寂しいを分け与えた

こじらせた処女

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「帰ったなら一言くらいは声を掛けろ」
部屋で着替えることもなく布団に寝転んでいた時だった。脱いだ草履で気付いたのだろうか。控えめにふすまが開く音がした。
「………」
折角休みを貰った手前、こんなに早く帰ってきてしまった事が気まずくて、返事もしないままそっぽを向いた。
「昼飯は食べたか?」
「……空いていないので」
師匠の手のひらが俺の額に触れる。
「…別にどこも悪くないです」
何を期待していたのだろう。普通に考えたら分かるじゃないか。あの家には誰もいなくて、埃がたくさん溜まっているって。なのに1人で拗ねて、折角の休日を無駄にして馬鹿みたい。
「なら昼にしよう。素麺を茹でようとしていたところだったから」
「…いらないです、」
「どこも悪くないのならちゃんと食べなさい」


 素麺に、きゅうりに、トマトに、みょうが。行儀良く束になった素麺に、冷たいつゆ。腹は減っているはずなのに、気持ち悪い。食べたくない。贅沢な体になったものだ。前まではまだかまだかと待ち焦がれ、胃に詰めるようにして食っていたのに。
 きゅうりを一口齧る。食べなきゃならない。どこも悪くない。でも、もう食べたくない。しんどい。横になりたい。
(あれ、)
何が悲しいんだろう。じっとりとまとわりつくかのように涙が滲む。そんな気分を振り払いたくて、素麺を束ごと啜るんじゃなくて齧った。
「灯、」
気づいたら師匠は隣にいて、俺の背を摩っていて。
 師匠の方に向き合うと、突然抱き止められた。
「寂しいと、食べられないよな」
寂しい。その言葉がまるで木組みの片方みたいにかっちりと噛み合う。 
「私もそうだったから」
そうだ。俺にとってはじいちゃんでも、この人にとっては親。亡くなった後も相変わらず厳しくて、いつも通りだったから。何も、気づけなかった。
「灯が居て良かったと思っているよ」
 気持ちいい。真昼間で太陽が燦々とっているのに、眠ってしまいそう。
「少しだけで良いから食べなさい」
パッと体を離される。さっきみたいな気持ち悪さはない。つゆでほぐした素麺も、トマトもきゅうりも全て食べた。食べられた。
 食器を運びながら、さっきの温もりを思い出す。物足りないと思った。夕ご飯の時、また食べられないフリをしようかとまで考えた。でも、流石にこの歳だから、それは良くないことだと分かる。結局健康優良児の俺は、用意された夕ご飯もペロリと平らげた。


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