真祖竜に転生したけど、怠け者の世界最強種とか性に合わないんで、人間のふりして旅に出ます

難波一

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第4章 "色欲の魔王"編

第59話 識る者と識られざる者

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 ──魂の色が、見えるのだ。

 

 ルセリアの空が、夜の静けさに包まれている。

 その中央に位置する公園の舗道を、ひとりの老紳士がゆっくりと歩いていた。

背筋は伸び、緋色の詠唱服の裾は風に揺れている。

その一歩一歩に迷いはない。



 グラディウス・ヴァン・ヴィエロ。

 エルディナ王国宰相。



 齢七十を越えた老参謀の瞳は、歳月に磨かれた深淵の色をしていた。

 

(──あれから、もう半世紀か)

 

 彼は思う。若き日の自分は、剣も、魔法も、人並み程度にしか使えなかった。

 けれど、頭脳だけは冴えていた。

 物心つく頃から、人の言葉の裏にある“動機”を読み、仕草や視線の違和感を嗅ぎ取ってきた。

 

 そんな少年が十五歳の祝福式の日に得たスキルこそが──

 "運命視デスティニー・サイト"。

 

 その日から、彼の世界は一変した。

 

 スキルを発動すれば、目の前の人物が──まるで光の球体で示されるかのように、魂そのものを色と輝きで“視る”ことができる。

 

 青──自分、或いは王国にとって“有益”な魂。誠実な臣下、育てる価値のある人材、忠義を尽くす者の色。

 赤──“有害”の印。裏切り、破壊、腐敗。燃えるように禍々しいその色が見えた者は、遅かれ早かれ国に害をなした。

 灰──“無関係”。一生その魂は王国に関わることなく、ただ個の人生を全うする。


 そして、白。


 それは──“中庸”と“神性”の狭間にある色。善にも悪にも染まらず、ただ強烈な可能性を宿す魂。

 時に人を救い、時に災厄の扉を開く。

 その色は、判断を最も難しくする。

 

 "運命視"は未来を予知する力ではない。

 ただ、目の前の人間が「どういう方向性で世界に影響を与えるか」を色で示すだけのスキルだ。

 ──だが、それだけで十分だった。

 

 この世界では、人の“本質”を見抜く目こそが、最大の武器になる。

 グラディウスはそのスキルを使い、次々と有能な人材を発掘し、配置し、育ててきた。

 公爵家の凡庸な長男が、王の側近として最も信頼される存在にまで登り詰めた理由──それは、このスキルの力に他ならない。

 

(だが……“視えない魂”に、出会ったことがある)

 

 彼は歩みを止めた。

 石畳の上、街灯の影が長く伸びる中で、ひとつの記憶が蘇る。

 

 ──若き日のこと。

 王都の郊外、慰霊の森で出会った、風変わりな男がいた。

 黒い髪に、紅のメッシュ。チャラついた言葉遣いと態度。

 だが、彼が笑って近づいた瞬間、グラディウスは本能的に"運命視"を発動していた。

 そして──何も、視えなかった。

 

 赤も青も灰も白もなく。

 ただ、そこには──“無形”があった。

 

 魂が決まった形を持たず、まるでこの世界に存在していないかのような感覚。

 

 その異様さに震えながらも、グラディウスはその男に訊ねた。



 「貴様……何者だ?」

 

 男は笑った。


 「ただの通りすがりの"観客"さ」


 そう言って、宙を指差し、どこか遠くを見つめていた。

 

 ──あれほど曖昧で、不確かな存在を視たのは、あのときが最初で最後だった。

 だが、あの時の印象だけは今も鮮明に覚えている。

 

 だからこそ──

 

「……まさかな」

 

 グラディウスは小さく呟いた。

 

 視線を上げると、視界の先に──ルセリア中央公園の噴水が見えた。

 その近くに、浴衣姿の娘と犬、そして──複数の人物の気配。

 

 彼は再びスキルを起動した。

 

 目的はただひとつ。

 “ブリジット・ノエリア”を探すために。

 

