60 / 248
第4章 "色欲の魔王"編
第58話 ファンとサインと宰相の影
しおりを挟む
──夜の王都ルセリアは、まるで舞台の幕が下りた後の劇場みたいだった。
人波が引き、石畳を叩く足音もまばらになった中心街の奥。
かすかに笛の音が流れる風に乗って、俺たちはルセリア中央公園の片隅に腰を下ろしていた。
石造りの円形広場、噴水の奥には大劇場の白い外壁。
その建物の明かりが池に映り込み、夜風に揺れてキラキラと揺らめいている。
ベンチには、俺とヴァレン。
芝生の上に座ってるのは、浴衣姿のブリジットちゃんとフレキ(ダックスモード)で、
そのちょっと離れた木陰に、リュナちゃんが腕を組んで立ってる──顔を背けたまま。
「いや~、最高だったなあ、今日の飲み会!」
ヴァレンが両腕をベンチの背もたれに伸ばして、夜空を見上げる。
風に揺れる赤メッシュの入った黒髪の下、サングラスが夜でもキラリと光っていた。
「咆哮も、涙も、青春も、熱血告白も、全部詰め込まれてた!
俺的には、ラブコメ神回って感じだったぜ?」
「……どこ目線なんだよ」
俺は苦笑しながらも、確かに、と小さく頷く。
(……ほんと、大学時代以来かもしれない。こんな、楽しかった夜って)
地球で最後に行った飲み会。
研究室の同期と、卒業祝いで騒いだ居酒屋。
あの時は、未来のことばかり考えてた。
まさか、“次の未来”が、こんな異世界にあるなんて思ってもいなかったけど──
「アルドくん、今日の唐揚げもおいしかったけど、さっきのシチューも最高だったね!」
芝生の上でブリジットちゃんがにっこり笑って、フレキくんを胸に抱きかかえる。
ミニチュアダックスモードのフレキくんは「ボクもそう思います!」と元気に頷いた。
リュナちゃんは、と言えば──
木の根元に背中を預け、マスク越しに視線をそらしつつ腕を組んでいた。
「……まあ、料理は美味しかったっすね……」
マスクのせいで表情は読めないけど、耳が真っ赤なのが分かる。
あれは、間違いなく照れてる。
「おいリュナ。てかさ、それ──」
ヴァレンがリュナちゃんを指差す。
「“咆哮”のコントロール、もう出来てるんだろ?
だったら、その黒マスク、外しても平気なんじゃねーの?」
その問いに、リュナちゃんは少しだけ肩を震わせて、顔をそむける。
「……うっさいな。……これ、デザインが気に入ってんだよ」
照れ隠しと分かる語気の強さに、ヴァレンがにやにやと笑う。
「ほーん? じゃあ、俺がプレゼントしたからとかじゃなく?」
「ちげーし!!」
マスク越しでも分かるくらい、リュナちゃんの声が1オクターブ上がった。
ぎゅっと腕を組む力が強まってるのが見える。
(ああ……これは……)
ブリジットちゃんと、フレキくんと、俺。
3人と1匹で、顔を見合わせる。
──そして、つい笑ってしまった。
ブリジットちゃんはフレキくんの頭を優しくなでながら、ぽつりとつぶやく。
「……リュナちゃん、優しいね」
「……なんすか、みんな。気味わるいっすよ」
リュナは拗ねたように言うけれど、ほんの少しだけ、目がやわらかくなったような気がした。
風が、噴水の水面をなでるように吹き抜けていく。
星空の下。今日の夜が、確かに特別なものだったって、誰もが感じていた。
「よし!」
パンッと、手を叩く音が響いた。
「2件目、行くか! 今日の俺は気前がいいぜ!」
ヴァレンが立ち上がり、背筋を伸ばして両手を広げる。
「あーしとこのアホ(ヴァレン)は宿取ってないし、夜通しコースもアリっすね。今からフォルティア荒野まで飛んで帰るのもダルいし。」
リュナが立ち上がりながら、肩をぐるりと回す。
ブリジットとフレキも、ぴょこんと立ち上がって「おー!」と笑った。
──そして、楽しい夜はまだ、続く。
◇◆◇
──ルセリア中央公園。
夜のざわめきと、心地よい静けさが同居する広い石畳の広場。
──全員が、今という時間を、素直に楽しんでいた。
けれど、俺だけは一歩引いて、ふと現実的な疑問が脳裏をかすめた。
「……でもさ、ヴァレン。大丈夫なの? 二次会って、また奢るつもりなんだろ?」
俺は思い切って口にした。
さっきの居酒屋でも、結構な額を払ってたはずだ。財布の中、ちゃんと残ってるのか……?
と言うか、そもそも"大罪魔王"なのに、なんでちゃんとお金持ってるの?
俺なんて、この街来た段階で無一文だったのに。
「ん?」
ヴァレンは不敵に笑った。例の、サングラスの奥でニヤッと目を細めるあの笑みだ。
「大丈夫大丈夫!」
グイッと親指を立てて、親しみ満点のスマイルをよこしてくる。
その笑顔があまりに爽やかで、逆に不安になるのは何故だろう。
基本的に胡散臭いルックスなのよね、こいつ。
「今日の俺はな──」
風が吹いた。
ひゅんっ、と音を立てて彼のコートがめくれあがり、胸元のシャツがひらりとはだける。
半端に開いた胸元の素肌が、街灯に照らされてうっすら光っていた。
「……懐が、あったけぇんだよ!」
ヒロミGOの様な仕草でバァーンと宣言するヴァレン。
うわ、今のポーズだけでファンが付きそう。
チャラいけど、ベースがイケメンだから成立してしまってる部分はある。ズルいね!
