真祖竜に転生したけど、怠け者の世界最強種とか性に合わないんで、人間のふりして旅に出ます

難波一

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第4章 "色欲の魔王"編

第57話 咆哮の涙、優しき手料理

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「すごーい! ヴァレンさん、本当に“大罪魔王”だったんだね!」

 

そんなことを言って、パチパチと嬉しそうに拍手するのは──

俺の正面に座る、浴衣姿のブリジットちゃんだった。

 

赤と白の和柄に、金の髪をアップにまとめた彼女は、ほんの少しだけ酔いの入った笑顔で、今夜いちばん輝いて見えた。

 

それを聞いて、隣でグリモワルをしまっていたヴァレンが肩を竦める。

 

「おいおい、今さらかい?」

 

「だってさ~、ほら。最初に会ったときは、どっちかっていうと“チャラいお兄さん”って感じだったから……!」

 

「ククク……それは否定しない!」

 

ヴァレンは豪快に笑って、またZ◯MA風の炭酸酒を一口。

……というか、絶対ちょっと酔ってるな、あの魔王。

 

「……あれ? でもさ、ブリジットちゃんって、前に“大罪魔王”って名前聞いて、ちょっとビビってなかったっけ?」

 

俺がふと思って、聞いてみた。

 

そしたら、ブリジットちゃんは「あ」と口を開いて──ちょっと照れくさそうに頬をかいて、笑った。

 

「うん……たしかに最初は、怖いなーって思ってた」

 

「“大罪”って言われると、なんかこう……世界を滅ぼすような、怖い人たちなのかなって……」

 

「でもさ──リュナちゃんと一緒にいたヴァレンさんを見て、ちょっと思ったんだ」

 

彼女はそう言って、リュナの方をそっと見た。

 

「ちゃんと話せば、リュナちゃんとも“家族”になれた」

 

「だったら、魔王だからって怖がるのは……それこそ、失礼だったなって」

 

そう言って、またふんわりと笑う。

 

その笑顔は、ほんとに、なんていうか──ずるいくらい優しかった。

 

「……っ」

 

向かいで、リュナが唐揚げを咥えたまま固まった。

 
その隣、ヴァレンも酒瓶を傾けかけて、手が止まっている。

ふたりして、ぴたりと動きが止まったあと──同時に、胸を押さえて、目を伏せた。

 

(……あ、今、何か刺さったな)

 

俺は思った。2人とも、表情に出すぎなのよ。

 

……いい子すぎる……!

 

リュナちゃんとヴァレンの内心の叫びが、もはや顔に出てる。

リュナちゃんなんて、黒マスクの下で絶対に顔赤いぞ。耳の先がちょっと赤くなってるし。

 

ヴァレンはヴァレンで、酒瓶を額に当てながら「うっ……眩しい……LHPが高すぎる……」とか小声で言ってるし。

そのLHPってなんなの。

 

でも──なんとなく、わかる気もした。

 

「……ブリジットちゃんらしいね」

 

俺はそう言って、苦笑まじりに呟いた。

 

彼女はいつだって、まっすぐで、まっすぐすぎて、危なっかしいくらい人を信じて──

だけど、だからこそ、救ってしまう。

 

その姿に、誰かが勝手に心打たれて、勝手に救われる。

──まさに今のリュナちゃんとヴァレンがそうだったみたいに。

 

だからきっと、ブリジットちゃんなら──

 

(俺が、“真祖竜”だってことを話しても……きっと、受け入れてくれるんだろうな)

 

前世の誕生日の話を覚えてて、手作りのクッキーをくれたあの子なら。

 

(……でも)

 

でも、それでも、言葉にするのはまだちょっと怖くて。

俺は薄く笑って、ジョッキに口をつけた。

 

微炭酸のフルーティな味が、喉に優しく流れ込んでいく。

 

(もう少しだけ──)

(もう少しだけ、このままでいさせてほしいな)

 

そう心の中で呟いて、そっとグラスを置いた。

 

──静かな、優しい夜の真ん中。

ひとときの安らぎに身を預けるようにして、俺たちはそれぞれの“想い”を噛みしめていた。



 ◇◆◇



「いやー、ブリジットさんのLHPはやっぱ高いよねぇ~!」

 

