【完結】自称ワンコに異世界でも執着されている

水市 宇和香

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第三章

二話 闇に走る

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 森は暗い。両手を広げた先すら漆黒の闇で、何が潜んでいるかわからない。焚き火の中からなるべく太い木の枝をつかんできたものの、たった一本の明かりでは心許ないが、まだ敵が潜んでいるかもしれないので、あまり派手なこともできなかった。

 馬はふうふうと息を荒げながらも、ハナミの手綱捌きのおかげもあり、おとなしくアザミたちを乗せてくれていた。

 気配を押し殺して、木々の間を進んでいく。

「この先に川があったはず。ニーナ市に着く前、俺もここで野宿したんだ」

 ハナミの記憶どおり、しばらくすると、木々の隙間から月明かりを反射した川のきらめきが覗いた。川は大きく、対岸が見えない。木々が途切れた先は崖になっていた。

 ごうごうと川の水が音を立てている。

「落ちたら助からないだろうな」

 恐々と眼下を見下ろして、アザミはつぶやいた。ハナミがうなずく。

「うん。だから、俺たちがここから落ちたことにして、追手を欺こうと思う」

 彼はそう言って馬から降りるなり、着ていた上衣を脱いだ。両手で引き裂くと、崖に向かって投げ捨てる。布切れが枝に引っかかった。

「アザミくんのも、貸して」

 アザミが脱いだ上衣も同じように破いて放り投げる。アザミのものはどこにもかからず、川に流されていった。

「本当は馬を突き落とすのが一番いいんだけど」

 ちらっとハナミが馬を見上げる。

「それはかわいそうだ……」

 アザミに同意するように、馬も鼻を鳴らした。

「ご主人様がそう言うならしかたないね。あとはそのへんの石を転がして、人が転落したように見せよう」
「あ、待て。僕が行く」

 ハナミは手首を火傷したうえに、たった今まで馬を操ってくれていたのだ。

 アザミは馬から降りて、暗闇のなか手頃な石を探した。アザミだって男なのだから、多少の力仕事はできる。それなのに、後ろから明かりを持ったハナミがついてきて、口うるさいことこのうえない。

「ね、ねえ、ふらついてない? 危ないことはしないで俺に任せてよ。あ、ちょっと、それ重たいんじゃない? アザミくんの細腕じゃ無理だって。崖から落ちそうで心配だよ」
「……静かにしろっ」

 敵から逃げているはずなのになんだこの騒々しさは。

 しゅんとしたハナミを横目に、アザミは上半身くらいありそうな石を五つ、崖に向かって蹴りだした。石はごろごろと崖を下り、どぼんっと音を立てて川に落ちていく。

 その後、ハナミが馬の腰を思いきり叩くと、驚いた馬は森に逃げていった。

「よし、これで準備はできた。あとはいったん身を隠して、作戦を練ろう」

 そこからまた少し歩いたところで、ハナミが洞窟を見つけた。蔦が入り口を覆っているせいで、昼間でも洞窟があるとは気づかないだろう。身を寄せるにはこれ以上ない隠れ場所だった。




 洞窟は二十歩ほど歩いたところで行き止まりにぶつかった。雨に濡れたうえ、下着姿のアザミたちは体の芯から冷え切っていた。震える肩を寄せあい、わずかながらでも寒さを凌ぐ。焚き火の明かりはとうに消えていた。

「で、さっき襲ってきたやつらはなんだったんだ……ハナミには正体がわかってるのか?」

 暗がりに視線を向けたまま、アザミは小さく尋ねた。アザミにはもう何がなんだかわからない。ハナミがうなずく気配がした。

「おそらくは」
「なんで僕たちを襲ってきたんだ? 襲ってきた犯人は誰なんだ? なんで急に僕たちを襲うのをやめたんだ?」

 疑問を立て続けにぶつける。しかし、ハナミはその問いには答えなかった。

「西区で会った男たちが、お菓子をくれって言ってたの覚えてる?」
「ああ、それで僕がお菓子をあげたら大変なことに……」

 先ほど襲ってきた男たちのように、獣じみた動きでアザミの持つフォンダンに群がってきた。思いだすと、ぞっと身の毛がよだつ。腕をさすっていると、ハナミの手がアザミの手に触れた。すりすりと撫でられると安心する。

