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四章 猛毒草
10、夜の星
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「やぁ、奇遇だな」
ひらひらと手をあげて、光柳が翠鈴に近づいてくる。
「いらしてたんですか?」
「野暮用だ。蘭淑妃に挨拶もできていないが。もう帰る」
そのとおり、と相槌を打つように雲嵐がうなずいた。
ふと、翠鈴は鋭い視線を感じた。刺すような視線だ。
見れば、蔡昭媛の侍女が翠鈴を睨みつけている。
(この人なぁ、苦手なんだよね)
しかも、ねめつける目が粘度を帯びている。
最初は司燈でしかない翠鈴を見下す目つきだった。今は、どうにも違う。妬み、そねみ、嫉妬。そういう厄介な感情が混じって見える。
「長居は失礼です。帰りましょう」
なかなか立ち去ろうとしない侍女の袖を、蔡昭媛が引っぱった。
蔡昭媛は、来た時よりもしっかりしているが。そのぶん范敬がおかしくなってしまったようだ。
「光柳さまは、あの侍女から話を聞いていたんですよ」
「ああ、それで」
雲嵐の説明を聞いて、翠鈴は納得した。
話の内容がなんであれ。光柳と間近で会話したならば、ほんのひとときでも彼を独占したならば。光柳が他の女性と親しげにしゃべるのは、許せないだろう。
(この人は歩く凶器だわ)
その華やかさで女性の心を狂わせ。その言葉のきつさでとどめを刺す。
すでに来客は門を出て行った後だ。
きらめく美しさの光柳と、同室で話をしたのだから。その美貌にあてられてもしょうがない。
「湯泉宮よりも寒いからだろうか。星が美しいな」
夜天を見上げる光柳の言葉は、一瞬白く形を留めて大気に消えた。
「蔡昭媛さまは、呉正鳴に苛められていたそうですね」
「陛下にそのことを報告しなければならない」
「では、その呉正鳴が医局に運び込まれたこともご存じですね」
「それは初耳だ。病気か? 怪我か?」
「怪我ではないようですが」
翠鈴は首を傾げた。
病気というには少し違うような気もする。具合が悪いのは確かだが。
「明日、医局を訪れてみようと思います」
「呉正鳴からも話を聞くのか?」
「彼の体調次第ですね。今日は、とうてい話せるような状態ではありませんでした」
錯乱して暴れるほどの容態なのだ。すぐに元気になるとは思えない。
だが、逆に言えば具合が悪いからこそ、真実をこぼすのではないかと翠鈴は考えた。
嘘をつくには、論理的な思考が必要だ。話の整合性も図らなければならない。
(わたしもひどい人間だよね。呉正鳴が快復するのを待たないんだから)
ため息をついた翠鈴の髪に、触れるものがあった。
どうやら光柳が、手を伸ばしたらしい。
「風花は、翠鈴を選んだようだな」
光柳の指先にのった細雪が、すっと消えていく。
琥珀の瞳には、ほんの一片の雪はもう映っていない。
翠鈴は空を見あげた。
北の果てに雲がかかっている。
だが、杷京の上空は晴れていた。濃藍の空に、天の川が横たわっている。その光の端は収束して、雲の中に消えている。
瞬く星なのか、風に舞う雪なのか。星に手を伸ばしても届かず。雪を掴んでも、一瞬で消えてしまう。
「後宮は、寂しいところですね」
翠鈴は呟いた。
賑やかで猥雑で、華やかで。そして、とても寂しい。
「そうだな」
光柳が、翠鈴に向き直る。
「だが、君がいる」
その言葉だけで充分だった。
さっきまで足もとがすうすうしていたのに。冷たい風が袖や裾から入っていたのに。
翠鈴は微笑んでいた。
ひらひらと手をあげて、光柳が翠鈴に近づいてくる。
「いらしてたんですか?」
「野暮用だ。蘭淑妃に挨拶もできていないが。もう帰る」
そのとおり、と相槌を打つように雲嵐がうなずいた。
ふと、翠鈴は鋭い視線を感じた。刺すような視線だ。
見れば、蔡昭媛の侍女が翠鈴を睨みつけている。
(この人なぁ、苦手なんだよね)
しかも、ねめつける目が粘度を帯びている。
最初は司燈でしかない翠鈴を見下す目つきだった。今は、どうにも違う。妬み、そねみ、嫉妬。そういう厄介な感情が混じって見える。
「長居は失礼です。帰りましょう」
なかなか立ち去ろうとしない侍女の袖を、蔡昭媛が引っぱった。
蔡昭媛は、来た時よりもしっかりしているが。そのぶん范敬がおかしくなってしまったようだ。
「光柳さまは、あの侍女から話を聞いていたんですよ」
「ああ、それで」
雲嵐の説明を聞いて、翠鈴は納得した。
話の内容がなんであれ。光柳と間近で会話したならば、ほんのひとときでも彼を独占したならば。光柳が他の女性と親しげにしゃべるのは、許せないだろう。
(この人は歩く凶器だわ)
その華やかさで女性の心を狂わせ。その言葉のきつさでとどめを刺す。
すでに来客は門を出て行った後だ。
きらめく美しさの光柳と、同室で話をしたのだから。その美貌にあてられてもしょうがない。
「湯泉宮よりも寒いからだろうか。星が美しいな」
夜天を見上げる光柳の言葉は、一瞬白く形を留めて大気に消えた。
「蔡昭媛さまは、呉正鳴に苛められていたそうですね」
「陛下にそのことを報告しなければならない」
「では、その呉正鳴が医局に運び込まれたこともご存じですね」
「それは初耳だ。病気か? 怪我か?」
「怪我ではないようですが」
翠鈴は首を傾げた。
病気というには少し違うような気もする。具合が悪いのは確かだが。
「明日、医局を訪れてみようと思います」
「呉正鳴からも話を聞くのか?」
「彼の体調次第ですね。今日は、とうてい話せるような状態ではありませんでした」
錯乱して暴れるほどの容態なのだ。すぐに元気になるとは思えない。
だが、逆に言えば具合が悪いからこそ、真実をこぼすのではないかと翠鈴は考えた。
嘘をつくには、論理的な思考が必要だ。話の整合性も図らなければならない。
(わたしもひどい人間だよね。呉正鳴が快復するのを待たないんだから)
ため息をついた翠鈴の髪に、触れるものがあった。
どうやら光柳が、手を伸ばしたらしい。
「風花は、翠鈴を選んだようだな」
光柳の指先にのった細雪が、すっと消えていく。
琥珀の瞳には、ほんの一片の雪はもう映っていない。
翠鈴は空を見あげた。
北の果てに雲がかかっている。
だが、杷京の上空は晴れていた。濃藍の空に、天の川が横たわっている。その光の端は収束して、雲の中に消えている。
瞬く星なのか、風に舞う雪なのか。星に手を伸ばしても届かず。雪を掴んでも、一瞬で消えてしまう。
「後宮は、寂しいところですね」
翠鈴は呟いた。
賑やかで猥雑で、華やかで。そして、とても寂しい。
「そうだな」
光柳が、翠鈴に向き直る。
「だが、君がいる」
その言葉だけで充分だった。
さっきまで足もとがすうすうしていたのに。冷たい風が袖や裾から入っていたのに。
翠鈴は微笑んでいた。
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