 《運命視》を発動し、公園の通行人たちの魂を一人一人“視る”。

 青く光る魂の者──彼らは皆、“彼女の居場所を知っている”者たちだ。

 

 その痕跡を辿るようにして──グラディウスは、目的の娘へとたどり着いていく。

 

(ノエリアの息女か……。毒無効の祝福など、今までなら“無意味”と切り捨てられていた。だが……今の彼女に集う者たちの“魂”を、もう一度この目で確認しておく必要がある)

 

 運命を見極める。

 それは、この国を導く者としての、使命であり──誇りだった。

 

 風が吹いた。

 彼の緋色の詠唱服が、静かに翻る。

 

 ──そして宰相グラディウスは、公園の中心へと向かって歩き出した。

 “未来の光”を、この目で確かめるために。



───────────────────



静寂の中で、老宰相は静かに右目を閉じた。

 

“見る”ために、ただ“見る”。

そのためだけに、内なる世界に沈み込む。

 

──《運命視》。

 

かつて女神の祝福として授けられたスキルは、年月を経て彼の中に深く根を張り、もはや“視る”という行為そのものと同義にあった。

 

そして今。

公園の噴水前──

浴衣姿の少女、ブリジット・ノエリアを正面に捉える。

 

視界の奥に、浮かび上がる。

 

──蒼。

 

それは“青”ではない。

それは“空”でも、“海”でもない。

 

まるで、夜明け前の蒼穹。

息を呑むような、深く、凛とした“運命の色”。

 

(……これは……)

 

老宰相の胸が静かに脈を打つ。

 

“毒無効”──

彼女が与えられた祝福は、たしかに不遇なものだったはずだ。

治癒も攻撃もなせぬ。

防御にすらならない、ある意味“ただの体質”。

 

それが──

 

(何故、このような……!)

 

彼女の魂は、今まさに膨大な青の光を放っていた。

それは“有益”であることの証。

だが、その強さが異常だった。

 

── 神聖騎士団セイクリッド・ナイトですら、ここまでの青光は発さない。

──上級魔術師ですら、ここまでの影響力は持ち得ない。

 

(……娘よ。お前は、何を成し遂げた……)

 

ただの善意ではない。

ただの努力ではない。

 

この少女の歩んだ軌跡は、“確かな結果”を生み出し、

その結果が、周囲の魂の運命にまで影響を与えている。

 

──彼女は「巻き込む者」だ。

──歩くだけで、世界の線が変わっていく。

 

その特性が、宰相である彼に一種の“恐れ”すら抱かせる。

 

(……この者は、“偶然”ではない)

(世界が選び取ったのか──それとも、“誰か”が……?)

 

だが、答えを探す前に、次の対象へと意識を向ける。

ブリジットの傍ら。

木陰に立つ、黒マスクの少女──リュナ。

 

再び"運命視"。

 

瞬間、視界が焼かれた。

 

──白。

 

まるで“生まれる直前の光”。

善とも悪ともつかぬ、未定なる可能性の球体。

 

(……選ばれし者……か)

 

グラディウスの呼吸が、ごくわずかに乱れる。

それは、若き日の自分が戦慄した“神域の魂”に近い。

 

しかも──

 

ブリジットと、この少女の魂は、目に見えぬ光の糸で繋がっている。

しなやかに、けれど確かに。

 

(共に在ることで、彼女の光はより強く……)

 

彼は息を呑んだ。

 

ブリジットとリュナ。

このふたりは、決して“偶然”に隣に立っているのではない。

共鳴し、引き合い、補い合うために“隣にいる”。

 

(……この国にとって、希望足り得る存在か)

(あるいは──)

 

そして。

最後の一人。

グラディウスの視線が、気怠げにベンチにもたれる長身の男へと向いた。

 

赤いメッシュが夜風に踊る。

サングラスの奥の瞳は見えないが、彼が只者でないことは明白だ。

 

(……あの男は、何者だ)

 

老宰相は、内心で静かに問い、再び"運命視"を発動する。

 

──……見えない。

 

“反応がない”わけではない。

だが、“情報”が読み取れない。

まるで、そこに“魂の輪郭”が存在していないかのように。

 

(……虚無? いや……違う)

(この感覚は──)

 

──記憶の底がざわつく。

何十年も前、ただ一度だけ経験したことがあった。

 

とある遺跡の奥で出会った、あの“異界の者”。

スキルが通じず、気配すら掴めなかった、“世界の外”の存在。

 

(……まさか、同類……?)

