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第六章 学園編 ──白銀の婚約者──
第233話 ブリジット・ノエリアという少女は
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ブリジットちゃんが、ラグナ王子に呼ばれた瞬間──
講堂の空気が、ほんのわずかに軋んだ気がした。
彼女はゆっくり立ち上がる。
その背中はいつも通りまっすぐなんだけど……どこか、迷いがあるようにも見えた。
いや、当然だ。理由も分からないまま、皆の前で呼び出されるんだから。
背後から、ザキさんが俺の耳元で低く唸るように言った。
「……なんや、あの王子。ブリジットさん呼びつけて、何するつもりや?」
俺だって同意見だ。どういうつもりだ……?
ラグナ・ゼタ・エルディナス……
だけど、俺はどうにも判断がつかず、手が動かない。
動こうと思えば動ける。でも、動いた瞬間……彼女の気持ちを踏みにじってしまうような、そんな気がして躊躇していた。
隣の長身お姉さんも、険しい顔でブリジットちゃんの後ろ姿を見つめている。
この人がこんな顔をするのは初めて見た。
ブリジットちゃんは階段を上り、ステージへと向かう。
ゆっくり、ゆっくり……まるで自分の足運びのひとつひとつを確かめるように。
そしてラグナ王子の目の前へ辿り着くと──
「──まずは復学おめでとう、ブリジット・ノエリア嬢。」
満面の笑みで、ラグナ王子は恭しく一礼した。
……が、その一礼は俺にはやけにわざとらしく映った。
礼儀として完璧すぎる。
角度も、動きも、声の抑揚も。
そう、“完璧すぎる”んだ。
そこに心が宿っていない。
あくまで『そう振る舞うべきだと計算している』人間の所作だ。
ブリジットちゃんは、ぎこちないながらも笑顔を作る。
でもその笑顔は、口元だけが上がっていて、目はどこか不安げに揺れていた。
……大丈夫かな。
気づけば俺の手は膝の上で無意識に握られていた。
ラグナ王子は会場を見渡し、声を張り上げる。
「皆も知っての通り、彼女……ブリジット・ノエリアはかつて、"ハズレスキル"を授かり、この大学を去った。」
その瞬間。
ブリジットちゃんの肩がビクリと震えた。
隣のセドリックさんが、心底苦しげに顔を歪めたのが見えた。
おい……お前……何を言い出すんだよ。
この短い一言だけで、彼女をどれだけ傷つけるか、分からないのか?
ラグナは続ける。
「ノエリア公爵家からも、一度は見放され……家族からも友人からも距離を置かれ……“可哀想な”彼女は、たった一人でフォルティア荒野へ送られた。」
……その言い方はないだろう。
悪気がないのは分かる。
分かるけど……だからこそ、余計にタチが悪い。
ブリジットちゃんの指先が震えている。
彼女の視線は必死に前を向こうとしてるけど、僅かに下がっている。
「それでも彼女は、苦境にめげず、フォルティア荒野の開拓を継続した。
邪悪な魔竜ザグリュナと戦い、傷を負わされても……再び立ち上がった!
今や前人未到の開拓を果たし、フォルティアに街まで建設している!
その姿に……僕は深く感動した!」
会場がどよめく。
賞賛の声もある。
「あの少女が……」「信じられない……」「本当に……?」
そんな囁きがそこかしこであがる。
だが俺の耳には、そんな声は届いてこない。
俺はただ一点──ブリジットちゃんの表情だけを見ていた。
俯きそうになる顔を、必死に持ち上げている。
その笑顔は……痛々しいほど無理をしている。
彼女の中で過去の記憶が、ざくざくと抉られているのが見えるようだ。
なのに。
ラグナ王子は──何の悪意もなく、ただ“可哀想なヒロイン”を強調し続ける。
「そんな彼女こそ、この国の……いや、僕の“ヒロイン”に相応しい!」
胸の奥がキッと痛んだ。
待て。
お前は……いま……彼女を何だと思ってる?
そして、極めつけの一言を言い放つ。
「故に、僕はここに誓おう!僕が此度の“統覇戦”に勝利した暁には、彼女を……ブリジット・ノエリアを、『不幸な人生』から解き放ってみせる!」
会場が静まり返った。
ブリジットちゃんの目が大きく見開かれる。
ゆっくりと、ゆっくりと、顔が青ざめていくように見えた。
ラグナは一歩近づき、柔らかい声で告げた。
「君を……僕の妻に迎える。」
……っっ!!!
