光のもとで1

葉野りるは

文字の大きさ
828 / 1,060
第十四章 三叉路

13話

しおりを挟む
 夕飯を済ませ食後のお茶を飲んでいるときのこと、唯兄が「あ、そうだ」と席を立った。
 ダイニングから出ていき戻ってきたと思ったら、その手には私の教科書があった。
「今日、仕事の合間にさらっといた」
「え?」
「文系も見られるからわかんないところあったら聞きたまえ」
「嘘……」
 唯兄はにぃ、っと笑って大げさなくらい大きな口で、「ほ、ん、と、う」と答える。
「唯兄大好きっ!」
 唯兄に抱きついたら耳元で囁かれた。
「今は司っちにも会いたくないんでしょ?」
「…………」
「うん、いいよ、答えなくて。俺を大好きって言ってくれるならいい」
 ぎゅっと抱きしめ返される。
「でも、まず先にお風呂ね。今日は半身浴中にコレを覚えてくるように。上がったらテストするよー。目標は明日の小テスト全科目クリア! んで、気持ちよく仕事に行こうよ」
「唯兄、ありがとうっ!」
 私は唯兄に促されるまま洗面所に押し込められた。
 ルームウェアを脱いでバスルームのドアを開けたとき、インターホンの音がした気がする。
 でも、家に誰もいないわけではないから、私は何を気にすることもなくバスルームに入った。
 出てきたときには世界史と地理に頭の全領域を持っていかれていた。


 今日の小テストはオール満点クリア。
「ひとつクリア……」
 それは嬉しいことのはずなのに、私の心は沈む。
 向き合うと決めた。考えると決めた。
 それでも、心のどこかで本当は逃げてしまいたいと思っている。
 だめだな……。
 そう思いながら廊下に出た。
 廊下にはうちのクラスの人しかいない。
 最近気づいたのだけど、うちのクラスは帰りのホームルームが終わるのが早いようだ。
 だから、ホームルームが終わってすぐに教室を出れば、多くの人に会うこともなく昇降口へ行くことができた。
 昇降口を出ると、一、二年棟校舎を振り返りたくなる。
 三階の、向かって右端のクラス。後ろから二番目の席。
 見ているわけがない……。
 そうは思うのに、もしツカサがこっちを見ていたら――と考えると、振り返ることはできなかった。
 矛盾しているのかもしれない。会いたくないのに姿は見たいだなんて……。
 気づけばツカサがいないか、と視界に入る人の中を探している。
 最初はばったり会うのが怖くてそうしているのかと思っていた。でも、違った。
 遠くからでも良かった。米粒ほどに小さくてもいい。ただ、ツカサを見たいと思う。
「恋しい」という言葉の意味を痛いほどに思い知った――

 マンションに帰ると、唯兄がお昼ご飯にお雑炊を作ってくれていた。
 消化に負担がかからないように、と玄米ではなく白米が使われている。
「優しさ」からできているご飯。
 お母さんがいないことを尋ねると、午前中に電話がかかってきて急遽現場入りしたらしい。どうやら二、三日は帰れないみたい。
 私と唯兄はご飯を食べ終えると一時に家を出た。
 今日は蒼兄の車でホテルへ行く。
「なんか不思議」
「何が?」
「蒼兄の車を唯兄が運転していることが」
 唯兄には湊先生の小さな車の雰囲気が定着してしまっていて、蒼兄の車の運転をしているのは違和感がある。
「この子ったら失礼だねぇ……。唯兄さんはかわいい路線もかっこいい路線もいけるんですっ!」
 車の中に唯兄と私のふたりの笑い声が響いた。

 今日は土曜日ということもあり、市街に通じる道路に合流する交差点が少し混んでいた。それでも三十分ほどでホテルに着く。
 地下駐車場に車を停めるとエレベーターホールへと向かう。
「どうかした?」
「ううん、なんでもない」
 本当は、ブライトネスパレスの帰りに秋斗さんとこのホテルへ寄ったことを思い出していた。
 車を停めた場所があの日と同じだったから。
 あのときは、秋斗さんにエスコートされるままにマリアージュへ行き、着替えを済ませてから夜景がきれいな個室へ案内された。
 今日の私はオフタートルのライトグレーのニットワンピース。その上に、白いAラインのフードつきコートを着ている。
 手には大きめのバッグ。グレーの皮製のバッグには、デジタル一眼レフやコンデジが入っている。それから写真のデータがいくつか。
 ほかにもお薬やミネラルウォーター、お財布、携帯、ノートや筆記用具。
 何を持ってきたらいいのかわからなくて、不安が和らぐほどにものを入れると、この大きなバッグでないと入りきらなかったのだ。
 唯兄には笑われてしまったけど――私、「お仕事」なんて初めてなんだもの……。

