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四章 猛毒草
3、翠鈴に甘える公主
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調合した薬を持って、翠鈴は美央宮に戻った。
「ううっ、かゆいよぉ、いたいよぉ」
部屋の外まで、桃莉公主の声が洩れている。
翠鈴は走った。
溶けて砕けた雪玉のかけらが、回廊の床に散っている。
(早く治療してさしあげないと)
しもやけは、程度が悪くなければ医者に見せるほどでもない。だが、それはあくまでも症状に関してのこと。
かゆみと痛み。両方の苦しさは、本人にしか分からない。
「ただいま戻りました」
勢いよく扉を開いて、翠鈴は桃莉の部屋に飛び込んだ。
「翠鈴。早くっ」
「公主さまを助けてさしあげて」
侍女たちが、翠鈴を取り囲む。
桃莉のためを思ってだろう。火鉢では炭が熾り、室内は温かすぎるほどだ。むわっとした熱気がこもっている。
「ふえぇぇん。ツイリーン」
ぼろぼろと涙をこぼしながら、桃莉が椅子から飛び降りる。
沓どころか、襪という、くつしたも脱いでいる。
「大丈夫ですか。桃莉さま」
「だいじょうぶ。だいじょうぶじゃないけど、だいじょうぶなの」
翠鈴の腰に、桃莉はしがみついてきた。足の指は赤だったり紫だったりの部分がある。手の指は、ちょうど翠鈴からは見えない位置だが。足と似たようなものだ。
「お薬をいただいてきましたよ」
「……のみたくない」
答える桃莉の声は小さい。
しょうがない。粉の薬は苦く、しかもえぐみがある。
たとえ症状がよくなると分かっていても、子供は嫌って当然だ。
「ではお薬よりも先に、手当てをしましょうね」
翠鈴はしゃがんで、桃莉と顔の高さを合わせた。
まだ桃莉の涙は止まらない。瞳は潤んだままだ。
「桃莉ったら。翠鈴の顔を見るまでは『だいじょうぶ』って頑張っていたのだけれど」
ふわっと風が起こり、沈香の深い香りを感じた。
見れば、翠鈴のとなりで蘭淑妃が腰を下ろしている。
驚いたことに、椅子に座ったのではなく床にひざまずいている。
「ね? ずっと我慢していたのよね」
「……うん」
「翠鈴がいると、甘えたくなるのよね」
「うん」
「だからこそ、翠鈴の手を煩わせないように。翠鈴の言うことを聞きましょうね」
たおやかな手が、桃莉公主の手を包み込む。
蘭淑妃は貴族の令嬢だ。入内してからは当然だが、それ以前も家事などしたこともないだろう。料理も皿洗いも、掃除も、洗濯も、繕い物も。
それでも、淑妃は何事もしてもらって当然とは考えない。
相手のことを思いやる優しさがある。
湯と冷水の入った桶を用意するようにと、翠鈴は侍女たちに頼んだ。
しばらく待つと、湯と水が運ばれた。
「大丈夫ですよ。桃莉さま。指は赤黒くなっていませんし、水ぶくれもできていません。腫れてもいないので、日にちが経てば治りますよ」
「よかったわぁ」
ほっとした表情で、蘭淑妃がへなへなと肩を落とした。
「お母さまのためにも、がんばりましょうね。桃莉さま」
翠鈴は、桃莉を椅子に座らせた。
まずは湯の入った桶に、素足をつけさせる。次は冷水。
「つ、つめたっ。あつっ」
「血行がよくなって、治りやすくなりますよ」
「う……うん。タオリィ、へいきだよ」
歯を食いしばって、桃莉は足を交互に湯と水にひたした。
足首までが、湯で温まってほんのりと赤く染まっている。
「桃莉は、翠鈴に見せてあげるんだって、雪玉をたくさん作ったんですものね」
