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四章 猛毒草
4、診ていただけますか
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帝には后がいらっしゃる。その下には四夫人である上級妃。さらに九嬪と呼ばれる側室も。そして二十七世婦に、女官でもある八十一御妻。
下の方の位ともなれば、帝の渡りもなかなかに難しいが。入内している以上、後宮の外にでは出られない。
そんな年頃の女性が百二十一人も、後宮には溢れている。
「子供の頃はね、あこがれたのよ。末席でもいいから、お妃さまになりたいって」
夕暮れ。辺りが静かな青に沈む時間だ。
回廊の灯を点けながら、翠鈴は由由の話を聞いていた。
「憧れるものなの? さすがの帝でも百二十一人の相手なんてできないし。側室に選ばれたら、恋もできないのよ。しかも帝が代替わりしたら、妃たちは入れ替えになるじゃない」
翠鈴は首を傾げた。
薬師の里でも、貴族や大商家のお客がいたから。自分の娘や孫を、入内させたいという話はよく耳にした。
皇后は別格。四夫人も特別な家柄が求められる。ならば九嬪、せめてその下でも。
侍女や女官でも側室の座は狙うことができる。
見目うるわしい娘を持つ親は、入内を願うけれど。
子が生まれず、年を取ってしまえば。あるいは帝の代が代われば。妃や側室は尼寺に入れられることが多い。
「入内が嫌なのに、むりやり後宮に送り込まれた女性の数も、少なくないでしょうね」
「うん。それが分かったから、夢から覚めた」
からっと乾いた笑顔を、由由は見せた。
「あたしみたいに、手荒れしたお姫さまなんていないし。でもね、翠鈴がおみやげにくれた湯華で、最近はすべすべなんだよ」
「よく効くものね。仕事を任せてしまって、ごめんね。由由」
「いいのよ。だって、翠鈴はいつもあたしに簡単なところを担当させてくれてるから」
お姫さまになりたくとも、生まれる家は選べない。
けれどお姫さまだって自由じゃない。
そんなことを考えていたから、呼び寄せてしまったのだろうか。あるいは偶然だろうか。
翠鈴が、蔡昭媛と接することとなったのは。
◇◇◇
蔡昭媛。蔡家の娘で、九嬪の中の昭媛だ。位は正二品である。
数日後、その蔡昭媛が、未央宮にやってきた。
「こちらに薬師がいると伺いましたが」
取次ぎの侍女に、蔡昭媛の侍女である范敬が声をかける。
蔡昭媛は顔色が悪い。歩くのもつらそうだ。
下げ灯籠の汚れを拭いていた翠鈴が、蘭淑妃の侍女に呼ばれた。
「昭媛さまがわたしに? 具合が悪いなら、医局にいらっしゃった方がいいと思うけど。九嬪なのだから、遠慮なさらなくてもいいでしょうに」
翠鈴は、水を張った桶に汚れた布を放りこんだ。
音もなく、布は沈んでいく。澄んだ水は、すぐに濁りはじめた。
「お医者さまには言いにくい症状なのかもしれないわよ」
「……なるほど」
勝手に納得するのはいけないが。いまだに恥ずかしい症状に関しては、翠鈴の薬を頼る者も多い。
未央宮の宮女たちなら、すぐに翠鈴から薬を買えるけれど。それ以外の宮ならば、翠鈴が気まぐれに商売をする時にしか薬が手に入らない。
もっとも顧客の全員が、夜更けに現れる薬師の正体が翠鈴であることは知らない。
人によっては、いまだ謎の薬師だ。
(しばらく未央宮を空けていたからなぁ。わたしのお得意さまのなかに、女主人のお使いの宮女がいたのかもしれないわね)
胡玲から医官にならないかと誘われることが多いが。やはり自分は自由な立場でいた方がいいのかもしれない。
医局に所属していないからこそ、翠鈴を頼れる人もいるのだから。
翠鈴は客のいる部屋へと向かった。
「陸翠鈴と申します」
温かくした部屋で待っていた蔡昭媛は、椅子から立ち上がった。その拍子につまずいて、よろける。
「危ないですよ」
すぐに翠鈴は、蔡昭媛の体を支えた。
軽い。そして体は細くて薄い。
「あなたが、薬師でいらっしゃるの?」
「はい」と答える翠鈴を、蔡昭媛は眩しそうに眺めている。
