愛するということ

緒方宗谷

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60.卒業

1.2人きり

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 校庭の桜の木は、まだ冬の装いから変わっていないように思える。よく見なければ、花のつぼみがあることすら、誰も気が付かないだろう。
 3年間の思い出が溢れだして、みんなが感慨に浸っている。昨日までとはうって変わって、みんな少し大人になったかのようだ。
 育んだ友情、恋人同士と過ごした日々、伝えられなかった想い、それぞれが溶けあった朗らかで温かい校内は、窓から差し込む陽射しでキラキラと輝いている。
 地元に残る者、地方に出る者。外国へ旅立つ者。それぞれの理想や夢をのせた大きな船が、未来という大海原に向けて出港する。今日は進水式なのだ。
 みんな進む方向は違うかもしれない。誰もが自分の才能を信じていたし、みんなの才能を信じていた。不安などない。新たな門出に幾ばくかの緊張はあるものの、希望に満ち満ちている。
 陸は、有紀子を家まで送って行った。泣きすぎてまぶたが腫れて目が充血した有紀子は、一方的に思い出話を陸に話して聞かせている。
 卒業式での有紀子は、思い出が溢れてわんわん泣いていた。加奈子は転んだ幼子をあやすかのように有紀子を抱きしめて笑っていた。
 陸は、ついこの間記憶が戻ったばかりだから、卒業式にピンとこない。それでも意気揚々とした気持ちと、全てが終わっという安堵感と、みんなに会えなくなる寂しさが混じり合った雰囲気に、最後の方は少ししんみりとしてしまった。
 有紀子は、後ろ髪引かれる思いで何度も何度も友達と新たな門出を祝いあっていたが、ようやく溢れる思いを吐露しきって満足し、陸を探して校庭を巡る。
 そして、ようやく陸を見つけて捕まえた有紀子は、少し静かな校庭の隅を歩きながら、陸に言った。
「陸君今日は疲れたでしょ? 家でお茶飲んで行かない?」
「うん」
 シュワシュワと弾けるレモンスカッシュの様に、酸っぱくも甘い青春の星屑を宝箱にしまう前に交換し合うみんなに背を向けて校門へと歩んでいく有紀子と陸の後ろ姿を、遠くから加奈子は見つめていた。感慨深くも寂しげに瞳を潤ませながら、儚げながらも無理に笑みを作って、月長石の中に浮かび上がる幸せそうな2人の背中が永遠であることを祈る。そして一度瞳を閉じた。涙は堪えなかった。ゆっくりともう一度瞳を開けて、2人が見えなくなるまで見送った。
 有紀子の家はがらんとしていた。保護者達で食事会があるので、当分は誰も帰っては来ないだろう。
「なんか誰もいない家ってドキドキするよね」と有紀子が言うと、「お化けが出るよ」と陸が笑った。
 有紀子は、2人きりなんだと気が付いて別のドキドキが起こった。先に陸を自分の部屋にあげて、有紀子は食堂に行って紅茶とクッキーの用意をした。
(私達は、卒業しても今まで通り一緒にいられるのかな)
 有紀子は少し切なくなった。記憶を失った陸の成績では、一緒の大学には進学できなかった。もしかしたら、別々の友達ができたりして2人の時間の針が徐々にずれていくのではないか、と有紀子は心配になる。それを払拭するように激しく首を横に振る。
 深呼吸した有紀子は、自然と陸と唇を重ねたい、と願った。もし陸が望むのであれば、その先に進む心の準備もできていた。
 緊張が無いわけではない。お盆を持つ手は震えていたし、階段を上る足も突然脱力して、へたり込んでしまいそうだ。
 部屋に入って来た自分を見て笑みを浮かべる陸に、有紀子は少しひきつった笑みを返した。
 陸は卒業証書の入っている筒を持ったままだった。この黒っぽい筒の中に3年間の思い出が詰まっていると思った有紀子も、自分のを手に取った。2人は並んでフローリングに腰かけて、長いこと談笑した。
 不意に言葉が途切れる。2人は見詰め合っていた。微かな声で有紀子が言った。
「今日ね、遅くまで誰も帰ってこないの」
 言い終えた有紀子は、視線を陸の唇に落とす。
 父親も母親も保護者達との夕食会だ。自分達以外世界が消えて無くなったのでは、と思わせる無音。よく耳を澄ませてようやく相手の息遣いが微かに聞こえる。
 有紀子はキスされると思ったが、陸は何もしてこなかった。ただにっこりと笑って、有紀子の手に優しく手を添えた。


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