「あのとき、どうしてお菓子がほしいって言ったんだろうって、疑問だったんだ。空腹だったら普通、お菓子より先に水とかパンのほうがほしくならない?」
「確かに……」

 今この瞬間、菓子を食べたいとは思わない。

「それで、お菓子という言葉に何か特別な意味があるんじゃないかと思ったんだ。俺のお菓子を買いに来る人たちにそれとなく聞いてみたけど、みんな知らなさそうだったから、たぶん普通のお菓子じゃないんだろうなと当たりをつけた。お菓子のような甘い匂いの薬物がマシ国やトルバート王国の一部で流行ってるのは知ってたから、それかもしれないと思って流通経路を調べていたんだけど、トレゾール邸から北門に向かう荷馬車数台から妙に甘い匂いがして……ただ、トレゾール邸は警護が厳重で調査が難しいから、西区の方面から調べてみようとしたら、あの監察史と鉢合わせて正体がばれたってわけ」
「すごいなおまえ……探偵みたいだ」

 ニーナ市に来てまだひと月しか経っていないとは思えない行動力と調査力だった。

「素人なのに、監察史と同じ店を調べてたってことだろう? すごすぎる」

 昔から頭も要領もついでに運動神経も良くて、だいたいなんでもできていたことが思い起こされる。

 すると、ハナミがアザミの手を握った。ぎゅっと力がこもる。

「いや、あの監察史はたぶん、今回の薬物組織とグルだよ」
「え?」
「監察史っていうのは、普通、人にその身分を明かさないものなんだ。それなのにあんなに堂々と名乗り出てまで俺たちを捕まえるなんて……何か隠したいことがあるようにしか見えない。だから、怪しいとは思ってたんだ」

 まったくそんなことは思いつかなかった。「へえ」と小さく相槌を打つほかない。

「それにあいつ、俺たちを連行するにあたって、妙に軽装だったと思わない? 最初から俺たちを襲わせて殺すつもりで、自分の食べ物しか積んでいなかったんだよきっと」

 それはアザミも気になっていた。王都に向かう旅の準備にしては身軽だと思っていたのだ。

「さっき俺たちを襲ったやつらは薬物乱用者だった。おかげで口に入れてた≪葉っぱ≫が役に立った」
「≪葉っぱ≫?」
「うん。お菓子みたいな匂いのする植物のこと。今回の薬物の原料になったものだよ。調査中に失敬した≪葉っぱ≫を、念のため口に隠し持ってたんだ。俺の口からあのお菓子みたいな独特の甘い匂いがしてたみたいで、口をべろべろ舐められたのは最悪だったけど、焚き火に吐き出して燃やしたら、あいつら火の中にも飛びこんでいったからなんとか助かった」

(そういうことだったのか……)

 突然ハナミに群がった理由も、焚き火に突っこんでいった理由も、菓子の匂いが特徴的な≪葉っぱ≫のせいだった。ずっとハナミと一緒にいた自分が気づかない程度の、ごく微量の匂いにあれほど必死になるなんて……人が焼けていく臭いを思いだして、うっとえずく。ハナミが背中をさすってくれた。ハナミのほうがよほど怖い思いをしただろうに。自分が情けない。

「おまえが無事で良かった」

 ハナミの手をつかんで、両手で包む。顔が見えないから、こうするしか気持ちを伝えられないと思ったのだ。

「手首やけどさせちゃってごめん。助けてくれて本当にありがとう」
「首を火傷してれば、首輪みたいで犬っぽくて良かったんだけどねえ。まあ、これはこれで手錠みたいで興奮するけど」
「な、何言ってんだおまえ。変態か」