「……なんか、あったのか?」
俺が怪訝な声で尋ねると、彼は誇らしげに胸を張った。
「実はさ、俺──趣味で“本”を書いててさ」
「……本?」
「そうそう。"漫画"ってやつなんだけど……まあ、分からないよな。それを、自費出版でな!」
……なん………だと………?
"漫画"?──"漫画"って言った?今。
まさか、とは思った。
でも、その時点ではまだ、俺は信じていなかった。
「長いこと売れなくてさ。書店に置いてもらってもホコリかぶってるし、読者アンケートなんて送られてきたこと一度もないし、レビューもゼロ! そりゃもう地獄みたいだったわけよ!」
けれど、そこでヴァレンの表情が一転した。
目元がふわっとゆるみ、口元に少年のような笑みが宿る。
「でも、今日──全巻まとめて買ってくれた奴がいたんだってよ! しかも、なんと24巻ぜーんぶ!」
(…………あ)
「でな? 久々にその書店に寄ってみたら、売上がちょこんと残ってて! やっと手元に戻ってきたんだ、俺の“想い”が!」
彼は両手を広げ、夜空に向かって叫ぶように笑った。
「金も嬉しい! けど、それ以上に──俺の価値観を理解してくれるヤツがこの世界のどこかにいるってわかったのが、一番嬉しかったんだよ!」
語るその姿は、本当に心から嬉しそうで、誰よりも“報われた”顔をしていた。
──だからこそ、俺の心臓は変な跳ね方をした。
だって、それ、たぶん俺だよ?
昨日、店頭で全巻大人買いしたの。
厳密に言うと、金出してくれたのブリジットちゃんではあるけど。
(……え、まさか……?)
俺は、恐る恐る口を開いた。
「な、なぁヴァレン……」
「うん?」
「その"漫画"って……“恋するカフェラテメモリー”ってタイトルだったり、しない?」
その一言で、空気が変わった。
ヴァレンが、動きを止めた。
風がピタリと止み、街灯の明かりだけが微かに揺れる。
彼は、ゆっくりとこちらに顔を向け──
サングラスの奥からじっと俺を見据えた。
「……どうして、その名前を……?」
問いかけの声は低く、静かで、逆に怖かった。
まるでホラー映画の“ドアを開けてはいけない”シーンの手前。
「あ、いや……昨日、たまたま書店でその本を見つけて……」
俺が恐る恐る言いかけた瞬間。
「……まさか……」
ヴァレンの口元が小刻みに震え始める。
唇がかすかに開いたと思ったら、次の瞬間──
「“全巻買ってくれた初めてのお客様”ってのは……お前だったのか……!?」
その目は、感情のジェットコースターに乗っていた。
俺は無言で、ゆっくりと頷いた。
──その瞬間だった。
「うおおおおおおおおぉぉぉぉぉおおおおおぉぉぉっっ!!!!」
公園中に響く絶叫!
何かが弾け飛んだような勢いで、ヴァレンが俺に飛びかかってくる!!
「相棒ぉぉぉぉぉぉぉっ!! お前が……お前が俺の運命の読者第一号だったとはァァァァァッ!!」
ガシィィィッ!!
肩を両手でがっつり掴まれ、俺の身体がゴンッと引き寄せられる。
めちゃくちゃ顔が近い!!
サングラスがうっすら曇ってる!!
「えっ、えっ!? じ、じゃあ……っ!! “押舞ヒカル先生”って──!?」
「そうだッッッ!! 俺だよぉぉぉぉぉおおおッッ!!」
震える手で自分の胸を叩きながら、ヴァレンは顔をクシャクシャにして叫んだ。
さっきまでの『何考えてるか分からない系キャラ』のオーラが全部“喜び”と“情熱”に変換されている。
「“色欲(ラスト)”だから“押舞(おしまい)”、そして“グランツ(輝き)”だから“ヒカル”!」
「駄洒落かよ!!」
「正体が“バレん(ヴァレン)”ように考えたんだよォォォ!!」
「いや、しょうもねぇな!!」
ツッコミの応酬とともに、再び俺にハグが飛んでくる。
軽くむせそうになる。
息ができない。
でも、こいつ、ほんとに嬉しそうだな!?
と言うか、俺も嬉しい!嬉しすぎる!
まさか……まさか、あの!!
あたおか天才漫画家の、"押舞ヒカル"先生が!!
こんな近くにいたなんて!!