俺の頭の中で何かが、バキッと音を立てて折れた気がした。
彼女の人生を“可哀想”だと決めつけて、
“救ってやる”という勝手な役割を押しつけて、
“ヒロイン”だの
“妻にする”だの──
全部、全部……何も分かっていない。
俺が知っているブリジットちゃんは──
そんな弱い生き方なんてしてない。
誰かに救われたいなんて言ってない。
ブリジットちゃんの拳が震える。
指先がぎゅっと握られている。
その手は、血が滲むほど力を込めていた。
俺は立ち上がりかけて、踏みとどまった。
今、割って入るべきなのか──
それとも、彼女の意思を信じて待つべきなのか。
心が千切れそうだった。
俺は息を呑み、彼女の答えを待つしかなかった。
◇◆◇
ブリジットちゃんは、ラグナの台詞を聞き終えたあと──
まるで壊れそうなガラス細工みたいな笑みを浮かべて、じっと動かずに立っていた。
その笑顔は……笑顔とは呼べない。
形だけ、口元を上げているだけだ。
目元はうっすら潤んで、焦点がどこにも合っていない。
そして、俺は気づいてしまった。
彼女の手が、震えながら──
血が滲むほどに、ギュッと握られていることに。
……っ。
胸がひどく痛んだ。
ラグナの言っていることは、言葉の内容だけを並べれば間違ってはいない。
でも──
こいつは、ブリジットちゃんの“心”を見ていない。
いや……
最初から見ようとしていない。
彼女の人生を勝手に“可哀想”だと断じて、
その“可哀想なヒロイン”を救う“主人公の俺”でいたいだけだ。
それが、透けて見える。
俺が知っているブリジットちゃんは、
自分を“可哀想”だなんて思ってないし、誰かに救われるだけの存在でもない。
確かに、俺や皆が力を貸したことはある。
でも──それを掴み取ったのはブリジットちゃん自身だ。
彼女は、人に寄りかかって生きていく子じゃない。
だからこそ。
俺は今この場で、勝手に彼女の前に飛び出すことができなかった。
助けたい。
守りたい。
ラグナのエゴから引き剥がしたい。
でも……それは俺のエゴじゃないのか?
彼女は、それを望んでいるのか?
──そんな答えのない迷いが、俺の足を縛り付けていた。
だが次の瞬間。
壇上のブリジットちゃんが、小さく息を吐いた。
フーッと──震える呼吸を整えるみたいに。
そして、顔を上げた。
さっきまでとは違う、覚悟の宿った目で。
その目はまっすぐラグナを見据えている。
笑顔をつくって──
その声は驚くほど澄んでいた。
「身に余るお言葉です、殿下。」
講堂全体が静まり返る。
そして続けた。
「──ですが、殿下の願いは、恐らく叶わないと思います。」
セドリックさんが「──え……?」と顔色を変えた。
ラグナは目を丸くして、直後「──なっ……!?」と声を漏らす。
まさか自分が差し伸べた“救いの手”を、堂々と振り払われるとは夢にも思っていない顔だ。
俺も思わず息を呑んだ。
ブリジットちゃん……何を言うつもりなんだ?
ブリジットちゃんは、真っ直ぐラグナを見つめたまま言い放った。
「何故なら、“統覇戦”を勝ち抜くのは、貴方ではなく……」
「私と、私が最も信頼する、パートナーだからです。」
ラグナの顔が……
青ざめ、次に真っ赤に染まり──歪んでいく。
怒り。
混乱。
屈辱。
理解不能。
全部が混ざって暴れていた。
俺は胸の奥が熱くなるのを感じた。
彼女は……俺を、
“自分が信じるパートナー”と……言ったんだ。
その想いが、身体の奥まで響く。
しかしブリジットちゃんはさらに続ける。
「それに……ありがたいお話ですけど……
ラグナ殿下の妻に、というお話も、お断りさせていただきたく思います。」
声は震えていない。
まるで“真実”をただ宣言するみたいに、静かで強かった。
「私、好きな人がいるんです。きっとその人が、わたしと一緒に、“統覇戦”の勝利を掴み取ってくれるから。」
講堂が一瞬にしてざわめきに飲まれる。
ラグナの表情が、驚愕から……
ゆっくりと怒りへ……
怒りから、さらに歪んだ“嫉妬の顔”へ変わっていく。
俺は心臓がドクンと鳴った。
ブリジットちゃん……
どこまで真っ直ぐで、どこまで俺のことを信じてくれるんだ……。
そのとき。
隣の長身お姉さんが、ポンと俺の肩を叩いた。
「……ひゃっ」
驚いて振り向くと──
お姉さんはまるで俺の内心を全て知ってるみたいに微笑んでいた。
「──アナタは、誰よりも強い力を持っている。それは事実よ。」
え……?
