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Eight
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「あー、うん。つい聴き入ってた」
「そっか。最近おれ、朝目覚めて雨が降ってると、思わず笑いそうになるんだよな」
「何で?」
憂鬱になるのはわかるけど、笑っちゃうなんて、変なこと言うな。雨の運転が嫌いなくせに。
訝しく思いながら首を傾げると、那央くんが前を見つめながら、ふふっと思い出し笑いする。
「何で、って。雨降ったら、岩瀬のちょっと下手っぴな歌思い出すから」
笑いを堪えているのか、運転する那央くんの肩がプルプルと僅かに揺れている。
「そんなこと思ってたとか、ひどい。もう絶対歌わない」
「えー、歌ってよ」
不貞腐れ気味にプイッと顔をそらすと、那央くんが楽しそうにハハッと笑ったから驚いた。もうほとんどやんでいるとはいえ、雨の日に運転している那央くんが声を出して笑うのを聞いたのは初めてだったから。
「おれ、おまえの歌の絶妙なヘタさ具合が好きなんだよな」
からかうようにそう言った那央くんは、とてもリラックスした表情でハンドルを握っている。
ビックリして、ドキドキした。穏やかな表情を浮かべている那央くんにも、好きだという言葉にも。
那央くんが好きだと言ってくれたのは、わたしのヘタな歌に対してだけど。それでも、わたし自身を好きだと言われたみたいで嬉しい。
その日はスマホで再生した音楽をBGMに、那央くんとふたりでくだらない話ばかりした。
うちの学校の先生の口癖の話とか、最近見た面白かった動画の話とか。ほとんど中身のない会話をして笑っているうちに、あっという間に那央くんの家の前まで着いた。
「ちょっと待ってて。仕事用のカバンだけ部屋に置いてくる」
駐車場に車を停めたあと、那央くんがマンションのエントランスの前でそう言った。
雨が降っているとき、わたしたちはまず那央くんのマンションまで車で帰ってくる。そこから最寄りの駅までは、那央くんが徒歩でわたしを送ってくれる。
那央くんがエントランスの鍵をカバンから取り出すのを黙って見ていると、突然、内側からドアが開いた。
「那央っ!?」
中から出てきた人が大声で那央くんを呼んだから、驚いてドキッとする。わたしの隣で同じように肩をビクつかせた那央くんは、エントランスのドアの向こうから出てきた人物の顔を見て動きを止めた。
「夏乃……」
那央くんが、ボソリとつぶやく。わたし達の前に立っていたのは、那央くんの彼女だった。
夏乃さん、というのか。遠目から数回見かけて綺麗だな、と思った彼女は、至近距離だとより一層綺麗に見えた。
仕事帰りなのか、膝丈のネイビーのスカートにベージュのジャケットを羽織った彼女は、前に駅のロータリーで見かけたときよりもきちんと畏まっていて。那央くんの部屋で見た写真の中の彼女よりも随分と大人っぽい。
だけど、形の良い眉を寄せて、那央くんに鋭い眼差しを向けている彼女の顔は、写真で見た印象よりもキツくて気が強そうだ。
「来るなら連絡くれたらよかったのに」
那央くんが、少し張り詰めた場の空気を和らげるように、ヘラッと笑う。
でも、その態度は逆効果だったらしい。夏乃さんは那央くんを見つめる瞳の光を鋭くするばかりだ。
「少しだけ部屋で待っててくれる? この子のこと、駅まで送ったらすぐ戻ってくるから。鍵、持ってるんだよな。カバンだけ持って行っといてくれたら嬉しい」
無言のままの夏乃さんに、那央くんが作ったような笑顔を向けながら、仕事用のカバンを差し出す。それをしばらくジッと見つめた彼女は、那央くんの手をバシッと振り払って、わたしに視線を向けた。
「その子、誰? 那央が今勤めてる高校の子?」
「そう。この子、おれに今の高校の非常勤を紹介をしてくれた大学時代の先輩の娘さんなんだ。ちょうど帰り道で出会ったから、途中まで車で乗せて帰ってきた」
那央くんが、平静な顔で夏乃さんにそんな説明をする。いろいろと細かな内情は省かれているけど、那央くんは嘘はついていない。
雨の運転が苦手なことは彼女には話せないし、《そういうこと》にして、わたしはおとなしくしていたほうがいいだろう。
夏乃さんは那央くんの話がいまいち信じられないのか、わたしに疑惑の眼差しを向けてきた。ダークブラウンの瞳に真っ直ぐに見つめられて、密かに抱いている那央くんへの下心が見破られるのではないかと、そわそわとする。
夏乃さんの視線に耐えきれずに目を伏せると、彼女が露骨にため息を吐いた。
「この頃、メッセージの返信はそっけないし、電話にもなかなか出てくれないし。会いに来てもすれ違いばっかりで、心配してたんだよ。仕事が忙しくて疲れてるんじゃないか、って。でも、そうじゃなかったんだね。勤務先の女子高生とのデートで忙しかったんだ」