「俺の作品を、俺の価値観を、俺の生き様を好きになってくれたのが……お前だったなんて……!!」
「せ、先生の作品──大好きですぅぅぅ!! 昨日からだけど!!」
「やめろおおおおぉぉ!! そんな可愛く応援されたら……俺、感動でどうにかなっちまうよ!?」
もはや公園の一角だけで、新しいジャンルのBLドラマが始まっているレベルの熱量。
俺とヴァレンの"運命交叉"が、明確に始まった瞬間だった。
────────────────────
一方。
少し離れた芝生の上では──
ブリジットがフレキを抱きながら、ぽかんと目を丸くしていた。
「アルドくんとヴァレンさん……めちゃくちゃ仲良しさんだねぇ……!」
あどけない笑顔でぽつりと呟くその声は、どこか神聖ですらあった。
隣のリュナは、黒マスク装着のまま、右手を額に当てていた。
「……なにやってんすかね、あの2人……」
その声は限界を超えた呆れだったが、マスクの下の口元には微かに笑みが浮かんでいた。
そして、唯一流れに完全に取り残されていたフレキ。
左右に首を傾げながら、ぐるぐる視線を二人の間に泳がせたのち──
「……ボク、まったく話の流れが分かりません」
と、正直すぎるコメントをぽつり。
──ルセリア中央公園の夜は。
月明かりの下、妙にテンションの高い“サイン会モード”に、突入していたのだった。
魔灯の淡い光が舗道のタイルに柔らかな影を落とし、時折、風に揺れる木々の枝の隙間から、星々の光が細く差し込んでいた。
遠く、噴水の音がかすかに聞こえる。夜の街にしては、どこか幻想的な静けさが漂っていた。
ベンチの脇、ヴァレンの興奮もようやく落ち着きを見せ始めたその瞬間。
「……やばっ!」
突如、鋭く弾けるような声が上がった。
全員が一瞬そちらを振り返る。
声の主──アルドは、青ざめた顔でマジックバッグを開き、文字通り“突っ込む”ようにして中身を漁っていた。
「ない、ない、ない……っ、頼む……どっかに……!」
カチャカチャと鳴る金属音。手のひらに触れるのは携帯食料、伝説の調味料、魔法式コンロ、折り畳み式鍋──
アルドが"星降りの宝庫"から無断で拝借してきたお宝ばかり。
だが、彼が今欲しいのはそんなものじゃない。
「なんで今に限って……っ、ペン……! サインもらうための、黒ペンがない!!」
焦燥に染まった顔を上げるアルド。その頬には、うっすらと汗。
しかしその目には、明らかな“熱”が宿っていた。
──そう、期せずして巡ってきたこのチャンス。
漫画『恋するカフェラテメモリー』の作者、“色欲の魔王”ヴァレン・グランツ──
……いや、“押舞ヒカル先生”本人からサインをもらえるなんて、あり得ない奇跡だ。
記念すべき“ファン第一号”である自分が、その証を残さずにどうする。
「ちょっと待ってて!すぐ戻るから!!」
そう叫ぶや否や、彼はマジックバッグの口を閉じ、地面を蹴った。
夜風を切るように走り出す。
黒い上着の裾がふわりと翻り、魔灯の光にひらりと映える。
月明かりが肩越しに差し、彼の背を淡く照らしていた。
「お、おい!? どこ行くんだ相棒!? 置いてかないでっ!」
ヴァレンの間の抜けた声が背後から響くが、アルドは振り返らず、手だけを大きく振って応えた。
「すぐ戻るってば! サインもらうための準備!!」
その声は、やけに明るかった。
まるで、これから人生初のライブに向かう学生のように。
あるいは、幼い頃に憧れたヒーローのサイン会に向かう少年のように。
──その後ろ姿を、残された三人と一匹が見送る。
リュナがマスクの奥でため息をひとつ。
だがその声には、怒気でも呆れでもなく、どこか小さな微笑が混じっていた。
「……兄さん、どんだけテンション上がってんすか。まったく」
黒マスクを指でトントンと整えながら、彼女はふと空を見上げた。
星がきれいだった。
その隣、膝にちょこんと座るフレキが、首をかしげてリュナに小声で尋ねる。
「アルドさんって……時々すごく“子どもっぽい”ですよね」
その言葉に、リュナは一瞬だけ目を見開き──ふっと口元を緩めた。
「……そうかもね。マジすげー人なのに、あのギャップがまた………。」
その後ろで、ブリジットが優しく笑っていた。
彼女の腕に抱かれたフレキの背を撫でながら、まるで母親のような包容力を滲ませて。
「うん……ほんとに、見てるだけで元気になるよね。アルドくんって」
三人と一匹の視線が、舗道の先に向けられる。
夜の公園の出口。魔灯が細く続くその先には、まだ活気の残る王都の繁華街がある。
そこへ、アルドの姿はどんどん小さくなって──それでも、どこか弾んだリズムで駆けていく。
夜風に吹かれる上着。
背筋を伸ばしたまま走るその姿は、まるで夢の続きを追う少年のようだった。
──そして、誰にも聞こえないような小さな声が、彼の唇からこぼれる。
「頼む……売店、開いててくれ……!」
その声は願いと興奮が入り混じり、
星降る夜のどこかへ、ふわりと溶けていった。
◇◆◇
アルドがペンを探しに小走りで去ってから、しばらく。
夜の静けさが、ふたたび一行の周囲に降りていた。
舗道をなぞるように流れる魔灯の光、涼しい風。遠くの劇場からかすかに届く楽団のリハーサル音が、心地よく背景を彩っている。
「ふぅ……」
ヴァレンはベンチにもたれ、Z◯MA風の酒の瓶をぐるぐると回していた。
さきほどのテンションが少し落ち着いて、今はにやけた顔のまま天を仰いでいる。
リュナは公園の柵に腰を預け、フレキはブリジットの腕に抱かれ、両者とも静かに夜気を味わっていた。
──そんな中。
不意に、背後から響く低く落ち着いた声が、静寂を裂いた。
「……ここにいたか」
その瞬間、空気が変わった。
リュナの眉がピクリと動き、反射的に黒マスクの口元に指が伸びる。
ヴァレンは瓶を止め、サングラス越しに声の方向へ視線を送った。
ブリジットは、聞き覚えのない重厚な声に、ゆっくりと振り向く。
──そしてそこに立っていたのは、二つの威厳ある人影だった。
