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第6話 私を見下す公爵子息
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セレナの茶会事件から数日。
王都では、まるで風向きが変わったかのように噂が流れ始めていた。
「フィオリーナ侯爵家の茶会で薬が混ざったとか」「誰かが仕掛けたのでは」――そんな声が、上流階級の間で囁かれている。
リリアーナは屋敷の窓からその騒ぎを静かに眺めていた。
人の噂は火よりも速い。セレナは今、必死に火消しに走っているはずだ。
だがその裏で、リリアーナの名もまた、皮肉なことに再び注目され始めていた。
「エドモンド様の婚約者にふさわしい」「落ち着いていて見目も立派」――そんな評判。
かつての彼女を散々貶めた同じ貴族たちが、今は褒めそやしている。
皮肉なことに、それが一番の“ざまぁ”だった。
「……人の価値なんて、風の向き一つで変わるものなのね」
リリアーナは小さく呟いた。
そう呆れる声に返答したのは、彼女の侍女ミリアだ。
「でも、このところお嬢様のご様子、本当に素敵です。みなさんが見惚れるのも無理ありませんわ」
「ええ、世辞でもありがとう」
冗談めかして答えながらも、心の底には冷たい決意が残っている。
彼女が求めているのは賞賛ではない。真実を暴き、悪意を踏みにじること。
誉め言葉など、手にした氷のように簡単に溶けてしまう。
その日の午後、屋敷の執事が慌ただしく駆け込んできた。
「お嬢様、公爵家より使者が……いえ、今回は直々に本人が来ておられます」
「本人?」
「エドモンド公爵子息様でございます」
驚くミリアの前で、リリアーナは紅茶を置き立ち上がった。
「……そう。じゃあ丁重にお通しして。私もすぐ行くわ」
たった三日で動いた。やはり予想通り。
セレナが追い詰められれば、彼はすぐに“正義の味方”を気取って現れる。
三年前もそうだった。リリアーナに起きた“誤解”を正すと称して現れ、結局セレナの肩を持った。
まるで自分が誰かの裁判官であるかのように。
だが今度は、それすら計算のうち。
広間の扉を開けると、そこに立っていたエドモンドは完璧な笑みを浮かべていた。
「会いたかったよ、リリアーナ。しばらく社交にお姿を見せていなかったから、心配していた」
「まあ、ご親切にありがとうございます。ですが私は少しの騒動でも評判を改めなくてはならない立場ですもの」
そう言いながら椅子を勧めると、彼は気取った仕草で腰を下ろした。
その表情には、どこかに「自分のほうが上だ」という意識が透けて見えた。
昔は気づけなかった微細な誇りの影。今ははっきりとわかる。
――この人はいつだって他人を下に見る。愛情の言葉すら、所有の延長なのだ。
「セレナの件、耳にしているね?」
「ええ、少しだけ」
「君の名前も噂に上がっていた。……だが、私は信じている。君はそんなことをする人ではない」
その声音は穏やかで、まるで赦す者のような優しさだった。
あのときも、彼は同じ声で“許し”を与えるふりをして、全ての罪を押しつけた。
「ありがとうございます、エドモンド様。けれど不思議ね、私、何もしていないのに噂が勝手に動くなんて」
少しだけ笑う。その表情の奥の皮肉に、彼は気づかない。むしろ自分の言葉が慰めになったと満足そうに頷く。
「女性の噂は時に残酷だ。何か困っていることがあれば、俺に頼るといい。君を守ることが俺の務めだ」
「守る……?」
リリアーナの唇がわずかに震えた笑みに変わる。
「まあ、ずいぶんと心強いお言葉。けれど、私には“守られる必要”など、ございませんわ」
「君は優しすぎる。だからこそ心配なんだよ、リリアーナ」
上から目線の声色。優しさを装いながら、結局は支配したいだけの言葉。
彼は頭を撫でるようにその言葉を落とす。
しかしリリアーナはその態度を静かに受け止めながら、内心で冷たく思った。
――本当に変わらない。
彼の世界の中で、リリアーナは常に“扱う対象”に過ぎないのだ。
「エドモンド様」
