「僕が望んだのは、あなたではありません」と婚約破棄をされたのに、どうしてそんなに大切にするのでしょう。【短編集】

長岡更紗

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「あなたを愛することはない」と言われた者の痛みを思い知れ 〜射止めるために頭脳派令嬢は手段を選ばない〜

前編

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「あなたを愛することはない」

 その言葉が耳に入ってきた瞬間、私の体は凍りついた。
 今日はイーグルウッド家へと婿に来たモートンと、ヴィヴィアン様との初夜であるというのに。
 私は扉の前で耳をそば立てる。

「それは、冗談で言っているのではなくて?」
「ああ、本気だ」

 伯爵令嬢であるヴィヴィアン様と、フェルグ侯爵家の三男であるモートンとの結婚式は、つつがなく終わっている。私の目から見てだが、特に何も問題がなかったように思う。

 だというのに、初夜においていきなりこの仕打ちとは。
 これは、あまりにも……。

「モートン様。わたくしを愛することはないという理由を伺っても?」
「利害が一致しただけの婚姻関係だろう。愛する必要があるか?」

 どう聞いても小馬鹿にしたような物言い。
 モートンめ。一発ぶん殴ってやろうか。

「それでも私はこのイーグルウッド家の一人娘。後継者が必要だということは、モートン様にもご理解いただいていると思いますが」
「わかっているさ。世間知らずのお嬢様は、黙って俺に従っていればいい」

 私は思わず舌打ちしてしまいそうになった。
 この男……。今までずっと、猫をかぶっていたな?

「困りますわ。結婚とは契約です。これでは契約不履行ではありませんか」
「そんなに俺に抱かれたいなら、その貧相な体をどうにかするべきだろう。そうすれば、考えてやらなくもない」

 侯爵家の人間だったからと、どうしてそんなに横柄なのか。
 イーグルウッド家に婿入りしたのだから、それなりの態度があって然るべきだというのに。

「……わかりました。善処いたします」
「そうか、わかったなら出ていってほしい。あなたと同じ部屋で寝るつもりはないからな」

 鼻で笑う声に腕が震える。
 ダメだ。ふつふつと怒りが湧いてきてどうしようもない。
 だが今踏み込んでモートンの顔を見てしまえば、きっと殴りかかってしまうだろう。私はグッと堪えた。

「では、この部屋は好きにお使いくださいませ」

 ガチャリと音がして、目の前の扉が開く。白く美しい肢体が部屋からするりと現れ、私は真っ直ぐに目を向けた。
 闇夜でも映える、燃えるような赤く美しい瞳は、私を見た瞬間に大きく開かれる。

「レイナルド……」

 ヴィヴィアン様が、執事である私の名前を呼んだ。

「こちらへ」

 立ち聞きしていた非礼を詫びる前に、私はヴィヴィアン様を自分の部屋へといざなった。


「大丈夫ですか、ヴィヴィアン様」

 私の部屋でソファーに座るヴィヴィアン様に、ハーブティーをお渡しすると、力無く微笑まれた。ああ、おいたわしい。

「レイナルド、ずっと聞いていたのね?」
「……申し訳ございません」

 いや、決して気になって様子を見に行ったわけでは……決して。多分。

「いいのよ。むしろ、証人ができたわ」
「どうなさるおつもりですか? 私が追い出してしんぜましょうか」
「無理よ。ようやく漕ぎ着けた侯爵家との繋がりを、手放せはしないもの」

 はぁとため息を吐くヴィヴィアン様。
 憂い顔もかわい……いや、こんな顔をさせたモートンが許せない。私の胸は掻きむしられたように苦しくなる。

 病で母を亡くした私がイーグルウッド伯爵に引き取られたのは、私が十四歳の時だった。
 一応私は子爵家の令息ではあったのだが、没落貴族と呼ばれるに相応しい状況であった。
 祖父母は早くに亡くなり、女当主として母メリッサが切り盛りしていた。しかし人のいい母にかかっては、窮地に陥いるばかりであった。
 私は父の顔を知らない。名もわからない。母は誰の子を産んだのかはついぞ口を割ることなく、文字通り墓まで秘密を持っていった。
 母の死後、私は子爵家としての体面が保てず、母や祖父母に申し訳なく思いながらも爵位を返上するより仕方なかった。

