93 / 171
七章 毒の豆
10、香豌豆の菓子【2】
しおりを挟む
「女炎帝さま……ごめんなさい、ごめんなさい」
涙を流しながら、辺妮は謝った。
「う、うちは、香豌豆で、菓子を作って、それで」
香豌豆。その名に翠鈴と、後方にいる胡玲が顔を見合わせた。花の香りが甘いから「甘い豆」との異名もあるが。
実際は毒だ。
豌豆とそっくりの花と莢の豆をつける香豌豆は、麝香連理草とも呼ばれる。
つまり豌豆と似てはいるが、連理草という別の種類だ。
そして程度の差はあれ、連理草の種子には毒が含まれる。
豆は種子だ。
「香豌豆を食べると、体が麻痺することをどこで知ったの?」
「そ、それは、うちの家畜が香豌豆を食べて。それで、足の骨の形が、おかしくなって」
「そう」
翠鈴は平坦な声で応じた。
人間が香豌豆を多食すると、下半身が麻痺を起こす。それは知っていた。だが、動物の骨格が異常をきたすことまでは知らなかった。
「すごいわ。生きた知識ね」
褒められたと勘違いしたのだろう。辺妮は横たわったままで、翠鈴を見つめてくる。涙で潤んだ瞳が、わずかに煌めいた。
「でも異常が出ると分かっていて、胡玲に毒を食べさせたのね。これっぽっちも心は痛まなかったのね。彼女が苦しめば、あなたは満足なのね。まともに動けなくなれば、きっと笑ったのね」
本当は、辺妮の頭を踏みつけたい。罵倒したい。よくも大事な胡玲を害そうとしたと、怒鳴りつけたい。
心の底から湧いてくる衝動を、翠鈴はかろうじて堪えた。
「楽しかったでしょ。胡玲が苦しむ状態を想像して、豆を煮て。わくわくしたでしょ。自分の作った菓子で、嫌いな相手の人生を奪うことができるんですもの」
誰もいない厨房で、たったひとり。毒の菓子をせっせと作る辺妮は、きっと笑みを浮かべていただろう。
うす暗いなかで、鍋に入った豆を潰して練っていたのだろう。毒を混入させる必要なんてない。材料そのものが毒なのだから。
「う、うちは……そんなこと、殺そうだなんて」
「考えていたわよね。ここで。この頭の中で」
翠鈴は、辺妮のひたいを指さした。
「医局に差し入れをするのに、不自然さがあってはならない。だったら菓子が違和感がないし、喜ばれる。香豌豆を選んだのは。そうね、豌豆黄は宮廷菓子でもあり駄菓子でもある。それほどに広く親しまれているから、毒のない豌豆の代わりに口に入れさせやすいって考えたのね」
「な、なんで? なんで知っているの?」
辺妮の声がかすれた。背中で縛られた腕を、なんとか動かそうとしてる。
だが、辺妮の手を縛りあげたのは雲嵐だ。解けるはずもない。
「やっぱり女炎帝さまだから。何でもお見通しなの?」
「いいえ。ふつうに想像できる範囲よ。わたしは女炎帝ではないと言ったけれど。あなたの耳には一向に届かないのね」
「女炎帝さま」
「ほんとうに聞きたいことしか、聞けない耳なのね」
辺妮のことが、いっそ哀れになった。本来、後宮勤めには向いていない娘だ。
「これだけは教えてちょうだい」
翠鈴は床に膝をついて、辺妮の顔を覗きこんだ。
「誰から、香豌豆を買ったの? いえ、誰に騙されたの?」
口止めはされていると考えた方がいい。ならば、もう一押し。
「あなたに偽物を掴ませて、お金を巻きあげたのは誰? 悔しくないの? ただの豌豆に、大金を払わされたのよ。相手はきっと、あなたのことを馬鹿にして嗤っているわ」
「うちのことを、馬鹿にしてるの? 夏雪さんは」
翠鈴に指摘されて、辺妮は目を見開いた。今、初めて気づいたように。
「夏雪というの?」
「なんで? あんなに高かったのに。いろんな物を我慢して、給金を貯めて。ようやく買えたのに」
「姓は? 厨房にいるあなたが購入できるのなら、その人は食堂に現れるのかしら」
翠鈴の問いに、辺妮は答えない。ただ「うちは……うちは、何のために……」と、しゃくりあげている。
時間がかかると踏んだのだろう。「警備の者を呼んでこよう。念のため、雲嵐は置いていく」と、光柳が立ち上がった。
大理寺卿であった陳天分に命じられて、宮女狩りに勤しんでいた宦官は異動になった。掃除の担当になったらしい。今の警備はまっとうな人ばかりだという。
涙を流しながら、辺妮は謝った。
「う、うちは、香豌豆で、菓子を作って、それで」
香豌豆。その名に翠鈴と、後方にいる胡玲が顔を見合わせた。花の香りが甘いから「甘い豆」との異名もあるが。
実際は毒だ。
豌豆とそっくりの花と莢の豆をつける香豌豆は、麝香連理草とも呼ばれる。
つまり豌豆と似てはいるが、連理草という別の種類だ。
そして程度の差はあれ、連理草の種子には毒が含まれる。
豆は種子だ。
「香豌豆を食べると、体が麻痺することをどこで知ったの?」
「そ、それは、うちの家畜が香豌豆を食べて。それで、足の骨の形が、おかしくなって」
「そう」
翠鈴は平坦な声で応じた。
人間が香豌豆を多食すると、下半身が麻痺を起こす。それは知っていた。だが、動物の骨格が異常をきたすことまでは知らなかった。
「すごいわ。生きた知識ね」
褒められたと勘違いしたのだろう。辺妮は横たわったままで、翠鈴を見つめてくる。涙で潤んだ瞳が、わずかに煌めいた。
「でも異常が出ると分かっていて、胡玲に毒を食べさせたのね。これっぽっちも心は痛まなかったのね。彼女が苦しめば、あなたは満足なのね。まともに動けなくなれば、きっと笑ったのね」
本当は、辺妮の頭を踏みつけたい。罵倒したい。よくも大事な胡玲を害そうとしたと、怒鳴りつけたい。
心の底から湧いてくる衝動を、翠鈴はかろうじて堪えた。
「楽しかったでしょ。胡玲が苦しむ状態を想像して、豆を煮て。わくわくしたでしょ。自分の作った菓子で、嫌いな相手の人生を奪うことができるんですもの」
誰もいない厨房で、たったひとり。毒の菓子をせっせと作る辺妮は、きっと笑みを浮かべていただろう。
うす暗いなかで、鍋に入った豆を潰して練っていたのだろう。毒を混入させる必要なんてない。材料そのものが毒なのだから。
「う、うちは……そんなこと、殺そうだなんて」
「考えていたわよね。ここで。この頭の中で」
翠鈴は、辺妮のひたいを指さした。
