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第23話 再び始まる運命の輪
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王都の市街が夕焼けに染まる頃、その空の下でゆるやかに鐘が鳴った。
リリアーナが初めてアランと笑い合った庭園の季節から、もうひと月が経っていた。
世界はようやく安息を取り戻したかに見えたが、運命という輪は、決して静止を許さない。
屋敷の一室。
紙の山を流れるように整理していたミリアが、ふいに手を止めた。
「お嬢様……これは」
リリアーナが彼女の手元を覗き込む。
王家からの封書。印は金の双翼――王命を意味する。
リリアーナは胸の奥に軽い痛みを覚えた。
「また、王から?」
「はい……陛下の御前にお越し願いたいとのことです」
リリアーナは封を開け、静かに文面を追う。
その内容は簡潔で、それゆえ残酷だった。
――エルヴェール伯爵令嬢、王国顧問を免職し、新たに“外交監査官”として他国へ派遣する。
「外交官……に?」
声に滲む驚きを抑えきれない。
アランの守る王都を離れ、異国の地へ赴く。
つまり、それは“排除”に等しい命令だった。
「どうして今になって……」
ミリアの声が震えた。
「この王国からあなたを遠ざける気です」
「恐れているのね。私がまた民衆を動かすことを」
リリアーナは力なく笑った。
「でも、逆らうことはできない。陛下に従う限り、私はもうただの駒よ」
夕陽がガラスを透かして、彼女の横顔に淡い光を落とした。
ミリアは唇を噛み、何か言いかけてやめた。
リリアーナは立ち上がり、書棚の奥から古びた封筒を一通取り出した。
そこには、燃え残った過去の誓約書の断片。
焼け焦げた縁が痛々しいその紙を、彼女は両手で包んだ。
「結局、私はまだ運命と戦い続けなければならないのね」
その声には、怒りではなく穏やかな諦観があった。
***
日が沈む頃、屋敷の門前にアランの馬車が止まった。
彼は軽やかに馬車を降り、屋敷に入るや否やいつもの落ち着いた笑みを向けた。
「今日も一日、お疲れ様」
「ありがとう。でも、今日は少し話があるの」
その声の硬さに気づき、アランの表情が変わる。
「何かあったのか?」
リリアーナは封書を差し出した。
アランが目を通すなり、その瞳が険しく光る。
「これは……っ つまり国外追放に近い命令じゃないか!」
「“体裁の良い異動”のように見えて、実際はそうね」
「俺が掛け合う。王に進言して――」
「無駄よ。あなたが動けば逆に立場が危うくなる」
そう微笑んだとき、リリアーナの声には奇妙な穏やかさがあった。
「私は、行くわ。この命令に従う」
「なぜ……君はいつも一人で背負おうとする!」
アランの声がかすれた。
「もう誰にも傷ついてほしくないの。あなたも、ミリアも、王都も。
運命はまた私に“離れる選択”を与えた。なら今度は、それに従ってみせる」
アランは拳を握り締めた。
「そんな運命、俺は認めない」
「でも、あなたまで犠牲にするわけにはいかない」
「俺は、君のためならどこへでも行くつもりだ」
その一言に、リリアーナの胸が小さく震えた。
けれど、彼女は静かに首を振る。
「そう言わないで。あなたの居場所はこの国よ。私じゃない」
アランはしばらく黙り込み、やがて息を吐いた。
「……本当に行くんだな」
「ええ。
でもね、今回は“逃げる”んじゃない。“選んで進む”の」
アランの表情がわずかに和らぐ。
「なら、俺ができるのは止めることじゃない。祈ることだけだな」
「祈られるなんて、変ね。かつて神に背いた女が」
「君は神より強いさ」
そう言って、彼は左手の手袋を外し、彼女の頬に触れた。