ゆっくりと彼の目を見つめる。
「もし私があなたの“守護”に値しない女だったら、どうなさるの?」
一瞬、沈黙。
「そんなことはない」
反射的にそう言った後、彼の視線が微かに泳いだ。
それが全ての答えだった。
リリアーナは微笑を浮かべ、紅茶を一口含んだ。
舌の上にほのかな苦味が残る。まるで昔の涙の残り香。
「さようでございますか」
彼女は立ち上がり、軽く礼をとった。
「残念ですが、少し用事がございます。この後に王立学園の監査があるそうで。父の代理として挨拶しなければなりませんの」
「……わかった。だが無理をしないように」
エドモンドが立ち上がる。視線の奥には“従わせたい”という感情の火花がきらめいた。
しかし今度は、燃え移るのは彼ではない。
リリアーナが静かに笑う。
「お気遣い、痛み入ります。ですが次にお会いするときは――お互い、立場が違っているかもしれませんね」
「どういう意味だ?」
「ふふ、秘密ですわ」
そう言って退室する。その背中を見送りながら、エドモンドは不可解そうに首を傾げた。
***
その夜。
リリアーナは客間の机に広げた地図を前に、アランから届いた暗号文を見つめていた。
王立学園の地下倉庫に、新たに押収された帳簿が隠されているという。
「正義の名に、鍵がある」――前回の言葉の続きに違いない。
つまりそれは、彼女が真実へとたどり着くための“次の扉”だった。
「エドモンドは今日、自ら自分の立場を示した。なら、あとは証拠を掴むだけ」
その声に、ミリアが顔を曇らせる。
「……また危険なことをお考えではありませんか?」
「ええ。でも、勝つためには恐れてはいけないの」
リリアーナは穏やかに微笑んだ。
彼女の微笑みはもはや温かくない。夜を切り裂く刃のように冷たい。
転生前の涙が、その笑みの裏に凍ったまま眠っている。
外では雨が降り出した。
風が窓を叩き、遠くで雷鳴が鳴る。
リリアーナはゆっくりと立ち上がり、マントを羽織った。
「行ってまいります。次は、彼らが怯える番」
その声は小さく、それでいて揺るぎない。
新たな戦場は、王立学園。
恋と陰謀の全てが始まった場所。
そして、リリアーナ・エルヴェールの“試練”の第二幕が開く。
(続く)
王都では、まるで風向きが変わったかのように噂が流れ始めていた。
「フィオリーナ侯爵家の茶会で薬が混ざったとか」「誰かが仕掛けたのでは」――そんな声が、上流階級の間で囁かれている。
リリアーナは屋敷の窓からその騒ぎを静かに眺めていた。
人の噂は火よりも速い。セレナは今、必死に火消しに走っているはずだ。
だがその裏で、リリアーナの名もまた、皮肉なことに再び注目され始めていた。
「エドモンド様の婚約者にふさわしい」「落ち着いていて見目も立派」――そんな評判。
かつての彼女を散々貶めた同じ貴族たちが、今は褒めそやしている。
皮肉なことに、それが一番の“ざまぁ”だった。
「……人の価値なんて、風の向き一つで変わるものなのね」
リリアーナは小さく呟いた。
そう呆れる声に返答したのは、彼女の侍女ミリアだ。
「でも、このところお嬢様のご様子、本当に素敵です。みなさんが見惚れるのも無理ありませんわ」
「ええ、世辞でもありがとう」
冗談めかして答えながらも、心の底には冷たい決意が残っている。
彼女が求めているのは賞賛ではない。真実を暴き、悪意を踏みにじること。
誉め言葉など、手にした氷のように簡単に溶けてしまう。
その日の午後、屋敷の執事が慌ただしく駆け込んできた。
「お嬢様、公爵家より使者が……いえ、今回は直々に本人が来ておられます」
「本人?」
「エドモンド公爵子息様でございます」
驚くミリアの前で、リリアーナは紅茶を置き立ち上がった。
「……そう。じゃあ丁重にお通しして。私もすぐ行くわ」
たった三日で動いた。やはり予想通り。
セレナが追い詰められれば、彼はすぐに“正義の味方”を気取って現れる。
三年前もそうだった。リリアーナに起きた“誤解”を正すと称して現れ、結局セレナの肩を持った。
まるで自分が誰かの裁判官であるかのように。
だが今度は、それすら計算のうち。
