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同僚と一緒にいたら好きな人に「お似合い」と言われてしまった女騎士は、喫茶店のイケオジマスターに告白する。
後編
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次の日の朝、ニコラスが「行こうぜ」とザラの家にまでやってきてしまった。仕方なく、一緒に喫茶ヴォルニーに向かう。
ニコラスは気の良い男だけれど、ザラのことだとなぜかムキになることもあるから、ちょっと不安だ。
ヴォルニーに着くと、ニコラスが扉を開けてくれる。ザラはカランと開かれた扉に、なんだか気後れしながらも中へと入った。
「ザラさん」
店内にいるグレンがザラを見て声を上げたあと、後ろのニコラスを見てスッと眉を優しく下ろした。
「いらっしゃいませ。本日は二名様ですね。テーブル席にいたしましょうか」
「いえ、カウンターで!」
ザラが答える前に、ニコラスが答えた。
お好きな席にどうぞと言われて、ニコラスはどどんとグレンの真正面に陣取っている。ザラも仕方なく、その隣にトスっと座った。
「ザラさんは、いつものモーニングでよろしいですか?」
「はい、お願いします」
「お連れ様はなににいたしましょう」
「俺も同じで」
「かしこまりました。少々お待ちください」
グレンはいつもと変わらぬ柔和な笑顔を向けてくれた。その穏やかな表情に、ニコラスも「へぇ」と言葉を漏らす。
「まぁ確かに悪い人じゃなさそうだな」
「ニコラス! 聞こえるから……!」
「褒めてんだから別にいいだろ?」
「あはは、ありがとうございます」
カウンターの向こう側からグレンの声が聞こえてきて、熱が顔に集まってくる。
「同じ騎士服ということは、職場のかたですか?」
「ああ。それに俺とザラは幼馴染みだ」
「なるほど、それでとても仲良しなんですね」
「仲良しってわけじゃ……ただ付き合いが長いだけで」
勘違いしてほしくなくてザラはそう言ったが、グレンは何故か寂しげに眉を下げただけだ。しかし、それも一瞬で、すぐにグレンはいつもの笑顔に戻った。
「幼馴染みということは、ニコラスさんはザラさんと同い年ですか?」
「いや、ひとつ上だ。こいつは昔から正義感が強すぎて、心配させられたよ」
「ニコラスが勝手に心配してただけじゃない」
「それでも、心配なんだよ。お前は無茶ばっかすっから」
ニコラスに子ども扱いされて、ザラはムッと口を尖らせた。
確かに、ニコラス前では子どもっぽくなってしまうところはあったかもしれない。けれど大人に見られたいグレンの前でそんなことを言うのはやめてほしかった。
「騎士さまは、危険な仕事もおありでしょう。どうかここにきた時くらいは、安らぎの時間を過ごしてくださいね。はい、モーニングセット二つになります」
「お、うまそう!」
「ニコラスさんは体も大きくていらっしゃるので足りないかもしれませんから、初回サービスということでサンドウィッチもお付けしています」
「あざーっす!」
そう言ってもりもり食べ始めたニコラスを見て、グレンは嬉しそうに微笑んでいる。
ザラはそんなニコラスを見て恥ずかしい思いを抱えながらも、いつものようにモーニングを堪能した。
「グレンさんっていったっけ。ありがとう、めっちゃうまかったよ。いくら?」
ニコラスは財布を出しながらそういうと、ザラの分まで支払い始めた。ザラは慌ててニコラスの腕を掴む。
「いいよ、ニコラス。私は自分で払うから」
「いいって、これくらい。こういう時は素直にありがとうって奢られろよ」
ニコラスはニッっと笑って、ザラの額をコツンと軽く小突いてくる。頭をほんの少し後方に動かされたザラは、ニコラスを見た後、こくんと頷いた。
「わかった……ありがとう」
「よっしゃ、それでいい」
ニコラスが支払いをすませてくれ、店を出ようとしたとき、グレンに声をかけられる。
「素敵な彼氏さんですね。お似合いですよ」
その言葉を聞いた瞬間、すぐには声が出てこなかった。
違うんですと否定したいのに、その柔和な笑顔を見ていると出てこない。
グレンの勘違いではあるが、ザラのことを恋愛の対象として見てないのだと、ストレートに言われた気がした。
「いや、俺らは……おい、ザラ!」
不意に泣きそうになり、ガランと音を立てて店を飛び出す。
お似合いだと、笑顔で言われた。ただそれだけだというのに、胸が潰れそうなほどに痛い。