「だからアナタは"遠慮"しているのよね? 誰よりも強い自分が手を貸すのは、“フェアじゃあない”って。」
……図星すぎて、言葉が出なかった。
そうだ。
俺は本当は今すぐ飛び出したかった。
でも、“真祖竜の力”を振りかざして彼女を守ることが、本当に正しいのか迷っていた。
それを、お姉さんは──いや、"彼女"は、全部わかっていたみたいだ。
"彼女"は俺の背中にぐいっと手を置き、言う。
「──アナタは強くて、優しい。倒さなきゃいけない相手のことすら思いやってしまう程に。それは分かってる。でもね……ッ!!」
そして、キッと眉を上げて──
パァン!!!
背中を叩いた。
文字通り、人間なら壁まで吹っ飛ぶパワーで。
「強ェも弱ェも関係無ェッ!! 惚れた女を助けるのに、ゴチャゴチャ理由考える男があるかよッッ!!」
講堂中の音が一瞬止まったように感じた。
俺はその一言に、胸の奥で何かが弾けるような感覚を覚えた。
ああ……
そうだよ。
そんなもの、どうだっていいんだ。
俺はブリジットちゃんを助けたい。
守りたい。
彼女の側に立ちたい。
それだけでいい。
「──ありがとう。頭スッキリしたよ。……ジュラ姉。」
そう言って笑うと、
お姉さん──いや、ジュラ姉は顔を真っ赤にして
「……やっぱり、アルドきゅんの目は誤魔化せなかったのねッ!」
と照れながら視線をそらす。
可愛いな、この人。
正体が巨大ティラノサウルスとは思えない。
俺は笑ってジュラ姉に軽く手を振り、
再び壇上のラグナとブリジットちゃんに視線を向けた。
次に何が起きるのかは……
たぶん、もう決まっている。
俺が、あそこに立つ番だ。
────────────────────
壇上の中央。
強烈なスポットライトに照らされながら、ブリジットは一歩も動かずに立っていた。
正面で怒りに顔を歪めるラグナ第六王子を、
その瞳は、静かに──しかし確かに見つめ返している。
胸の奥では、きっと恐怖もある。
けれど、それ以上に確かなものがあった。
(……多分、この人は、あたしのことが好きなんだろう)
ブリジットは自覚していた。
いくら鈍くても、あれだけ露骨なら嫌でも分かる。
だが──その感情は、愛情とは違う。
彼は“ブリジット・ノエリア”を好きなのではなく、
“可哀想な少女を救う自分”が好きなのだ。
そこには“相手”がいない。
いるのは“救われるべき役”と、“救う主人公であるべき自分”。
(でも……あたし、もう“可哀想な自分”でいるつもりはないの)
少し前なら、ひょっとしたら受け入れてしまっていたかもしれない。
けれど、今は違う。
今の自分は、強くなりたくて、強くなれて、そして……信じられる人がいる。
だからブリジットは、深く息を吸い、ラグナを正面から見つめた。
ラグナの背後で、セドリックが震える声で名を呼ぶ。
「ぶ……ブリジット……!」
彼女の言葉の意味を理解しながらも、止めることができない。
それほどまでに、ラグナの顔は怒りで赤黒く染まっていた。
怒りを押し殺す震えた声で、ラグナが呟く。
「──好きな人がいる、だと? ……僕以外に?」
その響きは、講堂の空気を瞬間的に張り詰めさせた。
「しかも……そいつが……僕を倒して、統覇戦を勝ち抜く……だと!?」
次の瞬間。
バチィンッ!!
