【完結】自称ワンコに異世界でも執着されている

水市 宇和香

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第二章

三話 散歩

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 イーヌ曜日から始まり八日間働くと、待ちに待った休日が二日続く。トルバート王国は十日をひとくくりにした暦を使用しており、農民も市民も貴族たちも皆、この暦にしたがって生活していた。とはいえ、ニーナ市の市場に休みはない。

 そこで、リーヌ曜日の午後、アザミはハナミとともに市場に繰りだしていた。

「ずいぶんマシ国の文化が浸透しているんだね」

 ニーナ市にやってきてまだ二十日ほどしか経っていないハナミには、この地域に漂う異国情緒が珍しいようだった。アザミにとってはすでに見慣れた光景なので、彼の反応は逆に新鮮である。

「僕はこの市から出たことがないんだけれど、他の地域ってどんな様子なんだ? ニーナ市とはぜんぜん違うのか?」

 アザミはトルバート王国という国の大きさも知らない。異世界に飛ばされるというファンタジーなできごとに巻きこまれたわりに、勇者になって国中を旅するとか、王都に出向いて王族と結婚するとか、そういう特別なことは何も起きなかったので、アザミにとっては日本の田舎町から異世界の地方都市に引っ越しただけという認識なのである。もちろん、言葉も常識も何もかもが違う異世界で暮らすのは非常に大変なことだけれど。今の暮らしに満足していて、壁の外に出たいと思ったことはなかったが、ハナミがこれまでどんなものを見てきたのかは気になる。

「そうだねえ、やっぱり王都はどの場所よりも栄えているよ。それに、この国でしか採れないトルバート青石っていう鮮やかな青い石があるんだけれど、その石をふんだんに使った王宮と教会は本当に美しくて、国内外でも有名なんだ。あとは、ソシロー伯領では温泉があったよ。まさか異世界で温泉に出会うとは思わなくてびっくりした」
「温泉かあ。いいなあ」

 貴族以外の家にはたいてい浴室がないため、体を洗うためには広場にある公共の浴場に行かなくてはならない。しかし、入浴料がかかるので、アザミは夏場以外は二日に一度しか風呂に入っていなかった。日本では蛇口をひねれば水も湯も出てくるのがあたりまえだったが、この二年でそれが非常に恵まれたことだと思い知った。

「今度一緒に行こうよ。ソシローはダフキっていうおだんごみたいなお菓子もおいしかったし、何より葡萄酒がうまいんだ」
「いや、僕まだ十九だし……」
「何言ってるの。この国では十五から成人だろう?」
「そうだけど」

 なんとなく気が引けて、アザミは今まで酒を口にしたことがなかった。

「もったいないなあ。でも、それだけ身持ちが固いのは安心だ。あ、マシ国の酒って透明で日本酒みたいなんだね。おいしい」

 市場を歩くといろんな店の人に声をかけられる。ハナミは目立つから余計だ。酒樽が並んだ露店では試飲を勧められ、パンを売る店では試食を勧められる。

「こんにちは。今日も天気が良くて絶好の買い物日和ですね」

 買い物客にまで話しかけられている。ハナミの背後から声の主を確認して、アザミは思わず「あ」と漏らしそうになった。

(エメさんだ……)

 パーマがかった赤髪が特徴的な彼女は、肉屋の看板娘であり、マルクの思い人である。ゆったりとした服の上からでもわかる豊満な体つきは、ニーナ市の多くの男性をとりこにしている、らしい。マルクたちの噂話が聞こえてきただけなので、真偽のほどは定かではない。しかし、彼女の人当たりの良い笑顔は、確かに多くの人を惹きつけるだろう。

「そうですね」

 ハナミもにこやかに応じている。彼が姿勢を正した際にアザミの前に立ちふさがったため、エメの姿は見えなくなってしまったが、彼女が何か言葉を返したように聞こえた。ハナミには聞こえなかったのだろうか。きびすを返そうとしたので引き留める。