「ザラ!」
後ろからニコラスが追いかけてくる。ザラは簡単に追いつかれて、肩をぐいっと掴まれた。
「なんでいきなり逃げ……っ」
振り向いたザラを見て、言葉を詰まらせるニコラス。
「は? なんで泣いてんだよ」
「だってグレンさん……私のことに興味なんてなかった……! やっぱり私のこと、女としてなんて見られないんだ……!」
「いやいや、あの人一言もそんなこと言ってねぇだろ? わかんねぇじゃん!」
「わかる、わかるよ……」
人前で泣くのなんて、何年ぶりだろうか。
たかが恋愛のことで泣くなんて情けない、と思っていても、なぜか涙は次から次に溢れてくる。
「……じゃあ、確かめようぜ」
「え?」
「聞いてきてやる」
「え、ちょ、ま……!」
ニコラスは今出た店に、全速力で戻って行く。
ザラが涙を拭いて急いで店の前まで行った時には、もう中でグレンとニコラスが話をしていた。中に入ろうかどうしようかと迷っていると、ニコラスの声が聞こえてきた。
「グレンさん、あんたがザラことをどう思ってるのか教えてくれ」
うそ、と声にならない声をあげて、ザラはその場に固まった。
「どうと言われましても……素敵なお嬢さんだと思っていますが」
「お嬢さんってことは、ちゃんと女として見ているってことだな?」
「はい、当然でしょう」
グレンはなにを当然のことを確認しているのかと言わんばかりの声を出していた。
女として見てくれていたとわかっただけでもう心は温かくなっていて、現金なものだとザラは苦笑いした。
「ザラのことを、恋愛対象として見られるか?」
次々と不躾で心臓に悪い質問ばかりを繰り出してくるニコラス。さすがに中に突入しようかと思ったが、その答えを聞きたい気持ちを抑えられず、身をひそめた。
「ニコラスさんの恋人を、そんな目で見たりなんかしませんから、ご安心ください」
「いや、俺は恋人じゃねぇよ。俺とザラは幼馴染みで友人だけど、妹のように大事に思ってる。今は兄として、グレンさんを見極めたい」
ニコラスの真っ直ぐな言葉。そんな風に思ってくれていたことが嬉しくて、どこか気恥ずかしかった。
しばらくしてから、グレンの声が扉の向こう側から聞こえてくる。
「私とザラさんは、親子ほどの年の差があります……世間的に見ても、不釣り合いだとしか──」
「逃げんな!!」
ドンッと音が聞こえて、ザラの体がびくりと跳ねる。無茶なことをするのは、ニコラスの方も同じだ。
しかし、グレンはニコラスの質問から逃げようとしていたのかと、ザラは肩を落とした。適当な言い訳をして誤魔化すということは、なんとも思われていないということに違いないと。
もう耳を閉ざしてしまいたかったが、喫茶店に不釣り合いなニコラスの大声が外まで響いてくる。
「年の差とか、世間体とか関係ねぇんだよ! あんたが、ザラのことをどう思っているかだけ聞きてぇんだ!」
「それは……」
「ただの客か? それとも、ちょっと色目を使えばすぐに落ちる、ちょろい女か?」
「色目なんて使っていませんよ。ちょろい女などという、彼女を侮辱するような言葉を使うのもやめてもらえますか」
「じゃあどう思ってんだよ」
「あなたに教える義理はありません。伝えるならば、自分の口で言いますから」
「ふーん……だってよ、ザラ」
いきなり扉の取っ手がガクンと下りて、扉が開かれた。
「ザラさん……?!」
グレンの驚いた顔が目に入る。『自分の口で言う』と、今、彼は言った。
なにを言われてしまうのだろうか。毎日のように通ってしまっていて、本当は迷惑がられていたのだろうか。グレンは優しいから、受け入れてくれていたフリをしていただけで。
「グレンさん……あの、迷惑でしたら、もうここには来ませんから……」
「ザラさん」
「好きになって、ごめんなさい」
そう謝ると、情けなくて涙が出てきた。グレンに、好きな人に、迷惑しかかけていなかったのだと。
それに気づくこともできず、毎日のように図々しく通い詰めていた自分が恥ずかしかった。
「好きになってくれてありがとうございます、ザラさん」
グレンの優しい声が耳に入ってくる。グレンは断る時ですら優しいのかと思うと、胸の痛みは増した。
「グレンさんの作ってくれる料理もコーヒーも、とてもおいしかったです。毎日のように押しかけてしまっていたこと、反省しています……」
「反省する必要なんてないんですよ。ザラさんはお客様なんですから、堂々としてくれればいいんです」
