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第7話 静かな反撃の始まり
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夜半を過ぎた王都の街は雨に濡れ、石畳を照らす街灯の明かりがぼんやりと滲んでいた。
フードを深くかぶったリリアーナは、誰にも気づかれぬよう人気のない小道を進んでいく。
行く先は、王立学園の管理区――深夜には閉ざされるはずの場所だが、今夜だけは違った。
暗号文に記された“正義の鍵”を求めて、彼女は再び禁じられた道を歩む。
重々しい門扉に触れると、淡い光が走り、静かに開いていく。
転生した日に目覚めた魔石のペンダントが、再び彼女の道を導いていた。
「……アランの言った通りね」
彼の存在を頼るわけではない。ただ、彼の信じる正義が示す先に自分の復讐がある――それだけだ。
校舎の裏庭を抜け、半ば崩れかけた倉庫の扉の前にたどり着く。
雨音と呼吸だけが静寂を支配していた。
「ここね」
リリアーナはポケットから短い銀のナイフ型の鍵を取り出し、鍵穴に差し込んだ。
軽い音と共に錠前が落ち、扉が軋みを立てて開く。
中は暗く、湿った木の匂いが漂っている。
壁際には古い机と、開かれたままの記録箱。
その中に、一冊の帳簿が目に留まった。
“王立学園運営費支出記録”
開いた途端、そこにはレインフォード公爵家の子爵領から搬入された巨額の物資費が記帳されていた。
しかも、その三分の一が宛先不明。
帳簿の下段には、エドモンドの父・公爵本人の署名。
「やはり……」
リリアーナは吐息を漏らす。
密貿易の証拠を覆い隠すため、学園を経由した不正融資。
それが原因で伯爵家の名が汚された。
あの日失われた名誉も命も、全てこの帳簿一冊に繋がっている。
手を伸ばしたそのとき、ふと背後で音がした。
反射的に扇を構える。
月光を背にして、ひとりの男が立っていた。
「……やはり、来ていたか」
低く優しい声。アランだ。
「あなた……どうしてここに」
「君が動くと思っていた。危険すぎる場所だ。誰かに見つかれば、ただでは済まない」
「だからこそ来たの。私は、もう何も恐れない」
リリアーナの声は鋼のように澄んでいた。
アランは彼女を見つめ、静かに頷くと歩み寄った。
「これが“証拠”なのか?」
「ええ。けれど、まだ駒が揃っていないわ」
彼女が帳簿を差し出すと、アランは懐から封筒を取り出した。
中には王都の検閲部の権印。
「君がそれを持つ必要はない。俺が動く。これを正式な監査にかければ、公爵家と侯爵家の癒着は露見する」
「いいえ、あなたが動けば潰されるわ。……前と同じように」
その一言に、アランの目が見開かれた。
「前? どういう意味だ?」
リリアーナははっとした。迂闊だった。
だがもう、誤魔化せない。
「あなたは真実を掴もうとして殺される。私は罪を着せられて処刑される。そんな未来、もう繰り返したくないの」
言ってしまった。
自分が転生者であることを示す隙を作ってしまった。
アランは表情を失い、しばらく沈黙した。
そして、静かに問う。
「リリアーナ……君は、何を見た?」
咄嗟に言葉が出なかった。
だがアランの目は、責めてはいなかった。
ただ真っ直ぐに彼女を見ていた。
「……あなたの死顔よ」
その言葉に、空気が凍る。
彼の瞳が揺れ、苦笑が浮かぶ。
「なるほど、俺が死ぬ未来か。それを信じてここまで動いているというわけか」
「嘘じゃない。だから、あなたを巻き込みたくないの」
「それでも君は、一人でやるつもりか?」
「ええ」
微笑むリリアーナに、アランは短く息を吐いた。
「なら、俺は君の嘘に付き合おう。どんな未来でも、君が笑える方へ導く」
「……なぜ、そこまで」
