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一章
32話
しおりを挟むツカツカツカ、と廊下を歩く足音が聞こえる。
その足音は苛立ち、乱れておりその足音が聞こえて、更に自分達がいる部屋に迫って来た事を察したヴァンは、そっと傍らの長剣に手を伸ばした。
「また、使用人か……? それとも……」
「ハ、ハーツラビュル卿……」
「大丈夫だナミア。ウェンディを頼む」
ヴァンは、ウェンディの眠るベッドから離れ、部屋の扉に向き直る。
ヴァンが扉に向き直った直後。
扉がけたたましい音と共に開かれた。
「──ウェンディ!!」
そして、侯爵──ウェンディの父親である男の怒声が室内に響いた。
「……侯爵、ウェンディは高熱を出しております。……なるべく静かに──」
「うるさい! お前はまた性懲りも無くウェンディに会いに来ていたのか!? エルローディアに会いに来るでもなく、ウェンディの部屋に居るとは……っ」
侯爵の体が怒りでぶるぶると震えている。
──何があったんだ?
ヴァンは目を細め、侯爵を見つめる。
すると、侯爵の背後から一人の女性が出てきた。
それは、悲しそうに涙を瞳に溜めたエルローディアで。
泣いたのだろう。目の周りも赤く染まっていて、何も知らぬ人が見れば「痛々しい」と感じてしまう程、意気消沈している様子だった。
だが、ヴァンはエルローディアには興味なさそうな顔をして視線を逸らし、侯爵に顔を向ける。
「侯爵……ウェンディは──」
「……出ていけ」
「……は」
「聞こえなかったのか? ウェンディも、お前も、そこの使用人も……! 我が家から出て行け! この娘が、この気味の悪い出来損ないが居るせいで、エルローディアが傷付き、悲しんでいる! 全て、そこの出来損ないのせいだ!」
「ちょ、ちょっとお待ちを、侯爵! いきなり何を──」
「この出来損ないは、我が家の疫病神だ。最早、これ以上我が侯爵家にいさせる訳にはいかん。エルローディアの邪魔にもなるからな。……ウェンディをホプリエル侯爵家から籍を抜く。放り出せ!!」
「──っ」
ヴァンも、ナミアも信じられないものを見るように侯爵を見た。
ウェンディは、実の娘だ。
それなのに、義理の娘が悲しがるからと実の娘を家から追い出すだけでは飽き足らず、ホプリエル侯爵家の籍からも抜く、とは──。
だが、とヴァンは考える。
(ウェンディにとっては、この方がいいのかもしれない……。辛いだろうが、このままこの家で辛い思いをし続けるなら……家族に大切にしてもらえないのであれば……。俺が、家族の分までウェンディを大切にする)
ヴァンはそう心に誓い、悔しさや悲しさを拳を握って何とか押し込める。
ナミアは声を出す事もなく、さめざめと泣いている。
「……ナミア、ウェンディの身の回りの物を。これくらいは、許していただけますよね、侯爵?」
「それくらいは構わん。すぐ近くで野垂れ死なれては敵わんからな。だが、いいか! 一刻も早くこの邸から出ていけ! 二度とウェンディをこの邸に戻すな!」
「──分かりました」
ヴァンは、身支度を始めるナミアを横目に、ベッドで苦しそうに顔を歪めて眠り続けるウェンディを見つめる。
ウェンディの体調に触らぬよう、慎重にウェンディを抱き上げた。
「侯爵、ウェンディの結婚の話は──」
「そんな役立ずを嫁がせる訳にもいかん。その様子では、子も望めぬだろうしな。それに、それは最早我が家の血族では無い」
「……」
あっさりとウェンディを切り捨てる侯爵に、ヴァンは奥歯を噛み締めたまま、足を進めた。
ヴァンの腕に抱かれたウェンディが、苦しそうに眉を顰めるのが視界に映る。
(ウェンディ、安心してくれ。たとえ、この家を追い出されても、俺の家族が君を迎え入れる……。伯爵邸でゆっくり休んでくれ)
ヴァンは、侯爵の隣を通り過ぎる前にナミアに振り向いて声をかける。
「ナミア、行こう」
「分かり、ました……ハーツラビュル卿……」
泣いているせいで、言葉に詰まるナミアの背を優しく撫でてやる。
ヴァンは、ウェンディを抱き直すとそのまま部屋を出ようと扉に向かった。
扉付近で立ち止まり、成り行きを見ていたフォスターの姿がヴァンの視界に入る。
フォスターは何故か傷付いたような表情を浮かべており、彼の視線はウェンディに向かっている。
ウェンディを、フォスターの視界に入れたくなかったヴァンは、ウェンディを隠すようにしてフォスターの横を通り過ぎた。
廊下を歩いていても。
玄関ホールに向かう時も。
この邸の使用人は、誰一人としてウェンディの見送りには現れなかった。
ヴァンが抱えているのがウェンディだと分かった今回のパーティーの招待客達は、好奇の視線を向ける。
ウェンディが寝間着姿で、ヴァンに抱えられて邸を出て行く姿から、何が起きたか大体の事を悟ったのだろう。
好き勝手想像し、愉しげに噂話をしている。
(好きに話していろ……! ウェンディをこれ以上傷付けさせない……!)
ヴァンはそう強く心に誓い、ホプリエル侯爵邸を後にしたのだった。
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