光のもとで2

葉野りるは

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October

紫苑祭二日目 Side 翠葉 10話

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「現況を話すと、手や上半身は大丈夫みたい。でも、右足はまんまと負傷してしまいました。今からできる限りの処置対応を試みてはみるけれど、ワルツの時間までにどうにもならなかったら、谷崎さん……代わりをお願いできますか?」
 谷崎さんは難色を示した。
 私がワルツの代表になるのには不満だったけれど、こんな形で代打になるのは抵抗がある。そんな感じ。
 その気持ちはわからなくはない。でも――
「私、ものすっごくがんばってきたの。だから、できることなら自分が踊りたい。でも、ワルツメンバーみんな一位をとりたくて練習してきたから、こんなことでメンバーに迷惑をかけるのは嫌。だから、そのときはお願いします」
 一度言葉を区切り、
「昨日、っていう土壇場で反旗を翻したのだから、このくらいは呑んでもらえるでしょう? さっきの謝罪を受ける代わりに、この条件は呑んでもらえない?」
 ちょっと意地悪っぽい言い方をしてみたら、気の強い谷崎さんらしく口を真一文字に引き結び、コクリと慎重に頷いた。
「それから飛翔くん、今から急いでスポーツドリンクを買ってきてほしいです」
 ミニバッグに入れていた小銭入れを手渡すと、
「スポーツ飲料飲めないんじゃねーの?」
「それは好みの問題。今は嫌いでも飲むよ。スポーツドリンクのほうが身体が吸収しやすいからね、薬の効きもいいはず。でも、できれば一緒にミネラルウォーターも買ってきてもらえると嬉しいです」
 私の返事を聞くと、飛翔くんはすぐにステージ裏から出て行った。それと引き換えに佐野くんが飛び込んでくる。
 息を切らした佐野くんは、谷崎さんの顔を見てから私のもとへやってきて、
「何があったの?」
 ピリッとした空気を漂わせる声音だった。
「あのね、全部話したいのだけど時間がないの。だから、必要なことを優先してもいいかな?」
「……わかった」
「でも、谷崎さんは何も悪くないから」
 それだけは伝えておきたくて口にする。そしてすぐ、かばんから湿布を取り出した。
 効く効かないは問わず、身体に痛みが出ると「何か処置をした」という形跡が精神安定剤になることもあり、湿布はいつでもかばんに入れてあった。それがこんな形で役立つとは……。
「湿布ってっ!?」
「ざっくりと話すと階段から落ちました」
「それ、さっき藤宮先輩が受け止めてくれたやつと別件?」
「申し訳ないくらいに別件です。右足に痛みがあるから湿布を貼ろうと思って。テーピングは固定などお願いできたら嬉しいな、と……」
 ジャージを膝までたくし上げると、膝下から足首少し手前まで大幅に内出血していた。
 そういえば、落ちているとき、脛が階段に当たっていた気がしなくもない。たぶん、正座を崩したような状態で落ちたのだ。
 それにしてもまあまあまあ……。谷崎さんは手で口を押さえて絶句しているし、佐野くんも目を瞠っている。
「グロテスクでごめんね」
 言いながら、腫れだしている脛に湿布を貼ってグロテスク加減を軽減させた。そこへ飛翔くんが戻ってきて、「はい」と手渡されたペットボトルを手に、蓋を開けようとして「おや?」と思う。
 さして痛くないと思っていた右手にキャップを捻る動作を拒否されたのだ。
「御園生、手もやったのっ!?」
「ん、ちょっとおかしいかな」
 言うなり飛翔くんにペットボトルを奪われ、蓋を緩めた状態で返された。
「おまえピアノっ」
「それはあと。今はワルツが優先」
 苦手なスポーツドリンクをゴクゴクと一気に半分ほど飲み、最後に一口、ミネラルウォーターで口直し。
 必要な箇所に湿布は貼った。しかも、肌色の湿布のため悪目立ちすることもない。
「さて……佐野くんと飛翔くん、ふたりとも運動部だけどどっちがテーピング上手かな?」
 ふたりの顔を交互に見ていたら、「私が」と谷崎さんが声をあげた。
「いわゆる固定だけじゃだめなので……。ダンスを踊るのに必要な部分を固めたら、動きから滑らかさが失われてしまいます」
 その言葉に、私は佐野くんが持っていたテーピングを谷崎さんの手に託した。