広間の扉を開けると、そこに立っていたエドモンドは完璧な笑みを浮かべていた。
「会いたかったよ、リリアーナ。しばらく社交にお姿を見せていなかったから、心配していた」
「まあ、ご親切にありがとうございます。ですが私は少しの騒動でも評判を改めなくてはならない立場ですもの」
そう言いながら椅子を勧めると、彼は気取った仕草で腰を下ろした。
その表情には、どこかに「自分のほうが上だ」という意識が透けて見えた。
昔は気づけなかった微細な誇りの影。今ははっきりとわかる。
――この人はいつだって他人を下に見る。愛情の言葉すら、所有の延長なのだ。
「セレナの件、耳にしているね?」
「ええ、少しだけ」
「君の名前も噂に上がっていた。……だが、私は信じている。君はそんなことをする人ではない」
その声音は穏やかで、まるで赦す者のような優しさだった。
あのときも、彼は同じ声で“許し”を与えるふりをして、全ての罪を押しつけた。
「ありがとうございます、エドモンド様。けれど不思議ね、私、何もしていないのに噂が勝手に動くなんて」
少しだけ笑う。その表情の奥の皮肉に、彼は気づかない。むしろ自分の言葉が慰めになったと満足そうに頷く。
「女性の噂は時に残酷だ。何か困っていることがあれば、俺に頼るといい。君を守ることが俺の務めだ」
「守る……?」
リリアーナの唇がわずかに震えた笑みに変わる。
「まあ、ずいぶんと心強いお言葉。けれど、私には“守られる必要”など、ございませんわ」
「君は優しすぎる。だからこそ心配なんだよ、リリアーナ」
上から目線の声色。優しさを装いながら、結局は支配したいだけの言葉。
彼は頭を撫でるようにその言葉を落とす。
しかしリリアーナはその態度を静かに受け止めながら、内心で冷たく思った。
――本当に変わらない。
彼の世界の中で、リリアーナは常に“扱う対象”に過ぎないのだ。
「エドモンド様」
ゆっくりと彼の目を見つめる。
「もし私があなたの“守護”に値しない女だったら、どうなさるの?」
一瞬、沈黙。
「そんなことはない」
反射的にそう言った後、彼の視線が微かに泳いだ。
それが全ての答えだった。
リリアーナは微笑を浮かべ、紅茶を一口含んだ。
舌の上にほのかな苦味が残る。まるで昔の涙の残り香。
「さようでございますか」
彼女は立ち上がり、軽く礼をとった。
「残念ですが、少し用事がございます。この後に王立学園の監査があるそうで。父の代理として挨拶しなければなりませんの」
「……わかった。だが無理をしないように」
エドモンドが立ち上がる。視線の奥には“従わせたい”という感情の火花がきらめいた。
しかし今度は、燃え移るのは彼ではない。
リリアーナが静かに笑う。
「お気遣い、痛み入ります。ですが次にお会いするときは――お互い、立場が違っているかもしれませんね」
「どういう意味だ?」
「ふふ、秘密ですわ」
そう言って退室する。その背中を見送りながら、エドモンドは不可解そうに首を傾げた。
***
その夜。
リリアーナは客間の机に広げた地図を前に、アランから届いた暗号文を見つめていた。
王立学園の地下倉庫に、新たに押収された帳簿が隠されているという。
「正義の名に、鍵がある」――前回の言葉の続きに違いない。
つまりそれは、彼女が真実へとたどり着くための“次の扉”だった。
「エドモンドは今日、自ら自分の立場を示した。なら、あとは証拠を掴むだけ」
その声に、ミリアが顔を曇らせる。
「……また危険なことをお考えではありませんか?」
「ええ。でも、勝つためには恐れてはいけないの」
リリアーナは穏やかに微笑んだ。
彼女の微笑みはもはや温かくない。夜を切り裂く刃のように冷たい。
転生前の涙が、その笑みの裏に凍ったまま眠っている。
外では雨が降り出した。
風が窓を叩き、遠くで雷鳴が鳴る。
リリアーナはゆっくりと立ち上がり、マントを羽織った。
「行ってまいります。次は、彼らが怯える番」
その声は小さく、それでいて揺るぎない。
新たな戦場は、王立学園。
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