一人は、深い緋色の詠唱服をまとった老紳士。
雪のような白髪に整えられた髭、鋭いが澄んだ双眸。
その立ち姿からは、ただの老齢ではない「重さ」があった。
エルディナ王国宰相──グラディウス・ヴァン・ヴィエロ。
その隣に立つのは、長い銀髪をぴしりと束ねた威厳ある妙齢の女性。
青紫の官衣を完璧に着こなし、知性と冷静さを感じさせる顔立ち。
魔術省長官──ミルダ・フォン。
「お楽しみのところ、すまないな。ブリジット・ノエリア嬢」
グラディウスの声は、決して威圧的ではなかったが──
それでも、自然と空気が張り詰めた。
「えっ……?」
ブリジットが戸惑い、思わずフレキをぎゅっと抱きしめた。
彼女には、目の前の人物たちが“ただ者ではない”ことが直感で伝わった。
「私たちが誰か、すぐに思い出す必要はない。だが、君がこの国に届けた最新の開拓報告書に、私たちは強い関心を持っている」
グラディウスの声は静かに響きながらも、含みを持っていた。
ミルダは黙したまま、ただその冷たい視線をブリジットたちの輪に流していた。
リュナは無言でグラディウスとミルダを見返し、微かに唇を結ぶ。
敵意ではないが──本能的な防御の構えが、彼女の佇まいににじんでいた。
「え、えっと……私、開拓のことで……? 書類ならもう提出してあって……」
ブリジットが困惑のまま口にする。
すると、ヴァレンがゆっくりとベンチから立ち上がった。
気だるげな動きだが、どこか一瞬、雰囲気が変わった。
「へぇ……わざわざ、あんたらが来るとはねぇ。」
サングラスの奥、目が細められる。
その声に、ミルダがピクリと反応した。
目が合った瞬間、空気がごくりと揺れた。
それは、かつてどこかで交わされた“記憶”の残滓か。
だが、ミルダは言葉を発しない。
ただ、一歩前に出て、ブリジットに目を向けた。
「あなたの報告に記された“開拓の進行速度”、ならびに“荒野の環境変質”、そして“ザグリュナの魔力消失”……それらを総合すれば、王都として見過ごせる状況ではありません」
彼女の声は冷静そのもので、剣のように鋭かった。
「あなたが何を意図しなくとも──あなたの背後にある“何か”を、私たちは見極める必要があります」
「っ……」
ブリジットは、一瞬目を見開く。
だが、怯みながらも──彼女の両腕は、しっかりとフレキを抱きしめたままだった。
「おいおい、ブリジットさんには、なーんのやましいとこもないぜ?」
ヴァレンがゆるく笑いながら、肩をすくめる。
「そりゃあ、ちょっとばかし変わった奴らと一緒にいるけどさ──」
そのとき。
彼のサングラスの奥の目が、ほんの一瞬、真面目な光を帯びた。
「でもあんたらの“検分”ってのは、時に“祝福されなかった者たち”に冷たすぎるんじゃないのか?」
ミルダが静かに目を細める。
そして、すぐに目を逸らす。
会話にはならなかったが──確かに、何かがそこにあった。
「……ブリジット嬢。我々がここに来たのは、あなたを責めるためではない」
そう言ったのは、グラディウスだった。
彼の声は柔らかく──だが、その眼差しは“真実”を見抜く者のそれだった。
「ただ──あなたの背後に、今この国が“知っておくべき存在”が潜んでいる可能性がある。そう信じて、こうして来たのだ」
グラディウスの視線がふと、ブリジットの後ろへ流れる。
彼の“運命視”が、誰かを探しているような気配。
──そして、そこにアルドの姿はまだなかった。
公園の空気が、ひときわ静かに引き締まった。
ブリジットは、胸の前でフレキをそっと抱きしめる。
不安そうな目で、仲間たちを見た。
ヴァレンは、どこか懐かしげな笑みを浮かべながら、グラディウスを見返していた。
リュナは、黒マスクの奥で、じっと沈黙を保っている。
──やがて。
魔導塔の重鎮と、咆哮竜と魔王。
公園の片隅に、奇妙な緊張が生まれていた。
(……アルドくん、リュナちゃん……。)
ブリジットの心の奥で、そんな想いがひとしずく、震えていた。
人波が引き、石畳を叩く足音もまばらになった中心街の奥。
かすかに笛の音が流れる風に乗って、俺たちはルセリア中央公園の片隅に腰を下ろしていた。
石造りの円形広場、噴水の奥には大劇場の白い外壁。
その建物の明かりが池に映り込み、夜風に揺れてキラキラと揺らめいている。
ベンチには、俺とヴァレン。
芝生の上に座ってるのは、浴衣姿のブリジットちゃんとフレキ(ダックスモード)で、
そのちょっと離れた木陰に、リュナちゃんが腕を組んで立ってる──顔を背けたまま。
「いや~、最高だったなあ、今日の飲み会!」
ヴァレンが両腕をベンチの背もたれに伸ばして、夜空を見上げる。
風に揺れる赤メッシュの入った黒髪の下、サングラスが夜でもキラリと光っていた。
「咆哮も、涙も、青春も、熱血告白も、全部詰め込まれてた!
俺的には、ラブコメ神回って感じだったぜ?」
「……どこ目線なんだよ」
俺は苦笑しながらも、確かに、と小さく頷く。
(……ほんと、大学時代以来かもしれない。こんな、楽しかった夜って)
地球で最後に行った飲み会。
研究室の同期と、卒業祝いで騒いだ居酒屋。
あの時は、未来のことばかり考えてた。
まさか、“次の未来”が、こんな異世界にあるなんて思ってもいなかったけど──
「アルドくん、今日の唐揚げもおいしかったけど、さっきのシチューも最高だったね!」
芝生の上でブリジットちゃんがにっこり笑って、フレキくんを胸に抱きかかえる。
ミニチュアダックスモードのフレキくんは「ボクもそう思います!」と元気に頷いた。
リュナちゃんは、と言えば──
木の根元に背中を預け、マスク越しに視線をそらしつつ腕を組んでいた。
「……まあ、料理は美味しかったっすね……」
マスクのせいで表情は読めないけど、耳が真っ赤なのが分かる。
あれは、間違いなく照れてる。
「おいリュナ。てかさ、それ──」
ヴァレンがリュナちゃんを指差す。
「“咆哮”のコントロール、もう出来てるんだろ?
