恐怖侯爵の後妻になったら、「君を愛することはない」と言われまして。

長岡更紗

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15.ストロベリー侯爵、脱ぐ。②

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「レディアは大丈夫か? 顔が、赤い」

 それ……イシドール様のせいですから……っ
 イシドール様はゆっくりと、私の横に座る。
 さっきまでより近い。暑さと、距離で、息が上ずる。

「……レディア。やはり、君も脱いでくれ」
「ふぁい!?」
「変な意味じゃない。いや、少しあるが」

 あるんですか!?

 イシドール様は汗の滴る体で、ふっと私を見た。

 いえ、そんな色気を放出されましても……本当に目のやり場にこまるんですが!
 ああ、もうダメ。あまりの色気に当てられて、頭がぼうっとして──

「レディア! 悪い、少し脱がすぞ」
「だ、だいじょ……っ」
「だめだ。……紐を緩めるだけだから」

 低く落ち着いた声。でも、どこか熱を帯びていて……その声音だけで、胸が苦しくなった。

 背中にあるコルセットの紐を、イシドール様の指が探る。

「少し……失礼」

 するりと、締めつけていた紐が緩んだ。呼吸が、少しだけ楽になる。
 服の隙間から風が入りんで。素肌に触れたイシドール様の指先の感触が、鋭く意識に残った。

「……これで、少しは楽か?」

 イシドール様の顔が、近い。
 汗をぬぐうようにそっと頬をなでたその指先が、なぜか震えていた。

 ただのやさしさ。なのに、息が詰まるほど色っぽくて、逃げ出したくなるほどドキドキする。
 私は、答える代わりに、かすかにうなずいた。

 イシドール様が、そっと私の耳元で囁く。

「こんな状況でなければな……」

 そんな言葉に、私は朦朧としながらも、ふっと笑ってしまう。

「こんな状況じゃなければ……どうしたんですか……?」
「君を抱いていた」

 さらりと……言い過ぎなんです、イシドール様……。

「もう少しの辛抱だ、レディア。そろそろおやつの時間だからな」
「あ……シャロット……」

 私の声に、イシドール様が頷く。

「シャロットは君と一緒におやつを食べたがる。その時に姿を見せなければ、探すだろう」

 イシドール様がそう言った瞬間。

「パパー! レディアおねぇちゃーーん! どこ……どこぉ!?」

 泣きそうなシャロットの声が聞こえた。どうしよう、また不安にさせて……。

「シャロット、ここだ! 開けてくれ!」
「パパ!! パパの声!!」

 その安堵の声に、泣きそうになってしまう。
 うんしょうんしょとかんぬきを上げて、その扉が開くと、涼しい風が舞い込んできた。

「パパ! レディアおねえちゃん、どうしたの!?」

 その瞬間、私の体はふわりと浮いた。

「少し、具合が悪いだけだ」
「おねえちゃんが……し、死んじゃうの? やだぁ!!」
「死なせてたまるか。大丈夫だ、すぐに治る」

 私はそんな声を遠くに聞きながら。
 水を含むと、そのまま意識を手放した。



 ***



 ふっと目を開けた瞬間、ぼやけた視界に飛び込んできたのは、泣きじゃくる顔だった。

 ……え? だれ……?

 目が少しずつ焦点を結びはじめる。

「れ、レディアおねえちゃ……っ!!」

 ──シャロット。

 気づいた瞬間、胸が締めつけられる。

 小さな身体が、私の胸にぎゅっとしがみついている。肩はがたがた震えて、顔をうずめたまま泣いていて──

「やだ……やなの……! 死んじゃ、やなの……っ、死なないで……!!」

 こぼれる涙が、ぽたぽたと私の首もとに落ちる。
 服の布ごしに伝わってくる小さな手の力が、あまりにも必死で、愛しくて……苦しい。

 こんなに泣かせて……ごめんね、シャロット。

 体が暑い。頭痛も吐き気もして最悪。
 だけど、シャロットの涙だけは、鮮明に映る。
 私は、震える指を持ち上げて、シャロットの柔らかい金の髪をそっと撫でた。

「……シャロット。大丈夫よ。私は……ここにいるでしょう……?」

 その言葉に、びくんと小さな肩が震え、シャロットが顔を上げた。

 ぐしゃぐしゃになった涙顔が、私を見て、ぴたりと固まる。

「……おねえちゃん……? おめめ、あけたぁ……っ」
「シャロットが呼びかけてくれた、おかげ……それに、助けてくれてありがとう……」

 私の言葉にシャロットはまた一瞬だけ固まると、直後わっと声を上げて私の首に飛びついた。

「うぇえええんっ、ほんとに死んじゃったかとおもったぁああ~~~!!」

 わんわん泣く声が、胸に響く。
 泣かせたくないのに、心配かけちゃった……ごめんね、シャロット。

 ふとシャロットの後ろに視線を伸ばすと、その先にイシドール様が座っているのが見えた。

 無言で、額に手を当てて俯いてる。
 その指先がかすかに震えているのが見えた。

「……イシドール様……?」

 声をかけると、ゆっくりと顔を上げる。
 その瞳には、いつもの落ち着きとは違う色が宿っていた。深く、暗く、悔いと痛みを滲ませるような表情。

「……すまない。俺のせいだ」

 本当に、この人は……すぐに全部を自分で背負おうとするんですから。

「イシドール様のせいなんかじゃありません。あれは事故です。私の方こそ、気をつけていれば……」

 そう言葉にしても、まだ苦しげな顔のまま。
 きっと、シャロットの泣き顔を見たから、なおさら自分を責めてる。

 私は、シャロットの頭を撫でながら、そっと微笑んだ。

「……私は、大丈夫ですから。ね?」

 それでもイシドール様は、言葉を出せずに黙ってる。
 ああもう……この人って、ほんとうに……不器用なの。
 でも、そこが愛おしいのよ?

 私はふっと目を細めて、言葉を変えた。

「じゃあ……償いの代わりに、今度、一緒にお出かけしてください」

 その言葉に、彼は少しだけ顔を上げた。

「……お出かけ?」
「ええ。シャロットも一緒に。三人で、どこか楽しいところに行きましょう。暑くないところがいいですね。おいしいものがあるところも……!」
「……それでいいのか?」

 その問いかけに、私はうなずいた。

「それがいいんです。お詫びも、お礼も、そして楽しい思い出も……まとめて、全部。三人で分け合いましょう?」

 そのとき、私の胸元にいた小さな体がむくりと起き上がる。

「おでかけ!? シャルもいくの!?」

 涙の跡が残る顔で、ぱあっと輝くような笑顔になった。
 あなたのそういうところも、私は大好き。

「ええ、行くでしょう?」
「いくー!! パパ、いこ! おねえちゃん、いこっ!!」
「……ふ」

 イシドール様が、ようやく小さく笑った。
 よかった。やっぱり、好きな人たちには笑っていてほしいもの。

「わかった。なるべく早いうちに……計画しよう」
「やったぁ!!」

 シャロットがくるくると喜びの舞を始めちゃった。かわいい。
 私はその姿を見ながら、ふと、イシドール様と視線を交わす。

 彼は、とびきりやさしい目で、私を見ていて。

 その顔が甘くて、甘すぎて……熱中症以上の熱が、私の身体を襲った気がした。
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