 ヴァレンがZ◯MA風の炭酸酒をくいっと煽りながら、唐揚げをつまみに満足げに語る。

 

「そりゃもう、リュナが“身を引こう”としちゃうのも、無理ないってば!」

 

「おまっ!? なに言って……!?」

 

 リュナちゃんの目が一気に見開かれる。

 顔がみるみる赤くなり、唐揚げを取り落としそうになりながら、ヴァレンに食ってかかる。


 その慌てぶりに、ブリジットちゃんはキョトンとした顔で見つめ、俺もつい「え、なになに? どういうこと?」と首を傾げた。

 

 ──それが、まずかった。

 

 「いや~それがさぁ、相棒──実はね?」

 

 ヴァレンが笑顔のまま、口を開きかけた、その瞬間。

 

 「お前、黙れよ!!」

 

 ガンッとテーブルが揺れるほどの声量だった。

 

 リュナが叫んだ。

 

 唐揚げの衣がパリッと崩れる音が、やけに鮮明に響いた。

 

 その声は、普段の彼女の怒鳴り声とは“何か”が違っていた。

 重く、鋭く、刺さるような“命令”。

 

 「──!! リュナさん、マスクが……!」

 

 フレキくんが叫ぶ。テーブルの端で、耳の根本をぴんと立てたまま震えている。


 リュナちゃんの顔を見る。……そうだ。

 

 今、彼女の顔には──あの黒いマスクが、ついていない!

 

 「──!」

 

 ブリジットちゃんも、俺も、そしてヴァレンも一斉に目を見開いた。

 

 “咆哮”。

 

 それは、リュナちゃん──咆哮竜ザグリュナが、千年もの間、人との距離を作り続けてきた呪いのようなスキル。

 たった一言でも、それを聞いた者は否応なく支配される。

 「黙れ」と言えば、皆が黙り、「動くな」と言えば、誰もがその場に凍りつく。

 

 そして今──

 

 居酒屋の空気が、止まった。

 

 ──ように、思えた。

 

 「……っ」

 

 俺は思わず周囲を見渡した。



 ボックス席の隣、カウンター、奥の座敷──人がいる。

 酒を飲み、料理を食べ、誰かと笑ってる。

 

 ……話し声が、消えていない。

 ざわざわとした店内の空気は、何も変わっていなかった。



「な……なんで……?」

 

 リュナちゃんが小さく震えながら、自分の口元にそっと手を当てた。

 その瞳は、揺れていた。

 炎のように燃え上がる感情ではなく、凍りついた水面が静かにひび割れるような、そんな震え。

 

 ──たしかに、言ったはずだ。

 

 「黙れ」と。

 

 それは彼女にとって、これまで幾度となく“絶対”として響いた命令だった。


 目を合わせるだけで、声を発するだけで、周囲の人間が息を呑み、沈黙し、意志を手放す。


 肉親も、敵も、知らぬ間に距離を取り──


 それは、孤独と引き換えに得た、彼女だけの力だった。

 

 けれど今──

 

 何も、起きなかった。

 

 「咆哮が……発動しない……?」

 

 リュナちゃんの声はかすれていた。

 驚き。混乱。恐怖。期待。歓喜。

 さまざまな感情が、その一言に込められていた。

 

 向かいに座るヴァレンが、黙ったまま小さく首を振った。

 

 けれど、彼の口元は固く結ばれていた。

 サングラスの奥の目が、ほんの僅かに見開かれている。

 まるで──言葉が出せずに困っているように。

 

 俺は、はっと息を呑んだ。

 

(……効いてる。ヴァレンには、“咆哮”が効いてる──!)

 

 マスクなし。制御不能なはずの“声”。

 同格以上の相手には通じず、弱者には否応なく効果を発揮してしまうスキル。

 それが、ヴァレンという"強者"には届きながらも、周囲には──波紋すら広げなかった。

 

 「……しゃ、しゃべっていいよ」

 

 リュナが、おそるおそる、か細く呟く。

 その声音は、まるで自分に許可を出すかのように震えていた。

 

 その瞬間。

 

 「ぷはぁああああっっっ!!」

 

 ヴァレンが椅子にもたれかかるようにして大きく息を吐き、汗ばんだ額を腕で拭う。

 

