光のもとで1

葉野りるは

文字の大きさ
827 / 1,060
第十四章 三叉路

12話

しおりを挟む
 病院に迎えに来てくれたのは蒼兄だった。
 会計センター前にある長椅子に座っていた蒼兄は、私に気づくと立ち上がり、
「桃華から教えてもらった。胃が痛くて五限は保健室で休んでたって? ……連絡してくれて良かったのに」
「うん……でも大丈夫だったし」
「そっか……。そのジャケットって秋斗先輩の?」
 蒼兄の視線は私の手に注がれていた。
「うん。風邪ひかないように……って」
「そっか……」
 会計を済ませたあと、駐車場に移動する間はずっと無言だった。
 隣に並んで歩いているのに会話がないなんて、私と蒼兄らしくない。
 ここ数日の私は、蒼兄たちから見てもぎこちなく見えていたことだろう。
 その自覚はあるし、今の自分が逃げているだけなのもわかっている。
 でも、もう少し時間が欲しい。
 ほかの何を気にすることなく、きちんと向き合って考えることができる時間が欲しい。
 考えることを後回しにしている言い訳に思われるかもしれない。けれど、まずは授業に追いつかなくては……。
 私は学校に通いたくてマンションに間借りしているのだ。それなら、まずはそこをクリアしなくちゃ――

 車に着くと、蒼兄がエンジンをかける前に声をかけた。
 蒼兄は不思議そうな顔でこちらを向く。
 車の中は風が吹かないからか、外より少しあたたかく感じる。そして、無音ではないのに、とても静かに思えた。
「ごめん、心配かけてるよね……」
 蒼兄は何も言わずにシートベルトにかけた手を下ろし、今は足の上で組んでいる両手を見ていた。
「あのね……少しだけ待ってほしいの。今、順番決めたから」
「順、番……?」
 蒼兄の顔がこちらを向く。
「うん、順番……。今、授業始めにある小テストで半分くらいしか点数が採れていないの。休んでいた分をまだ取り戻せていない。まだ、授業に追いつけてない。……だから、まずはそこをクリアさせなくちゃいけないと思ってる。次はお仕事。土曜日にホテルへ行ってお仕事の話をしてくる」
「翠葉……?」
「せめてこのふたつ……。このふたつが片付かないと、向き合わなくちゃいけない問題とちゃんと正面から向き合えないの。今はこれがあるから考えられないって逃げ道があるとね、私――だめみたい」
「……ひとりで向き合うのがそんなにつらいなら、話してくれたらいいのに」
「うん、そういう方法もあるんだよね。でもね、まずは自分で考えなくちゃって思う。それすらできていない今はまだ……まだ人を頼りたくないの。心配かけていることもわかっていて、それでも『まだ』って思うの」
 蒼兄は顔をくしゃりと歪めて笑う。けれど、その表情から「心配」の色がわずかに和らいだ。
 薄まった分、「呆れ」が補充される。
「翠葉は言い出したら聞かないからなぁ……。意外と強情な妹であることは知ってるつもり」
「蒼兄……」
「わかった。唯にも母さんにも俺から話しておくよ」
「ごめんね。――ありがとう」
 根本的なことは何も話していない。でも、たったこれだけのことを話しただけで、少し気持ちは楽になった。
 複数のことを並行してこなせる器量は私にはない。だから、今目の前にあるものをひとつずつクリアにしていこう。
 順番――それが決まっただけで、ずいぶんと頭がすっきりしたように思えた。

 マンションまで戻ってくると、私はロータリーで降ろしてもらえるよう蒼兄にお願いした。
 私はコンシェルジュに用があったのだ。
 真っ直ぐコンシェルジュカウンターへ向かうと、何か仕事をしていた高崎さんが私に気づき顔を上げた。
「高崎さん、ここでクリーニングのサービスもしてましたよね?」
「承っております」
 高崎さんはにこりと笑い、佇まいを直してかしこまった対応をする。
「これをお願いしたいんです」
 私は手に持っていたジャケットをカウンターに置いた。
「クリーニングの請求はうちに回してください。クリーニングが済んだジャケットは秋斗さんのおうちに届けていただけませんか?」
「……それでいいの?」
「はい、お願いします」
「……よろしければメッセージも承れますが?」
 高崎さんはカウンターの中から小さなメッセージカードを取り出した。
 一瞬躊躇したけれど、言葉は添えるべきだと思った。
 私はそのメッセージカードに、「ありがとうございました。翠葉」とだけ書いて、高崎さんに託した。