 エレベーターが一階に着くと、表玄関から出てホテルの裏へ回った。
「フロントの端からも入れるけど、ちゃんと社員ぽく裏口から入る方法を伝授いたしましょう」
 唯兄はにこりと笑って警備室前に設置されたゲートを指差す。
 それはまるで、駅の改札口にあるゲートのように見えた。
「まずはIDカードを翳して……」
 唯兄は首からぶらさげていたカードケースを翳した。
 唯兄のカードには顔写真と所属部署、名前などが記載されている。
 私のIDカードには名前と番号のみの記載。
「あぁ、あとで顔写真撮るからね?」
「えっ!?」
「え、じゃなくて。ほら、リィもカード翳して」
 唯兄は淡々と説明しながら歩みを進める。
 屋内に入ると、唯兄はすれ違う人みんなに「おはようございます」と声をかけていた。
「出勤してきたときは『おはようございます』。上がるときは『お先に失礼します』。これ、社会人の常識らしいよ?」
 唯兄はどこか他人事のように話す。
「ほら、さっそく実践」
「えっ!?」
「山歩きで『こんにちは~』って声掛け合うのと同じようなものだって」
 そんな会話をしながらも、唯兄は「おはようございます」と声をかけ、すれ違う人たちは「お疲れ様です」と挨拶を返してくる。
 そんな光景が目の前に繰り広げられていても、まったく見ず知らずの人に「おはようございます」を言うのはハードルが高い。
 そこに見知った顔を見つける。
 前方からこちらに歩いてきたのは園田さんだった。
「お、おはようございますっ」
 言ったあとに両手で口を押さえる。
 力んだら、その分声が大きくなってしまったのだ。
 近くにいた人はこちらを見てクスクスと笑いながら「お疲れ様です」と通り過ぎていく。
 恥ずかしくて顔が火照った。
 そんな私の隣で唯兄は、
「園田さん、タイミングよく現れすぎー」
「若槻くんは立派なお兄さんになっちゃったわね?」
「えー? 自分、いつでも仕事のできる男のつもりなんですが……」
「そういう意味じゃなくて……すごく幸せそう」
 園田さんはとても柔らかい笑みを浮かべた。
「あ~……幸せですよ。こーんなかわいい妹とできたあんちゃんに優しい両親」
 どこか茶化したような言い方をしたけれど、最後に肩を竦めて照れたような表情になる。
「家族って、いいですね」
「そうね」
 園田さんは私に向き直り、
「部署をひとつずつご案内したいところなのですが、今なら営業部の部長にお会いいただけますので、先に営業部へ参りましょう」
「は、はいっ」
 私は緊張で声が上ずる。
「そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよ。部長は温厚な方ですし、ご紹介する広報課はノリがいい人の集まりですので」
「その代わり、紳士っぽい人はいないけどねー? 括弧、俺以外、括弧閉じ」
 園田さんのフォローを唯兄が台無しにしては、にっ、と笑う。
 営業部のブースまで来ると、園田さんが先頭に立ちフロアへ入った。
 園田さんは真っ直ぐブースを横切り、一番奥の席へ向かう。
 そこには坊主頭の男の人が座っていた。
「澤野部長、少しよろしいでしょうか」
「あぁ、オーナーから聞いているよ」
 そう言って、ギシリと音を立てて椅子から立ち上がった。
 身長は蒼兄と変わらないくらいなのに、目の前に塗り壁ができたのかと思うほど大きな人でびっくりする。
「ははは、驚かせてしまったかな? 営業部の部長をしている澤野重蔵(さわのじゅうぞう)です。名前は重い蔵と書いて重蔵。名前からして重そうでしょう?」
「あ、わ……すみません。御園生翠葉です」
「御園生夫妻とは一度食事をしたことがある。娘さんに会えるとは光栄だな」
 澤野部長はパンパン、と手を叩き、広報課のブースにいる人たちの注意を引いた。
「このお嬢さんは特効Aチームの御園生夫妻のご息女だ。今日から社会見学としてホテルに出入りするので社会人のいい手本になるように。さ、お嬢さん。自己紹介をしていただけますか?」
 厳つい身体には不釣合いなほど柔和な笑顔を向けられる。
 まるで仏様みたいだ。
「御園生、翠葉、です……。あの、お邪魔にならないように気をつけますので、よろしくお願いいたします」
 何を話したらいいのかわらかなくて、月並みな言葉を並べたに関わらず、ところどころから拍手をいただいた。
「以上、作業に戻っていいぞー」
 太く通る声がそう言うと、ブースの中はまた慌しく動き始めた。
「ここはあと五分もするとミーティングタイムになるから、若槻に地下スタジオを案内してもらうといい」
 澤野部長と目が合うと、ぎょろっとした目が少し細まった。そして、小さな声で「下にはスタッフが揃っています」と追加される。
 私は園田さんに促されるままに営業部広報課のブースをあとにした。
 地下で誰が待っているとも知らずに――
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

