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五章 女炎帝
1、年糕にはまだ早い
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杷京は北から雲が流れるせいで、冬の間は曇りか雪が多い。
今日も朝から、空には鈍色の雲が垂れこめている。
「南と違って、冬が長いのが嫌なんだよな」
のんびりとした休日の午前。光柳は椅子に座りながら、火鉢に手を当てた。
光柳と雲嵐の住まいは、宦官の中でも身分の低い者が入る宿舎だ。
少年であった光柳が後宮に戻ったとき。先帝はその宿舎を建て替えさせた。そして側に別棟を造り、そこで光柳と雲嵐は暮らしている。
「宦官といえども、まだ子どもだから。集団生活は厳しかろう」というのが、建前であったが。理屈が通らない。
他にも若い宦官はいるからだ。
光柳の身分は低くとも、従者がいるという状況に、他の宦官たちはうっすらと事情を察した。
古参の宦官であれば、かつて麟美と後宮で暮らしていた幼い光柳を知っている。
藪を突いて蛇が出れば、自分たちの身が危ない。それに宿舎が新しく快適になるのはよいことだ、と。
「そういえば珍しく、別棟を使っていることで文句をつけられましたね。贅沢だと」
「ああ、陳家の者か。確か最近、大理寺卿に昇進したのだったな。贅沢と言われても、雲嵐とふたり部屋だぞ」
寝室の他に、この居間と厨房もありますけどね、という言葉を雲嵐は飲み込んだ。
そもそも光柳と雲嵐が同じ寝室を使っているのも、かつての光柳が夜を怖がったからだ。
――雲嵐。風の音がきついから、眠れないよ。
――雷が鳴ってるよ。怖いよ。
まだ幼さの残る光柳は半泣きになりながら、たびたび雲嵐の布団に潜り込んできたのだ。
雲嵐という名がかっこいいからと、サンという名の少年につけてくれたというのに。
だが、平和であった離宮にいた頃よりも臆病になってしまった光柳を、責めることはできない。
それに狭いから嫌ですよ、なんて断ろうものなら。光柳の半泣きが大泣きになってしまう。
結局、風がやんでも雷が鳴りやんでも、光柳は雲嵐の背中にぴったりとくっついて眠ったのだ。
これだから繊細なくせに、強引な主は困る。
「陳家といえば。甘露宮に陳家出身の侍女がいましたね」
雲嵐の言葉に、光柳がうなずく。
「麟美の偽の詩に大枚をはたいた侍女だろう? 新しい大理寺卿の姪だ」
「叔父の陳天分に叱られたそうですね」
いくら陳家が大商家であっても、無駄な金の使い方は許されないだろう。いや、許されないからこそ大商家になったのかもしれないが。
陳天分から見れば、書令史ごときは別棟ではなく、大部屋にでも入れと言いたいのだろう。
世の中には、あえて触れない方がいいこともある。
なのに、後宮に立ち入ることもない陳天分は口出しをしてくる。
(陳天分は、潔癖で正義感が強いのだろうな。だからこそ大理寺が向いているともいえるが)
雲嵐はそう分析した。
「雲嵐。これを焼いてもいいか?」
呑気な主は、小刀で年糕を切り分けた。
赤砂糖と糯米、そして花生の油でつくった甘い年糕は光柳のお気に入りだ。
「焼いてもいいかもなにも。もう切っていらっしゃるじゃないですか」
「うん。雲嵐のぶんもあるぞ」
「まだ春節ではありませんよ」
火鉢に網を渡して、薄めに切った年糕を雲嵐が並べた。
自分のこういうところが甘いのだ、と呆れながら。
蒸してあるので、そのままでも食べられるのだが。溶かした玉子をつけて、鍋で焼くという方法もある。
光柳は、ほのかな味を楽しみたいようで、玉子は不要だとよく言っている。
「これは年中食べてもいいと思うんだが。元宵の団子といい。食べる日が決まっているとか、誰の差し金だ。意地悪か」
光柳は、豪奢な料理にあまり興味がない。
雲嵐も、できれば光柳が好む素朴なものを食べさせてやりたいが。年糕も元宵の団子も、あきらかに栄養が少なそうだ。
なにしろそれぞれの原料が糯米と、小麦なのだから。
「年糕召し上がる上がると、翠鈴に叱られますよ」
「う……っ」
光柳は、言葉を詰まらせた。
「私は怒りませんが。彼女の前で、つい口が滑るかもしれません。光柳さまは、食べ物の好き嫌いがあって困ります、と」
「そんな幼稚な人間と思われたくはない」
お? 翠鈴の名前は有効か?