 ゲストルームに帰ると唯兄とお母さん、それから栞さんに出迎えられる。
 帰宅時の挨拶、「おかえりなさい」と「ただいま」。
 たぶん、何を気負うことなく普通に言えたと思う。
 靴を脱いで室内ブーツを履いたとき、玄関のドアが開き蒼兄が入ってきた。
「翠葉は手洗いうがいな?」
「うん」
 かばんだけ自室の入り口に置いて洗面所に入ると、広いとはいえないスペースに蒼兄が並ぶ。
「翠葉が着替えてる間に話しておくよ」
 鏡越しにそう言うと、私の頭を軽くポンポンと二回叩いて出ていった。
 頼もしい背中に向かって呟く。「ありがとう」と。
 私は車での蒼兄とのやり取りを思い出しながらルームウェアに着替え、仕上げに小宮さんにいただいたシュシュで髪をひとつにまとめた。
 蒼兄が話してくれると言ってくれたけれど、やっぱり自分からきちんと話そう。そのほうが心配の度合いが減るかもしれないから。
 蒼兄の表情が「心配」から「諦め」に転じたのは、たぶん私が話したからだ。
 それなら、お母さんたちも人伝に聞かされるよりも、私が話したほうが心配は心配でも「諦め」も混じるかもしれない。
 それに、そのほうがより逃げ道がなくなっていい――
 ドレッサーの鏡に映る自分の顔を両手でパシッと叩く。
「翠葉、覚悟しよう。逃げ道は――全部なくすよ」

 リビングへ行くと夕飯の準備が整っていた。
 テーブルには湯気の上がる丼とほうれん草のお浸しなどが並ぶ。
 丼の中身はおうどんだった。
 きっと、私がお昼も食べられなかったと知っているから、このメニューなのだろう。
「お母さん、唯兄。それから栞さんも……。心配をかけていてごめんなさい。今ね、悩みごとがあって、自分でもよくわからない行動をしていたりするの。でも、まずはちゃんと自分で考えたくて……」
「蒼樹から聞いたわ」
 言葉に詰まるとお母さんにそう言われた。
「うん。でも、ちゃんと自分から言ったほうがいいと思うの。だから、言えるところまで話す」
「じゃぁ、聞こうじゃないの」
 唯兄が私の隣に座って左手をぎゅっと握ってくれた。
「考えなくちゃいけないんだけど、今、学校の授業についてくのが精一杯というか、小テストでも点数落としてる状態だから、まずはそこをクリアさせなくちゃいけなくて、そしたら次はお仕事。ちゃんと考える態勢が整うのはそのあとなの。だから、それまで待ってもらってもいい?」
 訊くと、その場にいた四人がにこりと微笑んだ。
 コツリと唯兄の頭が私の頭に当たる。
「ほかは?」
「ほか……?」
「体調的なアレコレ。俺、今日昼に電話してあからさまにごまかされたんだけど?」
「あ、ごめん……。あの場にツカサがいて、あまり聞かれたくなかったの」
「なるほど。……で?」
「ごめんなさい……お弁当食べられなかった。胃の調子、やっぱり戻ってなくて」
「それだけーーー?」
「……スミマセン。胃が痛くて五限は保健室にいました……。でも、お薬飲んだら少し楽になったから大丈夫」
「へー? それで誰にも連絡せずにひとりで病院行ったんだー? ふーん。あー、そう」
 秋斗さんやツカサの抑揚ある話しぶりも怖いけれど、唯兄のまったく抑揚のない単調すぎる話し方も怖いと思った。
 私と唯兄以外の三人はクスクスと肩を震わせて笑っている。
「ごめんなさい……。寄りたいところがあったの」
「「「「どこに?」」」」
 その場の全員に質問される。
 でも、その気持ちはわからなくはない。学校から病院までで寄れる場所は無に等しいのだから。
「真白さんに会いに行ったの」
 唯兄と栞さんは「なるほど」といった顔をしたけれど、真白さんを知らない蒼兄とお母さんの疑問には拍車をかけてしまったようだ。
 そこで私は、夏休み中に真白さんとハナちゃんに会ったことや、紅葉祭二日目にお弁当を作っていただいたことを話した。
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

