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Five
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しおりを挟む「家を飛び出して探させたり、海に連れて行かされたりしてるのに、こんなところで遠慮するんだな」
口元に手をあてて、ふっと息を漏らした那央くんの表情が和らぐ。
「じゃぁ、お言葉に甘えて乗せてもらおうかな……」
「今さらだな」
呆れた顔で笑う那央くんは、いつもどおりの那央くんで。少しほっとしながら、彼の車の助手席に乗り込む。
だけど、シートベルトを締めて、エンジンをかけても、那央くんはなかなか車を発進させようとしなかった。緊張気味に両手でハンドルを握りしめて、フロントガラスの雨を弾くワイパーをジッと見つめている。
海に行くときにも車に乗せてもらったけど、あのときの那央くんはもっとリラックスした様子で運転していた。それが、今はなんだか様子がおかしい。
「那央くん……?」
心配になって声をかけたとき、後ろの車がクラクションを鳴らしてきた。
エンジンをかけたままロータリーから動かない那央くんの車が邪魔になっているんだろう。バックミラーに映った後ろの車の運転手が、ハンドルを指先で叩きながら顔を顰めてこちらの様子を窺っていた。
後ろの車の鳴らしたクラクションの音は聞こえているはずなのに、那央くんはまだ、ギアをドライブに入れ替える素振りも見せない。
「那央くん、車出さないの?」
「え、あ、うん……」
わたしの声に反応してビクッと肩を震わせた那央くんが、ハンドルから一度指を離して、ゆっくりと握り直す。よく見ると、その手は微かに震えていた。
那央くん、寒いのかな。雨に濡れたから、風邪ひいたのかも。エアコンの温度を調整しようと手を伸ばして、那央くんがフロントガラスにあたる雨を虚ろな目で見つめていることに気付く。
まさかとは思うけど……。
「那央くん、雨苦手?」
ハンドルにかかった那央くんの指が、わたしの言葉に反応するようにビクッと痙攣する。
「いや、別に。すぐ出すから」
そう言ったきり、那央くんがまたフロントガラスを見つめて動かなくなる。
後ろの車の運転手はついに痺れを切らしたのか、短くクラクションを鳴らして合図をすると、左側からかなり無理やり那央くんの車を追い抜いていった。
「那央くん、ほんとに大丈夫?」
心配になって、服の裾をちょっと引っ張ると、那央くんが振り向いた。その顔は、今にも倒れてしまいそうなくらいに真っ白だ。
「ごめん。おれが運転してるあいだ、何か話しててくれる?」
「いいけど……」
こんなに真っ青になっているのに、本当に大丈夫なんだろうか。震える手で前髪を掻き上げて深呼吸する那央くんの横顔を、不安な面持ちで見つめる。
「雨が苦手なわけじゃなくて、雨の日に運転するのが苦手なんだ。ちょっと、事情があって……」
それを聞いて、母と揉めて家を飛び出した日のことを思い出した。
不貞腐れてハンバーガーショップで時間を潰していたわたしを探しに来てくれた那央くん。そんな彼に、「まだ帰りたくないからどこかに連れて行って」と駄々をこねたら、「今日はどこにも連れて行けない」と断られた。
あの日も雨が降っていて、那央くんは歩いてわたしを家まで送ってくれた。
あのとき、那央くんが「どこにも連れて行けない」と言ったのは、連れて行くのが嫌だったのではなくて、物理的に連れて行けなかったからだ。
「那央くん、駅の近くに駐車場はないの? そこまで頑張って車を移動させて、それから歩いて那央くんちまで帰ろう」
那央くんの左肩にそっと手を置いて提案すると、彼が戸惑うように瞳を揺らした。
「ずっとここに止めとけないでしょ。だから、とりあえず、車はどっかに置いていこう。あ、音楽でもかけたら気が紛れるかな」
カバンからスマホを取りだして音楽を選んでいると、那央くんが握りしめたハンドルにこつんと額をつけた。
「悪い。うちまでは何とか帰れると思うから。付き合ってくれる?」
顔を伏せた那央くんが、弱々しい声で訊ねてくる。
「いいよ。那央くんちに着いたら、傘貸してくれる?」
「ごめん……」
別に謝る必要なんてないのに。那央くんの掠れた声に、胸が痛む。
雨の日に運転するのが苦手な、那央くんの事情って何だろう。
それを気にしながら、スマホのボリュームを最大にして音楽を再生する。
選んでかけたのは、海に行ったときに那央くんも「いい曲だ」と賛同してくれた男性アーティストの曲。音楽が鳴り始めると、那央くんがようやくギアをドライブに入れ替えて、ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
ハンドルを強く握りしめる那央くんの手は白く、フロントガラスを睨む横顔にも肩にも力が入っているのがわかる。
「歌ってたら、少しは気が紛れるかな」
おどけてそう言うと、わたしはスマホから流れるメロディーに合わせて大きな声で歌った。歌はそんなにうまくないけれど、少しでも那央くんの心が落ち着けばいいと思った。
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