45 / 171
四章 猛毒草
12、答えにたどりついた
しおりを挟む
「どうしたんですか? 翠鈴姐。私、まだあの侍女のことを許してないんですけど」
「うん、それはいい。ありがとうね、わたしのために怒ってくれて」
肩をいからせていた胡玲だが。大好きな翠鈴からの感謝の言葉に、表情を緩めた。
「翠鈴姐は、もっと言い返してもいいんです」
「そうね。でも、胡玲がわたしの代わりに怒ってくれるでしょ。それで充分よ」
翠鈴の言葉は、冬の果ての春から吹く風だ。
ほわっと、胡玲の表情が緩む。
二十歳の大人で、賢くてしっかりしている胡玲なのに。ふと、少女の彼女が姿を見せた。
ぎゅっと翠鈴の手を握って離さない。
後宮のある杷京は、冬のさなかだ。道の端の霜柱も、まだ溶けきっていない。
それでも胡玲の笑みには、温かさが宿っている。翠鈴との思い出の春を、まとっている。
「あの宦官のことだけど」
翠鈴は、胡玲に手をつながれたままで話を進めた。
「呉正鳴のことですね」
「うん。昨日、嘔吐したでしょ」
昨日、翠鈴が医局を訪れたとき。微かに饐えた臭いがしていた。
嘔吐ならば食中毒か。胃腸炎か。それとも貧血か。
だが、どの症状も暴れまわるほどの力は出せない。
「あえて吐かせたの?」
「いえ。強烈な吐き気が続いていたようです。それから腹痛を訴えていました。胃腸炎のようでもありましたが」
胡玲も症状から、一度は胃腸炎を疑ったようだ。
今の彼女は、医官の顔を取り戻している。
翠鈴からも手を離して、呉正鳴の状態を教えてくれた。
「胡玲。蔡昭媛に、もう薬を渡した?」
「いえ。気虚の薬ですよね。これから調合します」
しまった。
翠鈴は踵を返した。
ほんの少しの隙間を、見逃しはしないだろう。
いや、むしろ好機か。人目のないところを選ばれるよりも、ここは医局。医師も医官も揃っている。
すぐに対処ができる。
医局の中から叫ぶ声が聞こえた。
翠鈴と胡玲は、医局の中に飛び込んだ。
すでに医師や他の医官も、集まっている。呉正鳴が横たわる寝台の周りに。
「何をしているんだ」
医師が、范敬の肩を掴んだ。
床に、小さな壺が転がっている。そして小さく刻まれたものが散乱していた。白茶のかけらと、緑の葉だ。
「呉正鳴にお薬をあげるのだと、そう彼女が申したので」
びくびくした様子で、蔡昭媛が説明する。
「とてもよく効く薬だと……」
「そう」
翠鈴は感情のこもらない、平坦な声で返した。
しゃがんで、床に散乱しているものを拾う。いや、拾おうとして手を止めた。
「胡玲。いらない箸かなにか、貸してちょうだい。使い捨てになるけれど」
それが何を意味するのか、分かったのだろう。胡玲は「毒ですか」と尋ねてきた。
さすがに話が早い。
「見て。これは根茎。筍に似た節があるわ。でも筍ほどには太くはない」
翠鈴は箸で、小さく切られた根茎を拾いあげた。
次に、緑の葉や茎の部分をつまむ。
香りをかぐ。においはない。
胡玲も心得たもので、決して素手で触れようとはしない。
なのに。范敬が「すぐに片づけますから」と、両手で落ちたものを集めようとする。
「やめなさい! 死にたいの?」
翠鈴の声が響いた。鋭く、張りつめた声だ。
「な、なにを」
范敬は壺を拾って、なおも床に手を伸ばす。
「愚かなことを。あなたが生きていられるのは、たまたま運がよかっただけよ」
「どういうことですか? お薬ではないの?」
范敬の代わりに問うたのは、蔡昭媛だった。
自分の主が気鬱になるまで、追い詰めた宦官が床に伏せっている。それなのに、侍女はその宦官にお手製の薬を与えようとする。
侍女が呉正鳴を慕っている風でもない。
むしろ、ひどく具合が悪い様子を見ても、心配する様子もない。
分かった。
翠鈴は答えにたどりついた。
「うん、それはいい。ありがとうね、わたしのために怒ってくれて」
肩をいからせていた胡玲だが。大好きな翠鈴からの感謝の言葉に、表情を緩めた。
「翠鈴姐は、もっと言い返してもいいんです」
「そうね。でも、胡玲がわたしの代わりに怒ってくれるでしょ。それで充分よ」
翠鈴の言葉は、冬の果ての春から吹く風だ。
ほわっと、胡玲の表情が緩む。
二十歳の大人で、賢くてしっかりしている胡玲なのに。ふと、少女の彼女が姿を見せた。
ぎゅっと翠鈴の手を握って離さない。
後宮のある杷京は、冬のさなかだ。道の端の霜柱も、まだ溶けきっていない。
それでも胡玲の笑みには、温かさが宿っている。翠鈴との思い出の春を、まとっている。
「あの宦官のことだけど」
翠鈴は、胡玲に手をつながれたままで話を進めた。
「呉正鳴のことですね」
「うん。昨日、嘔吐したでしょ」
昨日、翠鈴が医局を訪れたとき。微かに饐えた臭いがしていた。
嘔吐ならば食中毒か。胃腸炎か。それとも貧血か。
だが、どの症状も暴れまわるほどの力は出せない。
「あえて吐かせたの?」
「いえ。強烈な吐き気が続いていたようです。それから腹痛を訴えていました。胃腸炎のようでもありましたが」
胡玲も症状から、一度は胃腸炎を疑ったようだ。
今の彼女は、医官の顔を取り戻している。
翠鈴からも手を離して、呉正鳴の状態を教えてくれた。
「胡玲。蔡昭媛に、もう薬を渡した?」
「いえ。気虚の薬ですよね。これから調合します」
しまった。
翠鈴は踵を返した。
ほんの少しの隙間を、見逃しはしないだろう。
いや、むしろ好機か。人目のないところを選ばれるよりも、ここは医局。医師も医官も揃っている。
すぐに対処ができる。
医局の中から叫ぶ声が聞こえた。
翠鈴と胡玲は、医局の中に飛び込んだ。
すでに医師や他の医官も、集まっている。呉正鳴が横たわる寝台の周りに。
「何をしているんだ」
医師が、范敬の肩を掴んだ。
床に、小さな壺が転がっている。そして小さく刻まれたものが散乱していた。白茶のかけらと、緑の葉だ。
「呉正鳴にお薬をあげるのだと、そう彼女が申したので」
びくびくした様子で、蔡昭媛が説明する。
「とてもよく効く薬だと……」
「そう」
翠鈴は感情のこもらない、平坦な声で返した。
しゃがんで、床に散乱しているものを拾う。いや、拾おうとして手を止めた。
「胡玲。いらない箸かなにか、貸してちょうだい。使い捨てになるけれど」
それが何を意味するのか、分かったのだろう。胡玲は「毒ですか」と尋ねてきた。
さすがに話が早い。
「見て。これは根茎。筍に似た節があるわ。でも筍ほどには太くはない」
翠鈴は箸で、小さく切られた根茎を拾いあげた。
次に、緑の葉や茎の部分をつまむ。
香りをかぐ。においはない。
胡玲も心得たもので、決して素手で触れようとはしない。
なのに。范敬が「すぐに片づけますから」と、両手で落ちたものを集めようとする。
「やめなさい! 死にたいの?」
翠鈴の声が響いた。鋭く、張りつめた声だ。
「な、なにを」
范敬は壺を拾って、なおも床に手を伸ばす。
「愚かなことを。あなたが生きていられるのは、たまたま運がよかっただけよ」
「どういうことですか? お薬ではないの?」
范敬の代わりに問うたのは、蔡昭媛だった。
自分の主が気鬱になるまで、追い詰めた宦官が床に伏せっている。それなのに、侍女はその宦官にお手製の薬を与えようとする。
侍女が呉正鳴を慕っている風でもない。
むしろ、ひどく具合が悪い様子を見ても、心配する様子もない。
分かった。
翠鈴は答えにたどりついた。
37
あなたにおすすめの小説
夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。
Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。
そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。
そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。
これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。
(1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
番を辞めますさようなら
京佳
恋愛
番である婚約者に冷遇され続けた私は彼の裏切りを目撃した。心が壊れた私は彼の番で居続ける事を放棄した。私ではなく別の人と幸せになって下さい。さようなら…
愛されなかった番。後悔ざまぁ。すれ違いエンド。ゆるゆる設定。
※沢山のお気に入り&いいねをありがとうございます。感謝感謝♡
三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します
冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」
結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。
私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。
そうして毎回同じように言われてきた。
逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。
だから今回は。
下賜されまして ~戦場の餓鬼と呼ばれた軍人との甘い日々~
イシュタル
恋愛
王宮から突然嫁がされた18歳の少女・ソフィアは、冷たい風の吹く屋敷へと降り立つ。迎えたのは、無愛想で人嫌いな騎士爵グラッド・エルグレイム。金貨の袋を渡され「好きにしろ」と言われた彼女は、侍女も使用人もいない屋敷で孤独な生活を始める。
王宮での優雅な日々とは一転、自分の髪を切り、服を整え、料理を学びながら、ソフィアは少しずつ「夫人」としての自立を模索していく。だが、辻馬車での盗難事件や料理の失敗、そして過労による倒れ込みなど、試練は次々と彼女を襲う。
そんな中、無口なグラッドの態度にも少しずつ変化が現れ始める。謝罪とも言えない金貨の袋、静かな気遣い、そして彼女の倒れた姿に見せた焦り。距離のあった二人の間に、わずかな波紋が広がっていく。
これは、王宮の寵姫から孤独な夫人へと変わる少女が、自らの手で居場所を築いていく物語。冷たい屋敷に灯る、静かな希望の光。
⚠️本作はAIとの共同製作です。
【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領
たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26)
ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。
そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。
そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。
だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。
仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!?
そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※お待たせしました。
※他サイト様にも掲載中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。