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過去との再会
しおりを挟む食堂の庭先で育てたハーブたちは、朝露を受けて元気いっぱいだった。バジル、ローズマリー、タイム、パセリ。それぞれ小さな鉢に植えられた緑は、どれも私とメアリーが休日に選んだものだ。手入れを始めてから数週間、ようやくしっかり使えるくらいに育ってくれた。
「どうですか、マスター。これ、使ってみませんか?」私は育てたハーブをキッチンに持ち込んで、満面の笑みを浮かべながら言った。
マスターは一瞬驚いた顔をした後、「おお、これ、全部自分で育てたのか?」と目を丸くした。
「はい!ジョンにも少し手伝ってもらいましたけど、ほとんど私が水をあげたり世話をしたんです。」
「ほう、これはいいな。新鮮だし、香りもいい。」マスターは手に取ったバジルを鼻先に近づけてクンクンと匂いを嗅いだ。「よし、今日のスープと、メインの付け合わせに使ってみようか。」
その言葉を聞いて、私は嬉しくなった。自分で育てたものが、みんなに喜んでもらえる形になるなんて、とても素敵なことだと思った。
昼の忙しいピークが始まる前、私はジョンと一緒にハーブを洗ったり、刻んだりして準備を進めた。ジョンは包丁さばきが慣れていて、私が不器用に刻んでいるのを横目で見ながら、くすりと笑った。
「エリザベス、もう少し小さく刻んだほうがいいんじゃない?」
「わかってますよ!」私は笑いながら答えた。「でもこれ、意外と難しいんですから。」
「まあ、慣れだよ。」ジョンは手際よくタイムを刻みながら、ちらりと私を見て微笑んだ。「でも、こうやって自分で育てたハーブを料理に使えるなんて、すごくいいことだよね。エリザベスの努力が形になってる。」
その言葉に、私は少し照れながらも、心の中で嬉しさが広がった。
お昼時、ハーブを使った料理が次々と常連さんたちのテーブルに運ばれていった。スープにはバジルとローズマリーの香りがふんわりと漂い、チキンの付け合わせにはタイムとパセリが彩りを添えていた。
「エリザベスさん、これ、あなたが育てたハーブですか?」常連のアンソニーさんがスプーンを持ちながら聞いてきた。
「そうなんです!どうですか、お味は?」私は少し緊張しながら尋ねた。
「最高だよ!新鮮で香りが豊かだし、スープがいつもより一段と美味しくなってる。」
その言葉を聞いて、私はほっと胸を撫で下ろした。他の常連さんたちも、「このチキン、香りがすごくいいわね」とか「これ、どこで仕入れたハーブなの?」なんて言ってくれる。
「エリザベスが育てたんですよ!」ジョンが少し得意げに言った。「休日も一生懸命お世話してて、それが今日こうしてみんなに振る舞われてるんです。」
「そうなの?」メアリーが驚いたように声を上げた。「それなら、ますます素敵ね。エリザベスさん、本当にお疲れ様。」
「ありがとうございます。」私は少し照れながら、でもとても嬉しくなって笑顔を返した。
その日の終わり、マスターはハーブを使った料理が大好評だったことを教えてくれた。「お前のハーブ、これからもぜひ使わせてもらいたいな。いい素材があると、料理の腕がさらに光るんだよ。」
「本当ですか?」私は目を輝かせながら言った。「それなら、もっとたくさん育てますね!」
「いいね、期待してるよ。」
その帰り道、ジョンがぽつりと言った。「エリザベス、君は本当に頑張り屋だね。」
「そんなことないですよ。ただ、楽しいんです。」私は笑いながら答えた。「みんなが喜んでくれるのを見ると、やっぱり嬉しくて。」
ジョンは少しだけ間を置いてから、「君と一緒に働けるのが、僕は本当に幸せだよ」と小さく呟いた。
その言葉に、私は心がじんわりと温かくなるのを感じた。ジョンの優しさと誠実さが、少しずつ私の中に溶け込んでいくようだった。