だったら、その黒マスク、外しても平気なんじゃねーの?」
その問いに、リュナちゃんは少しだけ肩を震わせて、顔をそむける。
「……うっさいな。……これ、デザインが気に入ってんだよ」
照れ隠しと分かる語気の強さに、ヴァレンがにやにやと笑う。
「ほーん? じゃあ、俺がプレゼントしたからとかじゃなく?」
「ちげーし!!」
マスク越しでも分かるくらい、リュナちゃんの声が1オクターブ上がった。
ぎゅっと腕を組む力が強まってるのが見える。
(ああ……これは……)
ブリジットちゃんと、フレキくんと、俺。
3人と1匹で、顔を見合わせる。
──そして、つい笑ってしまった。
ブリジットちゃんはフレキくんの頭を優しくなでながら、ぽつりとつぶやく。
「……リュナちゃん、優しいね」
「……なんすか、みんな。気味わるいっすよ」
リュナは拗ねたように言うけれど、ほんの少しだけ、目がやわらかくなったような気がした。
風が、噴水の水面をなでるように吹き抜けていく。
星空の下。今日の夜が、確かに特別なものだったって、誰もが感じていた。
「よし!」
パンッと、手を叩く音が響いた。
「2件目、行くか! 今日の俺は気前がいいぜ!」
ヴァレンが立ち上がり、背筋を伸ばして両手を広げる。
「あーしとこのアホ(ヴァレン)は宿取ってないし、夜通しコースもアリっすね。今からフォルティア荒野まで飛んで帰るのもダルいし。」
リュナが立ち上がりながら、肩をぐるりと回す。
ブリジットとフレキも、ぴょこんと立ち上がって「おー!」と笑った。
──そして、楽しい夜はまだ、続く。
◇◆◇
──ルセリア中央公園。
夜のざわめきと、心地よい静けさが同居する広い石畳の広場。
──全員が、今という時間を、素直に楽しんでいた。
けれど、俺だけは一歩引いて、ふと現実的な疑問が脳裏をかすめた。
「……でもさ、ヴァレン。大丈夫なの? 二次会って、また奢るつもりなんだろ?」
俺は思い切って口にした。
さっきの居酒屋でも、結構な額を払ってたはずだ。財布の中、ちゃんと残ってるのか……?
と言うか、そもそも"大罪魔王"なのに、なんでちゃんとお金持ってるの?
俺なんて、この街来た段階で無一文だったのに。
「ん?」
ヴァレンは不敵に笑った。例の、サングラスの奥でニヤッと目を細めるあの笑みだ。
「大丈夫大丈夫!」
グイッと親指を立てて、親しみ満点のスマイルをよこしてくる。
その笑顔があまりに爽やかで、逆に不安になるのは何故だろう。
基本的に胡散臭いルックスなのよね、こいつ。
「今日の俺はな──」
風が吹いた。
ひゅんっ、と音を立てて彼のコートがめくれあがり、胸元のシャツがひらりとはだける。
半端に開いた胸元の素肌が、街灯に照らされてうっすら光っていた。
「……懐が、あったけぇんだよ!」
ヒロミGOの様な仕草でバァーンと宣言するヴァレン。
うわ、今のポーズだけでファンが付きそう。
チャラいけど、ベースがイケメンだから成立してしまってる部分はある。ズルいね!
「……なんか、あったのか?」
俺が怪訝な声で尋ねると、彼は誇らしげに胸を張った。
「実はさ、俺──趣味で“本”を書いててさ」
「……本?」
「そうそう。"漫画"ってやつなんだけど……まあ、分からないよな。それを、自費出版でな!」
……なん………だと………?
"漫画"?──"漫画"って言った?今。
まさか、とは思った。
でも、その時点ではまだ、俺は信じていなかった。
「長いこと売れなくてさ。書店に置いてもらってもホコリかぶってるし、読者アンケートなんて送られてきたこと一度もないし、レビューもゼロ! そりゃもう地獄みたいだったわけよ!」
けれど、そこでヴァレンの表情が一転した。
目元がふわっとゆるみ、口元に少年のような笑みが宿る。
「でも、今日──全巻まとめて買ってくれた奴がいたんだってよ! しかも、なんと24巻ぜーんぶ!」
(…………あ)
「でな? 久々にその書店に寄ってみたら、売上がちょこんと残ってて! やっと手元に戻ってきたんだ、俺の“想い”が!」
彼は両手を広げ、夜空に向かって叫ぶように笑った。
「金も嬉しい! けど、それ以上に──俺の価値観を理解してくれるヤツがこの世界のどこかにいるってわかったのが、一番嬉しかったんだよ!」
語るその姿は、本当に心から嬉しそうで、誰よりも“報われた”顔をしていた。
──だからこそ、俺の心臓は変な跳ね方をした。
だって、それ、たぶん俺だよ?
昨日、店頭で全巻大人買いしたの。
厳密に言うと、金出してくれたのブリジットちゃんではあるけど。
(……え、まさか……?)
俺は、恐る恐る口を開いた。
「な、なぁヴァレン……」
「うん?」
「その"漫画"って……“恋するカフェラテメモリー”ってタイトルだったり、しない?」
その一言で、空気が変わった。
ヴァレンが、動きを止めた。
風がピタリと止み、街灯の明かりだけが微かに揺れる。
彼は、ゆっくりとこちらに顔を向け──
サングラスの奥からじっと俺を見据えた。
「……どうして、その名前を……?」
問いかけの声は低く、静かで、逆に怖かった。
まるでホラー映画の“ドアを開けてはいけない”シーンの手前。
「あ、いや……昨日、たまたま書店でその本を見つけて……」
俺が恐る恐る言いかけた瞬間。
「……まさか……」
ヴァレンの口元が小刻みに震え始める。
唇がかすかに開いたと思ったら、次の瞬間──
「“全巻買ってくれた初めてのお客様”ってのは……お前だったのか……!?」
その目は、感情のジェットコースターに乗っていた。
俺は無言で、ゆっくりと頷いた。
──その瞬間だった。
「うおおおおおおおおぉぉぉぉぉおおおおおぉぉぉっっ!!!!」
公園中に響く絶叫!