やっと会えた、とでもいう風に。憧れの人を見つめるように。
「わたくしを診ていただけますか」
吹く風に散るほどの、か細い声で蔡昭媛は問いかけた。
下の方の位ともなれば、帝の渡りもなかなかに難しいが。入内している以上、後宮の外にでは出られない。
そんな年頃の女性が百二十一人も、後宮には溢れている。
「子供の頃はね、あこがれたのよ。末席でもいいから、お妃さまになりたいって」
夕暮れ。辺りが静かな青に沈む時間だ。
回廊の灯を点けながら、翠鈴は由由の話を聞いていた。
「憧れるものなの? さすがの帝でも百二十一人の相手なんてできないし。側室に選ばれたら、恋もできないのよ。しかも帝が代替わりしたら、妃たちは入れ替えになるじゃない」
翠鈴は首を傾げた。
薬師の里でも、貴族や大商家のお客がいたから。自分の娘や孫を、入内させたいという話はよく耳にした。
皇后は別格。四夫人も特別な家柄が求められる。ならば九嬪、せめてその下でも。
侍女や女官でも側室の座は狙うことができる。
見目うるわしい娘を持つ親は、入内を願うけれど。
子が生まれず、年を取ってしまえば。あるいは帝の代が代われば。妃や側室は尼寺に入れられることが多い。
「入内が嫌なのに、むりやり後宮に送り込まれた女性の数も、少なくないでしょうね」
「うん。それが分かったから、夢から覚めた」
からっと乾いた笑顔を、由由は見せた。
「あたしみたいに、手荒れしたお姫さまなんていないし。でもね、翠鈴がおみやげにくれた湯華で、最近はすべすべなんだよ」
「よく効くものね。仕事を任せてしまって、ごめんね。由由」
「いいのよ。だって、翠鈴はいつもあたしに簡単なところを担当させてくれてるから」
お姫さまになりたくとも、生まれる家は選べない。
けれどお姫さまだって自由じゃない。
そんなことを考えていたから、呼び寄せてしまったのだろうか。あるいは偶然だろうか。
翠鈴が、蔡昭媛と接することとなったのは。
◇◇◇
蔡昭媛。蔡家の娘で、九嬪の中の昭媛だ。位は正二品である。
数日後、その蔡昭媛が、未央宮にやってきた。
「こちらに薬師がいると伺いましたが」
取次ぎの侍女に、蔡昭媛の侍女である范敬が声をかける。
蔡昭媛は顔色が悪い。歩くのもつらそうだ。
下げ灯籠の汚れを拭いていた翠鈴が、蘭淑妃の侍女に呼ばれた。
「昭媛さまがわたしに? 具合が悪いなら、医局にいらっしゃった方がいいと思うけど。九嬪なのだから、遠慮なさらなくてもいいでしょうに」
翠鈴は、水を張った桶に汚れた布を放りこんだ。
音もなく、布は沈んでいく。澄んだ水は、すぐに濁りはじめた。
「お医者さまには言いにくい症状なのかもしれないわよ」
「……なるほど」
勝手に納得するのはいけないが。いまだに恥ずかしい症状に関しては、翠鈴の薬を頼る者も多い。
未央宮の宮女たちなら、すぐに翠鈴から薬を買えるけれど。それ以外の宮ならば、翠鈴が気まぐれに商売をする時にしか薬が手に入らない。
もっとも顧客の全員が、夜更けに現れる薬師の正体が翠鈴であることは知らない。
人によっては、いまだ謎の薬師だ。
(しばらく未央宮を空けていたからなぁ。わたしのお得意さまのなかに、女主人のお使いの宮女がいたのかもしれないわね)
胡玲から医官にならないかと誘われることが多いが。やはり自分は自由な立場でいた方がいいのかもしれない。
医局に所属していないからこそ、翠鈴を頼れる人もいるのだから。
翠鈴は客のいる部屋へと向かった。
「陸翠鈴と申します」
温かくした部屋で待っていた蔡昭媛は、椅子から立ち上がった。その拍子につまずいて、よろける。
「危ないですよ」
すぐに翠鈴は、蔡昭媛の体を支えた。
軽い。そして体は細くて薄い。
「あなたが、薬師でいらっしゃるの?」
「はい」と答える翠鈴を、蔡昭媛は眩しそうに眺めている。
やっと会えた、とでもいう風に。憧れの人を見つめるように。
「わたくしを診ていただけますか」
吹く風に散るほどの、か細い声で蔡昭媛は問いかけた。
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