「……はい」
そう答えながらも、ザラの胸の痛みは止まらなかった。
客としか見られていないのだと、わかっていても苦しくなる。
「だからザラさん。これからも毎日食べに来てくれますか?」
「……あは、商売上手……ですね」
「私がザラさんにお会いしたいんですよ。それこそ、毎日でも」
「……え?」
首を傾げながら顔を上げると、グレンの眉がゆっくり下がるのが見えた。
「彼の言う通りです。私は、逃げていました。親子ほどの年の差があるからと心で言い訳をして。ザラさんに好意を向けられるたび、若い女の子の未来を、私などが奪ってはいけないと──」
「グレンさん……」
「あなたの落ち着いた雰囲気が好きです。伸ばされた背筋は美しく、凛とした表情に目を奪われました。話せば柔らかく、それでいてしっかり自分の意思を持っていた」
そんな風に言われては、いいように解釈してしまいそうだ。ザラは本当なのだろうかという疑問を払拭できずにいる。
どういう顔をしていいかわからないザラに、グレンはゆっくりと落ち着いた声で言った。
「今、戸惑われているザラさんのお顔も、とても素敵ですよ」
細められた優しい瞳は、生まれたての赤ん坊に注ぐような愛情を感じて。
ザラの鼓動は、ばくんばくんと胸を揺らし始めた。
「こんなおじさんがなにを言っているのかと思うかもしれないけれど……あなたのことを好きになってしまいました。どうか私とお付き合いをしてもらえませんか?」
予想だにしていなかった言葉。ザラに一陣の風が吹き抜け、全身の血が熱くなった気がした。
「本当ですか、グレンさん……本当に、私を……?」
「はい。真剣です」
感極まって、涙が込み上げてきそうになる。ザラはグレンを見上げたまま声を出せないでいると、バシッと後ろから背中を叩かれた。
「ほら。返事してやれよ、ザラ」
ニコラスの言葉を受けてザラはこくんと頷くと、もう一度グレンを見上げる。その微笑みは、ザラを丸ごと包んでくれているようで。
「よろしく、お願いします……!」
「こちらこそ」
グレンに差し出された手を、ザラは戸惑いながらも握った。
大きくて温かい手は、春の穏やかな陽気を思い起こさせる。
良かったなと笑っているニコラスに、ザラは照れながらも微笑んだ。
ザラはそれからも、毎日喫茶ヴォルニーに通い続けた。
しかしそれも、次の春が来れば終わる。
その頃には、一緒に住む約束をしているのだから──
ニコラスは気の良い男だけれど、ザラのことだとなぜかムキになることもあるから、ちょっと不安だ。
ヴォルニーに着くと、ニコラスが扉を開けてくれる。ザラはカランと開かれた扉に、なんだか気後れしながらも中へと入った。
「ザラさん」
店内にいるグレンがザラを見て声を上げたあと、後ろのニコラスを見てスッと眉を優しく下ろした。
「いらっしゃいませ。本日は二名様ですね。テーブル席にいたしましょうか」
「いえ、カウンターで!」
ザラが答える前に、ニコラスが答えた。
お好きな席にどうぞと言われて、ニコラスはどどんとグレンの真正面に陣取っている。ザラも仕方なく、その隣にトスっと座った。
「ザラさんは、いつものモーニングでよろしいですか?」
「はい、お願いします」
「お連れ様はなににいたしましょう」
「俺も同じで」
「かしこまりました。少々お待ちください」
グレンはいつもと変わらぬ柔和な笑顔を向けてくれた。その穏やかな表情に、ニコラスも「へぇ」と言葉を漏らす。
「まぁ確かに悪い人じゃなさそうだな」
「ニコラス! 聞こえるから……!」
「褒めてんだから別にいいだろ?」
「あはは、ありがとうございます」
カウンターの向こう側からグレンの声が聞こえてきて、熱が顔に集まってくる。
「同じ騎士服ということは、職場のかたですか?」
「ああ。それに俺とザラは幼馴染みだ」
「なるほど、それでとても仲良しなんですね」
「仲良しってわけじゃ……ただ付き合いが長いだけで」
勘違いしてほしくなくてザラはそう言ったが、グレンは何故か寂しげに眉を下げただけだ。しかし、それも一瞬で、すぐにグレンはいつもの笑顔に戻った。
「幼馴染みということは、ニコラスさんはザラさんと同い年ですか?」
「いや、ひとつ上だ。こいつは昔から正義感が強すぎて、心配させられたよ」
「ニコラスが勝手に心配してただけじゃない」
「それでも、心配なんだよ。お前は無茶ばっかすっから」
ニコラスに子ども扱いされて、ザラはムッと口を尖らせた。