 やることをなくした佐野くんが飛翔くんに説明を求める。と、飛翔くんは話していいのか、と視線で訊いてきた。
「パートナーだもの。何がどうしてこうったのか、状況を知る権利はあるでしょう? でも、谷崎さんへの受け答えをしながらじゃ話せないから、飛翔くんにお願いしてもいい?」
「了解」
 ふたりが立って話しているのに対し、階段に腰掛けている私の脚を触りながら谷崎さんがテープを巻いてくれた。
「本当に大丈夫なんですか……?」
「どうかな……? 痛み止めのお薬は十五分から二十分で効いてくるはずなの。それに、この湿布は結構強めの湿布薬だから、こっちはてきめんのはずなんだけど……。こういう使い方はしたことがないからなんとも言えなくて……」
 飛翔くんの説明を聞き終わったらしい佐野くんがやってきて、
「湊先生に診てもらわなくてよかったの?」
「……以前球技大会で有無を言わさず病院送りにされたことがあるでしょう? それは嫌だなぁ、と思って。それに、本部の救護スペースで治療を受けたら、ほかの組に『負傷者がいます』って宣伝するのと変わらないでしょう? それもどうなのか、と。もしもワルツを見越して私を階段から突き落としたのなら、棄権するのも『怪我しました』って格好で出て行くのも悔しいもの」
「……あんた、根っからの負けず嫌い?」
 飛翔くんの呆れた顔に見下ろされるのは慣れてきた。
「いけない?」
 座った状態で見上げると、飛翔くんは「いや……」と言いながら谷崎さんに向き直った。
「おまえ、ケンカ売る相手間違えたんじゃねーの? この女、昨日のダンス対決もこんな調子で踊ってたと思うけど?」
 谷崎さんは何度か瞬きをして、クスリと苦い笑いを零した。さらにはクスクスと笑い出し、
「本当……すっごい見当違いだった。華奢で可憐で病弱で、吹けば飛ぶくらいのイメージだったのに、何この人……。負けず嫌いの塊じゃない」
 すごいことを言われている気はする。でも、谷崎さんと出逢ってから、今このタイミングまで笑っているところなんて一度も見たことがなかったから、何を言われていてもいいかな、と思ってしまう。
「御園生、少しくらい反論すれば?」
 ふと気づけば佐野くんも呆れ顔に転じていた。
「でも、負けず嫌いなのは本当だし、悔しいものは悔しいから」
「はいはい」
「先輩、そろそろ着替えないと」
 谷崎さんに言われ時計を見る。と、集合の五分前だった。
 かばんから衣装を取り出しカーテンの陰で着替える。
 とても簡易的なドレスだけれど、オーガンジーで作られたドレスの中にはふわっふわのペチコートをはくため相応のボリュームが出る。さらには、足元まできれいに隠してくれる優れもの。
「よしっ、と。誰にも怪我してるようには見えないよね?」
 その場でクルリと回って見せ、三人の同意を得る。
「御園生、手がおかしいなら湿布は貼っておこう? 手なら飛翔がテーピングできるから」
「うーん……」
 私はさっき違和感を覚えた右手に視線を移す。
 外傷はない。たぶん筋を違えちゃったか体重をかけすぎちゃっただけだと思うのだけど……。
「時間も時間だし右手は――」
「だーーーっ、とっととグローブ外せっ」
「は、はいっ、ごめんなさいっ」
 謝った勢いのままグローブを外す。と、飛翔くんは谷崎さんが持っていた湿布を取り上げ貼る準備万端で目の前に仁王立ちしていた。
「右手のどこっ!?」
「あっ、親指から手首にかけての筋だと思う……」
「これ? こっちかっ!?」
「痛いっ、そこっっっ」
「怪我してたら痛いのが当たり前だろっ。おまえ、バカだと思ってたけど本当にバカなんだなっ!?」
 暴言具合が相馬先生レベルだ……。
 でも、言っている内容だとか行動はすべて私のためにしてくれていることで――
「このくらいで泣くなよっ!?」
「えっ? あ……ちょっと唖然としたけど、このくらいの暴言じゃ泣かないよ?」
 ものすごく真面目に答えたのに、佐野くんと谷崎さんがゲラゲラと笑いだし、飛翔くんは仏頂面でテープを貼り始めた。
「飛翔くん、ありがとうね」
「別に……」
 佐野くんと揃ってフロアに出ようとしたそのとき、谷崎さんに手を引かれた。振り返ると、
「先輩、昨日はすみませんでした。ワルツ、がんばってきてください」
「うん。がんばってくる」
 私はしっかりと目を合わせてからフロアへ足を踏み出した。