何かが弾け飛んだような勢いで、ヴァレンが俺に飛びかかってくる!!
「相棒ぉぉぉぉぉぉぉっ!! お前が……お前が俺の運命の読者第一号だったとはァァァァァッ!!」
ガシィィィッ!!
肩を両手でがっつり掴まれ、俺の身体がゴンッと引き寄せられる。
めちゃくちゃ顔が近い!!
サングラスがうっすら曇ってる!!
「えっ、えっ!? じ、じゃあ……っ!! “押舞ヒカル先生”って──!?」
「そうだッッッ!! 俺だよぉぉぉぉぉおおおッッ!!」
震える手で自分の胸を叩きながら、ヴァレンは顔をクシャクシャにして叫んだ。
さっきまでの『何考えてるか分からない系キャラ』のオーラが全部“喜び”と“情熱”に変換されている。
「“色欲(ラスト)”だから“押舞(おしまい)”、そして“グランツ(輝き)”だから“ヒカル”!」
「駄洒落かよ!!」
「正体が“バレん(ヴァレン)”ように考えたんだよォォォ!!」
「いや、しょうもねぇな!!」
ツッコミの応酬とともに、再び俺にハグが飛んでくる。
軽くむせそうになる。
息ができない。
でも、こいつ、ほんとに嬉しそうだな!?
と言うか、俺も嬉しい!嬉しすぎる!
まさか……まさか、あの!!
あたおか天才漫画家の、"押舞ヒカル"先生が!!
こんな近くにいたなんて!!
「俺の作品を、俺の価値観を、俺の生き様を好きになってくれたのが……お前だったなんて……!!」
「せ、先生の作品──大好きですぅぅぅ!! 昨日からだけど!!」
「やめろおおおおぉぉ!! そんな可愛く応援されたら……俺、感動でどうにかなっちまうよ!?」
もはや公園の一角だけで、新しいジャンルのBLドラマが始まっているレベルの熱量。
俺とヴァレンの"運命交叉"が、明確に始まった瞬間だった。
────────────────────
一方。
少し離れた芝生の上では──
ブリジットがフレキを抱きながら、ぽかんと目を丸くしていた。
「アルドくんとヴァレンさん……めちゃくちゃ仲良しさんだねぇ……!」
あどけない笑顔でぽつりと呟くその声は、どこか神聖ですらあった。
隣のリュナは、黒マスク装着のまま、右手を額に当てていた。
「……なにやってんすかね、あの2人……」
その声は限界を超えた呆れだったが、マスクの下の口元には微かに笑みが浮かんでいた。
そして、唯一流れに完全に取り残されていたフレキ。
左右に首を傾げながら、ぐるぐる視線を二人の間に泳がせたのち──
「……ボク、まったく話の流れが分かりません」
と、正直すぎるコメントをぽつり。
──ルセリア中央公園の夜は。
月明かりの下、妙にテンションの高い“サイン会モード”に、突入していたのだった。
魔灯の淡い光が舗道のタイルに柔らかな影を落とし、時折、風に揺れる木々の枝の隙間から、星々の光が細く差し込んでいた。
遠く、噴水の音がかすかに聞こえる。夜の街にしては、どこか幻想的な静けさが漂っていた。
ベンチの脇、ヴァレンの興奮もようやく落ち着きを見せ始めたその瞬間。
「……やばっ!」
突如、鋭く弾けるような声が上がった。
全員が一瞬そちらを振り返る。
声の主──アルドは、青ざめた顔でマジックバッグを開き、文字通り“突っ込む”ようにして中身を漁っていた。
「ない、ない、ない……っ、頼む……どっかに……!」
カチャカチャと鳴る金属音。手のひらに触れるのは携帯食料、伝説の調味料、魔法式コンロ、折り畳み式鍋──
アルドが"星降りの宝庫"から無断で拝借してきたお宝ばかり。
だが、彼が今欲しいのはそんなものじゃない。
「なんで今に限って……っ、ペン……! サインもらうための、黒ペンがない!!」
焦燥に染まった顔を上げるアルド。その頬には、うっすらと汗。
しかしその目には、明らかな“熱”が宿っていた。
──そう、期せずして巡ってきたこのチャンス。
漫画『恋するカフェラテメモリー』の作者、“色欲の魔王”ヴァレン・グランツ──
……いや、“押舞ヒカル先生”本人からサインをもらえるなんて、あり得ない奇跡だ。
記念すべき“ファン第一号”である自分が、その証を残さずにどうする。
「ちょっと待ってて!すぐ戻るから!!」
そう叫ぶや否や、彼はマジックバッグの口を閉じ、地面を蹴った。
夜風を切るように走り出す。
黒い上着の裾がふわりと翻り、魔灯の光にひらりと映える。
月明かりが肩越しに差し、彼の背を淡く照らしていた。
「お、おい!? どこ行くんだ相棒!? 置いてかないでっ!」
ヴァレンの間の抜けた声が背後から響くが、アルドは振り返らず、手だけを大きく振って応えた。
「すぐ戻るってば! サインもらうための準備!!」
その声は、やけに明るかった。
まるで、これから人生初のライブに向かう学生のように。
あるいは、幼い頃に憧れたヒーローのサイン会に向かう少年のように。
──その後ろ姿を、残された三人と一匹が見送る。
リュナがマスクの奥でため息をひとつ。
だがその声には、怒気でも呆れでもなく、どこか小さな微笑が混じっていた。
「……兄さん、どんだけテンション上がってんすか。まったく」
黒マスクを指でトントンと整えながら、彼女はふと空を見上げた。
星がきれいだった。
その隣、膝にちょこんと座るフレキが、首をかしげてリュナに小声で尋ねる。
「アルドさんって……時々すごく“子どもっぽい”ですよね」
その言葉に、リュナは一瞬だけ目を見開き──ふっと口元を緩めた。
「……そうかもね。マジすげー人なのに、あのギャップがまた………。」
その後ろで、ブリジットが優しく笑っていた。
彼女の腕に抱かれたフレキの背を撫でながら、まるで母親のような包容力を滲ませて。