「理由なんて必要か?」
たった一言。その声にリリアーナの胸が熱くなる。
彼は未来を知らないまま、それでも彼女を信じる。
何度裏切られても、失っても、彼だけは――。
そのとき、外から人の声が聞こえた。
「こっちです! 誰かが倉庫に!」
学園の警備兵。
二人は瞬時に顔を見合わせた。
「逃げ道は?」
「裏口があったはず。ついてきて」
リリアーナは迷わず裏扉を開き、細い通路へと駆け出した。
雨脚が強まり、外の夜風が冷たく頬を打つ。
足元は泥に沈み、スカートの裾が濡れて重くなる。
それでも走り続けた。
後ろでは、アランが彼女を庇うように剣を抜いて立ちふさがる。
「アラン、来ないで!」
「君一人を残したら、未来なんて変えられないだろう!」
雨の中で叫ぶ声。
彼の背の広さが一瞬、胸に焼き付いた。
やがて、二人は廃堂の陰に身を潜めた。
息が荒く、心臓が強く脈打つ。
「無茶を……して」
「君ほどじゃないよ」
アランが笑う。その笑いに、リリアーナの頬がかすかに緩む。
「……ありがとう」
小さく呟いた声は、雨に溶けて消えた。
***
屋敷に戻った頃には、夜が明けかけていた。
疲労を隠して部屋に入ると、ミリアが待っていた。
「お嬢様っ! 心配いたしました!」
「大丈夫よ。少し散歩が長くなっただけ」
笑うリリアーナに、ミリアは涙を浮かべる。
リリアーナはそっとその肩に手を置いた。
「ありがとう、ミリア。……でも覚えておいて。誰かを信じることは、時に武器になるわ」
「武器に……?」
「ええ。優しさは、人を守るだけじゃない。戦う力にもなるの」
リリアーナは机の引き出しを開け、帳簿の写しを丁寧に隠した。
この証拠をどう使うかは、まだ決めていない。
けれど敵はすでに動き始めている。
彼女の静かな反撃も、今まさに幕を開けた。
窓の外では、曙の光が王都を照らしていた。
空気は清らかに、そして少し冷たい。
だがリリアーナの胸の奥では、確かな炎が燃えている。
それはかつての愛でも、怒りでもない。
この手で未来を掴み取るための意思――その炎だった。
(続く)
フードを深くかぶったリリアーナは、誰にも気づかれぬよう人気のない小道を進んでいく。
行く先は、王立学園の管理区――深夜には閉ざされるはずの場所だが、今夜だけは違った。
暗号文に記された“正義の鍵”を求めて、彼女は再び禁じられた道を歩む。
重々しい門扉に触れると、淡い光が走り、静かに開いていく。
転生した日に目覚めた魔石のペンダントが、再び彼女の道を導いていた。
「……アランの言った通りね」
彼の存在を頼るわけではない。ただ、彼の信じる正義が示す先に自分の復讐がある――それだけだ。
校舎の裏庭を抜け、半ば崩れかけた倉庫の扉の前にたどり着く。
雨音と呼吸だけが静寂を支配していた。
「ここね」
リリアーナはポケットから短い銀のナイフ型の鍵を取り出し、鍵穴に差し込んだ。
軽い音と共に錠前が落ち、扉が軋みを立てて開く。
中は暗く、湿った木の匂いが漂っている。
壁際には古い机と、開かれたままの記録箱。
その中に、一冊の帳簿が目に留まった。
“王立学園運営費支出記録”
開いた途端、そこにはレインフォード公爵家の子爵領から搬入された巨額の物資費が記帳されていた。
しかも、その三分の一が宛先不明。
帳簿の下段には、エドモンドの父・公爵本人の署名。
「やはり……」
リリアーナは吐息を漏らす。
密貿易の証拠を覆い隠すため、学園を経由した不正融資。
それが原因で伯爵家の名が汚された。
あの日失われた名誉も命も、全てこの帳簿一冊に繋がっている。
手を伸ばしたそのとき、ふと背後で音がした。
反射的に扇を構える。
月光を背にして、ひとりの男が立っていた。
「……やはり、来ていたか」
低く優しい声。アランだ。
「あなた……どうしてここに」
