕した。
 密猟者たちは、あまりの殺気に腰を抜かし、逃げようとしたが、その足は瞬時に石畳よりも固い氷に縫い付けられた。

「ま、待て! 俺たちはただの密猟者だ! 殺すことはないだろう!」

「殺す? ……そんな生温いことはしない。お前たちは、我が国の聖獣を傷つけ、そして私の『魂』を汚そうとした」

 ゼノスが指先をわずかに動かす。
 途端に、男たちの四肢を、鋭い氷の針が音もなく貫いた。叫び声すら凍りつくような激痛。

「貴様らの故郷である『他国』には、お前たちのバラバラになった荷物(パーツ)だけを送ってやろう。……二度とこの国を、そして彼女を狙おうなどと思わぬよう、その身に刻ませてやる」

 ゼノスの激昂は、嵐のように激しく、けれど静かだった。
 彼は男たちを冷酷に無力化すると、血の海に沈む檻を素手で引きちぎり、傷ついた銀狐をアデリーンの元へ放った。

「アデリーン。……この者の調律を。……こいつは、私には救えん」

 ゼノスはそう言うと、アデリーンの背後から彼女を包み込むように抱きしめた。
 その手はわずかに震えていた。彼女を失うかもしれないという、冷徹な公爵らしからぬ「恐怖」が、彼を突き動かしていたのだ。

「……勝手に出歩くなと言っただろう。……心臓が止まるかと思ったぞ」

 耳元で囁かれる掠れた声。
 アデリーンはゼノスの温かさに包まれながら、傷ついた銀狐に扇子を向けた。
 黒の沈黙――。
 悲鳴を鎮め、命を繋ぎ止めるための、慈愛の静寂。

 密猟者の残党は、ゼノスの騎士団によって無慈悲に連行されていった。
 アデリーンは、自分を守るために悪鬼にさえなったゼノスの背中を見つめ、彼という男の愛の重さを、改めてその肌に刻んでいた。
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