光のもとで2

葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、 新たな気持ちで新学期を迎える。 好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。 少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。 それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。 この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。 何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい―― (10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)

みんなの女神サマは最強ヤンキーに甘く壊される

けるたん
青春
「ほんと胸がニセモノで良かったな。貧乳バンザイ!」 「離して洋子! じゃなきゃあのバカの頭をかち割れないっ!」 「お、落ちついてメイちゃんっ!? そんなバットで殴ったら死んじゃう!? オオカミくんが死んじゃうよ!?」 県立森実高校には2人の美の「女神」がいる。 頭脳明晰、容姿端麗、誰に対しても優しい聖女のような性格に、誰もが憧れる生徒会長と、天は二物を与えずという言葉に真正面から喧嘩を売って完膚なきまでに完勝している完全無敵の双子姉妹。 その名も『古羊姉妹』 本来であれば彼女の視界にすら入らないはずの少年Bである大神士狼のようなロマンティックゲス野郎とは、縁もゆかりもない女の子のはずだった。 ――士狼が彼女たちを不審者から助ける、その日までは。 そして『その日』は突然やってきた。 ある日、夜遊びで帰りが遅くなった士狼が急いで家へ帰ろうとすると、古羊姉妹がナイフを持った不審者に襲われている場面に遭遇したのだ。 助け出そうと駆け出すも、古羊姉妹の妹君である『古羊洋子』は助けることに成功したが、姉君であり『古羊芽衣』は不審者に胸元をザックリ斬りつけられてしまう。 何とか不審者を撃退し、急いで応急処置をしようと士狼は芽衣の身体を抱き上げた……その時だった! ――彼女の胸元から冗談みたいにバカデカい胸パッドが転げ落ちたのは。 そう、彼女は嘘で塗り固められた虚乳(きょにゅう)の持ち主だったのだ! 意識を取り戻した芽衣(Aカップ)は【乙女の秘密】を知られたことに発狂し、士狼を亡き者にするべく、その場で士狼に襲い掛かる。 士狼は洋子の協力もあり、何とか逃げることには成功するが翌日、芽衣の策略にハマり生徒会に強制入部させられる事に。 こうして古羊芽衣の無理難題を解決する大神士狼の受難の日々が始まった。 が、この時の古羊姉妹はまだ知らなかったのだ。 彼の蜂蜜のように甘い優しさが自分たち姉妹をどんどん狂わせていくことに。 ※【カクヨム】にて編掲載中。【ネオページ】にて序盤のみお試し掲載中。【Nolaノベル】【Tales】にて完全版を公開中。 イラスト担当:さんさん

静かに過ごしたい冬馬君が学園のマドンナに好かれてしまった件について

おとら@ 書籍発売中
青春
この物語は、とある理由から目立ちたくないぼっちの少年の成長物語である そんなある日、少年は不良に絡まれている女子を助けてしまったが……。 なんと、彼女は学園のマドンナだった……! こうして平穏に過ごしたい少年の生活は一変することになる。 彼女を避けていたが、度々遭遇してしまう。 そんな中、少年は次第に彼女に惹かれていく……。 そして助けられた少女もまた……。 二人の青春、そして成長物語をご覧ください。 ※中盤から甘々にご注意を。 ※性描写ありは保険です。 他サイトにも掲載しております。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

学校一の美人から恋人にならないと迷惑系Vtuberになると脅された。俺を切り捨てた幼馴染を確実に見返せるけど……迷惑系Vtuberて何それ?

宇多田真紀
青春
学校一の美人、姫川菜乃。 栗色でゆるふわな髪に整った目鼻立ち、声質は少し強いのに優し気な雰囲気の女子だ。 その彼女に脅された。 「恋人にならないと、迷惑系Vtuberになるわよ?」 今日は、大好きな幼馴染みから彼氏ができたと知らされて、心底落ち込んでいた。 でもこれで、確実に幼馴染みを見返すことができる! しかしだ。迷惑系Vtuberってなんだ?? 訳が分からない……。それ、俺困るの?

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

処理中です...