空気の膜が破れたような音と共に、ラグナの身体から黄金の魔力が噴き出す。
それは炎のようで、雷のようで、王権そのものの傲慢を具現化した光だった。
「う、おいっ……!」
「ラグナ王子が……ブリジット嬢にフラれて……キレたッ!?」
「こ……これ、魔力暴走してるんじゃ……!?」
編入生も在学生も、一斉に後ずさる。
召喚高校生組も立ち上がり、一条は青ざめた表情で言った。
「こ……この魔力……これは笑い事では済まないぞ!」
鬼塚は舌打ちし、肩を回しながら言う。
「入学式で何やってんだよあの王子!? フラれたくらいで暴走すんじゃねぇ!!」
佐川も身構え、剣に魔力を込め始める。
「玲司、いざとなったら俺らで止めるぞ!」
ザキは剣の柄を握りしめ、額に汗を浮かべながら呻いた。
(くっ……! この魔力量……冗談抜きでヤバいヤツやん……!この場のドサクサで……やるしかないか? 大勢の目ぇはあるが……やむを得ん、“奥の手”を使ってでも──)
ザキは決意を固めかけ、壇上奥で腰を抜かしている学長へ叫ぶ。
「なぁ! 学長さん!!この学園、王家の威光なんて通用せん“実力主義”なんやろ!? 殿下のこの暴走、アカンのとちゃうの!?」
学長は蒼白のまま震えた声を返す。
「か……完全実力主義だからこそ……ラグナ殿下を止められる者は……この学園には、おらぬのだ……!」
ザキは苛立ちに舌打ちした。
(ほな俺が……!!)
だが──その瞬間。
黄金の魔力の中心で、ブリジットだけは一歩も退かずにラグナを見つめていた。
恐怖の色が、どこにもない。
ただ、静かに、凛として。
その視線が余計にラグナの怒りを煽った。
「──見ろよッ、この魔力を……!」
黄金の光が爆ぜ、床の石畳を浮かせる。
「“主人公”である僕の、この力……
誰が止められるって言うんだ!? ああ!?」
しかし、ブリジットは微動だにしなかった。
「や……やめろ……ブリジット……!」
セドリックが顔面蒼白で呟く。
ラグナの背後では、リゼリアとルシアがセドリックの影に隠れていた。
講堂の空気は重く、熱く、息ができないほどに圧迫されている。
だが──ブリジットだけは、穏やかにラグナを見つめ続けていた。
ラグナはその視線に、はっきりと怯えた。
(な……何故だ……
何故、また“シナリオ通り”にならない!?
僕が“救ってやる”と言っているのに……!)
胸中が混乱し、怒りが膨れ上がる。
(どうしてだ……どうしてこんな大勢の前で……
僕が恥をかかなきゃならない……!?
どうしてこんな……ッ!)
そして、口をついて出たのは──嫉妬に染まった叫び。
「“誰”が……ッ!?
“誰”が僕より優れてるって!?
“誰”が僕の代わりに、お前を守って、隣にいるってんだ!?ああァッ!!?」
大気が震え、黄金の魔力がブリジットへと押し寄せる。
だが──その瞬間。
ブリジットの目の前で、
黄金の奔流が“弾かれた”。
衝突した色は──銀。
眩い銀色の魔力が、黄金の魔力を押し返し、
空間の中心に風穴のような静寂をつくり出す。
ブリジットの胸が温かく満たされていく。
自分の隣で、銀の魔力が優しく渦を巻いている。
息を吸って──ゆっくりと笑顔になった。
「あたしの隣に立つ人は……
立って欲しいって、思う人は……」
ブリジットは、穏やかに横を向く。
そこに──彼がいた。
銀の魔力を纏い、静かにブリジットの隣に立つ少年。
アルド。
彼はまるで初めからそこに立っていたかのように自然に、ラグナへと視線を向けて言った。
「──俺だよ。」
ラグナの顔が怒りで歪み、絶叫が響く。
「やっぱり……お前かァ!!