 

いや、それ以上に──彼の存在そのものが、“読み取らせまい”としているような錯覚すらある。

 

その男が、ふとこちらを見た。

サングラス越しの視線が、まっすぐにグラディウスの内側を射抜く。

 

“見られている”──そう、直感した。

 

グラディウスは、そっと呼吸を整えた。

まるで自らの心を鎮めるように。

 

──3人。

どれも“規格外”だ。

 

そのうえ、無関係ではない。

全員がブリジットの周囲に集い、守ろうとしている。

 

老宰相は、黒マスクの少女とサングラスの男に向けて、ゆっくりと口を開いた。

 

「……お前たちは、何者だ?」

 

その声には、威圧でも脅しでもなく、純粋な“問い”があった。

知りたかった。

この少女の、背後にある“何か”を──

この世界の転換点を、読み取るために。

 

彼の視線は、夜の静けさのなかで、3人をじっと見つめていた。

まるで未来そのものを、凝視するかのように。



 ◇◆◇



──夜のルセリア中央公園。魔灯の淡い光が、舗道のタイルをぼんやりと照らしていた。

 

 噴水の水音も、風に揺れる街路樹の葉擦れも、今はただの背景に過ぎなかった。

 その静けさの中で、宰相グラディウス・ヴァン・ヴィエロの声が、重く響いた。

 

「……お前たちは、何者だ?」

 

 低く、張りつめた声だった。

 まるで、千の事実を噛みしめた末に吐き出される、たった一つの問い。

 

 リュナは黙したまま返さない。

 黒い封魔の口帯マスクに覆われた口を結び、金色の双眸が、鋭く宰相を見返す。

 その目には、恐れも迷いもなかった。

 

 一方、ヴァレンは──というと。

 肩をすくめるようにして、気の抜けたような笑みを浮かべた。

 

「ククク……まさか、こんなところで再会するとはな」

 

 軽口だった。

 だが、その裏にある何かに、グラディウスの眉がわずかに動いた。

 それは、かすかな記憶の揺れ。

 過去の残滓が、ぬるりと顔を出すような感覚だった。

 

 ヴァレンは額に指を滑らせた。

 夜風がふわりと彼の黒髪を揺らし、その中に赤いメッシュが妖しく光を反射した。

 

 サングラスの縁にかかった指が、それを静かに外す。

 

 そして──露わになったのは、月光を受けて鈍く輝く双眸。

 

 どこか挑発的で、けれど真っ直ぐな、緋色の宝石のような瞳だった。

 

「おいおい、忘れちまったのかい、グラディウス。俺の顔を」

 

 その言葉は、あまりに唐突で、あまりに意味深だった。

 

 グラディウスの目が、大きく見開かれる。

 宰相としての威厳も、長年の政治家としての冷静さも、一瞬だけ揺らぐ。

 

 彼の記憶が──若き日の光景を呼び覚ます。

 

 あの頃。まだ王宮の一介の分析官だった自分に、"運命の見方"を教えてくれた放浪者のような男。

 女神の祝福"運命視"に翻弄されていた少年時代、自分に「目の使い方」を説いてくれた、“導き手”にして───

 

「き、貴様……! “色欲”の……!」

 

 グラディウスの喉が震え、声が掠れる。

 だが──その叫びよりも速く、隣に立っていたミルダ・フォンが動いた。

 

 その表情は凍りつくように鋭く、理性の仮面がぱきりと割れたような反応だった。

 

「貴様……“大罪魔王”か──ッ!!」

 

 その瞬間、魔力が奔った。

 

 空中に次々と術式円が浮かび上がる。

 星々を覆い隠すように、複雑な幾何模様が編まれ、魔力の流れが空気を震わせた。

 