 そして何者でもなくなった私を引き取ってくれたのが、唯一交流のあったイーグルウッド伯爵である。

 なんでもするという私に、執事見習いとして働かせてくれ、たくさん学ばせてもらった。このご恩は、絶対に返さなくてはならないと思っている。
 特に、ヴィヴィアン様は私を本当の兄のように慕ってくださった。
 当時六歳であったヴィヴィアン様は、かわいい盛りで目に入れても痛くはなかった。それは、十二年経った今でも変わらないが。
 ヴィヴィアン様はかわいい。とんでもなくかわいい。
 百万回言っても言い足りないからいくらでも言う。超かわいい。
 この国には珍しい白髪はくはつと燃えるような赤目。ほっそりとした手足に、ふっくらとした笑顔。
 私の最推しの人である。

 よって、ヴィヴィたん……いや、ヴィヴィアン様を傷つけ苦しめる者は、誰であっても許さない。

「ねぇ、隣に座ってくれる?」

 少し離れて立っている私に、ヴィヴィアン様がお声をかけてくださった。

「いや、しかし」
「お願い」

 う。私は昔からヴィヴィアン様のお願いに弱いのだ。
 ヴィヴィたんの上目遣いに鼻血出そう。

「……では、失礼して」

 私は仕方なく……そう、仕方なく隣に座った。
 するとヴィヴィアン様は私を見上げて嬉しそうに微笑んでくださる。
 はああ、私のヴィヴィたん……!

「こうして二人で話すのも久しぶりね。ちょっと緊張しちゃう」
「そうですね。私も緊張しておりますよ」
「ええ? 本当に? まったくそうは見えないわ」

 ヴィヴィアン様の言葉に、私は余裕を持って微笑んで見せた。
 いや、本当は心臓ばっくんばっくん鳴ってるんですがね。

「昔はよく、わたくしの頭を撫でて安心させてくれて、寝かしつけてくれたわよね」
「今思えば、恐れ多いことをしたものです」
「ううん、すっごく嬉しかったの。レイナルドにそうしてもらえることが……」
「ヴィヴィアン様……」

 そんな風に思ってくださっていたなど……それだけでこのレイナルド、ご飯三杯はいけそうです。

「ねぇ、あの懐中時計を見せて」
「ええ、構いませんよ」

 ヴィヴィアン様にせがまれるまま、愛用の懐中時計を取り出した。
 元々は金色に光っていたであろう懐中時計は鈍色に落ち着いていて、長く使われていたものだということがわかる。
 これは亡き母の形見で、祖父母から譲り受けたものではないと聞いたから、私の父からもらったものなのかもしれない。
 美しい草花の細やかな彫刻。それにカチコチと微細な音を鳴らす懐中時計は、幼い頃からヴィヴィアン様のお気に入りだった。

「ああ、いつ見ても素晴らしいわ」
「本当にヴィヴィアン様はその懐中時計がお好きですね」
「だって、本当に素晴らしいのだもの。見ているだけで心が落ち着いてくるの」

 じっと手の中の懐中時計を見つめていたヴィヴィアン様だったが、そのうちにポロポロと涙を流し始めてしまった。
 どうしよう、ヴィヴィたんが……泣いている!
 私はさっとハンカチーフを取り出し、そっと差し出した。

「ごめんなさい……ありがとう」
「いいえ。おつらかったでしょう。モートン様にあんな仕打ちをされて」
「……そうね、悔しかった」

 一刻も早くモートンを殺したい。
 ヴィヴィアン様をこんなに傷つけるなど、男の風上にもおけぬ奴!