──アルド・ラクシズゥッッ!!」
ラグナの黄金の魔力と、アルドの銀色の魔力が爆発的にぶつかり合い、壇上全体が“光”と“衝撃”に飲み込まれた。
講堂の空気が、ほんのわずかに軋んだ気がした。
彼女はゆっくり立ち上がる。
その背中はいつも通りまっすぐなんだけど……どこか、迷いがあるようにも見えた。
いや、当然だ。理由も分からないまま、皆の前で呼び出されるんだから。
背後から、ザキさんが俺の耳元で低く唸るように言った。
「……なんや、あの王子。ブリジットさん呼びつけて、何するつもりや?」
俺だって同意見だ。どういうつもりだ……?
ラグナ・ゼタ・エルディナス……
だけど、俺はどうにも判断がつかず、手が動かない。
動こうと思えば動ける。でも、動いた瞬間……彼女の気持ちを踏みにじってしまうような、そんな気がして躊躇していた。
隣の長身お姉さんも、険しい顔でブリジットちゃんの後ろ姿を見つめている。
この人がこんな顔をするのは初めて見た。
ブリジットちゃんは階段を上り、ステージへと向かう。
ゆっくり、ゆっくり……まるで自分の足運びのひとつひとつを確かめるように。
そしてラグナ王子の目の前へ辿り着くと──
「──まずは復学おめでとう、ブリジット・ノエリア嬢。」
満面の笑みで、ラグナ王子は恭しく一礼した。
……が、その一礼は俺にはやけにわざとらしく映った。
礼儀として完璧すぎる。
角度も、動きも、声の抑揚も。
そう、“完璧すぎる”んだ。
そこに心が宿っていない。
あくまで『そう振る舞うべきだと計算している』人間の所作だ。
ブリジットちゃんは、ぎこちないながらも笑顔を作る。
でもその笑顔は、口元だけが上がっていて、目はどこか不安げに揺れていた。
……大丈夫かな。
気づけば俺の手は膝の上で無意識に握られていた。
ラグナ王子は会場を見渡し、声を張り上げる。
「皆も知っての通り、彼女……ブリジット・ノエリアはかつて、"ハズレスキル"を授かり、この大学を去った。」
その瞬間。
ブリジットちゃんの肩がビクリと震えた。
隣のセドリックさんが、心底苦しげに顔を歪めたのが見えた。
おい……お前……何を言い出すんだよ。
この短い一言だけで、彼女をどれだけ傷つけるか、分からないのか?
ラグナは続ける。
「ノエリア公爵家からも、一度は見放され……家族からも友人からも距離を置かれ……“可哀想な”彼女は、たった一人でフォルティア荒野へ送られた。」
……その言い方はないだろう。
悪気がないのは分かる。
分かるけど……だからこそ、余計にタチが悪い。
ブリジットちゃんの指先が震えている。
彼女の視線は必死に前を向こうとしてるけど、僅かに下がっている。
「それでも彼女は、苦境にめげず、フォルティア荒野の開拓を継続した。
邪悪な魔竜ザグリュナと戦い、傷を負わされても……再び立ち上がった!
今や前人未到の開拓を果たし、フォルティアに街まで建設している!
その姿に……僕は深く感動した!」
会場がどよめく。
賞賛の声もある。
「あの少女が……」「信じられない……」「本当に……?」
そんな囁きがそこかしこであがる。
だが俺の耳には、そんな声は届いてこない。
俺はただ一点──ブリジットちゃんの表情だけを見ていた。
俯きそうになる顔を、必死に持ち上げている。
その笑顔は……痛々しいほど無理をしている。
彼女の中で過去の記憶が、ざくざくと抉られているのが見えるようだ。
なのに。
ラグナ王子は──何の悪意もなく、ただ“可哀想なヒロイン”を強調し続ける。
「そんな彼女こそ、この国の……いや、僕の“ヒロイン”に相応しい!」
胸の奥がキッと痛んだ。
待て。
お前は……いま……彼女を何だと思ってる?
そして、極めつけの一言を言い放つ。
「故に、僕はここに誓おう!僕が此度の“統覇戦”に勝利した暁には、彼女を……ブリジット・ノエリアを、『不幸な人生』から解き放ってみせる!」
会場が静まり返った。
ブリジットちゃんの目が大きく見開かれる。
ゆっくりと、ゆっくりと、顔が青ざめていくように見えた。
ラグナは一歩近づき、柔らかい声で告げた。
「君を……僕の妻に迎える。」
……っっ!!!