「なあ、話の途中……」

 すると、今度は腰の曲がった老婆が話に加わった。

「王様のご威光のおかげでこのお天気なんだよ。皆、王様に感謝しな」
「これだけ天気が続くと雨もほしくなるけどな」

 芋類を並べた露店の中年男性が口を挟む。

「大丈夫だよ、何年か前に王様が貯水池の整備をしてくれたろ。多少の雨不足なんてどうってことないさ」

 シーズイモを買いあげた神経質そうな若い男性がそう言い残して去っていった。国の南端にまで、王族に対する信仰と彼らの治政は広く浸透していた。

 どさくさに紛れて、ハナミに腕を引かれる。会話の途中で抜けるのは申しわけなかったが、

「いつまでも解放してもらえなさそうだから」

 と、ハナミが小声で言うのは確かにそのとおりだったので、アザミは小さくうなずいて彼に続いた。

 その後も少し歩くたびに人々――主に女性に声をかけられた。

 酒や汁物の試飲はともかく、腰紐の飾りや花束がどんどんハナミの籠に放りこまれていく。損得に敏感な商売人が無償で人に物をあげるなんて驚きである。

「す、すごいな……」

 貢物の数も、それを平然と受け取るハナミも。さすがイケメン。慣れているに違いない。彼は高校生だったころもバレンタインで山ほどのチョコをもらっていたし。

「アザミくん、ごめんね。荷物持ってもらっちゃって」
「いや、僕はそのためについてきたんだから」
「飼い主サマに荷物持ちさせるなんて犬失格だよ」
「まだそんなこと言ってるのか」

 ハナミは犬を自称するのが気にいったらしく、たびたび自分のことを犬と呼んではばからない。そんな自称犬がどうして飼い主と出かけることになったかというと、話は昨晩に遡る。






「ただいま戻りました」
「帰った」

 アザミたちがモンフォール邸からゴーチエ宅兼食堂に帰るのは夜の六時過ぎだ。扉を開けると、酒に酔った男たちでほとんど席がうまっている中を、アンリとハナミが忙しく立ち回っている様子が目に飛びこんでくる。

「おーい、麦酒が足りねえぞお」
「少々お待ちください」
「こっちも二つ麦酒追加ぁ」

 ニーナ市でも指折りの人気店だけあって、まだ日が沈む前からこの賑わいだ。

「これ、今日の夕飯ね」
「はい!」

 チーヌ曜日は休みの前日ということもあり、夜半まで客が途切れることがない。そのため、親方をはじめギルドの面々は、食堂ではなく部屋で夕飯をとることにしていた。アザミはアンリの指示に従ってゴーチエと先輩方に食事を届けると、自分も部屋でパンと鶏肉の香草焼きをかっこむ。そして、大急ぎで食堂に舞い戻った。

 調理場は戦場だ。注文が通るたびに葡萄酒を煮詰めたかけだれを温め、肉を焼く。その合間に汁物や豆の煮込みをよそう。手際の良さが物を言う調理場ではアザミはかえって邪魔になるので、もっぱら注文の聞き役と酒を注ぐことに徹していた。

「おい、アザミ、早く麦酒持ってこい!」
「は、はい……!」

 常連客とはいえ、大声で急かされるといまだに少し萎縮してしまう。ここに来てまだ日が浅いハナミは、調理の手伝いだけでなく、客との立ち回りもそつがないのに。

 考えると落ちこむので、アザミはとにかく仕事に集中した。あっという間に週末の夜は更けていく。

 十時半に営業を終えて明日の準備まですませると、いつものように夜のお茶会だ。部屋から降りてきたゴーチエも加わり、大人三人は葡萄酒、アザミだけが牛乳で乾杯する。お供はアザミ好みの甘さ控えめなフォンダンである。

「明日の午後、お休みをいただいていいですか? お菓子の材料を仕入れに行きたいんです」
「いいわよ。アンタのお菓子、本当によく売れてるわよねえ」
「おかげさまで」

(そうなんだ)

 ハナミが食堂の手伝いと並行して菓子販売を始めてから五日が経った。通りに面した窓に細長い板を置いてカウンターを作り、即席の販売所を設けているらしい。毎日大盛況で、店の前には人だかりができるほどだという。昼過ぎには完売してしまうようで、アザミはまだ菓子販売の現場を見たことがないのだが。