「うん……ほんとに、見てるだけで元気になるよね。アルドくんって」
三人と一匹の視線が、舗道の先に向けられる。
夜の公園の出口。魔灯が細く続くその先には、まだ活気の残る王都の繁華街がある。
そこへ、アルドの姿はどんどん小さくなって──それでも、どこか弾んだリズムで駆けていく。
夜風に吹かれる上着。
背筋を伸ばしたまま走るその姿は、まるで夢の続きを追う少年のようだった。
──そして、誰にも聞こえないような小さな声が、彼の唇からこぼれる。
「頼む……売店、開いててくれ……!」
その声は願いと興奮が入り混じり、
星降る夜のどこかへ、ふわりと溶けていった。
◇◆◇
アルドがペンを探しに小走りで去ってから、しばらく。
夜の静けさが、ふたたび一行の周囲に降りていた。
舗道をなぞるように流れる魔灯の光、涼しい風。遠くの劇場からかすかに届く楽団のリハーサル音が、心地よく背景を彩っている。
「ふぅ……」
ヴァレンはベンチにもたれ、Z◯MA風の酒の瓶をぐるぐると回していた。
さきほどのテンションが少し落ち着いて、今はにやけた顔のまま天を仰いでいる。
リュナは公園の柵に腰を預け、フレキはブリジットの腕に抱かれ、両者とも静かに夜気を味わっていた。
──そんな中。
不意に、背後から響く低く落ち着いた声が、静寂を裂いた。
「……ここにいたか」
その瞬間、空気が変わった。
リュナの眉がピクリと動き、反射的に黒マスクの口元に指が伸びる。
ヴァレンは瓶を止め、サングラス越しに声の方向へ視線を送った。
ブリジットは、聞き覚えのない重厚な声に、ゆっくりと振り向く。
──そしてそこに立っていたのは、二つの威厳ある人影だった。
一人は、深い緋色の詠唱服をまとった老紳士。
雪のような白髪に整えられた髭、鋭いが澄んだ双眸。
その立ち姿からは、ただの老齢ではない「重さ」があった。
エルディナ王国宰相──グラディウス・ヴァン・ヴィエロ。
その隣に立つのは、長い銀髪をぴしりと束ねた威厳ある妙齢の女性。
青紫の官衣を完璧に着こなし、知性と冷静さを感じさせる顔立ち。
魔術省長官──ミルダ・フォン。
「お楽しみのところ、すまないな。ブリジット・ノエリア嬢」
グラディウスの声は、決して威圧的ではなかったが──
それでも、自然と空気が張り詰めた。
「えっ……?」
ブリジットが戸惑い、思わずフレキをぎゅっと抱きしめた。
彼女には、目の前の人物たちが“ただ者ではない”ことが直感で伝わった。
「私たちが誰か、すぐに思い出す必要はない。だが、君がこの国に届けた最新の開拓報告書に、私たちは強い関心を持っている」
グラディウスの声は静かに響きながらも、含みを持っていた。
ミルダは黙したまま、ただその冷たい視線をブリジットたちの輪に流していた。
リュナは無言でグラディウスとミルダを見返し、微かに唇を結ぶ。
敵意ではないが──本能的な防御の構えが、彼女の佇まいににじんでいた。
「え、えっと……私、開拓のことで……? 書類ならもう提出してあって……」
ブリジットが困惑のまま口にする。
すると、ヴァレンがゆっくりとベンチから立ち上がった。
気だるげな動きだが、どこか一瞬、雰囲気が変わった。
「へぇ……わざわざ、あんたらが来るとはねぇ。」
サングラスの奥、目が細められる。
その声に、ミルダがピクリと反応した。
目が合った瞬間、空気がごくりと揺れた。
それは、かつてどこかで交わされた“記憶”の残滓か。
だが、ミルダは言葉を発しない。
ただ、一歩前に出て、ブリジットに目を向けた。
「あなたの報告に記された“開拓の進行速度”、ならびに“荒野の環境変質”、そして“ザグリュナの魔力消失”……それらを総合すれば、王都として見過ごせる状況ではありません」
彼女の声は冷静そのもので、剣のように鋭かった。
「あなたが何を意図しなくとも──あなたの背後にある“何か”を、私たちは見極める必要があります」
「っ……」
ブリジットは、一瞬目を見開く。
だが、怯みながらも──彼女の両腕は、しっかりとフレキを抱きしめたままだった。
「おいおい、ブリジットさんには、なーんのやましいとこもないぜ?」
ヴァレンがゆるく笑いながら、肩をすくめる。
「そりゃあ、ちょっとばかし変わった奴らと一緒にいるけどさ──」
そのとき。
彼のサングラスの奥の目が、ほんの一瞬、真面目な光を帯びた。
「でもあんたらの“検分”ってのは、時に“祝福されなかった者たち”に冷たすぎるんじゃないのか?」
ミルダが静かに目を細める。
そして、すぐに目を逸らす。
会話にはならなかったが──確かに、何かがそこにあった。
「……ブリジット嬢。我々がここに来たのは、あなたを責めるためではない」
そう言ったのは、グラディウスだった。
彼の声は柔らかく──だが、その眼差しは“真実”を見抜く者のそれだった。
「ただ──あなたの背後に、今この国が“知っておくべき存在”が潜んでいる可能性がある。そう信じて、こうして来たのだ」
グラディウスの視線がふと、ブリジットの後ろへ流れる。
彼の“運命視”が、誰かを探しているような気配。
──そして、そこにアルドの姿はまだなかった。
公園の空気が、ひときわ静かに引き締まった。
ブリジットは、胸の前でフレキをそっと抱きしめる。
不安そうな目で、仲間たちを見た。
ヴァレンは、どこか懐かしげな笑みを浮かべながら、グラディウスを見返していた。
リュナは、黒マスクの奥で、じっと沈黙を保っている。
──やがて。
魔導塔の重鎮と、咆哮竜と魔王。
公園の片隅に、奇妙な緊張が生まれていた。
(……アルドくん、リュナちゃん……。)
ブリジットの心の奥で、そんな想いがひとしずく、震えていた。