光のもとで2

葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、 新たな気持ちで新学期を迎える。 好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。 少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。 それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。 この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。 何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい―― (10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】イケメンが邪魔して本命に告白できません

竹柏凪紗
青春
高校の入学式、芸能コースに通うアイドルでイケメンの如月風磨が普通科で目立たない最上碧衣の教室にやってきた。女子たちがキャーキャー騒ぐなか、風磨は碧衣の肩を抱き寄せ「お前、今日から俺の女な」と宣言する。その真意とウソつきたちによって複雑になっていく2人の結末とは──

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

幼馴染が家出したので、僕と同居生活することになったのだが。

四乃森ゆいな
青春
とある事情で一人暮らしをしている僕──和泉湊はある日、幼馴染でクラスメイト、更には『女神様』と崇められている美少女、真城美桜を拾うことに……? どうやら何か事情があるらしく、頑なに喋ろうとしない美桜。普段は無愛想で、人との距離感が異常に遠い彼女だが、何故か僕にだけは世話焼きになり……挙句には、 「私と同棲してください!」 「要求が増えてますよ!」 意味のわからない同棲宣言をされてしまう。 とりあえず同居するという形で、居候することになった美桜は、家事から僕の宿題を見たりと、高校生らしい生活をしていくこととなる。 中学生の頃から疎遠気味だったために、空いていた互いの時間が徐々に埋まっていき、お互いに知らない自分を曝け出していく中──女神様は何でもない『日常』を、僕の隣で歩んでいく。 無愛想だけど僕にだけ本性をみせる女神様 × ワケあり陰キャぼっちの幼馴染が送る、半同棲な同居生活ラブコメ。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

学園のアイドルに、俺の部屋のギャル地縛霊がちょっかいを出すから話がややこしくなる。

たかなしポン太
青春
【第1回ノベルピアWEB小説コンテスト中間選考通過作品】 『み、見えるの?』 「見えるかと言われると……ギリ見えない……」 『ふぇっ? ちょっ、ちょっと! どこ見てんのよ!』  ◆◆◆  仏教系学園の高校に通う霊能者、尚也。  劣悪な環境での寮生活を1年間終えたあと、2年生から念願のアパート暮らしを始めることになった。  ところが入居予定のアパートの部屋に行ってみると……そこにはセーラー服を着たギャル地縛霊、りんが住み着いていた。  後悔の念が強すぎて、この世に魂が残ってしまったりん。  尚也はそんなりんを無事に成仏させるため、りんと共同生活をすることを決意する。    また新学期の学校では、尚也は学園のアイドルこと花宮琴葉と同じクラスで席も近くなった。  尚也は1年生の時、たまたま琴葉が困っていた時に助けてあげたことがあるのだが……    霊能者の尚也、ギャル地縛霊のりん、学園のアイドル琴葉。  3人とその仲間たちが繰り広げる、ちょっと不思議な日常。  愉快で甘くて、ちょっと切ない、ライトファンタジーなラブコメディー! ※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

処理中です...