 「くっ……マジで……ガチで効いたな……! 久々に魂ごと圧かけられたぜ……!」

 

 息を整えながら、彼は苦笑してテーブルに肘をつき、深くうなずいた。

 

 「──リュナ。お前、“咆哮”のコントロール……できるようになってるんじゃねぇのか?」

 

 

 その言葉は、ふわりとリュナの耳に届いて──

 次の瞬間。

 

 ぽたり、と。

 

 頬を伝った涙が、一滴、音もなくジョッキの影に落ちた。

 

 「……え?」

 

 リュナは、自分の頬に触れる。

 濡れた指先を見て、ぽかんとした顔で目を瞬いた。

 

 「な……んで……?」

 

 まるで、異変に気づけなかった機械が、ようやく動き始めたかのように──

 彼女の肩が、小さく震えだした。

 

 涙は、次々と零れていく。

 止めようとしても止まらない。

 拳を握っても、歯を食いしばっても、喉の奥から溢れる震えが止まらない。

 

 「──っ、う……うぐ……っ……!」

 

 声にならない嗚咽が、かすかに漏れる。

 千年という時間のすべてが、今、彼女の胸に押し寄せてきた。

 

 「リュナちゃん……!」

 

 ブリジットがすぐさま席を立ち、リュナの隣に滑り込むように座ると、そっとその肩を抱いた。

 

 「……よかったね……!」

 

 それは、とても優しい声だった。

 まるで、長い間冬眠していた心を、春の陽射しが包むような声。

 

 その言葉に、リュナはぎゅっと目を閉じて、ブリジットの腕を強く握った。

 

 「……う、うわぁあああああん!!」

 

 ようやく、声が出た。

 それは、少女のような。赤ん坊のような。

 何よりも正直な、泣き声だった。

 

 この世界で、何百年と生きてきた彼女が──

 ようやく、声を許されて。

 ようやく、“誰かに抱きしめられて泣く”ことが、できた。

 

 「リュナちゃん……リュナちゃん……!」

 

 ブリジットも、涙を浮かべて彼女の背中を撫で続ける。

 

 隣で見ていた俺は、何も言えなかった。

 ただ、こみあげる何かを必死に抑えながら、グラスの水を握っていた。

 

 (……よかった)

 

 心の底から、そう思った。

 言葉にならない想いが、胸の奥でくるくると渦を巻いていた。

 

 フレキも、小さな体をぴたっと座布団に伏せて、じっとふたりを見つめていた。

 その目元に、かすかに光るものがあったのを、俺は見逃さなかった。

 

 ──幸せって、こういうことなんだな。

 

 俺は、泣いている彼女たちの隣で、ひとつ、深く息を吐いた。

 そして、小さく──微笑んだ。



────────────────────

(ヴァレン視点)


 ──夜のざわめきが、少し遠くに感じられた。

 居酒屋の一角。席を囲む灯りはまだ暖かく灯っていたが、そこに流れる空気は、どこか別世界のように澄んでいた。

 

 リュナが泣いていた。

 唐揚げの油がほんのり香るテーブルの上、浴衣の袖に顔をうずめて、ブリジットにしがみつくようにして、大粒の涙をこぼしていた。

 ぐしゃぐしゃになったその顔は、今まで見たどんな魔物よりも──いや、どんな人間よりも“生きている”と、ヴァレンは思った。

 

 「……よかったな、リュナ」

 

 誰にともなく、そう呟いた自分の声が、妙にくすぐったく響いた。

 

 だが、同時に胸の奥に、微かな違和感があった。

 

 ──おかしい。

 リュナの“咆哮”は、あれほど強大だった。

 それが、今この空間で“制御された”というなら、それはとてつもない変化のはずだ。

 

 心のどこかで引っかかっていたその違和感に、ヴァレンはそっと意識を集中させる。

 目を閉じるまでもなく、己の中のスキルを呼び出した。

 

 "魂視ソウルサイト"。

 

 魔王として生まれ持った、数少ない“真のスキル”のひとつ。

 それは、対象の魂の状態を見る術。

 

 彼はゆっくりと視線を向けた。

 泣き続けるリュナへ──その魂の奥底へと、意識を沈めていく。

 

 ──そして。

 

 「……なるほど、そういうことか」

 

 ヴァレンの瞳が、わずかに見開かれた。

 