「今日の売り上げは一万五千トルです。五千トルお渡しします」

 そう言って、アザミは銅貨の山をアンリに渡した。五千トルは、銅貨五十枚のことである。菓子販売の場所代や衣食住の費用として、毎日売り上げの三分の一をアンリに渡すことにしたのだそうだ。アンリは「そんなにもらえないよ」と固辞したが、ハナミが折れなかったらしい。彼はいつだって、こうと決めたら頑固なのだ。

「僕も一緒に行くよ」

 リーヌ曜日は家で家族そろって食事をするのが一般的なので、食堂の客足は多くない。そのため、アザミもリーヌ曜日の午後は休みなのである。

「大丈夫だよ、せっかくの休みなんだからちゃんと休みな」
「いつもお菓子をごちそうになってるんだから、このくらい手伝わせてほしい」

 頑固なハナミは絶対に金を受け取らないので、こういうことでないとお返しができないのだ。

「それじゃあ、せっかくだし買い物がてら市内の案内してよ。まだぜんぜんニーナ市のことわからないからさ、犬の散歩に付き合って」
「僕はおまえの飼い主じゃない」
「そんなつれないこと言わないでよ」

 そんな会話を経て、アザミはハナミの買い出しについていくことになった。犬の散歩云々はさておき、彼の要望どおり町の散策にもつきあうことにしたのだった。






 一度食堂に戻り、買いこんだ荷物を置いてから、アザミたちはふたたび広場に繰りだす。

 ニーナ市では、広場を中心に道路が同心円状に作られている。また、東西南北に設けられた四つの市門から、大通りが真っ直ぐ広場まで続いている。つまり、どこに向かうにも広場を起点にしたほうがわかりやすいのだ。

「この店は食堂、うちのライバル。それでその隣はパン屋」

 通り沿いの店を一店ずつ教えてやる。しかし、その隣の店がなんだったか思い出せない。

「えーっと、なんだっけ」

 店の窓が閉まっているため中を覗くこともできず、うんうん考えこんでいると、看板をちらっと見たハナミが、

「宿屋?」

 と、言った。

「そうだった、宿屋だ。おまえ、この国の文字が読めるんだな」
「まあね」

(看板に絵が描いてあればなあ……)

 そうは思うが、王族以外を絵にあらわすのは不敬だと禁じられている以上、仕方がない。

「広場の真ん中から見て、教会が北側。広場より北側の区画には偉い人やお金持ちが多く住んでるんだよ」

 観光案内よろしく、教会を指して説明する。陽光に照らされて、白亜の壁がまぶしく輝いている。

「本当に豪奢だな」
「王都の教会を見たことがあるハナミでもそう思うのか」
「ああ、こんなに立派な教会はあまり見かけないよ」

 全国を旅したハナミが言うのだからそうなのだろう。アザミも初めてこの建物を見たときは、あまりの荘厳さに圧倒された。アザミが言葉を覚え始めたころ、司教にそんな話をしたことがある。司教はそういう気持ちから信心が生まれるのだと言っていた。信じるに値するものがいかに神聖であるか演出するのが重要なのだ、と。

 それを聞いたアザミは、

(だったら自分ももっと真面目な言動をすればいいのに)

 と思ったのだが、それが顔に出ていたらしく、ふっと笑われた。

「これだけ異教徒がこの町に入りこんでいるのだから、教会の教えを緩くしてやらないといろいろ軋轢が生まれるだろうが」

 方便のような気もするが、確かにニーナ市にはたくさんのマシ人が出入りしているから、あまり厳しい戒律で人々を縛るのは得策ではないのかもしれない。

「オベール司教に挨拶してきてもいい? すぐ終わるから」
「いいよ」

 ハナミと連れ立って教会に足を踏み入れる。薄暗い室内に目が慣れてくると、祭壇の奥でオベールがかがんでいるのが見えた。アザミが近づくと、彼は鷹揚に顔を上げる。

「こんにちは」
「おう、アザミよ。元気か」
「はい、元気です」

 顔を見せるだけでオベールはいつも安心したように笑ってくれるので、アザミは定期的に司教のもとを訪れるようにしていた。アザミにとっては転移した先で初めて出会った人物であり、保護者の一人でもあるのだ。