肌に触れるその手のひらが、彼女の心の奥を温めていく。
「リリアーナ。どんなに離れても、君が俺の中で消えることはない」
「……ありがとう」
それだけ言って、彼女はその手を両手で包み、額を寄せた。
互いの息が触れるほどに近い距離。けれど、唇は交わらない。
その代わり、言葉なき約束がその場に刻まれた。
***
翌朝、王都の駅馬車乗り場は霧に包まれていた。
ミリアとアランが見送りに立つ。
リリアーナは旅装に身を包み、白いマントを肩からかけていた。
彼女の瞳には不思議な静けさが宿っている。
「お嬢様……ほんとうに、お一人で?」
「ええ。あなたはここで生きなさい。もう充分に戦ってくれたわ」
ミリアの目に涙が溢れる。
「私、また戻ってくると信じております」
「ええ、必ず」
リリアーナは微笑み、彼女の涙を指先で拭った。
アランが一歩、前に出た。
「今さら言葉はいらないかもしれないけど……気をつけて」
「ええ。あなたも」
「いつかまた、この国に君の名が必要になる。その時は、俺が迎えに行く」
「それなら、私は――その手を取るって約束する」
微笑み合う二人の間に、朝日が差し込む。
光が霧を貫き、馬車の金具を金色に照らした。
リリアーナは足を踏み出し、扉に手を掛けた。
ふと振り返る。アランが穏やかな笑みを浮かべ、右手を胸に当てていた。
「リリアーナ。君の物語はまだ終わっていない」
「わかってるわ。だから行くのよ」
そう言って、リリアーナは馬車に乗り込んだ。
馬が蹄を鳴らし、車輪が砂を蹴る。
揺れる中で、彼女は小さく囁いた。
「――また、どこかで会いましょう。運命の輪が回るその時に」
馬車が遠ざかり、霧の中に消える。
アランは静かに目を閉じた。
その胸の中で、確かに感じる。
去りゆく彼女が残した“決意”が、次の希望を生み出すということを。
王都の鐘が鳴り響き、朝が完全に訪れる。
輪は終わらず、また新しい一周を描き始めていた。
(続く)
リリアーナが初めてアランと笑い合った庭園の季節から、もうひと月が経っていた。
世界はようやく安息を取り戻したかに見えたが、運命という輪は、決して静止を許さない。
屋敷の一室。
紙の山を流れるように整理していたミリアが、ふいに手を止めた。
「お嬢様……これは」
リリアーナが彼女の手元を覗き込む。
王家からの封書。印は金の双翼――王命を意味する。
リリアーナは胸の奥に軽い痛みを覚えた。
「また、王から?」
「はい……陛下の御前にお越し願いたいとのことです」
リリアーナは封を開け、静かに文面を追う。
その内容は簡潔で、それゆえ残酷だった。
――エルヴェール伯爵令嬢、王国顧問を免職し、新たに“外交監査官”として他国へ派遣する。
「外交官……に?」
声に滲む驚きを抑えきれない。
アランの守る王都を離れ、異国の地へ赴く。
つまり、それは“排除”に等しい命令だった。
「どうして今になって……」
ミリアの声が震えた。
「この王国からあなたを遠ざける気です」
「恐れているのね。私がまた民衆を動かすことを」
リリアーナは力なく笑った。
「でも、逆らうことはできない。陛下に従う限り、私はもうただの駒よ」
夕陽がガラスを透かして、彼女の横顔に淡い光を落とした。
ミリアは唇を噛み、何か言いかけてやめた。
リリアーナは立ち上がり、書棚の奥から古びた封筒を一通取り出した。
そこには、燃え残った過去の誓約書の断片。
焼け焦げた縁が痛々しいその紙を、彼女は両手で包んだ。
「結局、私はまだ運命と戦い続けなければならないのね」
その声には、怒りではなく穏やかな諦観があった。
***
日が沈む頃、屋敷の門前にアランの馬車が止まった。
彼は軽やかに馬車を降り、屋敷に入るや否やいつもの落ち着いた笑みを向けた。