俺の頭の中で何かが、バキッと音を立てて折れた気がした。
彼女の人生を“可哀想”だと決めつけて、
“救ってやる”という勝手な役割を押しつけて、
“ヒロイン”だの
“妻にする”だの──
全部、全部……何も分かっていない。
俺が知っているブリジットちゃんは──
そんな弱い生き方なんてしてない。
誰かに救われたいなんて言ってない。
ブリジットちゃんの拳が震える。
指先がぎゅっと握られている。
その手は、血が滲むほど力を込めていた。
俺は立ち上がりかけて、踏みとどまった。
今、割って入るべきなのか──
それとも、彼女の意思を信じて待つべきなのか。
心が千切れそうだった。
俺は息を呑み、彼女の答えを待つしかなかった。
◇◆◇
ブリジットちゃんは、ラグナの台詞を聞き終えたあと──
まるで壊れそうなガラス細工みたいな笑みを浮かべて、じっと動かずに立っていた。
その笑顔は……笑顔とは呼べない。
形だけ、口元を上げているだけだ。
目元はうっすら潤んで、焦点がどこにも合っていない。
そして、俺は気づいてしまった。
彼女の手が、震えながら──
血が滲むほどに、ギュッと握られていることに。
……っ。
胸がひどく痛んだ。
ラグナの言っていることは、言葉の内容だけを並べれば間違ってはいない。
でも──
こいつは、ブリジットちゃんの“心”を見ていない。
いや……
最初から見ようとしていない。
彼女の人生を勝手に“可哀想”だと断じて、
その“可哀想なヒロイン”を救う“主人公の俺”でいたいだけだ。
それが、透けて見える。
俺が知っているブリジットちゃんは、
自分を“可哀想”だなんて思ってないし、誰かに救われるだけの存在でもない。
確かに、俺や皆が力を貸したことはある。
でも──それを掴み取ったのはブリジットちゃん自身だ。
彼女は、人に寄りかかって生きていく子じゃない。
だからこそ。
俺は今この場で、勝手に彼女の前に飛び出すことができなかった。
助けたい。
守りたい。
ラグナのエゴから引き剥がしたい。
でも……それは俺のエゴじゃないのか?
彼女は、それを望んでいるのか?
──そんな答えのない迷いが、俺の足を縛り付けていた。
だが次の瞬間。
壇上のブリジットちゃんが、小さく息を吐いた。
フーッと──震える呼吸を整えるみたいに。
そして、顔を上げた。
さっきまでとは違う、覚悟の宿った目で。
その目はまっすぐラグナを見据えている。
笑顔をつくって──
その声は驚くほど澄んでいた。
「身に余るお言葉です、殿下。」
講堂全体が静まり返る。
そして続けた。
「──ですが、殿下の願いは、恐らく叶わないと思います。」
セドリックさんが「──え……?」と顔色を変えた。
ラグナは目を丸くして、直後「──なっ……!?」と声を漏らす。
まさか自分が差し伸べた“救いの手”を、堂々と振り払われるとは夢にも思っていない顔だ。
俺も思わず息を呑んだ。
ブリジットちゃん……何を言うつもりなんだ?
ブリジットちゃんは、真っ直ぐラグナを見つめたまま言い放った。
「何故なら、“統覇戦”を勝ち抜くのは、貴方ではなく……」
「私と、私が最も信頼する、パートナーだからです。」
ラグナの顔が……
青ざめ、次に真っ赤に染まり──歪んでいく。
怒り。
混乱。
屈辱。
理解不能。
全部が混ざって暴れていた。
俺は胸の奥が熱くなるのを感じた。
彼女は……俺を、
“自分が信じるパートナー”と……言ったんだ。
その想いが、身体の奥まで響く。
しかしブリジットちゃんはさらに続ける。
「それに……ありがたいお話ですけど……
ラグナ殿下の妻に、というお話も、お断りさせていただきたく思います。」
声は震えていない。
まるで“真実”をただ宣言するみたいに、静かで強かった。
「私、好きな人がいるんです。きっとその人が、わたしと一緒に、“統覇戦”の勝利を掴み取ってくれるから。」
講堂が一瞬にしてざわめきに飲まれる。
ラグナの表情が、驚愕から……
ゆっくりと怒りへ……
怒りから、さらに歪んだ“嫉妬の顔”へ変わっていく。
俺は心臓がドクンと鳴った。
ブリジットちゃん……
どこまで真っ直ぐで、どこまで俺のことを信じてくれるんだ……。
そのとき。
隣の長身お姉さんが、ポンと俺の肩を叩いた。
「……ひゃっ」
驚いて振り向くと──
お姉さんはまるで俺の内心を全て知ってるみたいに微笑んでいた。
「──アナタは、誰よりも強い力を持っている。それは事実よ。」
え……?