「レイナルド……わたくしってそんなに魅力ない……?」

 涙ながらに訴えられて、私の心臓は不規則に動く。
 魅力がないどころか、魅力しかないのだが。

「あんな男の言うことを間に受けてはなりません。ヴィヴィアン様はこの上ない魅力の持ち主ですよ」
「……本当に?」
「本当ですとも」
「でもレイナルド、ちっとも動揺してないじゃない……! やっぱり、わたくしは……ううう!!」
「ヴィ、ヴィヴィアン様!?」

 ヴィヴィたんは急にどうしてしまわれたのか! オロオロ。
 落ち着くのだ、私。ここはオトナの包容力を駆使するしかない。

「自信を失っておいでなのですね。大丈夫。ヴィヴィアン様の魅力は、このレイナルドが保証いたします」

 私は昔のように、そっとヴィヴィアン様の髪を手櫛で通した。
 ああ、いい香り。ヴィヴィたんの髪、めちゃくちゃいい匂いがする!
 ヴィヴィアン様の魅力がわからんとは、モートンは本当にクソだな。

「じゃあ……キスして」
「…………はい??」

 しまった、素っ頓狂な声を出してしまった。
 落ち着け、私。いや、落ち着けんが!!
 だって、ヴィヴィたんが! 麗しのヴィヴィたんが、私とキス?!
 なにを考えておいでなのだ、ヴィヴィアン様は!

「……ダメ?」

 上目遣い……っ!
 とりあえず目頭を押さえるフリをして、鼻血が出ないようにつまんでおこう。

「ふう……オトナをからかうものではありませんよ、ヴィヴィアン様」
「からかってなんかないのに……」

 あああ、どうしてまた泣いてしまわれるのか!
 ヴィヴィたんの心が本当にわからない!!

「どうしていきなり、キスなどと」
「……ばかっ」

 ふーむ、罵倒されるのもまた良き……ではなく。
 困った。私はどうすればいいのだろう。
 ヴィヴィアン様は少しむくれたあと、やはり私を見上げた。

「わたくしに魅力がないのはわかっているの……」
「いえ、ですから、ヴィヴィアン様は十分に魅力的だと」
「こんな、貧相な体でも?」
「ほっそりとしていらして、素晴らしいと思います」
「胸もないし……」
「慎ましやかで大変よろしいかと」
「ほ、ほんとう?」
「本当でございますとも」

 ヴィヴィアン様のお顔は花が咲くようにほころんだ。
 ヴィヴィたん!! かわゆし!!

「でも私……もう少し、胸がほしいの……」

 恥じらいながらの告白……抱きしめてしまいたい!

「そうでしたか。今まで気づけず申し訳ありません」

 ああ……ヴィヴィアン様はあんな男のために、努力しようとしているのか。
 モートンは顔だけはいいからな。ヴィヴィアン様は恋をされていたのだろう。
 恋する相手にあんな酷いことを言われたにも関わらず、なんという健気な……! ヴィヴィたん、かわいそう!
 しかしなんだ、この胸苦しさは。
 ヴィヴィアン様がモートンに抱かれるための努力をすると言うならば、もちろん私はそれを全力で応援するが……。
 ずずんと黒い石でも載せられたような気分になってしまう。

「まず、ヴィヴィアン様は食が細くていらっしゃるので、そこから改善していきましょう。それから女性らしい体になるには、昔から大豆が有効と言われていて……」
「私、いい方法を聞いたことがあるの」
「どんな方法です?」
「も、揉むんですって……」
「なにを?」
「だから……胸……」

 揉む……胸……ヴィヴィたん?! なに言ってんですか??!

「そ、そうでございますか。では食事のあと、ご自分でマッサージされるのがよろしいかと」
「それが、男の人にしてもらわないと効果がないみたいで……」

 恥ずかしそうな視線が私に向けられ……は!? 私??

「レイナルドしか頼める人がいないの……!」

 なんという役得……! いや、なんという覚悟なのか!
 私はヴィヴィアン様のモートンに対する愛を舐めていました。
 そんなにまであの男に愛されたかったのですね。

「……かしこまりました。ヴィヴィアン様がそこまでおっしゃるのならば」
「レイナルド……うれしい」

 ヴィヴィたんーーーーーーーー!!!!
 私は!! 平常心を!! 保てるのだろうか!!!!

「必ず私がこの手で、責任を持って大きくして差し上げます!」
「お願い、レイナルド……!」

 ヴィヴィアン様が私に飛びついてきて。
 私は昔したように、優しく彼女を抱きしめた。
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