 ばっと両手を離そうとしたら、逆に絡めとられた。手を引き寄せられて、指先にキスされる。ちゅっと濡れた音が暗い空間に響く。

「アザミくんを危険な目に遭わせるつもりはなかったんだ。こんなことに巻きこんでごめんね。でも、絶対絶対守るから」

 先ほどまでふざけていた男は思えないほど真摯な声。ハナミが自分を好きだと言っていたことがふいに思いだされる。

(待てってば……)

 今は王都から逃げ出した犯罪者として追われていて、そこに薬物まで絡んできたとなれば、それだけでもう頭がいっぱいだ。これ以上混乱させないでほしい。顔が熱くて沸騰しそうなのはきっと、頭の処理が追いつかないせいだ。

 しかし、ハナミは待ってくれない。耳元に唇を寄せて、あろうことか耳の穴を舐めた! 目が見えないぶん、舌の熱さを敏感に感じとってしまう。

「ねえ、アザミくん。愛してる。大好き」
「ちょ、ちょっと待てってば!」
「やだよ、こんなに近くにいるのに。アザミくんもうちょっと押したら落ちそうだし」

 距離をとってもすぐに体を寄せられ、耳元で囁かれる。耳が弱いと見抜かれているようだった。

 ぐいぐいと迫るハナミに負けそうになる。

(そんな場合じゃないのに!)

「本当に今は待てって。待てってば、……っ、待てっ! お座りっ! 待てっ! 伏せっ! おかわりっ! ステイッ!」

 両手で彼の体を押し返しながら、まるで犬に言い聞かせるように、手当たり次第に命令を下した。すると、「ぷっ」とハナミが吹きだす。

「わかったよ、お利口さんなワンコはちゃんと待てします」

(ぜんぜんお利口じゃない!)

 隣の危ない男からふたたび距離を取る。しかし、ハナミは当然のように横にぴたりとくっついてきた。

「だからついてくるなってば!」
「えー、それは無理。俺って分離不安症の犬だから」
「都合のいいことばっか言うな」

 しかし、この暗い空間で相手の存在を感じられなくなると、不安な気持ちになるのも事実だ。アザミはしかたなく、ハナミがくっつくのを許した。調子に乗ったハナミが肩を抱こうとしたのは阻止したが。

 ひとしきりの攻防戦ののち、ハナミは息を吐いた。

「あの監察史が本当に薬物組織と繋がっているのか。トレゾール邸は本当に≪葉っぱ≫の売買に関わっているのか。他にも怪しいと思っているやつらはいるけど、全部がまだ未知数で、何もはっきりしていない。だから、俺はそれを暴きにニーナ市に戻ろうと思う」
「え、あ、危ないぞ」
「まだ監察史がこのへんをうろついているだろうから、アザミくんは夜が明けたら先に王都に向かっていてほしい。ちゃんと護衛をつけるから安心して」
「え? 護衛?」

 ぱんっとハナミが手を叩くと、洞窟の入り口に垂れ下がった蔦が揺れた。と、思った直後、すぐ目の前に何者かの気配を感じる。

「呼んだか」

 低く掠れた声がして、アザミは目をみはった。

(だっ、誰っ)

 とっさに後ずさると、ハナミがアザミの背中を叩いた。

「大丈夫、味方だよ。こいつは王家直属の隠密で、俺の護衛をしているトマス・マルセルだ」
「人の名を勝手に漏らすな」

 蚊の鳴くような小さな声なのに、やけにはっきり聞こえる。不思議な響きだ。

(って、王家直属? どういうこと?)