昼下がり、食堂はいつものように穏やかな空気に包まれていた。常連さんたちが談笑しながら食事を楽しみ、新しいお客さんもちらほらと訪れている。私はその日の特製スープを運びながら、微笑みを浮かべていた。
「お待たせしました、どうぞゆっくり召し上がってください。」
そんな日常の中、扉のベルが小さく鳴った。誰かが入ってきた音に、私は自然と「いらっしゃいませ」と声を上げたけれど、その次の瞬間、目が釘付けになった。
そこに立っていたのは、チャールズだった。
以前の彼とは違っていた。すらりと背筋が伸び、以前よりもきちんとした身なりで、どこか洗練された雰囲気をまとっている。けれど、その表情にはどこか戸惑いと緊張が滲んでいて、私を見つめる目はかすかに揺れていた。
「エリザベス…」チャールズが静かに名前を呼ぶ。
私は一瞬、言葉を失った。彼がこの食堂に現れるなんて、考えたこともなかったからだ。
「どうしてここに?」やっとのことで声を絞り出すと、チャールズは少し息を吸い込んで、私に向かって一歩近づいた。
「君に話があって来たんだ。」
話…?何をいまさら。けれど、その真剣な顔つきに、私は言い返す言葉を飲み込んだ。
「とりあえず座ってください。お話なら、少しだけ聞きます。」
私は平静を装いながら、彼を空いているテーブルに案内した。常連さんたちはちらりとこちらを見ていたけれど、何も言わずにまた自分たちの会話に戻った。
彼の前に水を置いてから、私はそっと彼に向き合った。「それで、何の話ですか?」
チャールズは少しの間沈黙した後、深く息をついた。「まずは、謝りたい。あの頃の僕は、本当に未熟だった。君を傷つけたこと、今でも後悔している。」
その言葉に、私の胸の奥が少しだけ痛んだ。彼が謝罪する姿なんて、過去には想像もできなかったからだ。
「そうですか。」私は冷静な口調で答えた。「それだけですか?」
彼は少し苦笑して首を振った。「いや、それだけじゃない。僕は、変わったんだ。君と別れてから、自分がどれだけ愚かだったか気づいた。それで仕事に全力を注いで、今では成功を手にした。だけど、それでも僕には何かが欠けている気がしてならないんだ。」
私はじっと彼を見つめた。彼の言葉は真剣だったけれど、それが私にとってどれだけ響くのか、自分でもわからなかった。
「それで?」
チャールズは少し身を乗り出して、私をまっすぐに見つめた。「エリザベス、僕はやり直したいんだ。もう一度、君と一緒に。」
その言葉に、私は一瞬呼吸を忘れた。
「どうして今さら…?」私は絞り出すように尋ねた。「あのとき、私がどれだけあなたに傷つけられたか、わかっていますか?」
「わかってる。」チャールズは目を伏せて頷いた。「だから、こうして自分を変えて戻ってきたんだ。君を大切にしたい、もう一度信じてもらえるように努力したい。」
その真剣な表情に、私は何かが揺さぶられるような気がした。でも同時に、胸の奥に冷たい何かが残っているのを感じた。
私は冷静に答えた。「今の私は、もうあの頃の私じゃありません。チャールズ、あなたが変わったように、私も変わりました。」
チャールズは少し驚いたように目を見開いたが、すぐにうなずいた。「それでもいい。君の気持ちを待つよ。今度こそ、君を大切にする。」
その言葉を聞きながら、私は複雑な気持ちで彼を見つめた。彼が本当に変わったのか、それともこれはただの一時的な感情なのか。自分の心は、まだその答えを見つけられずにいた。
彼が帰った後、私はしばらく席に座ったまま動けなかった。ジョンや常連さんたちの目が気になったけれど、頭の中はチャールズの言葉でいっぱいだった。
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