「だからアナタは"遠慮"しているのよね? 誰よりも強い自分が手を貸すのは、“フェアじゃあない”って。」
……図星すぎて、言葉が出なかった。
そうだ。
俺は本当は今すぐ飛び出したかった。
でも、“真祖竜の力”を振りかざして彼女を守ることが、本当に正しいのか迷っていた。
それを、お姉さんは──いや、"彼女"は、全部わかっていたみたいだ。
"彼女"は俺の背中にぐいっと手を置き、言う。
「──アナタは強くて、優しい。倒さなきゃいけない相手のことすら思いやってしまう程に。それは分かってる。でもね……ッ!!」
そして、キッと眉を上げて──
パァン!!!
背中を叩いた。
文字通り、人間なら壁まで吹っ飛ぶパワーで。
「強ェも弱ェも関係無ェッ!! 惚れた女を助けるのに、ゴチャゴチャ理由考える男があるかよッッ!!」
講堂中の音が一瞬止まったように感じた。
俺はその一言に、胸の奥で何かが弾けるような感覚を覚えた。
ああ……
そうだよ。
そんなもの、どうだっていいんだ。
俺はブリジットちゃんを助けたい。
守りたい。
彼女の側に立ちたい。
それだけでいい。
「──ありがとう。頭スッキリしたよ。……ジュラ姉。」
そう言って笑うと、
お姉さん──いや、ジュラ姉は顔を真っ赤にして
「……やっぱり、アルドきゅんの目は誤魔化せなかったのねッ!」
と照れながら視線をそらす。
可愛いな、この人。
正体が巨大ティラノサウルスとは思えない。
俺は笑ってジュラ姉に軽く手を振り、
再び壇上のラグナとブリジットちゃんに視線を向けた。
次に何が起きるのかは……
たぶん、もう決まっている。
俺が、あそこに立つ番だ。
────────────────────
壇上の中央。
強烈なスポットライトに照らされながら、ブリジットは一歩も動かずに立っていた。
正面で怒りに顔を歪めるラグナ第六王子を、
その瞳は、静かに──しかし確かに見つめ返している。
胸の奥では、きっと恐怖もある。
けれど、それ以上に確かなものがあった。
(……多分、この人は、あたしのことが好きなんだろう)
ブリジットは自覚していた。
いくら鈍くても、あれだけ露骨なら嫌でも分かる。
だが──その感情は、愛情とは違う。
彼は“ブリジット・ノエリア”を好きなのではなく、
“可哀想な少女を救う自分”が好きなのだ。
そこには“相手”がいない。
いるのは“救われるべき役”と、“救う主人公であるべき自分”。
(でも……あたし、もう“可哀想な自分”でいるつもりはないの)
少し前なら、ひょっとしたら受け入れてしまっていたかもしれない。
けれど、今は違う。
今の自分は、強くなりたくて、強くなれて、そして……信じられる人がいる。
だからブリジットは、深く息を吸い、ラグナを正面から見つめた。
ラグナの背後で、セドリックが震える声で名を呼ぶ。
「ぶ……ブリジット……!」
彼女の言葉の意味を理解しながらも、止めることができない。
それほどまでに、ラグナの顔は怒りで赤黒く染まっていた。
怒りを押し殺す震えた声で、ラグナが呟く。
「──好きな人がいる、だと? ……僕以外に?」
その響きは、講堂の空気を瞬間的に張り詰めさせた。
「しかも……そいつが……僕を倒して、統覇戦を勝ち抜く……だと!?」
次の瞬間。
バチィンッ!!