「逃げられると思わないことね、魔王……!」

 

 ミルダの声が響く。

 その語尾と同時に、火球が──五つ、十、二十──ヴァレンを包囲するように生成される。

 それはまるで、空を裂く紅蓮の首飾り。


「ヴァレンさんっ!!」


 ブリジットが、思わずヴァレンの身を案じた声を上げる。
 


「やめろ、ミルダッ!!」

 

 グラディウスの叫びが届いたのは、その直後だった。

 

 ──だが、遅かった。

 

 火球が、唸りを上げてヴァレンの周囲に集まる。

 魔力のうねりは、もはや公園の地形すら歪める勢いだった。

 

 しかし。

 

「まったく……もうちょっとロマンのあるリアクションしてくれよなぁ」

 

 ヴァレンは、飄々と笑っていた。

 

 彼の指先が、黒革の魔道書──"ときめきグリモワル"のページをぱらぱらとめくる。

 

 その手は静かに止まり、彼は一言、低く唱えた。

 

「"心花顕現サモン・フラッター"」

 

 次の瞬間。

 火球は静かに浮かび上がり、ふわりと夜空へ舞い上がった。

 

 まるで命を持った蝶のように。

 まるで、舞台の照明を飾る光の粒のように。

 

 そして──



「花火の"おかわり"だ。」
 


 夜空に、花が咲いた。

 

 パァンッ……!

 

 軽やかな破裂音とともに、火球のひとつが開いた。

 鮮やかな紅の光が、花弁のように広がり──

 次々に、空を舞う火球が、色とりどりの花火となって弾ける。

 

 紅。金。翠。碧。白。

 星々と交じり合いながら、刹那の光の軌跡を描く。

 

 その美しさに、ブリジットが思わず息を呑んだ。

 

「……わぁ……」

 

 その声は、素直すぎるほどの感嘆だった。

 

 リュナもまた、ほんの一瞬だけ目を細めた。

 だが、すぐに口元を引き締めて、周囲の魔力の動きを見据える。

 

「な、なにっ……!?」

 

 ミルダが叫ぶ。

 彼女の周囲に散った魔術式が、今まさに再構築されようとしていた。

 再詠唱の構えに入ろうとしていたそのとき──

 

 公園の風が、ふっと方向を変えた。

 ──それは、次の“力”が動こうとする予兆だった。

 

 夜の静寂が、今、決壊しようとしていた。



 ◇◆◇




 ──月光に包まれたルセリア中央公園。

 打ち上げ花火のように弾けた魔法の残光が空に滲み、幻想の余韻が地上を照らしていた。

 その中心で、リュナが静かに立っていた。

 

 彼女は迷いなく、すっと右手を上げる。

 指先が、黒マスク封魔の口帯の端に触れた。

 

 するり。

 

 布が肌に擦れる乾いた音が、異様なほど静かな夜に響いた。

 その音とともに、リュナの口元が露わになる。

 月明かりが彼女の輪郭を照らし、わずかに開かれた唇が言葉を紡ぐ。

 

 「……『動くな』。」

 

 囁きのようなその一言は、風よりも静かで──だが、誰よりも重かった。

 

 刹那。

 空気が凍りついた。

 

 それまで術式を再構築しようとしていたミルダの動きが、ピタリと止まる。

 肩が微かに震えたまま、身体はまるで時間の外に置き去りにされたかのように固まっていた。

 

 グラディウスもまた、反応しようとした直前で、筋肉の動きを封じられる。

 呼吸だけがかろうじて続いていた。

 

「……『意識は保ってていい。喋るのも、許可する。』ただし──『動くな』っすよ?」

 

 リュナの声は、先ほどよりも優しげで──けれど、確かな威圧がこもっていた。

 その声音には、怒りよりも強い、“守る”という決意の感情が込められていた。

 

 ミルダの頬が引きつる。口を開こうとするが、声にならない。

 

 グラディウスは、ただその場に立ったまま、冷静さを保とうと必死に思考を巡らせていた。

 

(これは……)

(……"咆哮"……!?)