確かに、ニコラス前では子どもっぽくなってしまうところはあったかもしれない。けれど大人に見られたいグレンの前でそんなことを言うのはやめてほしかった。
「騎士さまは、危険な仕事もおありでしょう。どうかここにきた時くらいは、安らぎの時間を過ごしてくださいね。はい、モーニングセット二つになります」
「お、うまそう!」
「ニコラスさんは体も大きくていらっしゃるので足りないかもしれませんから、初回サービスということでサンドウィッチもお付けしています」
「あざーっす!」
そう言ってもりもり食べ始めたニコラスを見て、グレンは嬉しそうに微笑んでいる。
ザラはそんなニコラスを見て恥ずかしい思いを抱えながらも、いつものようにモーニングを堪能した。
「グレンさんっていったっけ。ありがとう、めっちゃうまかったよ。いくら?」
ニコラスは財布を出しながらそういうと、ザラの分まで支払い始めた。ザラは慌ててニコラスの腕を掴む。
「いいよ、ニコラス。私は自分で払うから」
「いいって、これくらい。こういう時は素直にありがとうって奢られろよ」
ニコラスはニッっと笑って、ザラの額をコツンと軽く小突いてくる。頭をほんの少し後方に動かされたザラは、ニコラスを見た後、こくんと頷いた。
「わかった……ありがとう」
「よっしゃ、それでいい」
ニコラスが支払いをすませてくれ、店を出ようとしたとき、グレンに声をかけられる。
「素敵な彼氏さんですね。お似合いですよ」
その言葉を聞いた瞬間、すぐには声が出てこなかった。
違うんですと否定したいのに、その柔和な笑顔を見ていると出てこない。
グレンの勘違いではあるが、ザラのことを恋愛の対象として見てないのだと、ストレートに言われた気がした。
「いや、俺らは……おい、ザラ!」
不意に泣きそうになり、ガランと音を立てて店を飛び出す。
お似合いだと、笑顔で言われた。ただそれだけだというのに、胸が潰れそうなほどに痛い。
「ザラ!」
後ろからニコラスが追いかけてくる。ザラは簡単に追いつかれて、肩をぐいっと掴まれた。
「なんでいきなり逃げ……っ」
振り向いたザラを見て、言葉を詰まらせるニコラス。
「は? なんで泣いてんだよ」
「だってグレンさん……私のことに興味なんてなかった……! やっぱり私のこと、女としてなんて見られないんだ……!」
「いやいや、あの人一言もそんなこと言ってねぇだろ? わかんねぇじゃん!」
「わかる、わかるよ……」
人前で泣くのなんて、何年ぶりだろうか。
たかが恋愛のことで泣くなんて情けない、と思っていても、なぜか涙は次から次に溢れてくる。
「……じゃあ、確かめようぜ」
「え?」
「聞いてきてやる」
「え、ちょ、ま……!」
ニコラスは今出た店に、全速力で戻って行く。
ザラが涙を拭いて急いで店の前まで行った時には、もう中でグレンとニコラスが話をしていた。中に入ろうかどうしようかと迷っていると、ニコラスの声が聞こえてきた。
「グレンさん、あんたがザラことをどう思ってるのか教えてくれ」
うそ、と声にならない声をあげて、ザラはその場に固まった。
「どうと言われましても……素敵なお嬢さんだと思っていますが」
「お嬢さんってことは、ちゃんと女として見ているってことだな?」
「はい、当然でしょう」
グレンはなにを当然のことを確認しているのかと言わんばかりの声を出していた。
女として見てくれていたとわかっただけでもう心は温かくなっていて、現金なものだとザラは苦笑いした。
「ザラのことを、恋愛対象として見られるか?」
次々と不躾で心臓に悪い質問ばかりを繰り出してくるニコラス。さすがに中に突入しようかと思ったが、その答えを聞きたい気持ちを抑えられず、身をひそめた。
「ニコラスさんの恋人を、そんな目で見たりなんかしませんから、ご安心ください」
「いや、俺は恋人じゃねぇよ。俺とザラは幼馴染みで友人だけど、妹のように大事に思ってる。今は兄として、グレンさんを見極めたい」
ニコラスの真っ直ぐな言葉。そんな風に思ってくれていたことが嬉しくて、どこか気恥ずかしかった。
しばらくしてから、グレンの声が扉の向こう側から聞こえてくる。
「私とザラさんは、親子ほどの年の差があります……世間的に見ても、不釣り合いだとしか──」
「逃げんな!!」
ドンッと音が聞こえて、ザラの体がびくりと跳ねる。無茶なことをするのは、ニコラスの方も同じだ。