雲嵐は、片方の眉を上げた。ついでに箸で、年糕を裏返す。
掃除や食事などの光柳の暮らしの世話は、宦官が担当している。
光柳が十代の頃だった。宮女が彼の世話を担当したことがあるが。あの時は恐ろしかった。
雲嵐は、遠い目をした。
今日も朝から、空には鈍色の雲が垂れこめている。
「南と違って、冬が長いのが嫌なんだよな」
のんびりとした休日の午前。光柳は椅子に座りながら、火鉢に手を当てた。
光柳と雲嵐の住まいは、宦官の中でも身分の低い者が入る宿舎だ。
少年であった光柳が後宮に戻ったとき。先帝はその宿舎を建て替えさせた。そして側に別棟を造り、そこで光柳と雲嵐は暮らしている。
「宦官といえども、まだ子どもだから。集団生活は厳しかろう」というのが、建前であったが。理屈が通らない。
他にも若い宦官はいるからだ。
光柳の身分は低くとも、従者がいるという状況に、他の宦官たちはうっすらと事情を察した。
古参の宦官であれば、かつて麟美と後宮で暮らしていた幼い光柳を知っている。
藪を突いて蛇が出れば、自分たちの身が危ない。それに宿舎が新しく快適になるのはよいことだ、と。
「そういえば珍しく、別棟を使っていることで文句をつけられましたね。贅沢だと」
「ああ、陳家の者か。確か最近、大理寺卿に昇進したのだったな。贅沢と言われても、雲嵐とふたり部屋だぞ」
寝室の他に、この居間と厨房もありますけどね、という言葉を雲嵐は飲み込んだ。
そもそも光柳と雲嵐が同じ寝室を使っているのも、かつての光柳が夜を怖がったからだ。
――雲嵐。風の音がきついから、眠れないよ。
――雷が鳴ってるよ。怖いよ。
まだ幼さの残る光柳は半泣きになりながら、たびたび雲嵐の布団に潜り込んできたのだ。
雲嵐という名がかっこいいからと、サンという名の少年につけてくれたというのに。
だが、平和であった離宮にいた頃よりも臆病になってしまった光柳を、責めることはできない。
それに狭いから嫌ですよ、なんて断ろうものなら。光柳の半泣きが大泣きになってしまう。
結局、風がやんでも雷が鳴りやんでも、光柳は雲嵐の背中にぴったりとくっついて眠ったのだ。
これだから繊細なくせに、強引な主は困る。
「陳家といえば。甘露宮に陳家出身の侍女がいましたね」
雲嵐の言葉に、光柳がうなずく。
「麟美の偽の詩に大枚をはたいた侍女だろう? 新しい大理寺卿の姪だ」
「叔父の陳天分に叱られたそうですね」
いくら陳家が大商家であっても、無駄な金の使い方は許されないだろう。いや、許されないからこそ大商家になったのかもしれないが。
陳天分から見れば、書令史ごときは別棟ではなく、大部屋にでも入れと言いたいのだろう。
世の中には、あえて触れない方がいいこともある。
なのに、後宮に立ち入ることもない陳天分は口出しをしてくる。
(陳天分は、潔癖で正義感が強いのだろうな。だからこそ大理寺が向いているともいえるが)
雲嵐はそう分析した。
「雲嵐。これを焼いてもいいか?」
呑気な主は、小刀で年糕を切り分けた。
赤砂糖と糯米、そして花生の油でつくった甘い年糕は光柳のお気に入りだ。
「焼いてもいいかもなにも。もう切っていらっしゃるじゃないですか」
「うん。雲嵐のぶんもあるぞ」
「まだ春節ではありませんよ」
火鉢に網を渡して、薄めに切った年糕を雲嵐が並べた。
自分のこういうところが甘いのだ、と呆れながら。
蒸してあるので、そのままでも食べられるのだが。溶かした玉子をつけて、鍋で焼くという方法もある。
光柳は、ほのかな味を楽しみたいようで、玉子は不要だとよく言っている。
「これは年中食べてもいいと思うんだが。元宵の団子といい。食べる日が決まっているとか、誰の差し金だ。意地悪か」
光柳は、豪奢な料理にあまり興味がない。
雲嵐も、できれば光柳が好む素朴なものを食べさせてやりたいが。年糕も元宵の団子も、あきらかに栄養が少なそうだ。
なにしろそれぞれの原料が糯米と、小麦なのだから。
「年糕召し上がる上がると、翠鈴に叱られますよ」
「う……っ」
光柳は、言葉を詰まらせた。
「私は怒りませんが。彼女の前で、つい口が滑るかもしれません。光柳さまは、食べ物の好き嫌いがあって困ります、と」
「そんな幼稚な人間と思われたくはない」
お? 翠鈴の名前は有効か?
雲嵐は、片方の眉を上げた。ついでに箸で、年糕を裏返す。
掃除や食事などの光柳の暮らしの世話は、宦官が担当している。
光柳が十代の頃だった。宮女が彼の世話を担当したことがあるが。あの時は恐ろしかった。
雲嵐は、遠い目をした。
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