「そうか、それは良かった。これからもアザミに王族の皆様のご加護が続くように。フリイ」

 オベールはそう唱えて、顔の前で手を振った。

「ありがとうございます。司教にも変わらぬ幸運とご加護がありますように。フリイ」

 彼は次にハナミを見上げた。

「転移者殿は、最近菓子作りを始められたそうですな」
「ええ。もうダルヴリッセル司教のお耳に届いているなんて光栄です」

 ハナミが小さく会釈すると、彼はうなずく。

「ここにはいろんな人間が集まってくるので、どうしても耳が早くなるのですよ。すぐに完売してしまうので、幻の菓子などと言われているようですね」

(すごいな)

 まだ菓子販売を開始して十日足らずなのに、とんでもない反響だ。

「それにしても、どうして菓子を売ることにしたのですか? アンリのところだったら、大酒飲みの連中のほうがよく集まるのに」
「お菓子を作るのが特技だからです」
「ほう。それでは、王宮では料理人をされていたのですか?」

 オベールが上目遣いでうかがうと、ハナミはにこやかにうなずいた。

「そんなところです」

(そうなんだ……)

 アザミはハナミのことをよく知らない。以前はぐらかされてから、聞くに聞けなくなってしまった。彼はこちらに転移してから五年もの間、どうしていたのだろう。昔から器用だし、菓子作りの腕前はプロ並みだったから、王宮でも重宝されていたとは思う。しかし、彼のようなはっきりした性格の人間がうやむやにしたがるということは、きっと辛い思いもたくさんしたに違いない。そう思うと、無理に聞きだすことははばかられた。

「ダルヴリッセル司教は、王都にいらしたことはありますか?」
「ええ、何度か。ずいぶん昔ですが」
「そうなんですね。祭壇の意匠も、そこに飾られているトルバート青石の花瓶も、最近王都で流行っているものだったので、よくいらっしゃっているのかと思いました」
「最近王都からやってきた商人に勧められるまま買い替えたのですよ。いつまでも古びたままだと、教会の威信にも関わりますので」
「ええ、わかります。印象の九割は見た目で決まると言われていますからね。その点、この教会は外装だけでなく装飾品の一つ一つまで素晴らしい」
「ええ、来た人すべてに王族の権威を感じていただきたいですからね」
「なるほど」

 その後もしばらく雑談したのち――アザミは聞いていただけだが――、二人は教会を出た。途端に喧騒が広がり、一気に現実に引き戻される。

「北門の近くには仕立て屋が多くあるんだ。おまえ、この間もう一回り大きな小袋がほしいって言ってただろ。新調したくなったら、タノーって職人の店がおすすめだよ。案内するな」

 北門に続く大通りを歩きだすとすぐに、通り沿いに長い鉄柵が続く。鉄柵の内側には木々が茂り、中の様子はわからない。鉄柵のすぐ前には、等間隔で警備の私兵が配置されていた。

「ここがギヨーム・トレゾール様の屋敷。このニーナ市で一番金持ちの商人だって聞いてる」
「ずいぶん物々しいね」
「美術品を集めるのが好きらしい。貴重な作品をたくさん持ってるから、盗まれないか心配なんじゃないか?」

 ふと、アザミは先日の会話を思いだす。

「マルクさんが、ニーナ辺境伯の城は王都の貴族の屋敷より立派だったって言ってたんだよな。トレゾール様の屋敷の何倍くらいあるんだろう?」

 ハナミは曲がり角の見えない囲いを一瞥して「どうかなあ」と曖昧な返事をした。

「さすがに一商人の屋敷と辺境伯の城は比較にもならないだろうけれど、貴族の端くれの屋敷と比べたら同じくらい広いかもね。本当にこの町は羽振りがいいみたいだ。王都に匹敵するくらいに」
「へえ」

 確かに市場は活気に満ちているし、皆明るい印象だ。

 しかし、そう感じるのは広場にほど近い中流階級の住宅街で暮らしているおかげだからなのだと、このときまでアザミは知るよしもなかった。
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