その距離は、恋に遠くて

碧月あめり

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Eight

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「デートなんかじゃない。今日はたまたま一緒に帰ってきただけだよ。電話やメッセージにちゃんと応えられなかったのは悪かったけど、受験が近付いてきてるから、本当に仕事が忙しくて……」
「でも、お姉ちゃんと付き合ってたときは、どんなに忙しくても電話かけたり、会う時間を作ってたでしょ。会えない時間を埋めるために、同棲の提案だってしたじゃない!」

 冷静に話そうとする那央くんに、夏乃さんがヒステリックに言葉をぶつける。

 彼女の口から夕夏さんの話が出た瞬間、那央くんの顔が凍り付いた。

 自分と写した写真の下に、那央くんが亡くなった彼女との写真を入れているのを見てしまった夏乃さんは、きっと那央くんの本音が分からなくて不安なんだろう。

 亡くなった前の彼女は、夏乃さんの姉だから。付き合いが長くなるほど、那央くんへの想いが強くなるほど、彼の周りをチラつく元恋人だった姉の気配に怯えて、苦しんでいるのかもしれない。どんなに嫉妬したって責めたって、亡くなった夕夏さんとの思い出には勝てないとわかっているから、怯えているのかもしれない。

 だけどそれでも、夕夏さんを引き合いに出して那央くんを責めるのはダメだ。それも、雨があがったばかりの今、那央くんが夕夏さんにしたことと自分を比べるのは絶対にダメ。

 那央くんは今も、ずっと、後悔して自分を責めているんだから。五年前の夕夏さんの事故は、自分のせいじゃないか、って。

「夏乃は、おれがどうしたら満足すんの?」

 顔をひきつらせている那央くんの腕に衝動的に手を伸ばしかけたとき、彼が虚ろな目で夏乃さんを見つめてボソリとつぶやいた。

「おれは、夏乃と会う時間だって、ちゃんと作ってたつもりだった。だけど最近は、会うたびに夕夏のことを持ち出されて、正直疲れる」
「だから、女子高生に手出したの?」
「出してないよ」
「しかも、大学時代の先輩の娘なんでしょ。十個も下の女の子に手を出すとかどうかしてる。こんなの、私だけじゃなく、お姉ちゃんに対しても裏切りじゃない!」
「出してないし、裏切ってもないよ」
「嘘ばっかり! 那央は、初めから私のことなんてなんとも思ってなかったんでしょ」

 那央くんが静かに否定しても、すっかり興奮している夏乃さんは全く聞く耳を持たない。那央くんが説得を諦めて口を閉ざしても、夏乃さんはヒステリックな声で彼を責めるのをやめなかった。

 夏乃さんの目に、涙が滲む。

 彼女だって、本当は那央くんのことを傷付けたいわけではないのだろう。ただ、好きだと思う人に同じ熱量で自分のことを想ってもらいたいだけ。その想いが強すぎて、那央くんの気持ちにまで気が回らない。

 今の夏乃さんは、健吾くんを好きだったときのわたしに少しだけ似ていると思った。自分には絶対に敵わない人に嫉妬して、自分の感情ばかりを理解されたがっていたわたし。

「那央にとって、私といた二年間はなんだった? 本当は、近くにいる相手なら誰でもよかったんでしょ。私でも、職場の生徒でも……!」

 夏乃さんが勢いに任せてそう言ったとき、彼女を見つめる那央くんの瞳が翳る。

 ふたりの問題に、わたしが割り込むべきではない。そう思うのに、那央くんの哀しそうな横顔を見たら、じっと黙っていられなくなった。

「誰でもいいなんて、絶対違います」

 那央くんの盾になるように、両手を広げで夏乃さんの前に立ちはだかる。

「那央くんはみんなに優しいけど、わたしとも他の生徒とも、ちゃんと線を引いてます。誰でもいいなんて、絶対に思ってません。那央くんのこと本当に好きなら、あなたが一番それをよくわかってるでしょ」

 わたしよりも少しだけ背の高い夏乃さんを真っ直ぐに見つめると、彼女が涙の溜まった目を大きく見開いた。

「あなたがそんなふうに責めるから、那央くんは何も言えないんじゃないですか? うまくいかなくて苦しいのは、あなただけじゃないでしょ」
「な、に……」
「あなたも責めるばっかりじゃなくて、那央くんの話をちゃんと聞いてあげてください。那央くんに、これ以上哀しそうな顔させないで!」
「岩瀬、もういいから……」
「でも……!」

 那央くんが、感情的に叫んだわたしの肩をぽんぽんっと優しく叩く。それを見て何か言いたげに頬を引き攣らせた夏乃さんだったけれど、やがて唇を噛むとわたしと那央くんを押し退けて、走って行ってしまった。

「追いかけなくていいの?」

 駅のほうに駆けていく夏乃さんの背中を茫然と見つめている那央くんに問いかける。

 那央くんはしばらくじっと考えるように黙り込んだあと、途方に暮れた顔で振り向いた。

「追いかけたほうがいいのかな。なんかもう、よくわかんないんだよ。岩瀬はどうしたらいいと思う?」
「え?」

 那央くんに心許なさげな目で見つめられて、反応に困る。

 わたしは那央くんのことが好きだから。本音が言えない彼女との恋なんて、いつか破綻するに決まってるって思うから。一方的に那央くんの責めて逃げて行った彼女のことなんて、ほうっておけばいいと思う。

 だけど那央くんが夏乃さんとの関係を終わらせたくないなら、追いかけたほうがいい。

 葛藤の末、何も答えられないままに眉を下げると、那央くんが自嘲気味に笑った。
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