しかし、グレンはニコラスの質問から逃げようとしていたのかと、ザラは肩を落とした。適当な言い訳をして誤魔化すということは、なんとも思われていないということに違いないと。
もう耳を閉ざしてしまいたかったが、喫茶店に不釣り合いなニコラスの大声が外まで響いてくる。
「年の差とか、世間体とか関係ねぇんだよ! あんたが、ザラのことをどう思っているかだけ聞きてぇんだ!」
「それは……」
「ただの客か? それとも、ちょっと色目を使えばすぐに落ちる、ちょろい女か?」
「色目なんて使っていませんよ。ちょろい女などという、彼女を侮辱するような言葉を使うのもやめてもらえますか」
「じゃあどう思ってんだよ」
「あなたに教える義理はありません。伝えるならば、自分の口で言いますから」
「ふーん……だってよ、ザラ」
いきなり扉の取っ手がガクンと下りて、扉が開かれた。
「ザラさん……?!」
グレンの驚いた顔が目に入る。『自分の口で言う』と、今、彼は言った。
なにを言われてしまうのだろうか。毎日のように通ってしまっていて、本当は迷惑がられていたのだろうか。グレンは優しいから、受け入れてくれていたフリをしていただけで。
「グレンさん……あの、迷惑でしたら、もうここには来ませんから……」
「ザラさん」
「好きになって、ごめんなさい」
そう謝ると、情けなくて涙が出てきた。グレンに、好きな人に、迷惑しかかけていなかったのだと。
それに気づくこともできず、毎日のように図々しく通い詰めていた自分が恥ずかしかった。
「好きになってくれてありがとうございます、ザラさん」
グレンの優しい声が耳に入ってくる。グレンは断る時ですら優しいのかと思うと、胸の痛みは増した。
「グレンさんの作ってくれる料理もコーヒーも、とてもおいしかったです。毎日のように押しかけてしまっていたこと、反省しています……」
「反省する必要なんてないんですよ。ザラさんはお客様なんですから、堂々としてくれればいいんです」
「……はい」
そう答えながらも、ザラの胸の痛みは止まらなかった。
客としか見られていないのだと、わかっていても苦しくなる。
「だからザラさん。これからも毎日食べに来てくれますか?」
「……あは、商売上手……ですね」
「私がザラさんにお会いしたいんですよ。それこそ、毎日でも」
「……え?」
首を傾げながら顔を上げると、グレンの眉がゆっくり下がるのが見えた。
「彼の言う通りです。私は、逃げていました。親子ほどの年の差があるからと心で言い訳をして。ザラさんに好意を向けられるたび、若い女の子の未来を、私などが奪ってはいけないと──」
「グレンさん……」
「あなたの落ち着いた雰囲気が好きです。伸ばされた背筋は美しく、凛とした表情に目を奪われました。話せば柔らかく、それでいてしっかり自分の意思を持っていた」
そんな風に言われては、いいように解釈してしまいそうだ。ザラは本当なのだろうかという疑問を払拭できずにいる。
どういう顔をしていいかわからないザラに、グレンはゆっくりと落ち着いた声で言った。
「今、戸惑われているザラさんのお顔も、とても素敵ですよ」
細められた優しい瞳は、生まれたての赤ん坊に注ぐような愛情を感じて。
ザラの鼓動は、ばくんばくんと胸を揺らし始めた。
「こんなおじさんがなにを言っているのかと思うかもしれないけれど……あなたのことを好きになってしまいました。どうか私とお付き合いをしてもらえませんか?」
予想だにしていなかった言葉。ザラに一陣の風が吹き抜け、全身の血が熱くなった気がした。
「本当ですか、グレンさん……本当に、私を……?」
「はい。真剣です」
感極まって、涙が込み上げてきそうになる。ザラはグレンを見上げたまま声を出せないでいると、バシッと後ろから背中を叩かれた。
「ほら。返事してやれよ、ザラ」
ニコラスの言葉を受けてザラはこくんと頷くと、もう一度グレンを見上げる。その微笑みは、ザラを丸ごと包んでくれているようで。
「よろしく、お願いします……!」
「こちらこそ」
グレンに差し出された手を、ザラは戸惑いながらも握った。
大きくて温かい手は、春の穏やかな陽気を思い起こさせる。
良かったなと笑っているニコラスに、ザラは照れながらも微笑んだ。
ザラはそれからも、毎日喫茶ヴォルニーに通い続けた。
しかしそれも、次の春が来れば終わる。
その頃には、一緒に住む約束をしているのだから──
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