120
あなたにおすすめの小説
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
異世界をスキルブックと共に生きていく
大森 万丈
ファンタジー
神様に頼まれてユニークスキル「スキルブック」と「神の幸運」を持ち異世界に転移したのだが転移した先は海辺だった。見渡しても海と森しかない。「最初からサバイバルなんて難易度高すぎだろ・・今着てる服以外何も持ってないし絶対幸運働いてないよこれ、これからどうしよう・・・」これは地球で平凡に暮らしていた佐藤 健吾が死後神様の依頼により異世界に転生し神より授かったユニークスキル「スキルブック」を駆使し、仲間を増やしながら気ままに異世界で暮らしていく話です。神様に貰った幸運は相変わらず仕事をしません。のんびり書いていきます。読んで頂けると幸いです。
田舎農家の俺、拾ったトカゲが『始祖竜』だった件〜女神がくれたスキル【絶対飼育】で育てたら、魔王がコスメ欲しさに竜王が胃薬借りに通い詰めだした
月神世一
ファンタジー
「くそっ、魔王はまたトカゲの抜け殻を美容液にしようとしてるし、女神は酒のつまみばかり要求してくる! 俺はただ静かに農業がしたいだけなのに!」
ブラック企業で過労死した日本人、カイト。
彼の願いはただ一つ、「誰にも邪魔されない静かな場所で農業をすること」。
女神ルチアナからチートスキル【絶対飼育】を貰い、異世界マンルシア大陸の辺境で念願の農場を開いたカイトだったが、ある日、庭から虹色の卵を発掘してしまう。
孵化したのは、可愛らしいトカゲ……ではなく、神話の時代に世界を滅亡させた『始祖竜』の幼体だった!
しかし、カイトはスキル【絶対飼育】のおかげで、その破壊神を「ポチ」と名付けたペットとして完璧に飼い慣らしてしまう。
ポチのくしゃみ一発で、敵の軍勢は老衰で塵に!?
ポチの抜け殻は、魔王が喉から手が出るほど欲しがる究極の美容成分に!?
世界を滅ぼすほどの力を持つポチと、その魔素を浴びて育った規格外の農作物を求め、理知的で美人の魔王、疲労困憊の竜王、いい加減な女神が次々にカイトの家に押しかけてくる!
「世界の管理者」すら手が出せない最強の農場主、カイト。
これは、世界の運命と、美味しい野菜と、ペットの散歩に追われる、史上最も騒がしいスローライフ物語である!
魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。
カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。
だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、
ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。
国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。
そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。
白いもふもふ好きの僕が転生したらフェンリルになっていた!!
ろき
ファンタジー
ブラック企業で消耗する社畜・白瀬陸空(しらせりくう)の唯一の癒し。それは「白いもふもふ」だった。 ある日、白い子犬を助けて命を落とした彼は、異世界で目を覚ます。
ふと水面を覗き込むと、そこに映っていたのは―― 伝説の神獣【フェンリル】になった自分自身!?
「どうせ転生するなら、テイマーになって、もふもふパラダイスを作りたかった!」 「なんで俺自身がもふもふの神獣になってるんだよ!」
理想と真逆の姿に絶望する陸空。 だが、彼には規格外の魔力と、前世の異常なまでの「もふもふへの執着」が変化した、とある謎のスキルが備わっていた。
これは、最強の神獣になってしまった男が、ただひたすらに「もふもふ」を愛でようとした結果、周囲の人間(とくにエルフ)に崇拝され、勘違いが勘違いを呼んで国を動かしてしまう、予測不能な異世界もふもふライフ!
【マグナギア無双】チー牛の俺、牛丼食ってボドゲしてただけで、国王と女神に崇拝される~神速の指先で戦場を支配し、気づけば英雄でした~
月神世一
ファンタジー
「え、これ戦争? 新作VRゲーじゃなくて?」神速の指先で無自覚に英雄化!
【あらすじ紹介文】
「三色チーズ牛丼、温玉乗せで」
それが、最強の英雄のエネルギー源だった――。
日本での辛い過去(ヤンキー客への恐怖)から逃げ出し、異世界「タロウ国」へ転移した元理髪師の千津牛太(22)。
コミュ障で陰キャな彼が、唯一輝ける場所……それは、大流行中の戦術ボードゲーム『マグナギア』の世界だった!
元世界ランク1位のFPS技術(動体視力)× 天才理髪師の指先(精密操作)。
この二つが融合した時、ただの量産型人形は「神速の殺戮兵器」へと変貌する!
「動きが単調ですね。Botですか?」
路地裏でヤンキーをボコボコにしていたら、その実力を国王に見初められ、軍事用巨大兵器『メガ・ギア』のテストパイロットに!?
本人は「ただのリアルな新作ゲーム」だと思い込んでいるが、彼がコントローラーを握るたび、敵国の騎士団は壊滅し、魔王軍は震え上がり、貧乏アイドルは救われる!
見た目はチー牛、中身は魔王級。
勘違いから始まる、痛快ロボット無双ファンタジー、開幕!
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる