後宮の隠れ薬師は闇夜を照らす

絹乃

文字の大きさ
44 / 171
四章 猛毒草

11、喧嘩を売られて

しおりを挟む
 翌朝。翠鈴は医局へと向かった。

 蔡昭媛ツァイしょうえんも、時を同じくして医局を訪れていた。
 椅子に座った蔡昭媛が、翠鈴に挨拶をする。背後に立つ范敬ファンジンは、感じ悪くつんと横を向いた。
 手には小さな包みを持っている。もう薬の調合が終わったのだろうか。

(昨夜の未央宮もだけど。わざわざ嬪ともあろう人が、足を運ばずとも)

 気虚ききょに効く薬をもらうだけなら、侍女に頼んでもいいはずだ。
 昨日は、侍女が主の言いつけを聞かないのかと考えたが。どうやらそうではないようだ。

翠鈴姐ツイリンジェ。おはようございますっ」

 医官の仕事は忙しいはずなのに。胡玲フーリンの声は弾んでいた。

桃莉タオリィ公主のしもやけは、いかがですか?」
「冷水とお湯で血行をよくして、薬も飲んでいただけているから。時間はかかるけれど、治るわ」
「よかったです。本当は、私が調合すべきなのですが」

 胡玲は、奥の寝台に視線を向けた。
 そこには呉正鳴ウージョンミンが眠っている。
 昨日のように暴れてはいない。苦しそうに呻いてもいない。
 だが消耗しきった様子で、ぐったりしている。

翠鈴姐ツイリンジェですって? なにそれ、馬鹿げた呼び名ね。聞いたわよ。ぜったいに十五歳になんて見えないのに、この女は十五と言い張ってるそうじゃない」

 蔡昭媛の侍女である范敬ファンジンが、翠鈴の前に立った。
 むろん、翠鈴の方が背が高いのだが。なんとか威圧しようと、肩をいからせている。

(またか。なんでわたしは、こうも突っ掛かられるんだか)

 どうにもよその宮の侍女とは、相性が悪い。
 あれは甘露宮かんろきゅう陳燕チェンイェンだったか。以前、同じ指摘を似たような口調で問い詰められた。

雪雪シュエシュエさま。こんな怪しい女の助言を真に受けるなんて。どうかなさっておいでです」

「おやめなさい」とたしなめる女主人の言葉を、侍女は聞きもしない。

「そこに病人がいるのに。騒ぐものではないわ」

 冷静な声で翠鈴は告げる。
 侍女と蔡昭媛は、そろって奥の寝台に目を向けた。

 一瞬、間があった。
 患者が、蔡昭媛ツァイしょうえんを虐げている張本人であると分かったのだろう。

 だが、それだけだ。ふたりの表情に変化はない。

 ふと、辺りが暗くなった。
 まどから入る光が遮られたのかと思ったが。そうではなかった。
 翠鈴の目の前に、胡玲の背中があったのだ。

「そこのあなた。私が、親しい彼女を『翠鈴姐ツイリンジェ』と呼ぶことに、文句でもあるのですか?」

 胡玲は厳しい声で、侍女に詰め寄った。
 翠鈴は背後にいるので、胡玲の顔は見えないが。きっと険しい目をしているに違いない。

「赤の他人のあなたに、呼称を馬鹿にされるいわれはありません。薬を受けとるという主の使いもできず、ただ付き添うだけの侍女など必要ないです。外に出てください」
「わ、私は何も」

 まさか医官に叱られるとは、思わなかったのだろう。范敬の声は上ずっている。

(喧嘩を売った相手が、わたしだけだと思ってたのね)

 やれやれ、と翠鈴は肩を落とした。
 胡玲は冷静沈着で賢い女性だが。こと、翠鈴の件になると熱くなる。

 翠鈴のことを、実の姉のように慕ってくれているのだ。その翠鈴が、後宮では事あるごとに馬鹿にされる。それが、胡玲には我慢ならないのだろう。

(優しい子なのよね。胡玲は)

 だからこそ怒らせると怖い。

 范敬は、事あるごとに相手が大事にしている部分、嫌がる部分をきっちりと踏んでいく。
 踏んで、踏み抜いて。あんたなんて位が低いくせに、と馬鹿にする。

(まぁ、勝手に胡玲に怒られていれば、いいかな)

 翠鈴は放っておくことに決めた。
 胡玲の怒りをなだめて、侍女をかばう気にはなれない。
 因果応報だ。

(因果応報?)

 自分の頭に浮かんだ言葉に、はっとする。

「もしかして。胡玲、ちょっといい?」

 翠鈴は胡玲の袖を掴んだ。そのまま外へ出ていく。
 部屋に残された蔡昭媛と范敬は、顔を見あわせた。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います

こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。