蘭淑妃の言葉に、翠鈴は目を見開いた。眼前にいる桃莉公主の顔をじっと見つめる。
耐え切れずといった風に、桃莉は視線を逸らした。
「回廊にずらりと並んでいた雪玉は、わたしのために作ってくださったんですか?」
「ツイリンと、なげあいっこしてあそびたかったの」
たくさん、あそびたかったの。ツイリンに雪をみせてあげたかったの。
どこまでは本当に桃莉が口にした言葉なのか、はっきりしなかった。
それでも翠鈴の耳には、確かに桃莉公主の想いが全部届いていた。
翠鈴は、思わず椅子に座る桃莉を抱きしめていた。隣にいる蘭淑妃が、目を丸くする。
「ツイリン? どうしたの? くるしいよぉ」
「すみません。どうしても」
どうしても抱きしめたかった。
さすがにその言葉を、翠鈴は飲み込んだ。
「桃莉さま。次に雪が降ったら、一緒に遊びましょう」
「いいの?」
「はい。ちゃんと温かくして。雪を触るときは、革の手覆をはめましょうね」
「やくそくね!」
桃莉の声が弾んだ。とても軽やかに、明るく。表情も輝いている。
翠鈴は再び、桃莉を腕の中に閉じ込める。しもやけがつらくて、蘭淑妃にくっついていたのだろう。桃莉公主の髪も、かすかに沈香のにおいがした。
「ツイリンったら。あまえんぼう」
「まったくですね」
「ほんとだよ。タオリィよりもあまえてるよ」
けれど、桃莉は翠鈴の背中の服を、ぎゅっと掴んで離さない。
「ツイリン。だーいすき」
桃莉公主の声は、翠鈴の服に吸われてくぐもって聞こえた。
足と手を温浴、水浴、また温浴とくり返して。さらに水分を拭いてから、血行がよくなるようにこすって。
しなければならない手順は、翠鈴の頭に入っている。
けれど、どうしても桃莉を抱きしめたかった。
(湯泉宮に行ってから、どうしてしまったんだろう)
これまでの翠鈴は、気持ちを行動に表すのは得意ではなかったのに。
自分の心に素直に動いてしまう。
光柳や雲嵐と過ごした日々が、きっと何かを変えたのだろう。
「ううっ、かゆいよぉ、いたいよぉ」
部屋の外まで、桃莉公主の声が洩れている。
翠鈴は走った。
溶けて砕けた雪玉のかけらが、回廊の床に散っている。
(早く治療してさしあげないと)
しもやけは、程度が悪くなければ医者に見せるほどでもない。だが、それはあくまでも症状に関してのこと。
かゆみと痛み。両方の苦しさは、本人にしか分からない。
「ただいま戻りました」
勢いよく扉を開いて、翠鈴は桃莉の部屋に飛び込んだ。
「翠鈴。早くっ」
「公主さまを助けてさしあげて」
侍女たちが、翠鈴を取り囲む。
桃莉のためを思ってだろう。火鉢では炭が熾り、室内は温かすぎるほどだ。むわっとした熱気がこもっている。
「ふえぇぇん。ツイリーン」
ぼろぼろと涙をこぼしながら、桃莉が椅子から飛び降りる。
沓どころか、襪という、くつしたも脱いでいる。
「大丈夫ですか。桃莉さま」
「だいじょうぶ。だいじょうぶじゃないけど、だいじょうぶなの」
翠鈴の腰に、桃莉はしがみついてきた。足の指は赤だったり紫だったりの部分がある。手の指は、ちょうど翠鈴からは見えない位置だが。足と似たようなものだ。
「お薬をいただいてきましたよ」
「……のみたくない」
答える桃莉の声は小さい。
しょうがない。粉の薬は苦く、しかもえぐみがある。
たとえ症状がよくなると分かっていても、子供は嫌って当然だ。
「ではお薬よりも先に、手当てをしましょうね」
翠鈴はしゃがんで、桃莉と顔の高さを合わせた。
まだ桃莉の涙は止まらない。瞳は潤んだままだ。
「桃莉ったら。翠鈴の顔を見るまでは『だいじょうぶ』って頑張っていたのだけれど」