「御園生、本当に大丈夫?」
 佐野くんに小声で尋ねられ、
「佐野くん、それを訊くのは禁止の方向で」
「……了解」
 棄権なんてしてやらない。びっこなんてひいてやらない。
 最後までノーミスで踊りきってやる……。
 観覧席中央の階段から下りてきた桃華さんたちと合流すると、
「翠葉、どこへ行ってたの? 佐野も……」
「半月ステージの裏にいたの」
「どうして?」
「最後の練習」
 にこりと笑い、静音先輩と風間先輩のあとについてフロアへ出る。
「ミソノウサン、根性アリマスネ」
 苦笑を貼り付けた佐野くんに、
「なんのことでしょう?」
 私はできる限りの笑顔を返す。と、
「あとでこのこと知った簾条とか、俺、超怖いんだけど……。ついでに藤宮先輩も怖い」
 あぁ、そこは私もあまり考えたくないかも……。
「……佐野くん、黙ってようか?」
 さすがに普通には笑えず苦笑を返すと、「そのほうがもっと怖えぇ」という返答をいただいた。

 フロアが静かになり曲が流れる合図があった。
 私たちは優雅に礼を交わし、音楽に合わせて踊り始める。
 スローワルツに使われるのは「The closest thing to crazy」という曲。
 約三分という短い曲を、休憩を挟みながら何度も何度も踊ってきた。
 今となっては勝手に身体が動いてくれる。
 姿勢のキープや視線の据え方、足の運び、笑顔の作り方――それらすべてが無意識でできるようになる程度には、踊りこんできた。
 最初は何もかもが難しく思えたけれど、練習を重ねるたびに一つひとつできるようになって、初めて通して踊れたときには嬉しくて泣いた。
 その場にはツカサがいて、
「泣くほどのこと? まだ直すべき点はたくさんあるんだけど……」
 と呆れられつつ涙を拭われた。
 きっと、普通に運動ができる人にはわからない気持ちだろう。でも、私にとってはものすごく久し振りの運動で、「体育祭」なのだ。
 運動という運動は手術後のリハビリくらい。もっとも、日常をクリアさせるためのリハビリを「運動」と言っていいのかは疑問が残るし、そんな自分が本当に躍れるのかすらわからなかった。
 ワルツの代表に選ばれたときは嬉しい気持ちもあったけれど、それを上回るプレッシャーを感じていた。
 人に迷惑をかけないように、というのは最低限のレベルにすらならなくて、組の代表としてほかの組の代表者たちと闘える程度に踊れるようにならなくてはいけない。と、必要以上に自分を追い詰めている感もあった。
 だからこそ、少しずつクリアして前に進めることが嬉しかったし、ワルツメンバーとして闘えるだろう手応えを得られたときには泣くほど嬉しかったのだ。
 ツカサ、あの瞬間はね、「ちゃんと紫苑祭に参加できる」と思えた瞬間だったんだよ。
 ワルツが終わったら、風間先輩と静音先輩に心からお礼を言おう。
 このふたりが動いてくれなかったら、私はこんな形で紫苑祭に参加することはできなかったのだから。
 ツカサ、今、見てくれてる? 私、ちゃんと踊れてる?
 ツカサの評価はどの審査員よりも厳しそうだけれど、あとで今日の出来栄えを評価してね。
 足はまだ痛いけれど、薬が効き始めたのか痛みが強くなることはない。それに、ここまでノーミス。
 佐野くん、最後までノーミスで踊りきるよ。
 そんな視線を向けると、「わかってます」といわんばかりの視線が返ってきた。
 人の悪意によって怪我をしたのに、おかしいな……。私、今すごく楽しい。すごくすごく楽しい。
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