「君が動くと思っていた。危険すぎる場所だ。誰かに見つかれば、ただでは済まない」
「だからこそ来たの。私は、もう何も恐れない」
リリアーナの声は鋼のように澄んでいた。
アランは彼女を見つめ、静かに頷くと歩み寄った。
「これが“証拠”なのか?」
「ええ。けれど、まだ駒が揃っていないわ」
彼女が帳簿を差し出すと、アランは懐から封筒を取り出した。
中には王都の検閲部の権印。
「君がそれを持つ必要はない。俺が動く。これを正式な監査にかければ、公爵家と侯爵家の癒着は露見する」
「いいえ、あなたが動けば潰されるわ。……前と同じように」
その一言に、アランの目が見開かれた。
「前? どういう意味だ?」
リリアーナははっとした。迂闊だった。
だがもう、誤魔化せない。
「あなたは真実を掴もうとして殺される。私は罪を着せられて処刑される。そんな未来、もう繰り返したくないの」
言ってしまった。
自分が転生者であることを示す隙を作ってしまった。
アランは表情を失い、しばらく沈黙した。
そして、静かに問う。
「リリアーナ……君は、何を見た?」
咄嗟に言葉が出なかった。
だがアランの目は、責めてはいなかった。
ただ真っ直ぐに彼女を見ていた。
「……あなたの死顔よ」
その言葉に、空気が凍る。
彼の瞳が揺れ、苦笑が浮かぶ。
「なるほど、俺が死ぬ未来か。それを信じてここまで動いているというわけか」
「嘘じゃない。だから、あなたを巻き込みたくないの」
「それでも君は、一人でやるつもりか?」
「ええ」
微笑むリリアーナに、アランは短く息を吐いた。
「なら、俺は君の嘘に付き合おう。どんな未来でも、君が笑える方へ導く」
「……なぜ、そこまで」
「理由なんて必要か?」
たった一言。その声にリリアーナの胸が熱くなる。
彼は未来を知らないまま、それでも彼女を信じる。
何度裏切られても、失っても、彼だけは――。
そのとき、外から人の声が聞こえた。
「こっちです! 誰かが倉庫に!」
学園の警備兵。
二人は瞬時に顔を見合わせた。
「逃げ道は?」
「裏口があったはず。ついてきて」
リリアーナは迷わず裏扉を開き、細い通路へと駆け出した。
雨脚が強まり、外の夜風が冷たく頬を打つ。
足元は泥に沈み、スカートの裾が濡れて重くなる。
それでも走り続けた。
後ろでは、アランが彼女を庇うように剣を抜いて立ちふさがる。
「アラン、来ないで!」
「君一人を残したら、未来なんて変えられないだろう!」
雨の中で叫ぶ声。
彼の背の広さが一瞬、胸に焼き付いた。
やがて、二人は廃堂の陰に身を潜めた。
息が荒く、心臓が強く脈打つ。
「無茶を……して」
「君ほどじゃないよ」
アランが笑う。その笑いに、リリアーナの頬がかすかに緩む。
「……ありがとう」
小さく呟いた声は、雨に溶けて消えた。
***
屋敷に戻った頃には、夜が明けかけていた。
疲労を隠して部屋に入ると、ミリアが待っていた。
「お嬢様っ! 心配いたしました!」
「大丈夫よ。少し散歩が長くなっただけ」
笑うリリアーナに、ミリアは涙を浮かべる。
リリアーナはそっとその肩に手を置いた。
「ありがとう、ミリア。……でも覚えておいて。誰かを信じることは、時に武器になるわ」
「武器に……?」
「ええ。優しさは、人を守るだけじゃない。戦う力にもなるの」
リリアーナは机の引き出しを開け、帳簿の写しを丁寧に隠した。
この証拠をどう使うかは、まだ決めていない。
けれど敵はすでに動き始めている。
彼女の静かな反撃も、今まさに幕を開けた。
窓の外では、曙の光が王都を照らしていた。
空気は清らかに、そして少し冷たい。
だがリリアーナの胸の奥では、確かな炎が燃えている。
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