★【完結】アネモネ(作品230605)

菊池昭仁

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第8話 弟子入り

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 銀次に弟子入りして1週間が過ぎた。

 漁師町ということもあり、朝は6時から店を開け、午後2時で一旦休憩をする。
 夜は8時から始めて零時までの営業だった。

 銀次の人柄と旨い焼鳥とアテもあり、店はいつも常連客でいっぱいだった。
 銀次も常連客も、親しみを込めて私を「純」と呼んでくれた。


 「純ちゃん、焼酎、梅割りで」
 「はい」
 「純、鱈汁を野本さんにお出ししてくれ」
 「はい、親方!」

 まだ居酒屋のオヤジには程遠いが、少しずつ笑顔になっている自分がいた。
 寝て一畳、座って半畳。
 そして胃袋は握り拳大しかない。
 寝るところがあり、食べることが出来て、仕事で人を笑顔にすることが出来る。
 店が休みの日には小説を読み、近所のラーメン屋で飯を食べ、餃子でビールを飲む生活。
 そしてすぐ近くには日本海がある。
 これ以上、他に何を望むというのだ。

 大きな屋敷も、社会的地位も名誉も私は望んではいなかった。
 人生での幸福とはカネでも権力を持つことでもない。
 ましてや他人からの賞賛でもない。
 「ありがとう」の笑顔に囲まれて生きることだ。
 

      「主文、被告人を死刑に処す」


 そんなことを言い渡すために私は生まれて来たわけではない。
 今、こうして疲れた人たちを癒せる焼鳥屋でいることが、何よりの生甲斐であり、生きている実感を味わうことが出来た。


 店を閉めて掃除や後片付けを終えると、いつも銀次と酒を飲んだ。

 「いいところだろう? ここは?」
 「いい街ですね? 食べ物は美味しいし、直ぐ近くには海がある。美しい立山連山も見える。
 そして常連さんたちの笑顔とここで暮らす人たちの人情。
 ここは楽園です」

 カウンターに肘をつき、コップ酒を飲みながら銀次は言った。

 「戻らなくてもいいのか? 家族の下へ。そして法廷にも?」
 「もういいんです。家族に私は必要とされていませんから。
 生活に困ることもないでしょう。
 それに裁判官の私の代わりはいくらでもいますから」
 「残念だなあ? 純みたいな裁判官がいねえと、俺みてえな人間は困るけどな?」
 「残念?」
 「純みたいな裁判官は貴重だってことよ。正しい判決を苦しみながら出す、そんな心ある裁判官は少ないからよ」
 「私はそこから逃げて来たんです。駄目な裁判官です。
 私に人を裁く資格はありません」
 「逃げるのは悪いことじゃねえ、生きるためにはな?」

 銀次は首を傾げてタバコに火を点け、タバコの先端が赤く灯り、銀次は煙を吐いた。

 

 朝、市場へ行き、今日の仕入れをして銀次の仕込みの手伝いをする。

 「魚の良し悪しを見分けるには色々あるが、基本は眼を見ることだ。
 人間も同じだろう? 死んだ目をして生きている奴もいるし、死にそうでもキラキラとした澄んだ瞳をしている奴もいる。 
 魚は眼をよく見て仕入れるんだ」
 「はい」


 
 店に着くと、銀次は昨日作って冷蔵庫に入れておいたモツの煮込みを鍋にあけ、火に掛けた。


 「純、今日は串打ちをしてみるかい?」
 「お願いします」
 「まずは若鳥からいくか? やってみな」
 「やってみます」

 私は初めて串打ちを任された。
 銀次のように上手くは刺せなかった。

 「こうでしょうか?」
 「あまりキツく串に刺すと火の通りにムラが出る。
 こんなカンジにしてみろ」

 銀次はお手本を見せてくれた。

 「なるほど、よくわかりました、やってみます」
 「それから同じ大きさの肉を刺しているようだが、実は焼鳥というのは最初の一口が肝心なんだ。 
 一杯目のビールが旨いのと同じようにな?
 だから先端の肉から徐々に小さくしていく。
 ケチるわけじゃねえ。その方が見た目もいいし、食べやすい。
 やってみろ」
 「ヘイ」
 「なんだ、その「ヘイ」っていうのは?」
 「なんとなく、親方と弟子みたいだと思いまして」
 「そうだな? ここは法廷じゃねえからな?「郷に入っては郷に従え」か?」
 「ヘイ、親方!」
 「純、まずはその役に成り切ることかもな? 言葉遣いは人を変えるもんだ」

 私たちは笑った。

 私は今、生まれ変わろうとしていた。
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