空気の膜が破れたような音と共に、ラグナの身体から黄金の魔力が噴き出す。
それは炎のようで、雷のようで、王権そのものの傲慢を具現化した光だった。
「う、おいっ……!」
「ラグナ王子が……ブリジット嬢にフラれて……キレたッ!?」
「こ……これ、魔力暴走してるんじゃ……!?」
編入生も在学生も、一斉に後ずさる。
召喚高校生組も立ち上がり、一条は青ざめた表情で言った。
「こ……この魔力……これは笑い事では済まないぞ!」
鬼塚は舌打ちし、肩を回しながら言う。
「入学式で何やってんだよあの王子!? フラれたくらいで暴走すんじゃねぇ!!」
佐川も身構え、剣に魔力を込め始める。
「玲司、いざとなったら俺らで止めるぞ!」
ザキは剣の柄を握りしめ、額に汗を浮かべながら呻いた。
(くっ……! この魔力量……冗談抜きでヤバいヤツやん……!この場のドサクサで……やるしかないか? 大勢の目ぇはあるが……やむを得ん、“奥の手”を使ってでも──)
ザキは決意を固めかけ、壇上奥で腰を抜かしている学長へ叫ぶ。
「なぁ! 学長さん!!この学園、王家の威光なんて通用せん“実力主義”なんやろ!? 殿下のこの暴走、アカンのとちゃうの!?」
学長は蒼白のまま震えた声を返す。
「か……完全実力主義だからこそ……ラグナ殿下を止められる者は……この学園には、おらぬのだ……!」
ザキは苛立ちに舌打ちした。
(ほな俺が……!!)
だが──その瞬間。
黄金の魔力の中心で、ブリジットだけは一歩も退かずにラグナを見つめていた。
恐怖の色が、どこにもない。
ただ、静かに、凛として。
その視線が余計にラグナの怒りを煽った。
「──見ろよッ、この魔力を……!」
黄金の光が爆ぜ、床の石畳を浮かせる。
「“主人公”である僕の、この力……
誰が止められるって言うんだ!? ああ!?」
しかし、ブリジットは微動だにしなかった。
「や……やめろ……ブリジット……!」
セドリックが顔面蒼白で呟く。
ラグナの背後では、リゼリアとルシアがセドリックの影に隠れていた。
講堂の空気は重く、熱く、息ができないほどに圧迫されている。
だが──ブリジットだけは、穏やかにラグナを見つめ続けていた。
ラグナはその視線に、はっきりと怯えた。
(な……何故だ……
何故、また“シナリオ通り”にならない!?
僕が“救ってやる”と言っているのに……!)
胸中が混乱し、怒りが膨れ上がる。
(どうしてだ……どうしてこんな大勢の前で……
僕が恥をかかなきゃならない……!?
どうしてこんな……ッ!)
そして、口をついて出たのは──嫉妬に染まった叫び。
「“誰”が……ッ!?
“誰”が僕より優れてるって!?
“誰”が僕の代わりに、お前を守って、隣にいるってんだ!?ああァッ!!?」
大気が震え、黄金の魔力がブリジットへと押し寄せる。
だが──その瞬間。
ブリジットの目の前で、
黄金の奔流が“弾かれた”。
衝突した色は──銀。
眩い銀色の魔力が、黄金の魔力を押し返し、
空間の中心に風穴のような静寂をつくり出す。
ブリジットの胸が温かく満たされていく。
自分の隣で、銀の魔力が優しく渦を巻いている。
息を吸って──ゆっくりと笑顔になった。
「あたしの隣に立つ人は……
立って欲しいって、思う人は……」
ブリジットは、穏やかに横を向く。
そこに──彼がいた。
銀の魔力を纏い、静かにブリジットの隣に立つ少年。
アルド。
彼はまるで初めからそこに立っていたかのように自然に、ラグナへと視線を向けて言った。
「──俺だよ。」
ラグナの顔が怒りで歪み、絶叫が響く。
「やっぱり……お前かァ!!
──アルド・ラクシズゥッッ!!」
ラグナの黄金の魔力と、アルドの銀色の魔力が爆発的にぶつかり合い、壇上全体が“光”と“衝撃”に飲み込まれた。
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