「今日も一日、お疲れ様」
「ありがとう。でも、今日は少し話があるの」
その声の硬さに気づき、アランの表情が変わる。
「何かあったのか?」
リリアーナは封書を差し出した。
アランが目を通すなり、その瞳が険しく光る。
「これは……っ つまり国外追放に近い命令じゃないか!」
「“体裁の良い異動”のように見えて、実際はそうね」
「俺が掛け合う。王に進言して――」
「無駄よ。あなたが動けば逆に立場が危うくなる」
そう微笑んだとき、リリアーナの声には奇妙な穏やかさがあった。
「私は、行くわ。この命令に従う」
「なぜ……君はいつも一人で背負おうとする!」
アランの声がかすれた。
「もう誰にも傷ついてほしくないの。あなたも、ミリアも、王都も。
運命はまた私に“離れる選択”を与えた。なら今度は、それに従ってみせる」
アランは拳を握り締めた。
「そんな運命、俺は認めない」
「でも、あなたまで犠牲にするわけにはいかない」
「俺は、君のためならどこへでも行くつもりだ」
その一言に、リリアーナの胸が小さく震えた。
けれど、彼女は静かに首を振る。
「そう言わないで。あなたの居場所はこの国よ。私じゃない」
アランはしばらく黙り込み、やがて息を吐いた。
「……本当に行くんだな」
「ええ。
でもね、今回は“逃げる”んじゃない。“選んで進む”の」
アランの表情がわずかに和らぐ。
「なら、俺ができるのは止めることじゃない。祈ることだけだな」
「祈られるなんて、変ね。かつて神に背いた女が」
「君は神より強いさ」
そう言って、彼は左手の手袋を外し、彼女の頬に触れた。
肌に触れるその手のひらが、彼女の心の奥を温めていく。
「リリアーナ。どんなに離れても、君が俺の中で消えることはない」
「……ありがとう」
それだけ言って、彼女はその手を両手で包み、額を寄せた。
互いの息が触れるほどに近い距離。けれど、唇は交わらない。
その代わり、言葉なき約束がその場に刻まれた。
***
翌朝、王都の駅馬車乗り場は霧に包まれていた。
ミリアとアランが見送りに立つ。
リリアーナは旅装に身を包み、白いマントを肩からかけていた。
彼女の瞳には不思議な静けさが宿っている。
「お嬢様……ほんとうに、お一人で?」
「ええ。あなたはここで生きなさい。もう充分に戦ってくれたわ」
ミリアの目に涙が溢れる。
「私、また戻ってくると信じております」
「ええ、必ず」
リリアーナは微笑み、彼女の涙を指先で拭った。
アランが一歩、前に出た。
「今さら言葉はいらないかもしれないけど……気をつけて」
「ええ。あなたも」
「いつかまた、この国に君の名が必要になる。その時は、俺が迎えに行く」
「それなら、私は――その手を取るって約束する」
微笑み合う二人の間に、朝日が差し込む。
光が霧を貫き、馬車の金具を金色に照らした。
リリアーナは足を踏み出し、扉に手を掛けた。
ふと振り返る。アランが穏やかな笑みを浮かべ、右手を胸に当てていた。
「リリアーナ。君の物語はまだ終わっていない」
「わかってるわ。だから行くのよ」
そう言って、リリアーナは馬車に乗り込んだ。
馬が蹄を鳴らし、車輪が砂を蹴る。
揺れる中で、彼女は小さく囁いた。
「――また、どこかで会いましょう。運命の輪が回るその時に」
馬車が遠ざかり、霧の中に消える。
アランは静かに目を閉じた。
その胸の中で、確かに感じる。
去りゆく彼女が残した“決意”が、次の希望を生み出すということを。
王都の鐘が鳴り響き、朝が完全に訪れる。
輪は終わらず、また新しい一周を描き始めていた。
(続く)
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