 そこにあったのは、銀色の膜のような光。

 まるで繭のように、やさしく、やわらかく──リュナの魂を包み込んでいた。

 それは歪みを正し、擦り切れた部分を繕い、乱れた波形を穏やかに整えていた。

 

 魂というものは、本来むき出しのまま存在している。

 愛や憎しみ、希望や絶望といった感情の蓄積によって、形を変え、時に歪み、時に砕ける。

 だが──

 

 この少女の魂は、まるで誰かが時間をかけて、丁寧に、毎日すこしずつ磨いていったような──そんな気配を持っていた。

 

 (これは……自然治癒じゃない。外部からの“継続的な癒し”による回復だ……)

 

 そして、ヴァレンの脳裏に浮かんだのは──ただひとり。

 この少女のそばにずっといた、少年の姿。

 

 「……相棒、お前……」

 

 目の端でちらりと見る。

 アルドは、今まさにうるうると目を潤ませながら、リュナの背中をそっと撫でていた。

 優しい手つきで。まるで、大切な宝物に触れるように。

 

 だが、彼に自覚はない。

 自分が、どれだけのものを、どれだけの愛を、この竜少女に与えていたのか。

 

 (数ヶ月──)

 

 彼女と過ごした日々。

 その間ずっと、アルドはリュナに、手作りの食事を作ってきた。

 毎日、欠かさず。温かく、丁寧に。

 彼女の好みを気遣い、栄養を考え、何より「美味しいって言ってもらえるように」と心を込めて。

 

 (なるほど……魂に直接作用する、“真祖竜の祝福”……!)

 

 その料理には、竜の“根源”が込められていた。

 真祖竜が紡いだ愛情というエネルギーが、少しずつ、少しずつ──

 彼女の魂の歪みを溶かし、癒し、整えていったのだ。

 

 ──それは、奇跡ではなかった。

 むしろ、極めて地道な、手間と時間の積み重ね。

 だが──だからこそ、それは奇跡だった。

 

 誰かが意図して起こせるようなものではなく、

 ただ純粋に、優しくあろうとした結果、生まれた“奇跡”。

 

 ヴァレンは、そっと笑った。

 グラスの中の氷が、カラン、と静かに鳴る。

 

 「……やれやれ。とんでもねぇ奴だな」

 

 誰に聞かせるでもなく、呟いたその声は、どこか嬉しそうだった。

 

 アルドが、涙ぐみながらリュナに言葉をかけている。

 フレキまでも、しっとりと目を細めている。

 ブリジットが、涙で濡れたリュナの頬をそっと拭っている。

 

 この場所には、温かさしかなかった。

 それは、ヴァレンがかつてどれだけ願っても、得られなかったもの。

 

 (リュナ……お前、本当に良かったな)

 

 かつては、力に怯え、世界と隔絶されていた少女が。

 今、こうして“祝福されて”いる。

 

 (……でもな)

 

 ヴァレンは、最後にもう一度、リュナの魂に目をやった。

 その繭のような銀の膜を包むように、ほんのかすかに、赤いひずみの名残があった。

 

 それは、完全な消失ではない。

 むしろ、眠っているだけ。

 油断すれば──何かの拍子に、再び目を覚ます可能性もある。

 

 (……だからこそ、相棒)

 

 ヴァレンは、視線をアルドに向けた。

 

 (お前だけは、どうか──あの子を、裏切るな)

 

 それは祈りだった。

 魔王である彼が、自分でも思わず驚くほどに、真摯な“願い”だった。

 

 グラスを軽く揺らして、ヴァレンは深く息をついた。

 

 そして、もう一度──そっと、笑った。

 その笑顔は、誰にも見せない、心の奥の“兄貴分”としての表情だった。

 

 (……ああ。いい夜だ)

 

 火照る空気と、冷たい酒。

 笑い声と、涙と、ぬくもり。

 魔王である自分が、ひととき忘れられるくらいに──この時間が、心地よかった。

 

 そうして彼は、酒瓶を掲げる。

 誰にも言わずに、心の中で──乾杯した。

 

 “愛という名の、ささやかな奇跡”に。

 

 ──そして、それを生み出した少年と少女に。

 

 「……最高だ、お前ら」

 

 静かに、夜は更けていく。
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