 

 かつて、彼がその存在を遠くから観測したことのある伝説の魔獣──

 咆哮竜ザグリュナが放つ、魂すら揺さぶる“制圧の声”。

 

 だが、目の前の少女の放つ“咆哮”は、明らかに異質だった。

 圧倒的な力の前に、ただ屈服させられるあの竜の支配とは違う。

 

 そこにあったのは、禍々しさではない。

 むしろ──温かさすら感じさせる、“意志”だった。

 

 この少女は、誰かを傷つけるためにこの力を使ったのではない。

 仲間を、守るために。

 

 そのことを、グラディウスの“運命視”を通しても、彼の胸の内に、ひたりと染み込むように伝わってきた。

 

 その直後。

 

「……ヴァレンさん!!リュナちゃん!!」

 

 芝生の上から、ブリジットの声が響いた。

 胸にフレキを抱いたまま、彼女の瞳が潤んでいた。

 

 その声に、リュナはふっと笑った。

 黒マスクの隙間から覗いたギザ歯が、やんちゃな笑みに変わる。

 

「……大丈夫っすよ、姉さん」

 

 短く、それだけ言って振り返ったその笑顔に、ブリジットの胸がきゅっと締め付けられる。

 でも、次の瞬間には、その胸の中がじんわりと温かさに満たされた。

 

 ──ありがとう、と言いたかった。

 けれど言葉になる前に、ブリジットはただ小さく頷いた。

 

 その横で、ヴァレンがすっかり元に戻った調子でサングラスをかけ直し、ポケットに手を突っ込みながらグラディウスへと歩み寄った。

 

 コツ、コツ……と石畳を踏む足音が妙に心地よく響く。

 

「おいおい。街中で攻撃魔法ぶっ放すなんてさぁ──」

 

 立ち止まり、肩をすくめて、サングラスの奥からグラディウスを見据える。

 

「……どっちが魔王だか、分かんなくなるぜ?」

 

 軽口。

 だが、その口調の裏にあるのは、明らかな“問い”だった。

 

 ミルダは悔しそうに唇を噛み、目を逸らした。

 

 グラディウスは長く息を吐き、静かに頭を垂れた。

 

「……そうだな。今のは、我々の早計だった」

 

 その声音に、嘘はなかった。

 

 やがて彼はゆっくりと顔を上げ、ブリジットの方へ向き直る。

 

「すまなかった、ブリジット嬢。そして──ヴァレン・グランツ」

 

 その名を口にした瞬間。

 ミルダが驚愕に目を見張った。

 

「……ヴァレン・グランツ……やはり、この男が“色欲の魔王”……!」

 

 その動揺を真正面から受け止め、グラディウスは静かに言った。

 

「ミルダよ。こやつ──“色欲”のヴァレン・グランツは、人類にとって敵ではない」

 

 少なくとも──刺激しない限りはな、と続けようとしたが、あえて口には出さなかった。

 

 しばしの沈黙の後、ミルダは肩を落とし、小さく一礼をした。

 

「……誤解を招いたこと、申し訳ありませんでした。ブリジット嬢……ヴァレン殿」

 

 謝罪の声は、わずかに震えていたが、確かに誠意がこもっていた。

 

 ブリジットはきょとんとした顔をしたが──すぐに、満面の笑みに変わった。

 

「ううん! 大丈夫ですっ!」

 

 その眩しいほどの笑顔に、ヴァレンはサングラス越しに目を細める。

 そして、そっと視線を逸らしながら、心の中で呟いた。

 

(……ったく。この流れで魔王オレの味方をするとはね……キミって子は、素直過ぎて心配になるぜ、ブリジットさん。)

 

 けれど、どこか嬉しそうに、唇の端が持ち上がる。

 

 ──こうして、公園に漂っていた緊張はようやく解けた。

 

 だが、この夜がほんとうに“平穏な夜”で終わるのか──

 

 それは、まだ誰にも分からなかった。

 

 月は高く、星は静かに瞬いていた。

 

 けれど、その光の裏で、世界は確かに、何かを“変えつつ”あった。

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