 辺境の地で細々暮らしてきたアザミには、王様とかそんな上流階級の人々は無縁すぎてぴんとこない。日本にいたときだって、天皇や総理大臣と話すことなんかなかった。

 ハナミが言うには、ハナミも監察史の一人であり、この国の不正を探る旅をしているらしい。

「王都から逃亡するとき、王様に見つかっちゃってさ。どうせ国中を回るなら監察史をやらないかって誘われたんだよね。代わりに、旅にかかる路銀はすべて王家持ちっていうから乗っちゃった。護衛もつくっていうし」

 へへへと軽く笑う彼と対照的に、トマスは仏頂面に違いない固い声だった。

「ふんっ、王家から逃げ出すような背徳者が、我がトルバート王国のためになる行動をとるとは思えん。俺はこいつが王家に仇なすことがないか監視しているのだ」

 トマスはハナミが嫌いなようだ。王家を裏切ったのだから、当然かもしれない。しかし、王が直々にハナミを監察史にスカウトしたということは、王族にはけっこう好かれているのだろうか。ハナミの過去にはまだ謎が多い。

「そもそも己が監察史ということは、死ぬまで誰にも明かさぬことが鉄則。こんなに簡単に身分を明かして……おまえの正体が世間にばれたら、おまえが持つ特権はすべてなくなるぞ。そのことゆめゆめ忘れるな」
「わかってるよ。今さら職を失ったらアザミくんのこと養えなくなっちゃうし、ちゃんと肝に銘じてる」

 だから先ほど襲われたときにもトマスを呼ぼうとしなかったのか。あんなに危険だったのに。

(ハナミはなんとかなるって思ってたのかな?)

 場数が違いすぎる。

 しかし、ここでアザミと離れる選択をするということは、今度こそ危険を感じているということだ。

「僕にも何かできることはないのか?」

 彼が心配だ。危ないことはしてほしくない。

「俺はこういうの慣れてるし大丈夫。アザミくんが安全なところにいてくれるのが一番嬉しいな」
「慣れてるって言っても……」

 ハナミだって数年前までは日本で暮らす一般人だったはずなのに。彼だけに任せていいわけがない。だが、アザミがついていったところで足手まといになるだけだろう。それだったら気持ちよく送りだしてやるほうがいいのかもしれない。

 そのとき、アザミの脳裏にハナミにキスされた日のことがよぎった。あの日、彼のもとを逃げだしてから再会するまでに二年もかかった。何度も何度もハナミのことを思いだして、悶々とした日々。しかし、今度は別れたが最後、二度と会えないかもしれないのだ。

「嫌だ」

 ぽろっと言葉があふれた。

「僕を置いていくな。一緒に作戦を考えることくらいはできるかもしれないだろ……!」

 目が慣れることもない真っ暗な空間。顔が見えないからだろうか、思いの丈を吐露できたのは。いや、彼に対してはいつだってはっきり意見を言えていた気がする。ハナミはアザミが心を開けた数少ない相手だから。

 ハナミの肩を揺する。

「子ども扱いするなよ。僕だって戦いたい」
「子ども扱いなんてしてないよ。アザミくんの気持ちはじゅうぶん伝わってる。だけど、俺のために、アザミくんには安全なところにいてほしいんだ」
「伝わってない! 僕はもう、おまえと離れるのは嫌だ……!」

 こんなに声を荒げたことはないかもしれない。洞窟に響く自分の声に驚く。

 ハナミからは何も言葉が返ってこなかった。呆れられたかと肩をすくめる。

(いや、でも、もう勝手に悩んで逃げるのはやめるんだ)

 高校生のとき、彼の気持ちを聞かずに逃げたせいで長く悩むことになった。再会したときもアザミがうじうじしていたから、ハナミが自分の気持ちを偽ることになった。そのせいで、いまさら彼の本心を聞いてどうしたらいいかわからなくなっている。

 どんなに考えたってハナミの本心はわからない。だったら一人で悩まず、アザミも自分の考えを伝えたほうがいいのだと思う。きっと彼は、アザミの気持ちを邪険にしたりしないから。そんな彼が迷惑だと言わないかぎり、アザミはハナミと一緒に行動したい。

 肩をつかむ手に、ハナミの手が重なった。

「飼い主を守る優秀な番犬のつもりだったんだけどなあ。でも、飼い主さまにそう言われたら断れないね。一緒に作戦を考えよう」
「うん……!」

 ハナミの笑顔が見えた気がして、アザミはほっと息を吐いた。
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