夏乃さんの言葉には、チクチクとトゲがある。
「そっか。最近おれ、朝目覚めて雨が降ってると、思わず笑いそうになるんだよな」
「何で?」
憂鬱になるのはわかるけど、笑っちゃうなんて、変なこと言うな。雨の運転が嫌いなくせに。
訝しく思いながら首を傾げると、那央くんが前を見つめながら、ふふっと思い出し笑いする。
「何で、って。雨降ったら、岩瀬のちょっと下手っぴな歌思い出すから」
笑いを堪えているのか、運転する那央くんの肩がプルプルと僅かに揺れている。
「そんなこと思ってたとか、ひどい。もう絶対歌わない」
「えー、歌ってよ」
不貞腐れ気味にプイッと顔をそらすと、那央くんが楽しそうにハハッと笑ったから驚いた。もうほとんどやんでいるとはいえ、雨の日に運転している那央くんが声を出して笑うのを聞いたのは初めてだったから。
「おれ、おまえの歌の絶妙なヘタさ具合が好きなんだよな」
からかうようにそう言った那央くんは、とてもリラックスした表情でハンドルを握っている。
ビックリして、ドキドキした。穏やかな表情を浮かべている那央くんにも、好きだという言葉にも。
那央くんが好きだと言ってくれたのは、わたしのヘタな歌に対してだけど。それでも、わたし自身を好きだと言われたみたいで嬉しい。
その日はスマホで再生した音楽をBGMに、那央くんとふたりでくだらない話ばかりした。
うちの学校の先生の口癖の話とか、最近見た面白かった動画の話とか。ほとんど中身のない会話をして笑っているうちに、あっという間に那央くんの家の前まで着いた。
「ちょっと待ってて。仕事用のカバンだけ部屋に置いてくる」
駐車場に車を停めたあと、那央くんがマンションのエントランスの前でそう言った。
雨が降っているとき、わたしたちはまず那央くんのマンションまで車で帰ってくる。そこから最寄りの駅までは、那央くんが徒歩でわたしを送ってくれる。
那央くんがエントランスの鍵をカバンから取り出すのを黙って見ていると、突然、内側からドアが開いた。
「那央っ!?」
中から出てきた人が大声で那央くんを呼んだから、驚いてドキッとする。わたしの隣で同じように肩をビクつかせた那央くんは、エントランスのドアの向こうから出てきた人物の顔を見て動きを止めた。
「夏乃……」
那央くんが、ボソリとつぶやく。わたし達の前に立っていたのは、那央くんの彼女だった。
夏乃さん、というのか。遠目から数回見かけて綺麗だな、と思った彼女は、至近距離だとより一層綺麗に見えた。
仕事帰りなのか、膝丈のネイビーのスカートにベージュのジャケットを羽織った彼女は、前に駅のロータリーで見かけたときよりもきちんと畏まっていて。那央くんの部屋で見た写真の中の彼女よりも随分と大人っぽい。
だけど、形の良い眉を寄せて、那央くんに鋭い眼差しを向けている彼女の顔は、写真で見た印象よりもキツくて気が強そうだ。
「来るなら連絡くれたらよかったのに」
那央くんが、少し張り詰めた場の空気を和らげるように、ヘラッと笑う。
でも、その態度は逆効果だったらしい。夏乃さんは那央くんを見つめる瞳の光を鋭くするばかりだ。
「少しだけ部屋で待っててくれる? この子のこと、駅まで送ったらすぐ戻ってくるから。鍵、持ってるんだよな。カバンだけ持って行っといてくれたら嬉しい」
無言のままの夏乃さんに、那央くんが作ったような笑顔を向けながら、仕事用のカバンを差し出す。それをしばらくジッと見つめた彼女は、那央くんの手をバシッと振り払って、わたしに視線を向けた。
「その子、誰? 那央が今勤めてる高校の子?」
「そう。この子、おれに今の高校の非常勤を紹介をしてくれた大学時代の先輩の娘さんなんだ。ちょうど帰り道で出会ったから、途中まで車で乗せて帰ってきた」
那央くんが、平静な顔で夏乃さんにそんな説明をする。いろいろと細かな内情は省かれているけど、那央くんは嘘はついていない。
雨の運転が苦手なことは彼女には話せないし、《そういうこと》にして、わたしはおとなしくしていたほうがいいだろう。
夏乃さんは那央くんの話がいまいち信じられないのか、わたしに疑惑の眼差しを向けてきた。ダークブラウンの瞳に真っ直ぐに見つめられて、密かに抱いている那央くんへの下心が見破られるのではないかと、そわそわとする。
夏乃さんの視線に耐えきれずに目を伏せると、彼女が露骨にため息を吐いた。
「この頃、メッセージの返信はそっけないし、電話にもなかなか出てくれないし。会いに来てもすれ違いばっかりで、心配してたんだよ。仕事が忙しくて疲れてるんじゃないか、って。でも、そうじゃなかったんだね。勤務先の女子高生とのデートで忙しかったんだ」
夏乃さんの言葉には、チクチクとトゲがある。
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