ふわっと風が起こり、沈香の深い香りを感じた。
見れば、翠鈴のとなりで蘭淑妃が腰を下ろしている。
驚いたことに、椅子に座ったのではなく床にひざまずいている。
「ね? ずっと我慢していたのよね」
「……うん」
「翠鈴がいると、甘えたくなるのよね」
「うん」
「だからこそ、翠鈴の手を煩わせないように。翠鈴の言うことを聞きましょうね」
たおやかな手が、桃莉公主の手を包み込む。
蘭淑妃は貴族の令嬢だ。入内してからは当然だが、それ以前も家事などしたこともないだろう。料理も皿洗いも、掃除も、洗濯も、繕い物も。
それでも、淑妃は何事もしてもらって当然とは考えない。
相手のことを思いやる優しさがある。
湯と冷水の入った桶を用意するようにと、翠鈴は侍女たちに頼んだ。
しばらく待つと、湯と水が運ばれた。
「大丈夫ですよ。桃莉さま。指は赤黒くなっていませんし、水ぶくれもできていません。腫れてもいないので、日にちが経てば治りますよ」
「よかったわぁ」
ほっとした表情で、蘭淑妃がへなへなと肩を落とした。
「お母さまのためにも、がんばりましょうね。桃莉さま」
翠鈴は、桃莉を椅子に座らせた。
まずは湯の入った桶に、素足をつけさせる。次は冷水。
「つ、つめたっ。あつっ」
「血行がよくなって、治りやすくなりますよ」
「う……うん。タオリィ、へいきだよ」
歯を食いしばって、桃莉は足を交互に湯と水にひたした。
足首までが、湯で温まってほんのりと赤く染まっている。
「桃莉は、翠鈴に見せてあげるんだって、雪玉をたくさん作ったんですものね」
蘭淑妃の言葉に、翠鈴は目を見開いた。眼前にいる桃莉公主の顔をじっと見つめる。
耐え切れずといった風に、桃莉は視線を逸らした。
「回廊にずらりと並んでいた雪玉は、わたしのために作ってくださったんですか?」
「ツイリンと、なげあいっこしてあそびたかったの」
たくさん、あそびたかったの。ツイリンに雪をみせてあげたかったの。
どこまでは本当に桃莉が口にした言葉なのか、はっきりしなかった。
それでも翠鈴の耳には、確かに桃莉公主の想いが全部届いていた。
翠鈴は、思わず椅子に座る桃莉を抱きしめていた。隣にいる蘭淑妃が、目を丸くする。
「ツイリン? どうしたの? くるしいよぉ」
「すみません。どうしても」
どうしても抱きしめたかった。
さすがにその言葉を、翠鈴は飲み込んだ。
「桃莉さま。次に雪が降ったら、一緒に遊びましょう」
「いいの?」
「はい。ちゃんと温かくして。雪を触るときは、革の手覆をはめましょうね」
「やくそくね!」
桃莉の声が弾んだ。とても軽やかに、明るく。表情も輝いている。
翠鈴は再び、桃莉を腕の中に閉じ込める。しもやけがつらくて、蘭淑妃にくっついていたのだろう。桃莉公主の髪も、かすかに沈香のにおいがした。
「ツイリンったら。あまえんぼう」
「まったくですね」
「ほんとだよ。タオリィよりもあまえてるよ」
けれど、桃莉は翠鈴の背中の服を、ぎゅっと掴んで離さない。
「ツイリン。だーいすき」
桃莉公主の声は、翠鈴の服に吸われてくぐもって聞こえた。
足と手を温浴、水浴、また温浴とくり返して。さらに水分を拭いてから、血行がよくなるようにこすって。
しなければならない手順は、翠鈴の頭に入っている。
けれど、どうしても桃莉を抱きしめたかった。
(湯泉宮に行ってから、どうしてしまったんだろう)
これまでの翠鈴は、気持ちを行動に表すのは得意ではなかったのに。
自分の心に素直に動いてしまう。
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