「医局に差し入れをするのに、不自然さがあってはならない。だったら菓子が違和感がないし、喜ばれる。香豌豆を選んだのは。そうね、豌豆黄は宮廷菓子でもあり駄菓子でもある。それほどに広く親しまれているから、毒のない豌豆の代わりに口に入れさせやすいって考えたのね」
「な、なんで? なんで知っているの?」
辺妮の声がかすれた。背中で縛られた腕を、なんとか動かそうとしてる。
だが、辺妮の手を縛りあげたのは雲嵐だ。解けるはずもない。
「やっぱり女炎帝さまだから。何でもお見通しなの?」
「いいえ。ふつうに想像できる範囲よ。わたしは女炎帝ではないと言ったけれど。あなたの耳には一向に届かないのね」
「女炎帝さま」
「ほんとうに聞きたいことしか、聞けない耳なのね」
辺妮のことが、いっそ哀れになった。本来、後宮勤めには向いていない娘だ。
「これだけは教えてちょうだい」
翠鈴は床に膝をついて、辺妮の顔を覗きこんだ。
「誰から、香豌豆を買ったの? いえ、誰に騙されたの?」
口止めはされていると考えた方がいい。ならば、もう一押し。
「あなたに偽物を掴ませて、お金を巻きあげたのは誰? 悔しくないの? ただの豌豆に、大金を払わされたのよ。相手はきっと、あなたのことを馬鹿にして嗤っているわ」
「うちのことを、馬鹿にしてるの? 夏雪さんは」
翠鈴に指摘されて、辺妮は目を見開いた。今、初めて気づいたように。
「夏雪というの?」
「なんで? あんなに高かったのに。いろんな物を我慢して、給金を貯めて。ようやく買えたのに」
「姓は? 厨房にいるあなたが購入できるのなら、その人は食堂に現れるのかしら」
翠鈴の問いに、辺妮は答えない。ただ「うちは……うちは、何のために……」と、しゃくりあげている。
時間がかかると踏んだのだろう。「警備の者を呼んでこよう。念のため、雲嵐は置いていく」と、光柳が立ち上がった。
大理寺卿であった陳天分に命じられて、宮女狩りに勤しんでいた宦官は異動になった。掃除の担当になったらしい。今の警備はまっとうな人ばかりだという。
132
あなたにおすすめの小説
夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。
Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。
そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。
そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。
これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。
(1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
番を辞めますさようなら
京佳
恋愛
番である婚約者に冷遇され続けた私は彼の裏切りを目撃した。心が壊れた私は彼の番で居続ける事を放棄した。私ではなく別の人と幸せになって下さい。さようなら…
愛されなかった番。後悔ざまぁ。すれ違いエンド。ゆるゆる設定。
※沢山のお気に入り&いいねをありがとうございます。感謝感謝♡
三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します
冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」
結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。
私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。
そうして毎回同じように言われてきた。
逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。
だから今回は。
下賜されまして ~戦場の餓鬼と呼ばれた軍人との甘い日々~
イシュタル
恋愛
王宮から突然嫁がされた18歳の少女・ソフィアは、冷たい風の吹く屋敷へと降り立つ。迎えたのは、無愛想で人嫌いな騎士爵グラッド・エルグレイム。金貨の袋を渡され「好きにしろ」と言われた彼女は、侍女も使用人もいない屋敷で孤独な生活を始める。
王宮での優雅な日々とは一転、自分の髪を切り、服を整え、料理を学びながら、ソフィアは少しずつ「夫人」としての自立を模索していく。だが、辻馬車での盗難事件や料理の失敗、そして過労による倒れ込みなど、試練は次々と彼女を襲う。
そんな中、無口なグラッドの態度にも少しずつ変化が現れ始める。謝罪とも言えない金貨の袋、静かな気遣い、そして彼女の倒れた姿に見せた焦り。距離のあった二人の間に、わずかな波紋が広がっていく。
これは、王宮の寵姫から孤独な夫人へと変わる少女が、自らの手で居場所を築いていく物語。冷たい屋敷に灯る、静かな希望の光。
⚠️本作はAIとの共同製作です。
【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領
たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26)
ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。
そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。
そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。
だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。
仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!?
そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※お待たせしました。
※他サイト様にも掲載中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。