後宮の隠れ薬師は闇夜を照らす

絹乃

文字の大きさ
37 / 171
四章 猛毒草

4、診ていただけますか

しおりを挟む
 帝には后がいらっしゃる。その下には四夫人である上級妃。さらに九ひんと呼ばれる側室も。そして二十七世婦せいふに、女官でもある八十一御妻ぎょさい

 下の方の位ともなれば、帝の渡りもなかなかに難しいが。入内している以上、後宮の外にでは出られない。
 そんな年頃の女性が百二十一人も、後宮には溢れている。

「子供の頃はね、あこがれたのよ。末席でもいいから、お妃さまになりたいって」

 夕暮れ。辺りが静かな青に沈む時間だ。
 回廊の灯を点けながら、翠鈴ツイリン由由ヨウヨウの話を聞いていた。

「憧れるものなの? さすがの帝でも百二十一人の相手なんてできないし。側室に選ばれたら、恋もできないのよ。しかも帝が代替わりしたら、妃たちは入れ替えになるじゃない」

 翠鈴は首を傾げた。
 薬師の里でも、貴族や大商家のお客がいたから。自分の娘や孫を、入内させたいという話はよく耳にした。

 皇后は別格。四夫人も特別な家柄が求められる。ならば九嬪、せめてその下でも。
 侍女や女官でも側室の座は狙うことができる。
 見目うるわしい娘を持つ親は、入内を願うけれど。

 子が生まれず、年を取ってしまえば。あるいは帝の代が代われば。妃や側室は尼寺に入れられることが多い。

「入内が嫌なのに、むりやり後宮に送り込まれた女性の数も、少なくないでしょうね」
「うん。それが分かったから、夢から覚めた」

 からっと乾いた笑顔を、由由は見せた。

「あたしみたいに、手荒れしたお姫さまなんていないし。でもね、翠鈴がおみやげにくれた湯華で、最近はすべすべなんだよ」
「よく効くものね。仕事を任せてしまって、ごめんね。由由」
「いいのよ。だって、翠鈴はいつもあたしに簡単なところを担当させてくれてるから」

 お姫さまになりたくとも、生まれる家は選べない。
 けれどお姫さまだって自由じゃない。

 そんなことを考えていたから、呼び寄せてしまったのだろうか。あるいは偶然だろうか。
 翠鈴が、蔡昭媛ツァイしょうえんと接することとなったのは。

 ◇◇◇

 蔡昭媛。蔡家の娘で、九嬪の中の昭媛だ。位は正二品しょうにほんである。
 数日後、その蔡昭媛が、未央宮にやってきた。

「こちらに薬師がいると伺いましたが」

 取次ぎの侍女に、蔡昭媛の侍女である范敬ファンジンが声をかける。
 蔡昭媛は顔色が悪い。歩くのもつらそうだ。
 
 下げ灯籠の汚れを拭いていた翠鈴が、蘭淑妃の侍女に呼ばれた。

「昭媛さまがわたしに? 具合が悪いなら、医局にいらっしゃった方がいいと思うけど。九嬪なのだから、遠慮なさらなくてもいいでしょうに」

 翠鈴は、水を張った桶に汚れた布を放りこんだ。
 音もなく、布は沈んでいく。澄んだ水は、すぐに濁りはじめた。

「お医者さまには言いにくい症状なのかもしれないわよ」
「……なるほど」

 勝手に納得するのはいけないが。いまだに恥ずかしい症状に関しては、翠鈴の薬を頼る者も多い。

 未央宮の宮女たちなら、すぐに翠鈴から薬を買えるけれど。それ以外の宮ならば、翠鈴が気まぐれに商売をする時にしか薬が手に入らない。

 もっとも顧客の全員が、夜更けに現れる薬師の正体が翠鈴であることは知らない。
 人によっては、いまだ謎の薬師だ。

(しばらく未央宮を空けていたからなぁ。わたしのお得意さまのなかに、女主人のお使いの宮女がいたのかもしれないわね)

 胡玲フーリンから医官にならないかと誘われることが多いが。やはり自分は自由な立場でいた方がいいのかもしれない。

 医局に所属していないからこそ、翠鈴を頼れる人もいるのだから。
 翠鈴は客のいる部屋へと向かった。

陸翠鈴ルーツイリンと申します」

 温かくした部屋で待っていた蔡昭媛は、椅子から立ち上がった。その拍子につまずいて、よろける。

「危ないですよ」

 すぐに翠鈴は、蔡昭媛の体を支えた。
 軽い。そして体は細くて薄い。

「あなたが、薬師でいらっしゃるの?」

「はい」と答える翠鈴を、蔡昭媛は眩しそうに眺めている。
 やっと会えた、とでもいう風に。憧れの人を見つめるように。

「わたくしを診ていただけますか」

 吹く風に散るほどの、か細い声で蔡昭媛は問いかけた。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います

こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。